第一部 おじいちゃんとの約束
不思議な機械音を聞いた後、気が付くと、そこは再び祖父母宅の居間だった。
今回はソファに座った体勢で目が覚めた。
「やあ、目が覚めた?」
「にょわああっ!」
思った以上に近くで声がしたので、恥ずかしい奇声を上げソファから立ち上がる。
「ちょっと!人が眠っている間にそんな近くに座るだなんて、なんていうか、その、し、失礼なんじゃないですか!」
「そんな事言われても、俺も今、ここで目が覚めたばかりなんだよ」
チサキは頭を抑えながら、少し苦しそうな表情を浮かべている。
「それにしても、その威勢なら陽菜ちゃんは大丈夫だね。二日連続でダイブすると頭痛が結構強めに出たりするんだけど」
言って、チサキは顔の半分を手で覆いながら弱々しい笑みを浮かべた。
陽菜はカッと体温が上昇するのを感じた。お前は無神経だとチサキに言われたような気がした。たしか昨日杏里が、陽菜のことを「タフで鈍感」と言っていた。案外あたっているのかもしれない。今まで気が付かなかったけど、私ってタフで鈍感で無神経だったのか。
何か今までの自分に敗北感のようなものを感じていると、チサキがヨシ!と気合を入れて立ち上がった。
「早速カレンダーを探しに行こう。たしか台所だったよね」
「はい……」
陽菜はか細い声で返事をすると、チサキと共に台所へと向かった。
台所の食器棚の横に、目的のカレンダーはあった。しかし――――――
「何も起こらないね」
カレンダーは確かにあった。しかし、それがアトラクタの鍵になる事は無かった。
「まだ、何か足りないんだ」
絶対にカレンダーがアトラクタの鍵になると思い込んでいた陽菜はがっくりと肩を落とした。あんなに期待していた手前、その分落胆は大きい。
チサキがカレンダーを注意深く調べている間、陽菜は台所を見回した。そこは台所兼、ダイニングになっていて、両親が共働きだった陽菜が夕食をとるのはもっぱらこの場所だった。
いつも夕飯を祖父母宅でたべていたからだろうか、陽菜は今でも家族の中で一番秋刀魚を綺麗に食べることができる。そのことをおじいちゃんに伝えると、おじいちゃんは少し得意顔になってたっけ。
「陽菜ちゃん」
チサキに肩を叩かれ、ふと我に返る。チサキの「どうしたの?」という問いかけに陽菜はなんでもないと言って首を振った。だめだ、この家は。思い出が多すぎる。
「ここを見て欲しいんだけど」
そう言ってチサキはカレンダーをひっくり返した。
「ここ、一番最後のページが破れてる」
「一番最後?」
カレンダーは火事があった一月から開始されていた。その前のページも破いた後があったが、これはカレンダーの表紙だということは分かる。でも、一番最後のページを破く意味って?
「普通カレンダーって十二月が最後のページになるはずよね。でもこのカレンダーはちゃんと十二月まであるし、十二月より後ろにあるページってなんだろう?」
陽菜は必死に眉間に皺を寄せるがさっぱり見当が付かない。
「このカレンダー。どうやら日本全国の名所を紹介してるみたいだな」
チサキはカレンダーを隅々まで見て、右下に小さく書かれた「日本百景カレンダー」という文字を指さした。旅が好きだった祖父母宅ならこのカレンダーが選ばれたのは納得がいく。
「日本、日本百景、日本列島、日本地図―――あっ!」
様々なワードを頭の中で思い浮かべている中で閃くものがあった。
「チサキさん!あります!日本地図!」
言って陽菜は駆け出した。
おばあちゃんはおじいちゃんとの旅行を生涯の楽しみにしていた。
二人の旅の思い出はきっとあそこにある。
陽菜とチサキは二階の祖父の部屋の前にいた。
祖父母宅にずっと通っていた陽菜だが、唯一あまり知らない部屋があった。それは祖父の書斎だった。多分鍵などはかかっていなかったはずだが、あまり入った事はなかった。特に入る必要を感じなかったのが主な理由だ。しかし、いつだったか、何かの拍子にその部屋の中を見た事があった。
全国各地のペナントが壁一面に飾られてあった。なかなかの壮観だったことを覚えている。
日本地図を張るならこの部屋しかない。と、陽菜には確信めいたものがあった。
祖父の部屋に一歩入る。その瞬間、手帳を持つ手が熱くなるのを感じた。すぐに
そちらに目を向けると、手帳が少し淡く光って、すぐに元の姿に戻った。
しかし、先ほどとは明らかに異なっている。なにかが手帳に挟まっているようなふくらみがあった。すぐ手帳を開き、はっと息を呑んだ。
「どうした?」
チサキも陽菜の肩越しに手帳を見て、目を見開いた。
そこに挟まっていたのは三つ目のアトラクタの鍵だった。
祖父の書斎に日本地図があったのを確認して、一旦そこを離れた。
一階のアトラクタの箱の元に立ち鍵を差込み開錠する。
三度、祖母の記憶の欠片が二人の中に流れ込んできた。
―――これ、おじいさんにプレゼント。
―――手帳?そんなものは使わんぞ。
―――ふふふ、実は、本命はこっちなの。
―――全国踏破、国内旅行記?なんだこれは。
―――この地図で旅をした都道府県を塗りつぶすの。おもしろそうでしょ。
―――まあ、そこに張っておけ、気が向いたらやっとくよ。
「そんな事言って、しっかり全部塗ってたよな」
記憶の欠片から戻ったチサキが陽菜に向かって弱ったといったように笑った。
先ほどの祖父の部屋には、赤いマーカーでほとんど真っ赤に塗りつぶされている大きな日本列島のポスターが張ってあった。
「おじいちゃん、そういうところ律儀な人だったから」
陽菜も微笑んだ。なんだか祖父母の無邪気な一面を覗いてしまったような気恥ずかしさを覚える。なるほど人の夢に入ると、こういう所も見られてしまうのか。
キラキラと輝くパスルのピースを見つめながら、陽菜は、祖父母のささやかな思い出を大切に握り締めた。
アトラクタの箱のもう一つの中身は一本の赤いマーカーだった。
今回の謎解きは至極簡単そうだ。
「それにしても、この手帳、実は、おばあちゃんがおじいちゃんにプレゼントしたものだったんだぁ」
手帳をぱらぱらめくる手がピタリと止まった。
「これ……」
昨日あれほど調べても何も見つからなかった手帳には一箇所はっきりと予定が書かれていた。
三月十五日から二十日にかけて矢印が引かれ、そこには『沖縄、西表島』その下に、どこかの電話番号がメモされている。
「これ、どこの電話番号だろう?」
「たぶん、宿泊する宿か何かの番号じゃないか?それよりも早く地図を塗りに行こうぜ」
柄にもなく興奮している様子のチサキは早足で二階へと向かっていった。仕方なく陽菜もそれに続く。
祖父の書斎の壁には、赤いマーカーでほとんど真っ赤に塗りつぶされている日本列島のポスターが張ってあった。おばあちゃんと二人で旅行した思い出の旅行記だ。
塗りつぶされていないのは二箇所だけ。
京都と沖縄。
―――次は島に行きたい。
沖縄の事だったのか。そして行き先は、沖縄県、西表島。
「おばあちゃん、おじいちゃんと次は西表島に行く約束をしてたんだね」
「ああ。そしてそこが全国制覇最後の県」
陽菜はアトラクタの箱から受け取ったマーカーで京都を塗りつぶした。
その瞬間、目の前に最後のアトラクタの鍵が現れた。どうして最後だと分かったかというと、残りのパズルがあと一ピースだけだったからだ。
振り向くとチサキと、これまた、いつの間にか現れたアトラクタの箱が静かに佇んでいた。
陽菜は箱に近づき、鍵を差し込む。箱は静かに開く。中にはパズルのピースが一つあるだけだった。
「これが、最後の記憶の断片……」
少し緊張しながらピースを箱から出す。今まで集めたピースをつなぎ合わせ、いよいよ最後のピースをはめる時は緊張で手が震えた。
チサキが陽菜の肩に手をポンと乗せた。
陽菜は大きく深呼吸して最後のピースをはめた。
「何これ?眩しい!」
パズルは完成したとたん徐々に光だし、その光はあっという間に陽菜と、チサキと、世界を埋め尽くした。
とても目を開けていられず顔を覆い、目をぎゅっと瞑る。
そして、また意識がとんだ。
気がつくとそこは、老人ホームにある祖母の部屋だった。
ヘッドフォンをゆっくりと外す。揺り戻し現象の影響で吐きそうだ。これさえなければ楽しい体験なのに。
隣にはおばあちゃんがヘッドフォンをつけて横になっている。
「陽菜っ!」
思わぬ人物からの声に陽菜は頭痛が吹き飛ぶほど驚いた。
「お母さん!?」
母は目が覚めたばかりの陽菜に飛びついてきた。うぐっ……吐き気が誘発される。
「心配したわ!昨日はあんな事言って許したけど、本当は心配で心配でしょうがなかったのよ」
泣きつく母を陽菜は頭を抑えながらゆっくりと引き剥がし、
「よく、ここにいるって分かったね」
気分はすごぶる悪いが、少しでも母に心配させないように、なんとか平静を装う。
「だって、陽菜。出かけるとき、おばあちゃんのところに行ってきます。って言って出て行ったから」
あれ?そうだったっけ?
「お兄ちゃん!」
唐突に杏里が叫んだ。ソファではチサキががっくりと頭を垂らしながらヘッドフォンを外すところだった。
だから、こいつは私にも一言くらい労いの言葉をかけろっちゅーねん!
チサキはしばらく下を向いた後、ゆっくりと顔を上げた。その表情は目が少し窪み、顔面蒼白、唇まで真っ白だった。
え?チサキはこんなに揺り戻しがひどいの?それとも、またしても私が鈍感すぎるのか?
チサキは視界に陽菜の母親を捕らえると、何とか気丈に振舞おうと薄く笑った。
すぐに杏里が兄の元に水を届ける。
「大丈夫なのあの人?なんだか凄く具合が悪そうだけど」
母が陽菜に耳打ちした。
「夢から戻ると少し車に酔った感じになるの。でも少し休めば直るから大丈夫だよ」
母には夢へのダイブは絶対安全、無問題。と話してあったので、なるべく軽めに症状の説明をした。背中越しに杏里の刺すような視線を感じるが気にしない。
「それで、おばあちゃんの失くした記憶はどうなったの?」
「うん。それは」
「うう……」
隣で声が聞こえた。
「おばあちゃん」
陽菜が声をかける。
おばあちゃんはヘッドフォンを自ら外し、陽菜の目を見てはっきりとした声で言った。
「ありがとう。陽菜。全部思い出したわ」
そして笑った。久しぶりに見た本当の笑顔だった。
お母さんは坂巻博士と杏里に何度も何度もお礼を言い、これからご一緒にお昼でもいかがですか?と誘ったが、新幹線の時間を理由に断られてしまった。
それならば、せめてお見送りだけでもと食い下がっていたが「何も、我々は人助けでやったことではないのでお気遣いなく」と言った坂巻博士の一言に、さすがの母も面食らった様子だった。
博士達にとって、これは人助けでもなんでもなく、ただデータを集めるための実験にすぎなかったのか。
「だから、あまり気にせず、おばあちゃんを西表島に連れて行ってあげて下さい」
チサキは母にも爽やかスマイルを振りまきながらフォローするように言った。
なんかチサキって案外苦労人かもしれない。
坂巻一家たちが病室を出た後、母と、久しぶりに体調も良くなった祖母と三人で近くのレストランで昼食を取った。
食事を終え、祖母を病室へ帰した後、家路に向かった。
母は、父に祖母が取り戻して約束の事を話し、それならお盆の連休に家族で西表島に行こうかという話しをしていた。
久しぶりの明るい話題に、夫婦が盛り上がっている中、陽菜にはまだ遣り残した事があるような気がしてならなかた。
スマートフォンを取り出して、あの番号を押してみた。
学校が夏休みが後半に差し掛かってもまだまだ、日本中が猛暑日にうなされ続ける中、ここ新潟でも午前中からぐんぐん気温が上昇し、現在外の気温は三十五度を超えていた。こんな中、外に出るのは自殺行為とすら思えた。
「はい。これ」
クーラーをガンガンに効かせて、扇風機、さらに団扇で扇いで応接室のソファの上でだらけていたチサキの顔にいきなり封筒が押し付けられた。
それを顔から剥がし、裏を見ると桜井陽菜と書いてあった。杏里はすたすたと隣の研究室へ向かっていくところだった。
なるほど杏里がむくれる訳だ。
手紙を開いて目だけで読む。
拝啓。坂巻チサキ様。
先日は祖母の件で大変お世話になりました。
あれから祖母の容態は見る見る回復して、お医者様にも、短期の旅行なら問題ないとお許しをいただきました。
そこで、お盆の連休を利用して、家族で沖縄の西表島に行ってきました。
もちろん、そこが、おばあちゃんとおじいちゃんとの最後の約束の場所だったからです。
島に着いて、おばあちゃんは車椅子に座ったまま、おじいちゃんの写真を抱いて、しばらく海をながめていました。きっとおじいちゃんと話していたのでしょうね。
私も久しぶりにおばあちゃんの元気な姿が見れてとても嬉しいです。
それから、もう一つ、凄い事実があったんです!覚えていますか?おじいちゃんの手帳にあった電話番号のことを。
チサキさんは宿の電話だって言ってましたが、私、気になって電話してみたんです。そしたらどこに繋がったと思いますか?
じゃーん!なんと、ジュエリーショップに繋がったんです!
そこでおじいちゃん、おばあちゃんに指輪を発注してたんです!凄くないですか!
実は、お母さんから聞いたんですが、祖父母が旅行するはずだった三月十五日は二人の結婚五十周年の金婚式という節目の日だったんです。
私、前におじいちゃんに言った事があるんです。
「おばあちゃん、指輪も貰ったこと無いって言ってたよ」って。今思うと結構歪曲して伝えてましたね(汗)
それが、きっかけかどうかは分からないけど、いろんな節目からおじいちゃん柄にも無く指輪をサプライズプレゼントしようとしてたんです!素敵すぎる!
結果として、それがおじいちゃんの形見みたいなものになっちゃいましたけど、私から、ちゃんとお婆ちゃんに渡しました。
おばあちゃん、少し涙ぐんでて、お母さんも私も、釣られて泣きそうになっちゃったけど、実は一番涙もろかったのはウチのお父さんでした(笑)
とても良い旅になりました。来年も家族でこれたらいいな。
それから、チサキさんには本当に感謝しています。
あの家にもう一度入ることができるなんて夢にも思っていませんでした。夢だけに。なんちゃって。。。
それにしても、あの潜入体験は本当に楽しかったです。
できればもう一度、体験してみたいなー。なんてね。
最後しまらなくなってしまいましたが、本当にありがとうございました。
またお会いできたら嬉しいな。
ps、写真はその旅行のときのものです。
桜井 陽菜
三枚の便箋の中に挟まれていた写真は西表島の綺麗な海を背景に、真ん中に車椅子に座ったおばあちゃん。
その左手の薬指には真新しい指輪が光っている。
隣には祖父の遺影を持った陽菜。両脇には両親がさわやかな笑顔で写っている。
実にほほえましい家族写真だ。
もしあの家が残っていたら、きっとこの写真があの写真立てに入った事だろう。
「なに、にやけてるの。バカみたい」
言われて初めて、自分の口角が上がっている事に気が付いた。
研究室のドア越しに杏里がジト目でこっちを睨んでいる。
そのまま振り向き、ニカッと笑ってやった。しかし、それはお気に召さなかったようで、杏里はふんっとそっぽを向くと研究室のドアをわざと大きな音をたてて閉めた。
しょうがない妹だな。と思いながら、チサキは体を起こし、側にあったノートパソコンを開いた。会社に来ているメールをチェックするためだった。
陽菜との潜入の後、しばらくして、この夢潜入システム「パラノイア」は内閣府厚生労働省の認可を無事に得て晴れて、この度めでたく、ここ特殊解析機関UVER研究所はこの事業を柱とし、株式会社として正式に運営していく事になった。
「おっ」
仕事依頼のボックスにメールが一通来ている。
チサキは舌なめずりしながらメールボックスにカーソルを合わせた。その時。
『ごめんくださーい!』
道場破りか!と思うほどの元気な声。
どこかで聞いた事があるような……。
一抹の不安を覚えながら、メールの事はいったん置いて、玄関を開けた。そしてその場で固まった。
「来ちゃった」
首を傾げながら舌をペロッと出した少女が、この殺人的猛暑の中、帽子も被らず汗だくになりながら目の前に立っていた。
「来ちゃったって……お前」
あっけにとられるとはこの事だろうか。今、目の前にいるのは、先ほど読んでいた手紙の差出人。桜井陽菜本人だった。
「だって、あれから会社の応募ページをみたら社員募集してるんだもん。私、社員に立候補します!」
言って、右手を頭に当て、ビシッと敬礼のポーズをとる。
うわっ!汗が飛んできたっ。
チサキは飛ばされた汗を指で拭って、ため息をついた。
「あのなぁ。なんで君はそういつも突然なんだよ。そういう時はまずメールをしてだな……」
「あ――――――――――――――あんたはっ!」
いつの間にか応接室に戻ってきていた杏里が、陽菜を指差しながら噛み付きそうな顔をして吼えた。
第一部「おじいちゃんとの約束」 完
※※※あとがきにかえて※※※
ここまでご読了頂き、真に有難う御座いました。見えないでしょうが土下座して感謝しております。
本作品はライトノベルコンテスト『潜入ゲーム』の募集規定に従い、コンテスト終了後までは第一章のみの掲載となります。
そして続きが掲載されなかった場合は……わかるね^^;
また、本コンテストに参加されている他の作者様の作品もどれもこれも秀逸なものばかりでございます。そちらもぜひお楽しみ頂ければ幸いです。
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それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。