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背中

 その後千暎は、あさみと史人に航を紹介した。打合せ通り、史人と航は、初めましてと挨拶を交わす。あさみは、千暎が惹かれる男性はみんなそこそこ逞しいんだね、と無邪気に笑う。


「僕は何人目なの?」

 航があさみに問い質す。


「えっと~」

 あさみが考えようとする。


「あ、あさみ! 考えるとこじゃない!」

 千暎が突っ込む。


「俺も入れとけよ」

 史人が言う。


「やだ!」

 あさみがふくれる。


 気の合う仲間がひとり増えた。



 一ヶ月程が経ったある日、突然常務が退任し、その二週間後、退職した。一身上の都合との理由で、本人の強い希望により、送別会は開かれなかった。何があったのだろうか? 千暎は連絡を取るべきか悩んだが、敢えて自分からはしなかった。そっとしておくべきではないかと感じたからだ。だがそれは、後に千暎を後悔させる事になってしまう。



 三ヶ月後、常務、つまり博章は他界した。社内報に元常務の訃報が小さく記載されただけで、詳細は一切不明のままだ。


 亡くなってから10日後、千暎宛てに期日指定の郵便物が届いた。中身は、会場と地図、開催期間が記された美術展の案内状で、差出人は博章だ。同封されていたのは、PCで打ったと思われる短い文章だった。


『千暎と過ごした時間は本当に楽しかった。ありがとう。僕の最後の頼みだ。送付した美術展に行って欲しい。僕の想いがそこにあるから。千暎、幸せになってくれ。 HIROAKI』


 薄れゆく意識のなかで、やっと打った文章だったに違いない。


 いなくなってから、こんなものが届くなんて…………。


 千暎は退職した時に連絡をしなかった事を悔やんだ。まさかこんな事態になるなんて、想像出来るはずもなかった。


 頬を伝う涙は、一晩中止まることなく流れ続けた。



 千暎は航に事情は話さず、友達の為と偽り、あさみと史人も誘い、スケジュールの都合を合わせて、美術展へ向かった。


 美術展と言っても、無名な画家や、アマチュアの作品展のような展示会らしかった。そのメインの一角に設けられた、〇〇展入選作品と書かれたコーナーがあり、恐らくここであろうと、千暎が足を進める。一点一点の作品を見て行くと、一番大きな絵画が目を引く。

 そして、その前で動かなくなる千暎。それにつられて足を止める三人。


「これは? ……」あさみが言葉を発すると同時に、史人も息を呑んだ。航もその視線の先を見つめる。


 その絵画は、一糸まとわぬ女性の背中を描いていた。うなじから流れる長い黒髪の後れ毛。少し腰を捻り、細い腕の隙間から、乳房のふくらみが見える。お尻の笑窪まで描いた際どさがセクシーで美しい。


「きれい……。千暎ちゃんの背中にそっくり。ここのほくろまで同じ………………えっ! ……」


 あさみは気付いてしまった。右下に書かれているサインを。


「……っていうか、これ、千暎ちゃんなんじゃ…………。もしかして千暎ちゃんの言ってたお友達って……、まさか…………」


 千暎は瞬きも忘れるほどジッと見つめていた。


 あさみは悟った。そっと千暎の横に近づき、頭を肩に付け、腕を腰に回して、抱き締めた。ほんとは肩を抱いてあげたいのだが、あさみは身長が低いため、精一杯千暎に寄り添ったのだ。


「すごい想いを感じるね……」


 史人と航は、何かを察し、ふたりをその場に残し、後退りしながら離れた。


 そして再び振り向いた瞬間、男ふたりは驚愕する。


「千暎!」小さく叫んだのは史人だった。「ちょっとこっち来て、ここから絵を見て」


 千暎とあさみが史人達のところまで行き、振り向く。


 ――――――!


 思わず口を押さえる千暎。

「すごい」と一言だけ呟くあさみ。


 背景には、近くでは見えなかった文字が、離れて見る事で浮かび上がっていたのだ。その文字ははっきり“千暎”と読めるではないか。


 博章は、恐らく自分の死期を知っていたのだ。

 博章の言葉が脳裏に甦る。


『千暎を抱く事が今の僕の生きる活力なんだ…………。千暎が最初で最後に愛した女性…………』


 博章の子を産んでもいいとバカな事を言った時、物凄く怒って悲しい表情をしたのは、その頃には自分は生きていないとわかっていたからなんだ。


 千暎はその場に泣き崩れた。今度は航が肩を抱き、ゆっくり立ち上がらせると、そのまま何も聞かず、ただ抱きしめる。


 史人が小声であさみに聞く。


「あの絵は千暎の恋人が描いたのか? 千暎には付き合ってたひとがいたのか?」


「…………。常務なの……。辞めて亡くなった石井常務なのよ…………」


「――――なんだって! まさか……千暎が常務と? …………そうだったのか……。知らなかった……」


「もう終わった事よ……。でもこの絵を見たら、常務はずっと千暎ちゃんの事想ってたのかも知れないね…………。千暎ちゃん、大丈夫かな……」


「大丈夫さ。今は航さんがいるじゃないか。彼がちゃんと千暎を支えるよ。俺達だってついてるんだから」


「うん……。そうだよね……」



 航は千暎を抱きしめながら、語りかけていた。


「あの“千暎”と読める文字の中には、いろんな心情の色が詰まってる。……孤独感の中に光が差してるような、希望を感じるよ……。これを描いたひとは、“千暎”と言う女性をを心から愛していたんだろうな…………」


 千暎の肩にかかっていた航の腕が、ギュッと強くなった。


 航は千里眼を持つ男だったのか?


 敢えて“千暎と言う女性”と言った航に、千暎はもう何も言えず、ただ黙って航の腰に回した手に力を込め、博章の想いをしっかり目に焼き付けていた。



 ありがとう、あなたを信じて良かった。あたし、すごく幸せだよ。博章さんにこんなにも愛されて、今もあたしを愛してくれる男性(ひと)が隣にいるんだもの。あなたが言った言葉は本当だったわね。今側にいる男性(ひと)は、すごく大きな存在になった……。博章さん、あなたの想いはしっかり千暎の中に入ったよ。あなたの分まで幸せになるから、見守っててくれる?



 その時千暎は、髪から背中をなぞる博章の指を感じたのだった。




 航は千暎の部屋まで一緒に帰って来た。千暎がほとんど口を開かず、会話にもならなかったが、そばにいたいと思った。


「千暎? 今日泊まってってもいい?」


「どうしたの? 改まっちゃって。いいに決まってるじゃん?」


「良かった。元気な返事が聞けて……。そばについててあげたいと思ってたんだけど、もしかしたら、今日はひとりになりたい気分なのかな? って、ふと思ったもんだから」


「そばにいて欲しいよ……。いつだってそう思ってる」

 

「久しぶりに飲んじゃおうか? ビールまだある?」


「あたしがお酒を切らすわけないじゃない? ワインはないけど」


「残念だな~。僕はワインが一番好きなのに」


「うそ~。この前は日本酒がないって言ったら、日本酒が一番好きだって言ってたくせに~」


「あれ? そうだっけ? まぁ、一番好きなのは、千暎だけどね」


「へぇ~。それって、美味しいの?」


「最高だよ! 飽きない美味さ」


 千暎にやっと笑顔が戻った。その夜のふたりは、いつも以上に笑い、長い時間語り合い、そして愛し合った。




 程無くして、あさみと史人は、身内とごく親しい友人だけで式を挙げ、無事にお披露目が済んだ。


 あさみのウエディングドレスは、背中を大きく開けた、なんともセクシーだが、可愛らしい純白のドレスだった。


「すっごく可愛い! すっごくきれい! あさみ……ほんとにおめでとう」


「ありがとう。少しは千暎ちゃんの背中に近づいたかな~?」


「あさみの方がきれいだよ~。幸せオーラが滲み出てるもん!」


「千暎ちゃんだって幸せでしょう?」


「うん……。でもあさみは表情からして違うよ。ひとりじゃないんだもんね?」と言って、あさみのお腹を擦る。


「実はね、あれから史人くんたら、どんなに遅く帰って来ても、私の体調が悪くない限り、迫ってくるの。出会った頃とは大違い。変わるもんだね」


「もう~、オノロケはいいから! あさみだって変わったじゃん? そんな大胆な事平気で言えるんだもん。見かけはウブなお嬢様なくせに~」


「えへへっ。千暎ちゃんに仕込んでもらったからねー」


「やだ、あたしはあさみの本性を引き出してあげただけだよー」



 ふたりの姿を、離れたところから微笑ましそうに見つめる史人と航。


「あさみちゃん、ほんとに可愛いね。それにしてもあの大胆な背中、よく許したね~?」


「あさみがどうしても出したいって言うから、仕方なく」と言って笑う。「なんか千暎の背中に触発されたみたいで、自分も頑張るって言い出して……。って言っても、頑張ったのは俺なんですけどね」


「どういう事?」


「マッサージですよ。贅肉を揉みほぐしてやりましたよ。すごく気持ちイイって言われて、これからもさせられそうですけど」史人は嬉しそうに笑った。


「ところで、史人くんはさ……、千暎とは友人関係以上になった事はないの?」


「は? な、何をさらっと聞いてんですか? あるわけないですよ! どうしたんです? いきなりそんな事を……。航さんらしくないですよ」史人は一瞬ギクッとしたが、悟られないように惚けた。


「そうだよな……。あっても言えるわけないよな?」


「だから、ないですってば! 俺があさみを裏切ると思います?」


「ま、男だからな」


「航さん! 怒りますよ!」史人は精いっぱい誤魔化した。


「わかったよ。信じるよ。なんかさ、今まで気にしてないつもりだったけど、千暎にも、過去は取り戻せないとか言っておきながら、拘ってる自分がいるんだよ……。あの日以来、僕の胸の奥がなんだかモヤモヤしてしょうがないんだ」


「あの日以来?」


「絵を見た日だ……」


「あ~・・・」


「あの絵を描いたひとは、千暎を心から愛してたんだろうな、って思うと、彼女に触れた人間はどれだけ居たんだろうか、僕には千暎を愛する資格があるんだろうかって、バカな事を考えてしまうんだ。自分がこんな小さい人間だったとは思わなかったよ……」


「人を愛するのに資格なんて皆無ですよ。千暎のすべてを知りたくなったって事ですよね? それだけ千暎の事を愛してる証拠じゃないですか。でも、誰にでも過去はあるし、良い思い出ばっかりじゃない。俺は千暎のほんの一部しか知らないけど、初めて本気になったのは、恐らく航さんが初めてですよ。だから、何も考えず、あいつのこれからを支えてやってください。俺から言うのもなんか変ですけど……」


「ふっ…………。そうだよな……。僕が彼女の過去に嫉妬したところで、何かが変わるわけもないもんな? ほんと、どうかしてたよ僕は……」


「でも、安心しました。航さんはあんまり感情を剥き出しにしないし、落ち着き過ぎてるって思ってたから、人間らしいとこが見られて、なんだか、もっと好きになりましたよ」


「人間らしいとはなんだよ! まあ、自分のダメな部分がまたひとつわかったって事で、千暎にも感謝しなきゃだな」


「これからはそのダメな部分は出ませんよ。千暎以上の女性が現れない限りね!」


「確かに、もう現れないな」航は、すっきりとした表情を見せた。



「男同士で何話してたの?」あさみが史人の側に戻って来た。


「航さんも子供が欲しいってさ」


「えっ?」千暎が思わず航を見る。


「おい! そんな事一言も言ってないだろうが! 勝手な事言うなよ!」と言いながら、半笑い気味だ。


 千暎は航の腕に自分の腕を絡ませ、「じゃ、頑張っちゃう?」と甘え声で言う。「千暎も乗るんじゃないよ~」航は照れながらも、まんざらでもない様子。


「あら、乗らなきゃ始まらないじゃない?」あさみが言った言葉に、ちょっと間をおいた後、三人が顔を見合わせると、一斉に吹き出して笑った。


 あさみと史人は、後処理があるからと千暎達を先に帰らせた。




 帰りの車の中。


「あの二人、若いのになかなかしっかりしてるよな~。意外とあさみちゃんの方が主導権握りそうだよね?」 


「かもね。付き合い始めた頃は、あさみも史人の言いなりみたいなとこあったけど、今じゃ、史人の方がメロメロみたいだし。いいんじゃない? 結婚したら、妻が主導権握った方がうまくいくのよ」


「僕達もそうなるのかな?」


「えっ? なにそれ。さらっとプロポーズ?」


「あっ、いや、そんなつもりじゃ…………。一応仮予約中だから、シミュレーションだよ」と苦笑い。


 航は車を走らせながら、思い立ったように進路を変えた。千暎が不思議そうに見ていると、路地を曲がり、木々が生い茂った場所に入ると、妖しげなネオンが見える。妖しいと言うよりは、幻想的と言った方が合っているかも知れない。近づくにつれて、そこが建物になっている事がわかる。そこの地下駐車場に車を停めた。


「……航さん?」


「がまん出来なくて……」


 航は、千暎を車から降ろすと、手を取り、建物の中の一室に入って行く。千暎は、その強引さが嫌いではない。心臓の鼓動が高まるのを感じていた。

 航は部屋に入るなり、千暎を抱きしめ、唇を重ねた。


「航さ……ん。どうしたの?」


「どうもしないよ。千暎を抱きたくなっただけさ。千暎、愛してる……。絶対放さないから、ずっと僕のそばにいてくれ!」


「いるよ……ずっと。決まってるじゃない……」


 航は止まらなかった。千暎も翻弄されていく中、航を受け入れた。




「千暎……。嬉しいよ。僕をちゃんと受け入れてくれて。制御出来なかった……」


「後悔してるの?」


「そんなわけないだろう? 後悔なんて微塵もないよ。むしろ感謝してるんだ。千暎はこれからの僕の人生で、必要不可欠な存在になった。もう、千暎なしでは生きられないよ」


「嬉しい……。あたしも、こんなに愛してくれる人に巡り逢うなんて思わなかった。あたしの男性遍歴を咎めない航さんに感謝してます」


「おい、そこなのか?」


 ふたりは再び抱き合った。



「それにしても、よくこんな場所知ってるね? 彼女と来てたの?」


「彼女じゃなきゃ、誰と来るの?」


「そ、そうだけど、なんか隠れ家的なとこだし、なかなか見つけ難い場所でしょ? 実はマニアだったりするんじゃないかって……」


「マニア? この僕が? くっ……ハハハッ、笑える。一番似合わないよ」


「だって~、常連客じゃなきゃ知らなそうな造りじゃない! 近くまで来ないとなんだかわかんない感じだし……」


「千暎はこの部屋見てどう思った?」


「どう……って……」改めて部屋を見回す。


「まず、外観が不思議だった。高級な長屋みたいで。部屋も広々してて、鏡にカーテンがついてるのが面白い。全開にしたら、かなりイヤらしいよね? (クスッ) 照明が凝ってて素敵だと思ったよ。結構好きかも。……でも、なんでそんな事聞くの?」


「実はね……。ここは僕が初めて設計デザインチームに参加した時の建築物なんだ。4年くらい前かな~?」


「えっ! えっ? ほんとに? すごい! まさかそんな話の展開が待っていたとは驚きだわ……」


「でもこうして改めて見ると、駄目出ししたくなる箇所がいくつかあるね。その時の自分の精一杯だったんだろうけど、僕も他のメンバーも若かったしな~」


「どこが? 全く問題ないじゃない? 若いからこそのアイデアが詰まってる、そんな印象さえ受けるけど?」


「ほんと!? 千暎が気に入ってくれて嬉しいよ。自分が手掛けたとは言え、場所が場所だからね、様子見に来るチャンスが全くなくて……。いつか、この女性(ひと)だ! って思った女性を連れて来たかったんだ」


「でも、さっき彼女と来たって…………」


「それは、一般論で恋人同士以外じゃ来ないだろう? って意味だよ。まあ、恋人に限らずだけど」


「じゃあ、今までどんな関係のひととも、一度も来たことなかったの?」


「どんな関係のひとともって! 残念ながらと言うか、幸いにしてと言うべきか。老若男女を問わず、千暎が初めてになったよ」


「老若男女を問わず?」千暎はケタケタ笑った。「嬉しい……。あたしを初めてにしてくれて、すごく嬉しい! ……ねえ? 今度はカーテン全開にして試してみない?」


 千暎の甘えた声に、航の身体は熱く反応し始め、更に激しさを増す。


 ふたりは夜が更けるまで愛し合った。




 千暎が航に送ってもらって、アパートに着いたのはすでに夜中。


「今日は素敵な夜をありがとう。また行きたいな~」


「いつでも連れて行ってあげるよ。今日の千暎は凄かったもんな?」


「いやだ~。航さんのせいだよー」


「……なあ、千暎……。おふくろと一緒に住むのは、やっぱり抵抗あるかな?」


「えっ……」


「いや、すぐにってわけじゃないけど、考えてみて欲しいんだ。もちろん、千暎が嫌なら無理な事は言わないよ。千暎の気持ちを優先するから安心していいからさ」


「……うん。わかった……。考えてみる。明日、あ、もう今日か……。お仕事なんでしょ? 眠くならないでね?」


「ますますやる気が出て来たよ。いいアイデアが浮かびそうなんだ。眠くなる暇ないかもな」


「さっすがプロ。ちゃんとスイッチ持ってるのね」


「千暎のパワーだよ。千暎はゆっくり身体を休めるんだよ」


 航は千暎を引き寄せキスをする。


「じゃ、おやすみ」


「おやすみなさい……」


 千暎は走り去る車を見送るとゆっくり部屋へ戻って行った。



 航さんのお母さんと一緒に暮らす……。考えた事もなかった。でも悪くないよね? あたしはずっとひとりで生きて来たんだもの。やっと家族らしい生活が出来るんじゃない? 結婚なんかに憧れはなかったけど、航さんとなら、きっと上手く行く。自分を信じなきゃ。あたしはママの分も幸せになって、しっかり生き抜かなきゃいけないんだから。


 千暎が小学生の時、父親が身勝手な理由で出て行き、母親は必至で千暎を育ててきたため、娘と過ごす時間も少なく、男に騙された挙句、精神的不安定に陥ったのが原因で、交通事故で他界してしまっていた。事故だった事もあり、当面の生活費に困る事はなかったが、千暎はひとり娘だったため、精神的に強くならざるを得なかった。

 

 千暎は決断していた。航と一緒に歩もうと。


 

 その背中をじっと見つめるひとりの男。



「石井さん、千暎さんはもうあの男性に任せて大丈夫です。わたしがしっかり見極めました。例の物、ちゃんと千暎さんに届けましたから、安心して成仏してください」



 千暎が部屋のドアを閉めたと同時に、その男はバイクに股がり走り去って行った。



 千暎がポストを見ると分厚い白い封筒が入っている。


「なにこれ?」宛名も差出人も書かれていない。千暎は首を傾げながら封を開ける。


 ――――――!!


『千暎へ。

 これは、僕が信頼するある男に託した貢物だ。その男が、千暎の選んだ男性を認めた時に渡すように伝えた。君がこれを手にしたのなら、僕は安心して眠りにつけているだろう。今そばにいる男性はきっと千暎を幸せにしてくれるはずだから、何があっても付いて行くんだ。離しちゃだめだぞ。千暎の美しい姿を収めた映像を返すから、夫となる男性と一緒に観て楽しむといい。僕の分まで、しあわせになって欲しい。

 千暎……本当に愛してた。そして今までも愛してる。 HIROAKI 』



 千暎の目から涙が溢れ出す。


「何よこれ……。博章さん…………。ばかな事言わないでよ。あんな映像観られるわけないじゃん! 最後まで冗談キツいんだから……。貢物って? ――――――!」


 それは、帯の掛かった紙幣が数束入っていた。


「ちょっと待ってよ!!」


 ある男? もしかしてまだ近くにいて、あたしの事見てるかも!


 千暎は勢い良くドアを開け、外に出ると、辺りを見回す。人影すらなかった。


「いるわけないか……。こんな大金、貰う義理はないよ。なんでこんなことすんのよ。博章さんのばか……。こんなんされたら、忘れられなくなるじゃない。忘れるなって事? どうすりゃいいの?」



 千暎は夜空を見上げ、ゆっくり深呼吸をすると、星空に向かって呟いた。



「博章さん、竹元千暎は、これからは榎田千暎として生きて行きます。だからこれが貢物なら、結婚祝いとして、ちょっとだけ頂くね。残りはゆっくり考えさせて……。こんなあたしを愛してくれて本当にありがとう。そして、最後のお別れです……。さようなら……、博章さん……。千暎は幸せになります」




 満月の月明かりが、震える千暎の背中を優しく照らしていた。






  ――完――





【背中】―リメイク版―を最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 リメイク版では、ラストの展開を変え、男女の恋愛だけに絞りました。

 


 ※ 文中の名称等は、すべて架空のものです。実在する名称とは、一切関係はありません。

 

 


 

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