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回帰線  作者: 木場 新
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第四話「間幌《まほろ 》」

 テレビでは、いつもの時間のニュースが流れている。

 ちょうど正午前、僕はいつもこのニュースを見ている。

 番組改編の時期に、キャスターが変わったことも知っている。

 こうしてベッドに横になって、一日中テレビを眺めたりするのも、かれこれ1年近くなる。

 おそらく、僕はこの病室からもう二度と出られないのだろう。

 ここしばらくはずっとこのまま。先のことを考える気力すらない。

 望みのない未来を、あれこれ考えても仕方のないことだ。

 いつも過去の思い出にすがりながら生きている。

 それにしたって、ほんの21年分しかない。


 テレビは天気予報に変わった。

 午後もこのまま晴天が続くらしい。

 直に昼食が運ばれてくる。


 口の中が苦い。時折耐えられないほど不安になる。

「僕はいったいどうなるんだ」

 その答えには、薄っぺらい同情でもって嘘を重ねられるだけだ。

 21年間の記憶を、可能な限り思い出してみる。

 僕が生きた証。死を目前にした作業だろうか。


 そうしているうちに、決まってある女のことを思い出す。

 ありさだ。よっぽど心残りなんだろう。

 そう、あの日「好きだ」と言えないままになってしまった。

 高校最後の夏に出会った、不思議な女だった。

 唯一好きになった女は、彼女だけだったのだから。

 わりと長身で細身の体に、陰のあるような大人びた顔つき。

 なのに笑うと子どものようだった。

 それが、僕が好きになったありさだ。

 しかし、そのまま何事もなくありさとは離れ離れになった。

 今はどこに居るのかさえ、まったく知るすべもない。

 そうして僕はこのざまだ。


 なぜ、あの時、僕は伝えられなかったのだろう。


 そんなことを考えながらも、僕は眠りに落ちていった。


 夢で、電車に揺られていた。

 高校時代に利用した電車の車内だった。

 天井には扇風機が首を振っている。夏の空気だ。

 窓を全開にして、緑の中を走っている。懐かしい。

 ふいに、奥の方に見覚えのある顔を見つけた。

 ありさの横顔に見えた。つり革につかまって立っている。

 こちらにはまったく気がつかない様子だ。


 ドアが開いて、電車が駅に着いたことを知った。

 すると、ありさはそそと人ごみに紛れて電車を降りた。

 僕も続いて後を追う。見慣れない駅だ。


 駅舎を出ると、一気に真夏の暑さが体をさした。

 アスファルトの照り返しがうだるようだ。

 僕は、ありさの姿を探した。

 木造の古い店が連なっている。

 どこの町なのか、さっぱり見当もつかない。


 懐かしい町屋みたいな造りが軒を連ねる。

 店の奥からは、三味線と小唄が聞こえてくる。

 軒先の風鈴が、ちりんちりんと小さく鳴る。

 子どもの声がいくつも聞こえる。手毬歌だろうか。

 通りは人の気配がない。夏の午後の静けさ。

 路地裏の方からは、金魚売の声。

 男の笑い声が響く。上機嫌そうな声だ。

 店の奥は、陰になって暗く見えない。


 どこか懐かしい雰囲気の街並みをしばらく歩くと

 遠くの角を曲がる女の後姿が見えた。

 ありさだ。


 追いかけて角を曲がると、目の前は太鼓橋だった。

 向こう岸は公園のようだ。ありさは向こう岸に渡り

 公園に向かっているようだった。

 僕は太鼓橋を渡った。


 公園は均等に刈られた芝生が、夏草色に生え揃っている

 開けた円形の広場だった。誰一人いない。

 青空が近く感じられる。浮かぶ入道雲が、巨大な威圧感を与える。

 そこには、ありさの姿はなかった。


 僕はその場でせみの声に包まれながら、途方にくれた。


 しかし、これが夢であることに気がついた。

 であれば、ありさをいくら追いかけても無駄なのだ。

 捕まえられるはずのない、それは僕が生み出した幻、過去の思い出の産物なのだから。


「そう思っているから、捕まえられないのよ」

 振り返ると、離れたところにありさが立っていた。

 悪戯っぽく笑うと、そのすらりとした長身が踵を返した。

 あの頃と同じ、ありさの姿だった。

 一体どういうことなのか。皆目見当もつかなくなった。


「待ってくれ、ありさ。」

 僕はすがる思いだった。どうしても伝えたい。

 再びその背中を追いかけていくうちに、あたりは海岸に変わっていた。


 この海岸は、憶えがある。

 そう思った瞬間、ありさが振り向き、足を止めた。

「ここで私が声をかけられた」

 ありさは憶えていてくれた。

「伝えたいことがあるんだ。」

「私も……」

 ありさも、おそらくわかっていたはずだ。

 僕は躊躇うことなく言った。

「ありさのことが好きだ。今だって」

 ずっと伝えたいことだった。忘れられるはずもない。

 どうかしていた。

 ありさは昔のままの微笑みを浮かべた。

 涙ぐみながらうなずいた。

「もうすぐ、会えるよ」



 僕は、なんとなくわかった。

 なぜ、ありさとこれまで会うことがなかったのか。

 また、こういうかたちで再会したのか。

 これは夢なのか、過去の思い出なのか。


 いずれにしても、もうすぐはっきりする。

 僕が今のようにこうなることも、あの時のありさはわかっていた。

 僕はすべてを委ねて、ありさのもとへ行く。

 もう、不安も悔いもない。


 もうすぐ、会えるのだから。





回帰線 第四話 終

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