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回帰線  作者: 木場 新
1/5

第一話「始発」

「人間は、どうして後悔ばかりするの?」

「それは、時間が常に流れていくからなんだよ」

「……大人になんかなりたくない」

「多くの時間を過ごして、もう取り戻せない時間を振り返るから」

「嫌なことばかり、いっぱいになりそうだよ」

「それでも、みんな大人になっていくのさ」

「なんだか、眠くなってきた……」

「ほら、お休み。まだまだ先は長いから」


 列車の中は、春の午後の陽気に包まれているように、全体が白っぽく揺れている。

 何両ある列車なのか、どこへ向かっているのか。

 先頭を走る車両だというのは、進む先が運転室の窓越しに見えていることからわかる。しかし、レールのほかは眩しすぎるせいか、いっこうに見えてはこない。周りの景色も、日差しの中を行く感覚でしかない。どこかぼんやりとして見える。

 すれ違う列車がひとつもないのは、ここが田舎を走る路線のせいか、それとも単線のレールだからなのか。

 車窓からは、暖かな日差しが依然降り注いでいる。

 がたんごとん、がたんごとん……


 車両には、母親と男の子の親子だけが乗っている。

 横に長い座席には、見渡す限りその二人だけ。

 男の子は疲れたのか、心地よい暖かさのせいか、今は母親の膝を枕に眠っている。母親も優しくその頭を撫でている。

 静かに列車は揺れて、その度に親子も小さく体を揺らした。


 続く車両も後方まで長く連なっているようだが、いずれの車両にも人の気配はない。列車のカーブに合わせて、車窓からの日差しも伸び縮みする。


 車掌室の窓の向こうに、車掌の背中が見え隠れする。


 やがて、車内が金色に包まれた。

 窓の外は、一面の麦畑が広がっていた。

 金色の麦畑の丘の上には、一本の樹が生えている。

 白いワンピースが、風に揺れている少女。

 樹のふもとから、こちらに手を振っている。

 懐かしそうに微笑みながら、彼女はそっと手の帽子を風に乗せた。白いつば広の帽子が風に舞い踊り、そのまま空に消えていった。


「どうしておまえは、どうして……」

「おまえは、いつもそばにいてくれたのに、おれは……」

「ばかなのはおれだ。おまえのことをかんがえたら……」

「なんてあやまればいい? いったいなんて……」

「もうすぐもどるよ。もういちどおまえに、あやまるんだ……」

「おまえはおれをゆるしてくれるのか? おれを……」

「いつもいつも、おもってた。あやまらなくてはと……」

 日差しを背に受けて、男は一人、うなだれながら涙をこらえていた。

 車両には母子の姿はなく、かわりにスーツの男が一人座っていた。

 汗ばむほど、春のような陽気なのに、男は真冬のような装いで、厚口の生地のスーツを着ていた。

 男はそれっきり黙りこんでしまった。

 日差しが相変わらず降り注いでいる車内。


 突然、視界が開けて海が広がる。

 鏡のような水面に、太陽が反射している。

 水平線が光の群れに埋め尽くされ、遠く眩しい。


 車内には黒髪の若い女が一人、窓の外のその海を眺めている。

 色白の肌がよけいに黒髪を引き立たせる。

 ふと、女の頬を一滴涙が伝い落ちていく。

 女は、静かに泣いていた。


 やがて海も視界から消えてしまった。

 列車は止まることなく走りつづけている。

 どれだけ走っているのか、どれだけ駅を通過したのか。

 ただひたすら陽だまりの中を駆け抜けていく。

 誰もいない車内。揺れるたびに音だけが残る。


 踏切を通過したした音。

 せみの声。


「なんだか少し遠回りしたね」

「お兄ちゃん、探したんだよ」

「みんな、知らん顔してるから……」

「わたしも、いろんな人とすれ違った」

「どこにいっても変わらないんだよね」

「お兄ちゃんは変わってない。やさしいまんま」

「ごめんな、あんまり思い出さなくって」

「いいの。これからはいっしょ」

「母さん、探しに行くんだろ?」

「だから、いっしょに行くの」

 列車には、赤い西日が差し込んできていた。

 車内の兄妹二人の影が、向かいの座席まで伸びて見える。

 幼い二人は互いに飴を取り合って、少し満足そうな面持ちだった。

 やがて、二人は一緒に歌を歌い始める。

 懐かしく響く子どもの歌声。

 時折、どちらかが間違えては笑いながら。

 

 二人の姿が消えた後の車内にも声が残る。

 遠い街角で歌っているような、かぼそい声。

 車内に夕日が染み渡っていく。


 どこまでも続く線路と、そこを走る列車。

 行き先は誰にもわからない。

 ただ、二度と引き返してくることはない。


 それから、列車はトンネルに吸い込まれていく。

 一瞬にして闇に覆い被せられる。

 この先は抜けるのかどうかさえもわからない。

 ただ、列車は走りつづける。


 一時の闇か、永遠の闇か。

 そんなことは、どうでもいいのかもしれない。

 ただ辿り着きたい気持ちが、走らせているのかもしれない。

 本当に辿り着けるのか。

 それすらもわからないままに……




回帰線 第一話 終

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