第25話 助けるが、戻らない
王都への救済は、静かに始まった。大々的な宣言もなければ、勝利を誇る声も上がらない。連合が行ったのは、最低限の補助だけだった。
局所循環網を一時的に接続し、水路と医療施設へ優先的に供給を回す。主流路に依存しない応急安定化を組み、あとは手を引く。壊れないようにするだけで、元に戻すことはしない。
「なぜ、そこまでなんだ?」
辺境伯カイル=ヴァルディスが、視察の途中で足を止めて問いかけた。指先で外縁区の配管図を軽く叩きながら、腑に落ちないという顔をしている。
「もっと強く介入すれば、王都は救えるだろう」
私は歩みを止めずに答えた。
「“救える”状態に戻すことと、“同じ構造を延命させる”ことは、違います」
カイルはしばらく黙り、それから短く笑った。
「なるほど」
それ以上、彼は何も言わなかった。
王都外縁区。臨時に設けられた調整拠点で、私は資材の割り振りと作業手順の指示を出していた。図面を折り、次の区画へ足を向けようとしたとき――背後に、一人の人物が現れた。
「……アルテミシア」
聞き慣れた声だった。振り返らなくても、誰なのかは分かる。レオナルト=ルミナス。王太子であり、かつての婚約者。
私は手元の作業を終えてから、ゆっくりと振り返った。
「ご用件は?」
自分でも意外なほど、声は平らに出た。彼は言葉を探すように、一度唇を動かしてから止めた。
「……ありがとう」
その一言に多くの意味が詰まっているのは、聞けば分かる。だが。
「感謝されるために、来たわけではありません」
私がはっきりそう言うと、レオナルトの表情がわずかに揺れた。
「分かっている」
彼は苦く笑った。
「それでも……言わずにはいられなかった」
言葉が途切れ、沈黙が落ちる。遠くで循環装置の低い唸りが、地面を這うように響いていた。
「アルテミシア」
彼は顔を上げ、真正面から私を見た。目を逸らすまいとするように。
「戻っては……くれないのか」
その問いに、迷う理由はなかった。私は首を横に振る。
「戻りません」
即答だった。
「私は、あなたの隣に立つために、正しくあったのではありません」
声を荒らげはしない。それでも言葉は、静かに、しかし確実に届いたはずだ。
「正しさを、誰かに預けるためでもない」
彼は目を伏せた。その姿を見ても、かつての怒りは湧いてこない。もう、終わったことだからだ。
「……君が正しかった」
レオナルトは低く言った。
「だが、私は選べなかった」
「ええ」
私は否定もしなかった。
「それが、今の結果です」
責めるつもりはない。ただの事実として口にしただけだ。長い沈黙のあと、彼は一歩、後ろへ下がった。
「……達者で」
それが王太子としてではなく、一人の人間としての言葉だと、声の低さで分かった。
「あなたも」
私はそう返した。それ以上、交わす言葉はなかった。
その日の夕方。私は連合拠点の屋上に立っていた。遠くに見える王都は、まだ完全には立ち直っていない。それでも、明かりは灯り、煙は昇り、街は生きている。それで、十分だった。
「……これで、よかったのですか」
背後からマリアンヌが、そっと尋ねた。
「ええ」
私は空を見上げた。
「戻らなかったからこそ、助けられた」
王都は私を切り捨てた。だからこそ私は、王都に縛られずに選べた。助けるか、見捨てるか。従うか、拒むか。そのすべてを、自分の手で決めた。
悪役令嬢と呼ばれた女は、最後まで嫌われる選択をした。だが――もう、それでいい。誰の役も演じていない。私はただ、自分の人生を生きている。
「戻ってはくれないのか」に、アルテミシアが一拍も置かず「戻りません」と返した瞬間、書いている私の背筋が伸びました。
恨みでも意地でもなく、ただ静かに首を横に振れる強さ。
ここまで書けたのは、付いてきてくださるあなたのおかげです。
屋上で空を見上げる彼女に、そっと拍手を。




