第112話 崩れた前提
火は、消えた。
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煙だけが残る。
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焦げた匂い。
焼けた木の軋み。
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中央区域は、まだ動いている。
指示は続き、
人は走り、
後処理が始まっている。
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助かった。
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それは事実だ。
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だが、
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静かすぎた。
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誰も声を上げない。
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縄の前。
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越えた男が戻ってくる。
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顔は煤で黒い。
息は荒い。
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だが、
生きている。
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「……助かった」
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その一言で、
何人かが息を吐く。
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マルタが言う。
「よかったな」
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それ以上は言わない。
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責めない。
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だが、
認めてもいない。
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レオンが低く言う。
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「これで」
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一拍。
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「実験は終わりだ」
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誰も反論しない。
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ルールは破られた。
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比較はできない。
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意味が変わった。
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倉庫番が言う。
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「連合が来る」
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当然だ。
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これは、
ただの現場の問題ではない。
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制度の問題だ。
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その時だった。
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馬の音。
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速い。
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数が多い。
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全員が振り返る。
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連合の旗。
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クラウスと、
その後ろにイェルク。
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来るのが早すぎる。
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状況はすでに伝わっている。
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「報告は受けています」
クラウスが言う。
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声は硬い。
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「境界越えが発生した」
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沈黙。
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否定はない。
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イェルクが一歩前に出る。
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「確認します」
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一拍。
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「この実験は」
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「干渉しないことを前提としていた」
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静かな声。
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だが、
逃げ場はない。
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「破られました」
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短い言葉。
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それだけで、
すべてが確定する。
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レオンが言う。
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「人が死にかけた」
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「助けた」
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イェルクは頷く。
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「理解しています」
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一拍。
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「ですが」
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視線がこちらに向く。
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「それは制度の外です」
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空気が冷える。
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「制度の外?」
マルタが言う。
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「人を助けるのが外か?」
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イェルクは迷わない。
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「はい」
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その言葉が、
場を切り裂く。
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「制度は」
一拍。
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「個人の判断を排除するためにあります」
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沈黙。
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誰もすぐには言葉を出せない。
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私は言う。
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「では」
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一拍。
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「人が死ぬ場合でも」
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イェルクは答える。
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「制度に従う」
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迷いがない。
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リアが静かに言う。
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「それが統治です」
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レオンが拳を握る。
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私は火の跡を見る。
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助かった。
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だが、
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それを否定する構造がある。
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私はゆっくり言う。
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「なら」
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一拍。
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「この実験は意味がありません」
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全員の視線が集まる。
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「人を助けない構造を」
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「比較する意味はない」
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イェルクが言う。
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「感情です」
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「違います」
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私は首を振る。
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「前提です」
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一拍。
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「構造は」
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「人を守るためにある」
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沈黙。
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空気が張り詰める。
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クラウスが言う。
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「では」
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「どうする」
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問い。
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選択。
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三か月の期限。
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まだ終わっていない。
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だが、
この実験は
もう元には戻らない。
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私は答える。
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「やり直します」
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ざわめき。
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「前提を変える」
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一拍。
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「助けることを前提にする」
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イェルクの目が細くなる。
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「それは比較にならない」
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「それでいい」
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初めて、
はっきり言い切る。
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「比較ではなく」
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「選択です」
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沈黙。
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構造か。
人か。
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その問いが、
初めて
正面から置かれた。
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風が吹く。
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縄が揺れる。
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それはまだある。
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だが、
もう
同じ意味ではなかった。
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実験は終わった。
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そして、
次の段階が始まる。
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制度の戦いが、
本当の形で動き出す。
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