第109話 分かれた夜
境界線は、ただの縄だった。
杭に結ばれた、粗い縄。
それだけで、
人は分かれた。
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夜。
同じ風が吹いている。
同じ火が揺れている。
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だが、
笑い声の数が違う。
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中央区域は明るい。
火が多い。
人も多い。
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指示が飛ぶ。
物資が運ばれる。
見ていて分かる。
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速い。
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一方で、
こちらは静かだった。
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火は少ない。
人は散らばっている。
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だが、
会話は止まらない。
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「水はどこから引く」
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「こっちの井戸は使える」
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「夜の見張りはどうする」
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決める。
少しずつ。
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レオンが言う。
「遅いな」
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「ええ」
私は答える。
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「だが」
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「止まってはいない」
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その時だった。
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「おい」
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声が上がる。
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境界の近く。
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一人の男が立っている。
中央側から来た男だ。
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「戻りたい」
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短い言葉。
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分散側の何人かが顔を上げる。
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「今なら戻れるだろ」
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当然の発想だ。
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だが、
空気が変わる。
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「戻るって」
誰かが言う。
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「今さら?」
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男は言う。
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「向こうの方が安全だ」
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その言葉に、
何人かが目を逸らす。
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それも事実だからだ。
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「じゃあ行けよ」
若い男が言う。
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「止めない」
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その声は強い。
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だが、
震えている。
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男は動かない。
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「でも」
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一拍。
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「家族はこっちだ」
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沈黙。
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火が小さく揺れる。
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「連れていけ」
誰かが言う。
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「向こうは許すだろ」
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男は首を振る。
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「区域をまたぐのは制限されてる」
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ルール。
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制度が、すでに境界を作っている。
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「じゃあどうする」
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誰も答えない。
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マルタが前に出る。
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「ここにいるなら」
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「ここで決める」
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静かな声。
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「向こうに行くなら」
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「今決める」
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一拍。
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「両方は無理だ」
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正しい。
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だから重い。
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男は動かない。
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動けない。
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その時、
子どもが泣いた。
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男の子どもだ。
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母親が抱いている。
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「……行く」
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男が言う。
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声は小さい。
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「俺は」
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一拍。
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「向こうに行く」
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母親は何も言わない。
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ただ、
子どもを強く抱く。
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男は振り返らない。
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縄を越える。
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ただそれだけで、
何かが切れる。
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誰も止めない。
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止められない。
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レオンが低く言う。
「これが選択だ」
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私は頷く。
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「これが責任」
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火が揺れる。
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同じ夜。
同じ土地。
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だが、
違う生き方。
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遠くで、
中央側の声が上がる。
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指示。
報告。
動き。
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速い。
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こちらは、
静かに続く。
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話し合い。
確認。
合意。
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遅い。
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だが、
止まっていない。
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三か月の期限は、
まだ残っている。
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だが、
この夜だけで
すでにいくつかの答えが
失われた。
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風が強く吹く。
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その時だった。
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遠くで、
何かが崩れる音がした。
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乾いた音。
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小さくない。
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誰かが顔を上げる。
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「今のは」
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レオンが立ち上がる。
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中央区域の方角。
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火が一つ、
消えた。
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静寂。
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実験は、
もう始まっている。
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