食堂騒動
夕方。視覚検査からほどよく頭が湯気になった状態で、俺とルナと楓の三人は食堂へ。
白い壁、黒い床、輪っかライト。湯気と良い匂いと、健全なざわざわ。
今日の黒板メニューには、なぜか新作の文字が踊っていた。
本日限定:謎の赤い煮込み Ver.2(※辛さは条件の範囲を確認のこと)
「条件の範囲……食堂で法律ワード出すのやめて」
「親切だと思う」
ルナは真顔。
「主体=あなた。対象=舌。場所=口内。時間=五分」
「五分で終わる地獄?」
楓が小声で笑う。
「俺は回避。中庸セットで行く」
トレーを取って列に並ぶ。配膳口の奥から、エプロン姿の調理長が現れた。名札には大鍋。
「新作は辛くない版と辛い版がある。辛い版は辛い。辛くない版は辛くなさめ」
「その日本語、信じていい?」
「信じるかは主体の自由」
大鍋さんはにこりともせず言い切った。プロだ。
胸の中にポコン……。
A:謎の赤い煮込み(辛くない版) / B:中庸セット(粥+白身) / C:日替わり(揚げもの祭)
(Aはフラグ、Cは胃が反乱。今日は訓練明け……)
「B。中庸セットで」
「よき選択」
ルナが即採点。
「理由は?」
「午後の集中を破壊しない構成。粥、魚、スープで呼吸と同期できる」
「言語化OK」
楓も中庸を選び、三人でテーブルへ。そこへ、斜め後ろから軽い足音。
白衣の七瀬さんが片手にサラダ、片手にスープで登場した。
「やあ、中庸トリオ」
「七瀬さんも中庸」
「私は辛くなさめを学術的に観察する予定」
「観察じゃなくて実験では」
「一人実験は倫理審査を通っている」
「通す委員が七瀬さん自身では?」
「主体=わたし」
と胸を張った。強い。
◆噂の赤い(観察)
向かいのテーブルでは、赤い鍋を囲む上級生四人組。
ひと口いって、沈黙→涙目→笑顔の順で表情が変わる。
「なぜ笑顔」
「辛さのピークは三十秒で過ぎる」
七瀬が観察を続ける。
「その後に旨味の山が来る。時間—味の関数だね」
「観測結果に強そうな単語つけるのやめて」
「ではおいしい曲線」
「わかりやすい!」
胸の中にポコン……。
A:お裾分けをもらう / B:遠くから見守る / C:七瀬の皿を守る
(Aはスリル、Bは安全、Cは意味不明にロマン)
「B。見守る」
「慎重。良い」
ルナはスープを啜る。
「動かないは選択肢」
◆トレー地獄(回避)
配膳口から新人の山が押し寄せ、通路が混む。
トレーが触れ合う音がカチャカチャ鳴った次の瞬間、右からゼリータワーが傾いた。
胸の中にポコン……。
A:左へ小さく / B:前へ小さく / C:動かない
(Cは食堂版・動かない。でも今は——)
「A。左に小さく!」
椅子を引かず、上体だけスライド。タワーは俺の肩をかすめ、テーブルの端でぷるんと震えて止まった。
「理由」
ルナが反射的に問う。
「右から傾いた。左が空いてた。小さく動けば復帰が速い」
「OK」
「ぷるんが勝った」
楓が拍手を小さく二回。
上級生の一人が照れ笑いで「助かった」と言い、ゼリーを配ってくれた。赤、緑、黄色。
胸の中にポコン……。
A:赤 / B:緑 / C:黄色
(ストループの怨念よ、去れ)
「B。緑ください」
「色だけを読む、いいね」
七瀬が親指を立てる。
◆メニュー読解(国語)
壁のメニュー札に小さく注意書きが増えていた。
*辛さの感じ方には個人差があります(主体)。
*辛いのに強い自負のある方も条件の範囲をご確認ください(対象・時間)。
*動かないは選択肢(場所)。
「食堂、授業より論理的では?」
「たまにある」
ルナは真顔で頷く。
「食堂は実地」
「実地、強い」
楓も頷く。
「胃に直結」
—そこへ、黒鐘イツキが入ってきた。無駄のない歩幅、視線はまっすぐ。
配膳口で味噌汁+白米+焼き魚の無駄ゼロ構成を取り、最短距離で空席へ。
「速い」
「迷いがない」
「選ぶのが速いのは一つの才能」
ルナが短く言う。
「でも、人は人」
俺はうなずく。胸の奥に二択が浮いて、すぐ保留に薄まる。慣れてきた、が、油断はしない。
◆口内会議(評議会)
中庸セットを半分ほど食べたところで、七瀬の辛くなさめが到着した。
スプーン一杯を口へ——表情が沈黙→瞳孔→笑顔のルートを通る。
「どうでした」
「辛味の主体は先端、旨味の主体は側面」
と彼女は口内を指差した。
「時間=二十秒で交代」
「口の中で民主制」
「口内評議会。議長は舌先」
「議長、働きすぎ」
楓が興味津々で覗く。
「一口、もらっていい?」
「主体の自由」
大鍋さんの声が遠くから飛んでくる。便利なフレーズ。
楓がひと口いって、沈黙→涙目→親指。
「強い」
「辛くなさめ、辛い」
「名は体を表さない例」
—俺の胸にポコン……。
A:いまの勢いで一口もらう / B:見守る / C:水を手渡す
「C。水を」
——コップを差し出す。
「優しい」
七瀬が笑う。
「こういう支援行動は、あとで自分を助ける」
ルナがメモ。
「支援=後の最短」
「かっこいい言語化出た」
◆プチ事件(騒動)
配膳口のベルがチーンと鳴った直後、日替わり(揚げもの祭)の山の前で、トングが宙を舞った。
皿を持った一年があわてて手を伸ばす。隣の席の二年がさらに手を伸ばす。
結果、空中でトングが三者面談になった。
胸の中にポコン……。
A:自分は動かない / B:店員を呼ぶ / C:トングの落下地点を空ける
(Aは正しい時が多い。けど今は)
「C。落下地点を空ける!」
椅子をわずかに後ろへ。テーブル端の皿をスッと内側へ。
トングは床に落ちず、空のトレーにカシャンと着地した。
「理由」
「落下は止めない。被害の範囲を減らす」
「OK」
ルナが即答。
「範囲を読む、良い」
店員さんが新しいトングを持ってきて、一件落着。周りの空気もすぐ穏やかに戻る。
◆デザート会議(甘味)
食後。ゼリー(緑)を前に、俺と楓で少しだけ揉める。
「先割り?」
「均等割り?」
「主体の自由」
遠くから大鍋さんの声。万能。
胸の中にポコン……。
A:いま食べる / B:あとで食べる / C:二人で半分こ
(友情はゼリーに勝つ)
「C。半分こで」
「いいね。分割は平和」
と楓。
「割るなら理由」
とルナ。職業病が出てる。
「糖分の時間配分。ここで半分、夜の勉強前に半分」
「言語化OK」
—ふと、背中に視線の気配。
顔を上げると、黒鐘イツキがゼリー(黄色)を一つだけ持って立っていた。
無言のまま、空いている端の席に置いていく。置いたあと、何も言わず、去る。
「……え?」
「優しい」
「ただの在庫処理かもしれない」
ルナがクールに言い、そして柔らかく付け足す。
「でも、優しいに分類していい」
胸の中にポコン……。
A:礼を言いに追いかける / B:今は保留 / C:ゼリー三者面談
「B。今は保留」
「良い。追うのは、準備が整ってから」
—ゼリーを三者面談にして写真を撮る案は、楓が採決で否決した。民主主義、機能中。
◆夜への支度
トレーを返し、食堂を出る。廊下の空気は夜の手前で少しひんやり。窓の外、雲がゆっくり薄くなる。
「このあと、寮学習」
ルナが予定を告げる。
「十五分だけ“読み方ドリル”をやって、今日は終わり。無茶はしない」
「了解。胃評議会も賛成のはず」
楓が伸びをしつつ笑う。
「辛くなさめの審査は?」
「議長が過労で休会」
「お大事に」
胸の中にポコン……。
A:この学園で静かに暮らす / B:全力で勝ちにいく
「保留」——今日もそれでいい。薄く全体、呼吸と同期、戻る場所。それで歩く。
今夜の輪っかライトは、きっと少し弱め。中庸ベッドは、きっといつも通り中庸。
俺はそういう予感だけを連れて、二人の歩幅に合わせた。