課題申請
朝。輪っかライトは弱、空はうす白。ラウンジに降りると、掲示板に新しい紙が一枚増えていた。
【周知】来月、部屋再選択の受付を開始します。
希望者は申請カードを寮監に提出(一次〆切:二週間後)。
「来たね」肩の後ろからルナ。
「再選択……」
声に出すと、喉の奥が少しだけ冷たくなる。
今は一人部屋。静かさは味方。けれど、保留の札もずっと胸にある。
「急がなくていい」ルナは短く言う。
「今日は別件。課題申請」
掲示の横にもう一枚。
【学務】初等課題は各自申請制。項目:目的/手順/評価(※四問を併記)
(四問=対象・場所・主体・時間。暗唱いける)
◆申請フォーム(混雑)
教務端末室。長机に端末が六台、椅子は八脚。申請フォームの入口には確認→確認→送信の三段ボタン。過去に迷子が出たのだろう、横に紙の小さな図解まで置いてある。
「“送信”の手前に意思表示を分けた」ルナが補足する。
「選び→理由→呼吸の応用」
「UIが学園思想に染まってる」
斜め後ろから楓。
「染まってる。好き」
空いた端末に座って、項目を開く。目的の欄が空白で広い。手順は番号付き。評価は三行まで。
入力の横に四問のチェックボックス。
胸の中にポコン……。
A:すぐ書き始める / B:骨を先に置く / C:先に相談する
「B。骨から」
ノートに『止まる+余白=安全/検証』と書き、下に短く目的/手順/評価の骨を置く。
目的=“止まる”を状況で使い分ける。手順=待つ→照合→採用の固定。
評価=体感(軽い/重い)と成否の一致。
「テーマは?」楓が覗く。
「止まるの速度・応用。昨日のを伸ばす」
「かぶってもいい?」
「かぶりそう?」
「注釈の罠・続編。図と注釈の一致/ズレの判定速度」
「並べられる。被っても照合で住み分けできる」
そこへ、教務委員の腕章をつけた上級生が通りかかる。名札は三ノ宮。声は低くて固め。
「初等の申請は基準テーマから選ぶのが無難だ。独自は却下になることがある」
胸の中にポコン……。
A:はいと返す / B:理由をたずねる / C:ルールを確認する
「C。ルールの確認をお願いします」
三ノ宮は小さくため息。
「目的/手順/評価が既存の科目枠に当てはまらないと、担当が割けない。だから却下」
「では枠の名前を教えてください。こちらで名付け→圧縮します」
三ノ宮の眉がわずかにほどける。
「……観察A、反証B、協調C。初等はおおむねこの三つ」
「助かります」ルナが軽く会釈。「名付け→圧縮で、通る」
◆小さな対立(それぞれの“正しさ”)
端末の隣で、楓が小声。「協調C、入れる?」
「入れたい」
「じゃあ二人課題にする?」
胸の中にポコン……。
A:二人課題にする / B:単独で申請 / C:仮に分けて提出
「C。仮に分けて提出」
「分割?」
「止まるの速度は単独。注釈の罠は楓。提出後に照合して、協調Cで共通評価を作る」
楓はうなずきかけて——視線を少しだけ逸らす。
「……実はさ。黒鐘イツキが同じ時間帯で、単独の申請を出すって噂がある」
喉の奥がひやっとする。視界が少しだけすぼまる。
「それで?」
「二人課題にすると、時間を譲れって言われる可能性がある。相手がイツキなら、なおさら」
胸の中にポコン……。
A:譲る前提で組む / B:単独で進める / C:教務に時間の分割を相談
「C。時間の分割を相談」
「分割案?」ルナが促す。
「十五分枠×二。対象=自分/相手、時間=交互。主体=監督者は共通。場所=同じ黒円」
「四問、通ってる」ルナが即答。
「交渉、可能」
三ノ宮は肩をすくめた。
「……紙にして持ってこい。例外カードに準じる形で書けば、検討される」
「ありがとうございます」
◆書く→確認→送信
目的欄に短く置く。
目的:『止まるを選ぶ/選ばないの切り替え速度を安定させる』
手順欄。
手順:『少し待つ→照合→採用』を固定。応用として『止まる+余白』と『半歩だけ下がる』を比較。
評価欄。
評価:体感(軽い/重い)と成否の一致率。例外時(監督者の指示、停電等)の再開手順を明示。
四問チェックを埋めて、確認→確認。最後の送信が白く光る。押す前に、息をそろえる。
胸の中にポコン……。
A:いま送信 / B:一回だけ読み直す
「B。読み直す」
誤字なし、抜けなし、例外の扱いあり。押す。
送信。
端末が短く鳴って、控えが出る。楓の隣でも、同じ電子音。
◆寮監の窓口(前振り)
提出後、寮へ戻る。フロントには霧島さん。
カウンターに部屋再選択の申し込み用紙と、よくある質問の紙束。
「希望があれば一次〆切までに」霧島さんは落ち着いた声。
「理由は短く。安全と健康に関わる理由は最優先。それ以外は相互調整」
「相互調整、具体は?」
「話す→理由→代案」
「学園はどこも同じ言い回し」
「ここは言い回しを教育している」霧島さんは淡々として、すこしだけ笑う。
「無茶はしない。それだけ守って」
カウンターに置かれた申請カードを一枚だけ受け取る。紙は薄灰、手触りは少しざら。
◆小さな波(いざこざ未満)
廊下に出たところで、前方から三ノ宮。手には別の申請束。すれ違いざま、低い声。
「交互枠の案、通るかは五分だ」
「五分?」
「賛否が半々。だが、四問が綺麗なら、落ちない」
「綺麗に書いた」
「なら見せろ」
ルナが紙を渡す。三ノ宮は目で三行をなぞり、短く頷く。
「汚れなし。ただし——」
「ただし?」
「相手が時間を伸ばしたいと言ったら、理由を言わせろ。言えない伸長は却下」
「了解」
(小さな対立の骨が見えた。理由を言えるか、言えないか。そこで分かれる)
◆夕方の端(予感)
外に出ると、雲が少し低い。輪っかライトの名残が窓に薄く映り、風は弱い。
黒円のある実技室の前を通りかかると、ドアがわずかに開いて、黒鐘イツキが中に立っていた。
紙を一枚握り、志水に無言で渡す。志水がうなずく。こちらを見ないまま、歩いていく。
速いけれど、急いではいない。
楓が小声。
「時間、かち合うかも」
「交互枠、通れば問題ない」
「通らなかったら?」
胸の中にポコン……。
A:譲る / B:譲らない / C:別日を作る
「保留」
「今はそれでいい」ルナが言う。「**“少し待つ→照合→採用”**の順」
胸の冷たさは薄まって、かわりに軽い熱が入る。申請は、もう出した。再選択の紙も、ポケットにある。決めるのは今日じゃない。けれど、準備は今日から始まっている。
——足音は三人分。テンポはたん、たん、たん。
小さく正しく歩きながら、俺はポケットの紙の角で、心拍を一つだけ数えた。