第二十話
無明が言ったとおり、その日全世界のダンジョンからの同時攻撃が起こった。
秋葉原ダンジョンは都軍が24時間体制で見守る中、昼間に堂々とやってきた。
100万人の都軍のほとんどは地方出身者であった。
あるものは都内の大学に進学するための奨学金目当てで。
あるものは冒険者になるための修行の場所として。
中には素行不良を嘆き悲しんだ親によって入隊させられたもの。
中には身一つで東京に出てきたもの。
そんな彼らは都内の支配者層のために戦う。
「う、撃てえええええええ!」
20代前半くらいの若者が叫んだ。
ヘルメットを魔法の矢がかすめた。
「……まずい」
そうつぶいた瞬間、閃光が見えた。
魔法の矢の爆発だとはわかっていた。
ごんっと頭を打った。
なぜ倒れたんだ?
そう思って足を見たらそこにあるはずの足がなくなっていた。
口の中の感覚がない。
顔の半分が吹っ飛んだことを彼は知らなかった。
彼は這って逃げようとした。
だがもう手の先はなかった。
血が失われていく。
だんだんと気が遠くなる。
目の前に黒いノイズが見えてきた。
(俺は生きて……冒険者になるんだ……大手事務所に入ってたくさん稼いで……今までバカにしてきたヤツらを……見返してやるんだ……)
それでも彼は生にしがみつく。
だが神のいない世界は非情だった。
彼を豚のような頭の怪物が囲んでいた。
彼はもう声も出せなかった。
彼の背中に剣が突き立てられた。
(許……さねえ……都民の……クソエリートども……)
最期に彼が感じたのは都民への怨嗟だった。
別の兵士は大学の奨学金の支給が決まった直後だった。
彼は地方の自動車工場勤めの父と水産加工工場で働く母という家庭の次男として生まれた。
長男は堅実に高卒で父と同じ工場に勤めた。
だが彼はその人生が嫌だった。
東京で一旗上げるなんて、そこまでは望んでない。
ただ地元を離れて世界が見たかっただけだ。
彼は勉学に打ち込んだ。
教師には地元の国立大学を奨められた。
だが彼は東京を望んだ。
都軍でどれだけ厳しい訓練をしようとも彼は勉強を欠かすことはなかった。
そんな彼は二年の従軍を経て奨学金の受給要件を満たした。
都内の国立大学の理工学部に合格したところだった。
これから都内で就職して、都内で結婚して、都内で安全に生活できる……そんな未来が待っているはずだった。
彼の肩口に斧が叩き込まれた。
防刃防火の繊維の戦闘服。
だが異世界のバトルアックスの一撃がそれを切り裂いた。
牛の頭をした怪物。
ミノタウロスによる一撃だった。
ガシャンと骨が粉砕される音が彼の中で響いた。
それはガラスの割れる音とよく似ていた。
刃が心臓に達した。
彼がその人生で積み上げてきたのもは一瞬で灰燼に帰した。
あえて言えば都知事から賞恤金計三十二万円が彼の両親に届くだろう。
それが彼の命の値段だった。
激しい殺戮の中、中卒で都軍に入った吉田恭子は震えていた。
彼女は新潟の地方都市出身者である。
彼女は夢や希望があったわけじゃない。
彼女の家は新潟の魔法使いの家に生まれた。
陰陽師やら祈祷師という人もいるが、怪異省のさだめでは魔法使いとされてる家系に生まれた。
だが彼女は魔法が使えなかった。
そんな彼女に両親はつらく当たった。
それは魔法使いの家系では当たり前のことだった。
魔法使いにもなれず、婚姻の駒としても使えない。
殺されてもしかたない忌むべき存在だった。
だから義務教育の終了とともに家から放逐され都軍に入隊した。
親に捨てられた恭子は不思議なことに悲しくなかった。
今から考えれば、もうずいぶん前に彼女の中で両親は赤の他人だったのである。
そんな彼女は最初の矢の爆風で吹っ飛ばされた。
だた幸運なことに彼女は直撃しなかった。
冒険者になりたかった彼が壁になったおかげで無事だったのだ。
仲間たちの肉片が飛ぶ中、彼女は進入禁止の表示板の先まで吹っ飛ばされた。
まだ死にたくない。
人生には救いがあってもいい。
人間扱いしてくれる家族が欲しい。
それだけだったのに。
恭子はその場でうずくまった。
「お、おい! 立て! こっちに来い!」
顔を上げると戦車と随伴する兵士が見えた。
「たすけ……」
と声を出した瞬間、戦車が爆発した。
それはダンジョン深層のモンスターの使う魔法【ファイアランス】だった。
恭子は泣きながら逃げる。
死ぬ。死んでしまう。
口の中から鉄の味がした。
たぶん口内はザクザクに切れているのだろう。
恭子は指の痛みに気づいた。
爪が何本も剥がれていた。
手の平の皮もズタボロだった。
こんなのひどいよ!
どうしていいことなんてないの!
恭子はそれでも逃げた。
そんな恭子へ死が迫っていた。
斧を持った三匹のオークが迫っていた。
捕まる!
恭子が死を覚悟したそのときだった。
「凍てつけ」
幼い声だった。
少女の声と間違えてもおかしくない。
それは男の子だった。
男の子の傍らには少女が宙に浮かんでいた。
無明と神の眼であった。
「神の眼。彼女を助けてあげて」
「えーめんどいです」
「あんパンあげる」
無明はあんパンを神の眼に投げ渡す。
「もうしかたないな、はい逃げますよ」
神の眼が恭子をつかみそのまま宙に持ち上げ運んでいく。
「羽虫どもめ」
無明はつまらなさそうに悪態をついた。
そんな無明をミノタウロスが囲んだ。
「愚かなものだ」
ミノタウロスたちが斧を振り上げた。
「もう死んでるというのに」
「モッ!」
ミノタウロスが凍った。
だが軍勢はミノタウロスだけではなかった。
オーク、ゴブリン、スケルトンありとあらゆる怪物が無明に迫る。
「凍てつけ」
それは一方的な殺戮だった。
雑魚どもはまとめて凍った。
ファイアランスを放ったゴブリンメイジは信じられないものを見たという顔をしていた。
「さすがに魔法無効か」
ゴブリンメイジは杖を前に出す。
だが遅かった、
無明の抜き手がノドに突き刺さっていた。
それはデタラメな光景だった。
無明は遠くにいた。
なのにその手だけが消えている。
無明の抜き手は空間を曲げてゴブリンメイジに突き刺さっていたのだ。
だがゴブリンメイジは最期までなにが起きたかわからなかった。
「さあ、他の魔道士も……死ね」
ゴブリンメイジ、死霊魔道士、邪教の神官……魔道士たちは回避しようとした。
だがそれは全て無駄だった。
無明の抜き手はどんなに避けようとも突如として首の前に現われる。
そのまま槍のようにノドに突き刺さる。
ミノタウロスですら避けられない致死の抜き手が浴びせられた。
残ったのは死骸の山だった。
「つまらないな」
これだけの攻撃を繰り出した後だというのに。
当の本人はつまらなそうに水魔法で手を洗っていた。




