第二話
独生無明。
気がつくと独生財閥の一人息子、無明に勇者はなっていた。
小学生の男の子だ。
記憶はある。
どうやら他人の人生を乗っ取ったわけじゃなさそうだ。
神とかという羽虫が使った魔法の痕跡は極小。
つまり今気づいただけで生まれたときから勇者はこの子だったようだ。
「ほう、王子プレイか。出自SSR確定か」
勇者はつぶやいた。
だが、記憶を冷静に確認すると現実は非情だった。
無明は森羅万象をゲームに例えて説明するほどのゲーム好きである。
それなのにゲーム機を買い与えられてない。
過剰にいい子を強いる家庭である。
雑に言えば教育虐待が行われてる風通しの悪い家の子であった。
出生SSRだからといって幸せとは限らない。
そのそも独り孤独に生きていくなんていう名字の家に生まれた子に、『無明』つまり『無知』という意味の名前をつけるセンスで異常さがわかる。
要するに「お前が生まれたせいで楽しい時間が終わったぞ。死ねカス!」という両親の愛あると受け取っている。
それをゴリ押しする権力を持つ家柄なのはなおさら最悪だ。
若いころに痛い目に会わなかったが故に傲慢さを捨てられないのだろう。
さらに独生家は夫婦仲が悪い。
正直言って終わってる。
専業主婦の母親は被害者意識が強く、毎日父を怒鳴りつける様を無明に見せつける。
夫婦喧嘩でいちいち息子に「私が正しいでしょ」と同意を求め、そのためになら泣き、叫ぶ。
常に精神は不安定。
口から出るのはヒス母構文そのものだ。
おそらく毒母であろう。
別に無明を愛してるわけではない。
執着はあるが育てる気は皆無だ。
無明は自分が社会に認められるための道具でしかない。
父親は無明や母親を直接殴る根性のないタマなしであるが、言葉の暴力で縛りつけストレスを解消する系の毒父だ。
今日も無明が課金テストで全国一位でなかったことを嘲笑うのだろう。
「お前は本当にダメなヤツだなあ!」
満足げでうれしそうな顔。
そこに無明への情などない。
無明は父にとって無能なサンドバッグでしかない。
だけど無明は一人じゃない。
友人でこそないが同じ学校の生徒たちも目が死んでる。
皆、一様にテストの点数にビクビクし、親の監視下で言いたいことも言えずに抑圧されている。
同じクラスの男子は入学時は「動画配信者になってみんなにほめてもらいたい」と言ってたのに、たった数年で爪を噛みながら漢字の書き取りをしている。
すべての指の爪はボロボロ。
ストレスで眉毛やマツゲを自分で抜いてるせいか平安貴族みたいな顔になっている。
女子はみな痩せすぎてるか太りすぎているかのどちらかだ。
一部は円形脱毛症ができていて髪の毛が薄い。
男女関係なく体力はなく、ただ日々のタスクをこなしている。
彼らは名門校の小学校受験をくぐり抜けた猛者だというのに。
まるで紛争地帯の子どものような顔をしていた。
おそらくこの異世界日本では普通レベルの子育てなのだろう。
勇者はヘラヘラ笑う。
「この程度の壁など乗りこえてくれる!!!」
勇者、いまは無明は誓った。
なあにいかに不安定な母親の介助をし、父親のパワハラを一心に受けるハードモードな人生であっても異世界よりはマシだ。
因習村で人間を食らう自称神を村人の前で蹂躙し、終わったら命乞いをする村人を村ごと焼き払う。
それよりはだいぶマシな人生だ。
どう考えても侵略者でしかない人間に味方して魔族への虐殺を続けるよりはだいぶマシだ。
無抵抗の魔族の指を切り落として拷問するのは楽しくない。
殺すならクズと神に限る。
だが……。
「おかしい」
いつまで待ってもボーイッシュ幼馴染みも話の合う異性のオタク友達もいなかった。
そりゃそうである。
同級生は子どもでありながら人生終了した顔してる。
アオハルなんてしてる暇はない。
幼馴染みカードでデッキに所持してるのは……ヤンキーくらいだろう。
また合ってしまった。
ネットで『課金』って言われてる全国チェーンの学習塾の帰りにコンビニで夜食を買おうと思った。
すると店の前に安っぽいピンクジャージ姿の女の子がウンコ座りしてる。
ほぼ毎日顔を合わせてる幼なじみだ。
「松本さん、久しぶり」
無明は挨拶する程度のしつけはされてる。
ヒス母構文の不安定な母親による幼稚園受験を乗りこえ、不穏な小学生時代を過ごす無明には恐れるものなどない。
「なに見てんだよ!」
態度が悪い。
だが無明はスルーする。
この程度の威嚇、父親の暴言を毎日スルーしてる無明には子ネコの威嚇など効果があるはずもない。
「また家追い出されたの?」
「ママがカレシが来るから出てけって」
同じ学校ではない。
無明は都内の私立小学校に通ってる。
ただ少し前まで同じ学校に通ってたのだ。
松本明梨。
同じタワマンの上層階に住んでた女の子。
去年、お父さんが失踪して目の前の公営住宅に引っ越した。
お母さんはもともと水商売の人だったようだ。
無明の家もそうだが、この世界の結婚事情は基本的に終わってるようだ。
無明の両親は旧家のお見合い夫婦で特に生活に困ったこともなく、穏やかだ。
嘘である……専業主婦の母親は最近料理を作らなくなった。
さらには無明への締め付けが厳しくなる。
学校外の時間にすき間なく塾や習い事を入れている。
軽い教育虐待状態である。
おそらく夫婦仲が悪くなってるのだろう。
とにかく恋愛結婚が正しいとは限らない。
転生してはじめて知った真実だろう。
だが無明はあきらめない。
アオハルだけはあきらめない。
だから無明は態度の悪い松本にも優しくすることにしてる。
どこにフラグが転がってるかわからない。
山賊やチンピラは基本殺すことにしてる無明でもアオハルのためならヤンキーの靴だってなめるだろう。
「松本さん、パンいる?」
「同情すんなバカ!」
「ついでだから」
アイスを二つ。
松本が『片親パン』などと下品な呼び方をしてる複数個入りのパンを買う。
ついでに松本用のお茶も。
「はい」
「お前金持ってんな! かーやだね! お恵み下さってありがとうってか! 死ね!!!」
「いいから食べなよ」
無明からすればアースヴァースで餓死しかけたことなんて何度もある。
ダンジョンで食糧が切れたり、冬山でカロリー不足で凍死しかけたり。
それを考えれば松本のつらさは他人ごとではない。
幸いなことに500円程度の出費は親の収入から考えてもたいしたことはない。
なあに、中学生くらいになってもうちょっと体を動かせるようになれば、錬金術で金でもダイヤでも手に入れ放題だ。
親には数億倍にして恩を返せるだろう。
借りは返す。
自分の邪魔になる勢力は皆殺しだ。
味方にはありとあらゆる優遇をしよう。
そう無明は本気で思っている。
なにかが根本的に壊れてるが、無明はそれを自覚してなかった。