第十七話
しれっと無明は家に帰る。
するとお爺さんに呼び止められる。
「無明、習い事はどうするかね?」
どこにアオハルフラグが潜んでるかわからない。
塾でも習い事でもこなそうとは思う。
だがアオハルに繋がらなければ正直どうでもいい。
「お爺さんの思うとおりに」
「将来の夢とかあるのかね」
ない。
そんなものはない。
日々の生活をこなすので精一杯だ。
将来の夢がない。
将来への希望がないからこそ耐えられたのだ。
「今まで将来を考える余裕がなかったもので……」
無明の祖父は黙ってしまった。
ただ希望がないだけである。
それほど深い意味はない。
「成績はどうなのかね?」
そう言うと執事さんが成績表と業者テストの結果を持ってきてくれた。
「全国50位以内……素晴らしいな。これなら家庭教師でもいいだろう」
家庭教師に決まったようだ。
大学生の家庭教師とラブレッスン……いやそれは純粋なアオハルのノイズではないか?
やはりそんな美しくないものよりも、青春の輝きが見たい。
そう無明はエロは望んでないのだ。
エロよりも輝きが見たいのだ。
だが……それはそれとしてオネショタはありではないのか?
有りか無しであれば有りなのでは?
無明は実にどうでもいい哲学的な妄想を繰り返した。
すると祖父は続ける。
「習い事はどうするかね?」
「習い事は……えっーと……」
祖父は執事からリストを受け取る。
ピアノにヴァイオリンに空手に合気柔術に……。
月一回サッカークラブに、同じく野球にラグビーに。
科学セミナーに読書セミナーに……。
そのあまりにも酷い内容に思わず悪態をつく。
「……頭おかしいんじゃないか。あ、すまん! ついうっかり」
「いえ、常々おかしいとは思ってましたので」
「続けたいものはあるかね?」
「合気柔術は好きでしたが……」
空手よりも指導者の圧が少ない。
テンションの低い無明には、気合で大きな声を出すのがどうしても難しかった。
いや気合を出そうと思えば出せるのだが、無明の元気が足りないのだ。
通ってた流派なら声を出さなくてもいい。
無明はそのことを思い出した。
そして一番楽な手段をはじき出した。
「お爺さん、いま先生に連絡していいですか? 近くに道場ないか聞いてみます」
「うん、それがいいな」
無明はスマホのメッセージアプリで師範に連絡を取った。
『先生、連絡もせず急に練習に行けなくなって申し訳ありません。祖父のいる埼玉県XX町に引っ越しました。また稽古をしたいと思います。こちらに同じ流派の道場がありませんでしょうか……』
と小学生らしくない文章を送る。
すぐに連絡が帰ってきた。
電話番号と住所が送られてくる。
同じ会ではないが、同じ流派の道場らしい。
やはり組織だってないマイナー武術は道場を探すのが一番難しい。
「先方に話を通していただけるそうです」
「そうか、正式に決まったら教えてくれ」
ということで一番楽な状態に落ち着いた。
その後もピアノやらバイオリンやらの話が出た。
無明は音楽の才能がないと思ってる。
たしかに前世では国から逃げるために吟遊詩人になったこともある。
指名手配される中、歌わなければ飯が食えなかったのだ。
楽器はリュート。
楽譜がなかったせいで耳コピーで楽曲を憶え、演奏は動きの模倣で憶えた。
魔法を使えば動きを模倣するのは難しくない。
耳コピーは血反吐を吐いて憶えた。
そのせいで同年代では驚異的な技術を持っている。
だが無明本人は別に楽しいと思ったことがない。
そもそも感受性が終わってる、いや心が死んでるのだ。
どこまで行っても無が広がっている。
それならば才能の限界は知れたもの。
熱を帯びた芸術家の情熱に勝てるはずもない。
そのような姿を見て無明の母親は焦って教育虐待の深みにはまったのだと思う。
「音楽系は……楽しくないので」
そう言ったら祖父は小さく「……そうか」とつぶやいた。
無明の胸になぜか小さな罪悪感がわいた。
すると祖父から「ギターはどうかね?」と言われた。
無明にその発想はなかった。
なるほどギターならモテる。
そう、軽音のように……たしかにポストパンクなどの死ぬほど暗い曲が好きだ。
流行の曲はアニソンくらいしか知らない。
だがヘタクソでも許されるし、なんとなく自尊心が満たされるし、モテるはずだ。
きっとモテるはずだ。
だとしたら乗るしかない。
「お願いします」
真剣な顔で答えた無明だが、祖父の用意する家庭教師は軽音ではなくクラシックギター専攻であることを知らなかった。
その後の話し合いでスポーツは合気柔術だけは継続することに決まった。
転校する前日、新しい道場に行く。
やはりだ。
四条が先回りしていた。
「奇遇ですね」
「狙ったでしょ?」
「そうかもしれません」
とうとう隠す機もなくなったようだ。
無明は力なく笑った。
すると四条が裏事情を話してくれた。
「先生は父と同門ですので」
なるほど四条の関係者か。
無明は納得した。だが……。
「どちらのですか? 術士の、それとも武術ですか?」
「武術ですよ。大学時代の同級生だそうです。安心してください。事情はご存じです」
なるほどと納得した無明は一礼して道場に入り、先生に挨拶しに行く。
髪の毛を茶色に染めたパリピがいた。
いや……単に白髪を隠してるだけかもしれない。
「やあ、君が四条の言ってた無明くんか。いやー、ほー、いやーこれはこれは。聞いてたのよりもっとすごいね。こりゃアフリカ象……いや違うな、うっかり人間を踏み潰さないように気を使う怪獣か」
「それほどですか……」
四条が勝手に納得した。
「昔、アフリカのコンゴに行ったときに乗ってた車が像にひっくり返されてね。死ぬかなって思ったことがあってね。彼と戦うことを想像すると、そのときよりも絶望的な感じがするね」
「先生は怖くないんですか?」
「怖くないよ。だって目を見ればわかる。『何もかも面倒』って顔だ。アフリカ象みたいに怒ってるわけじゃない」
たしかにとは無明も思う。
なにもかも面倒だ。
たかが反社を始末しただけで大げさに騒ぐし、そのせいで秋葉原ダンジョンまで攻略させられた。
「いやー、我慢強い子だね。ボクらを殺さないでくれてありがとう!」
なぜか頭をなでられた。
面白い先生である。
「前の先生も言ってたよ。無明くんは我慢してくれてるって……教えられることは何もないけど、一緒に運動しようね」
なんて言われて普通に稽古した。
いい運動であった。