第十一話
結局……ハゲたちは無駄な会議を繰り返し……松本を四条家にまかせることで合意した。
「よっ!」
無明がいつものように菓子パンを持って公園に行くと松本が挨拶してきた。
その横には四条親子がいた。
「いる?」
パンとジュースを渡す。
「おう。いつも悪りぃな」
松本はケタケタ笑った。
無明は四条親子を見る。
「それで松本さんはどうなるの?」
「一族に子どものいない夫婦がいる。そこに預けようと思う。一族の郷にいるから反社の報復もない」
「松本さんはそれでいいの?」
「断っても行くところなんてねえし」
「わかった」
現実は甘くないってことだ。
「アタシさ、新しい家で鍛えてもらうんだ! 強くなったら帰ってきてやるからよ。独生……無明は寂しがり屋だからよ」
「楽しみにしてる」
別れではある。
幼馴染みと言えなくもないが……この別れは自然なものだろう。
無明はクレームをつける気はなかった。
鬱シナリオでさえなければいい。
「明日一で郷に送り届ける」
「考えてみたら……ずっと無明が助けてくれたんだな! ありがとな! アタシ強くなって戻ってくるから! 無明! またな! 」
「うん、またね」
明るく別れた。
松本は泣いてたがすぐに忘れるだろう。
無明は幼稚園の思い出など忘却の彼方だ。
松本も数年したら忘れてるだろう。
でもそれでもいい。
松本が幸せならば。
無明は一人勝利の余韻に浸っていた。
■
無明は気分がよかったので約束通りマグロを捕まえてきた。
電気で即シメてストレージに放り込んだので劣化してないはずだ。
無明はほくそ笑んだ。
塾終わりに四条家に行く。
四条父はテレビでミュースを見ていた。
最近しきりに政府広報で「教育虐待をやめよう」とキャンペーンを張ってる。
学校や塾に相談窓口を政府が開設した。
法律も整備されて来年度から過度な教育をしてる家庭には警告が出されるとのことだ。
「うちには関係ないけどね」
無明はつぶやいた。
法整備しようがなんだろうが、すでに母親の認知はどうしようもないほど歪んでる。
良い学校に行って、良い会社に入って、良い人生を歩む。
たしかにアイドルやお笑い芸人を目指すとか、説明がないと意味がわからない現代アーティストとか、前衛的な劇団員になるよりは正攻法で成り上がる手段ではある。
それこそダンジョン攻略を業とする冒険者になるよりは親も安心だろう。
だが、子どものうちに擦り潰してしまえば取り返しがつかない。
スポーツのケガよりも深刻な状態になるだろう。
そこまでの価値があるのか?
それは無明も考える。
「四条さん、自衛隊のダンジョン科って何歳から入れましたっけ」
無明はつぶやいた。
四条父がブッとむせた。
「君の年じゃ無理だ。せめて高校生になってから言いなさい」
無理なようである。
ストレージからマグロを取り出す。
ただここで調理は難しい。
錬金術ですべてをパーツに分解する。
おそらく問題ないだろうが、念のために電気で寄生虫を殺す。
ついでに解毒の魔法をかけて殺菌。
身をさばいていく。
今食べない分は四条家に押しつけよう。
無明はそう考えて氷結魔法で残りを凍らせた。
マグロだけでは面白くない。
例のごとくアジもさばいておく。
「マグロとアジの刺身です」
「……マグロの旬は冬では?」
四条娘が首をかしげる。
まだ季節は夏だった。
「ミナミマグロですよ」
「南半球の生き物では?」
「……インド洋まで飛んで捕まえてきました」
四条娘は考えるのをやめた。
四条父はすでに考えるのをやめていた。
ただ立派なマグロを味わえればいいと達観していた。
実際マグロは美味しい。
無明も満面の笑みである。
「家ではお刺身は召し上がらないので?」
「うちは夫婦仲が悪く、父の好きなものはほぼ食卓に上がらないもので」
ひたすらスーパーの惣菜である。
炭水化物……炭水化物……炭水化物。油。
父は外食でなんとかやり過ごしているようだが、無明にはたまったものではない。
「やはり少々タンパク質が足りませんね」
少々ではない。
明らかに塩分と炭水化物が過剰である。
だからこうやって魚に飢えるのだろう。
マグロ美味しい。
大トロすら食べ放題だ。
とはいってもそんなに多く食べるものでもない。
結局、身の総量200キロの大半が余ってしまった。
「……残りが問題ですね」
「私が職場で配ってくるよ」
四条父にまかせる。
「お願いします」
「こういう賄賂が重要だからね。明日の朝、登校する前に渡してほしい。輸送の車を用意するから」
「あ、はい」
どうせ四条とは毎日同じ電車で学校に登校してる。
その前なら引き渡しも問題ない。
美味しく刺身と温かいご飯を食べ、無明は満足した。
家に寝に帰る。
毎日の両親の喧嘩をスルーしてさっさと寝る。
「無明! 夕飯は!?」
「いらない」
両親の夫婦喧嘩を前にしてご飯を食べると、しきりに母親が「私の言うことが正しいでしょ!」と意見を求めてくる。
変な圧をかけられると単純に美味しくない。
泣かれると余計味がわからなくなる。
味は我慢するとしても深刻な問題は栄養だ。
母親が買ってくる惣菜は揚げ物。
炭水化物と油の爆弾だ。
タンパク質とビタミンが不足してる。
できれば自分で作りたい。そして邪魔されずに一人で食べたい。
かと言って料理を自分自身で作らせてもらえない。
包丁すら握らせてもらえない。
無明の母親は自分の独占的業務だと思ってるようだ。
しかも夫婦がいがみあう姿を見せつけながら食事をさせるのを団らんだと思ってる。
そう……無明にとっては松本にパンをカツアゲされながらチキンを頬張る方がマシな食事だったのだ。
ただ無明の感情が死んでいるから耐えられるだけである。
その点、四条の家でのご飯は美味しいと無明は思ってる。
野球中継にしか興味のない父親とやたらクールな娘。
噛み合わなくても喧嘩は起こらない。
無明が調理することに激怒もしない。
涙を流しながら「ねえ! 私が悪いの!」と母親ヒス構文で泣き叫ぶこともない。
やたら不機嫌な父親にさしたる根拠もなく「お前はダメなヤツだ!」と怒鳴られることもない。
塾の点数でいちいちカリカリしてるのは無明のことを心配してではない。
ただ単に無明で憂さ晴らししたいだけだろう。
その点、無明の人生に責任を持たなくていい四条家は居心地がよかった。
これが自由の味なのかもしれない。
……なお四条家は無明の人生に責任は発生している。
相手は表情を一切変えず200人以上を葬り去った魔人である。
無明の待遇に対して苦慮してることを彼自身は知らない。
別の日。
「ごちそうさまでした」
最近では四条家でのこの挨拶を無明は憶えた。
よく考えれば独生家では「いただきます」も「ごちそうさま」もない。
食卓にあるのはただ争いだけ。
「無明くん、ご両親はどうだね?」
「どうだね?」とたずねられても二人とも毎日元気に喧嘩してる。
母親は生きるの死ぬのと毎日泣き叫び、無明へヒス母構文で味方につくように求める。
父親は無明の成績や日常の些細なことでマウントを取り、お前はダメなやつだと見下してくる。
無明の記憶の限りでは二人とも何年も成長してない。
憎しみもないが期待もない。
ただ問題はある。
「ご飯が美味しくないです」
「それはよくないな。どうだろうか? 我々が手を打ってもいいかね?」
「殺す必要はありませんよ」
「ブッ!」
四条父が盛大にむせた。
「必要があれば自分で処します」
「それはよくない。もっと穏当な手段を用意してるから任せてくれ」
なんだか食いつきが凄い。
これはもう上の人と相談済みということだろう。
「……おまかせします」
こうしてまた無明の人生は予想だにしてない方向に転がるのであった。




