そんな人と生きていきたい。【夏のホラー対応AED】
この夏のホラー企画で、三部作としてエッセイを書いた。
合わせてAEDも一緒に投下しておくことにする。
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消えたい人、怖がりたい人、噂を聞きたい人、そんな方々が拙作を読んでくださったと思う。
本当に怖いのは人間、という私なりのオチに不快感を抱かれた方も多いのではないか。
だから、ここでちゃんと明言しておきたい。
「私は、そんな人と生きていきたい」
本心からそう思っている。
綺麗ごとだと受け取られるかもしれないが、理由があるので綴りたい。
みんな、人には言えない苦しみを抱えている。
表面的にはわからない。
推し活、趣味、家族、仕事、色々な幸せの形で紛らわせようとしているからだ。
ただし、一時的に満たされたとしても、それは空腹をやり過ごすようなもので、生きていればまた腹は減るのである。
表向き、どんなに充実した人生を送っていたとしても、心の底には必ず、孤独とやり切れなさがある。
そういうものに、私たちは、あえて向き合わない。真摯に向き合えば考え過ぎて病むからだ。
自分の孤独や苦しみに、鈍くなければ生きられない。
その一方、他者からは些細な失言で叩かれる世の中にもなっている。
自分には鈍く、他人には敏く。
この矛盾を要求される現代が、どんなに息苦しい時代であるか、考えてみたい。
「人の悪口を言わないように」
「どこでデジタルタトゥーが晒されるかわからない」
「アカウントは絶対にバレないように」
そんな閉塞感の中で、心を病む人がいるのは当たり前だと思う。
優しい人ほど、聡い人ほど、深く希死念慮を訴える。
周りと比べて、「自分にはこんなことも出来ないのか」と落ち込み、惨めさに打ちのめされることもあるのではないか。
だけどそれは裏を返せば、貴方の財産だ。
苦しみを知る人は、そのぶん、他人の苦しみを察することができる。
寄り添い、一緒に悩むことができる。
私はそんな貴方たちを尊く思う。
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噂という漢字は、口に《尊》と書く。
これがずっと不思議だった。
調べてみると、この右側の部分は《酒》を《手》に持って捧げている意味の字だと言う。
古代から酒は供物としての役割がある。
一般の人にはとても手の届かない高級品であり、恭しく捧げられるべきものだった。
それが時代を経て、庶民の娯楽となり、今の意味での酒となった。
酒の席で交わされるのは、誰かの話。
だから口に酒と書いて噂となったらしい。
本来の意味に遡って、《うわさ》という言葉を、自分なりに定義してみたい。
「あの人は、こんなに大変な思いをしながら、がんばって生きている」
「この人はこんな罪を犯したそうだが、自分も境遇が違えば、同じことをしたかもしれない」
「私はこういうことが辛かった」
「話を聞いてくれて、ありがとう」
噂は人間讃歌だ。
集団で生きる限り、必ず人は、誰かと自分を比べざるを得ない。
嫉妬もする、愚痴も言う、腹も立つ。
だけど、それを聞いてくれる人がいる。
「みんな大変だな。自分だけじゃないんだな」
それが孤独の慰めになる。
無人島で噂はできない。
誰かと一緒に生きているから噂になる。
願わくば、それは中傷や謗りではなく、敬意を込めた「人間だもの」であって欲しい。
誰かを死に至らしめるものではなく、暗闇のひとすじの光となるような、共感のメッセージであって欲しい。
「苦しみながらも、貴方はがんばって生きている」
「その姿が尊い」
生きることに価値があるのは、生きる意味があるからだ。
拙作にはすでに色々な箇所から、先達の思想が滲み出ている。
気が向いたら、どうぞ読んでみてほしい。
私の描くキャラクターは、どうしようもない悩みを抱え、一度は生を諦めながらも、しぶとく生き延びようとする人々ばかりだ。
小説の形で語る、様々な葛藤や人間模様。
それらは、今生きている貴方への、心ばかりの賛辞である。
文字を尽くして言葉を並べて感謝を伝えたい。
拙作に出会ってくれて、
私の執筆を支えてくれて、
最後まで読んでくれて、
「ありがとう」