潜熱
ただの排熱なのか、それは昂揚からなのか
「こっち。」
途中で夏美と別れて帰路に着いた俺たちだったが、急に有栖が俺の手を引いて俺たちの家とは違う方向へと引っ張って行く。
一体どうしたんだ?
「有栖?」
その表情を見ると、完全に無表情だった。感情の再学習や再現を完全に放棄した状態に違いない。
家とは違う方へ歩みを進めながらも、その足取りに迷いは無い。既に行くべきルートが確定しているかのような歩み。
おい、まさかとは思うが。
「内蔵されているセンサー・レーダーに反応がある。数は4、僕たちを4点で緩く包囲しながら追跡してる。最初は広く遠巻きにしていた包囲範囲を、徐々に狭めて来てる。」
それを聞けば十分理解出来る、追手に違いない。
どうやら早々に口封じに来たようだ。
「恐らく僕だけなら暫く泳がせるつもりだったのだろうけど、キミが正体を知ってしまった。見間違いとかでもなく、キミは僕を追って僕がサイボーグである事実に辿り着いた。だからキミからの情報の拡散を恐れて、消しに来たんだろう。」
消す、その言葉に背筋に寒気が走る。
今まで話で聞いただけで信じられなかった故に、実感の無かった恐怖がじわりと心に広がっていく。
同時に、夏美と別れた後に来て良かったとも思う。アイツにも危害が及んでないか不安もあったが有栖曰く、夏美の周囲にそれらしい反応は無いようだ。
唐突に訪れた追手に俺が恐怖している間にも、有栖は無言で歩を進めていく。少しずつそのスピードも上がっているようだ。
方角的には自宅を離れ、住宅街を抜けて行こうとしている。
「…」
歩き始めて15分程度過ぎただろうか。
有栖は住宅街のを過ぎた所にある廃工場の前まで来ていた。数年前に倒産したらしい金属加工の工場らしいが、既にいくらかの建物は取り壊され、残った物も鉄骨が剥き出しになって錆びている。
用事が無ければ通りかかる人も少ない上に、現在時刻は18時。辺りに人の気は無い。
放棄はされているものの高い門は閉じられており、鎖で何重にも巻かれている。門の扉は開きそうにない。
「有栖?」
ここには入れそうにない、そう言おうと瞬間有栖は俺をお姫様抱っこの形で抱え上げると跳んだ。
「有栖!?」
空中で風を受けて有栖の長い髪が揺れる。
俺を抱えたまま、軽々と2階建ての家より高くジャンプすると、事も無げに簡単に門を跳び越え、廃工場の中に着地した。
正直、今日乗ったどの絶叫マシンよりビビった。
抱き上げていた俺を下すと、有栖は無言のまま開けた場所まで俺の手を引いて移動した。
一体、有栖は何の目的でこんな事を?
刹那、パスンという小さな音と共に空気を裂く音が聞こえたと思った瞬間、有栖が右腕を振り上げ何かを掴む動きをした。
「は?」
有栖が手を開くと、軽い金属音と共にぐにゃぐにゃに握りつぶされた長い弾丸が地面に転がった。
どう見てもゲームとかでよく見るライフル弾で、もし有栖が掴んでいなければ、それは俺の心臓に直撃しただろう。
膝が震え始める。
明確な殺意を目の当たりにして、ついに何者かが自分を殺そうとしている現実に直面する。
そして有栖の驚異的な身体能力を再度目にすると、やはり現実とは思えない。
音速の倍で飛んでくる銃弾を素手で掴んで握り潰し、それで自分の手には何らダメージが無いなんて言うのは異常過ぎる。
「…」
当の本人はやはり無言のまま近くの壊れかけの建物(2階建ての、かつては休憩所でもあったのだろう建物)の太い柱に手を掛ける。
あれからずっと、有栖は無表情でほぼ言葉を話さないままだ。或いは人格の再現を止めたのが、今の姿なのだろうか。
今度は何をするつもりなのかと見ていた俺の目の前で
有栖はその柱をへし折りながら建物本体を引き千切るように破壊してしまった。
轟音、そして立ち上る砂埃。そして崩れ落ちる建物。
思わず腰が抜けそうになる。
これはもう考えるのも恐ろしい怪力を出したはずだ。いくら壊れかけと言っても2階建ての建物を柱を支点にして崩落されるのなんて、人間サイズで大型重機以上のパワーを出したはず。
その惨状を引き起こした本人は瓦礫に手を突っ込んで何かを探しているかと思ったらバキッと音を鳴らしながら、何かを引きずり出した。
ボロボロになっているがそれは白いプラスチックで出来たヘルメットのようだがシールドに当たる部分は無く、ヘルメットで言う下の部分からは破断した金属柱と千切られて火花が散る配線のような物が、血管や筋肉のように垂れ下がっている。
…なんだこれは?
その疑問は直ぐに解決した。
未だ残る建物の陰から3つ、人型の何かが姿を現す。
全身を白く光沢のあるボディアーマーに包み、手にはどう見てもアサルトライフルのような銃器、腰には警棒のような物を装備した、伸長2m程のややガタイのいい人間のようなシルエット。頭には、有栖が引き摺り出したのと同じパーツがくっついている。
何だコイツらは?
「戦闘用アンドロイド『US-06』の標準装備型。人間ではない人型兵器だよ。重量は約340kg、アンドロイド用強装弾薬を装填した自動小銃と鎮圧用スタンバトンを装備している。」
「嘘だろ?」
人型ロボット兵器だと?
精々ロボットなんてしばらく前に流行った走れる程度のヤツとか、ファミレスとかでよく見る配膳用の程度じゃないのか?
「極秘でサイボーグ兵器を作るくらいだ、アンドロイド技術の秘匿くらいしても可笑しくないでしょう?」
…予想以上にこの件の闇は深そうだ。
「大丈夫。」
「有栖?」
「キミは僕が守る。」
有栖はあの時と同じことを言った。そして、その両目に青い光が灯る。
「『システム戦闘モード起動』」
機械的な言葉の後、横にいた筈の有栖が視界から消える。
凄まじい速さで一瞬の間に有栖はアンドロイド『US-06』の内1体の懐に潜り込み、その頭を掴む。
そのまま手にしたアサルトライフルで反撃する間も与えず、首部分をへし折り掴んだ顔部を握り潰しながら地面に叩き付けて粉砕する。無理な体勢によって腰部も真っ二つにへし折れた。
残る2体が直ぐに狙いを付けて反撃として有栖に発砲するが、今度は大きく跳躍してそれを回避。
1体の真後ろに着地した有栖は後ろ回し蹴りを放つ。
喰らった1体はあまりの衝撃で胴体が裂けながら吹っ飛び、瓦礫の山に突っ込んだ。300kgを超える物体をいとも簡単に蹴り飛ばしたのだ。
蹴ったその隙に、残る1体はスタンバトンを抜き、近接攻撃を有栖に仕掛ける。
有栖は半歩立ち位置をずらすだけでそれを回避し、その結果背後の鉄筋コンクリートの壁に振り降ろされたバトンが直撃し、大穴を空けた。
こいつも尋常なパワーじゃない。
『US-06』は素早く体勢を立て直すと今度はバトンを横に振るう。
しかし有栖はその腕部を掴み、あろうことか力ずくでそれを止めてしまった。壁に大穴を空けるようなヤツの馬鹿力をだ。
有栖はそのまま掴んだ腕部分をまるで引き抜くかのように引き千切ると、反撃しようともがく『US-06』の肩と腰に手を掛け…
そのまま斜めに引き裂いてしまった。
致命的な損傷を受け火花を散らしながら『US-06』はピクリとも動かなくなった。
どうやら終わったらしい。
「『AR-01』通常モードへ移行。」
その機械的な声と共に、有栖の青く輝いていた両目の光が消灯する。
その惨状を目の当たりにして、俺は黙るしか出来なかった。
秘匿されたアンドロイド兵器が自分を殺しに来る事実、それより『サイボーグ』が齎した驚異的な破壊に言葉を失ってしまった。
「坂本君。」
「有栖…」
ゆっくりと有栖が振り向く。
その表情は、今まで幾度と無く見た『無』だった。
「これが『サイボーグ兵器』というものだよ。こんなのが造られようとしてる、僕のような人でなしが。」




