始点
『この鋼鉄の身体は、心までは護ってはくれなかった。』
日差しは強い、流石に夏だな。
目も眩むような日差しから目を守るように、紺色の野球帽を目深に被る。
熱気を含んだ微風が、ショートの赤い髪を揺らす。
「遅いな。」
時刻は12時を過ぎた所、待ち合わせは12時丁度だったのだが。
腕を組み、日陰に入る。建物の壁に背を預けながら、一息つく。
夏らしく、俺は赤いホットパンツと黒のタンクトップという涼しげな格好を選んだ。
靴もスニーカーで、動きやすい。
素肌が晒される面積は広いが、俺の肌は日に焼かれることも無ければ、紫外線を気にする必要も無い。
暑いのも問題は無いんだが、そこは気分と言った所か。必要が無いからと言って全部省いてしまうのは余りにも味気ないし、何より『人らしく』ない。
「ん?アイツからか。」
そんなことを考えていると、携帯が鳴った。
アイツからだ。
「どうした?」
『ゴメン!バスに乗り遅れて…後10分位で着くから!』
やっぱりな、アイツの申し訳なさそうな声が聞こえる。
「気にするな、別に時間に追われてる訳でもないし、俺は急いでない。慌ててたら危ないし、まぁ気を付けてな。」
そう言って電話を切る。真面目な奴だ。
「あれ?ツーちゃん?」
「ん、夏美か。と言うより『ちゃん』はやめてくれ。俺には合わん。」
改めて腕を組んだ俺の前に現れたのは近くに住んでる高校生の夏美だ。
一応(多分だが)俺より年上なんだがな、マイペースで天然な所もあり、余りそう思えない。
切っ掛けは今の家に俺が引っ越して来た時、偶然出会った事だろうか。
ご近所付き合いは大事、とは言うが彼女はまだ出会ってから1週間も経たないにも関わらず、結構グイグイ話しかけて来るからか、結構俺の中でも気安い相手になってしまった。
年齢が近いのもあるだろうか。
後、俺を『ちゃん』付けで呼ぶ。
女だし年下だから、間違いではないが…俺には合わん呼び方だろう。止めて欲しいものなんだが。
「何?デートの待ち合わせだったり?」
「馬鹿言え、アイツはそんな相手じゃないさ。」
「あ、七重さんと待ち合わせか。いやいや、やっぱりデートじゃない?」
「何故そうなる?アイツは彼氏じゃない。」
俺にもアイツにも、相手を選ぶ権利はあるだろう。
それに俺は、アイツの彼女になることは、出来ない。
「ふーん、じゃあ進展があったらまた教えてね?」
言うだけ言って、夏美は行ってしまった。
お前こそそういう相手が居ても良いだろうに。
…恋愛か。
俺も、以前はそんな相手が居たのだろうか。
普通のままだったのなら、今頃は夏美みたいな生活を送っていたのだろうか。
今更か、どうしようもないことを考えるのは意味が無い。
「ゴメン!!待った!?」
頭を切り替えた俺に、息を切らしながら駆け寄って来たのは、眼鏡にぼさぼさ頭の青年。
漸く待ち人のお出ましか。
そんなに息を切らすほど急がなくても良かったのに。インドアで体力も無いくせに走るからだ。
「そんなに待っていない。急いでいないと言っただろう、真?歩いて来ても良かったんだぞ?」
「君を待たせてるのに、そんなことは出来ないよ。」
バックからペットボトル入りの水を取り出し、ぐいっと飲む。
そして、もう一本は俺に渡した。
「じゃあ行くか。高橋博士は?」
「もう準備してるよ。研究室の方で待ってるって。」
「そうか。」
高橋教授はもう待っているのか、流石だな。
興味があることに対しては相変わらず変態的な手際の良さと執着心だ。
いや、別に比喩でもなく変人で変態なんだが。
俺は真…七重 真と学者である高橋 直子 教授の自宅兼研究所に向かう。
それが待ち合わせの目的だ。
一緒に歩いていると、ちらほら視線が集まる。そりゃ珍しいだろうな、こんな組み合わせは。
俺の容姿は外人と日本人の要素が入り混じっている。顔立ちだとかやや小柄な体躯に慎まし過ぎる胸だとかは日本人のそれだが、肌色や色味の強い赤毛、手足の長さは外国人、特に白人に近い。
それと一緒に歩いているのが、白衣を羽織った、医者や科学者風の青年なのだからな。
正直、真の行動次第じゃ、職質されても文句は言えんな。
…まぁ、そうなれば困るのは俺だがな。
「…むっ?」
不意に何か妙な感覚を感じる。
感覚的な問題だ、話しかけられたとか声が聞こえたとかそう言うものじゃない。例えるなら、誰かに見られているような感覚。
「どうしたんだい?ツー」
「いや、誰かが俺を見ていたような気がしたんだが…気のせいか?」
「僕は何も感じなかったけど。」
「俺しか感知不可能な距離からだったのか、勘違いだったのか。まぁいい、取り敢えず高橋教授の所に向かうぞ、真。」
「うん、そうだね。君を診れるのは今は教授しか僕らは知らないしね。」
「ああ、外じゃ大っぴらに煙草も吸えんからな、さっさと教授の家で一服したい。」
「いや君未成年だから本来ダメなんだからね?」
「『今の俺に』法律は関係無いんでね。」
それに俺にとってはライフワークだ、『人間らしい』な。
「…もし本当に誰かが見ていたとしたら、もしかしたら俺と同じヤツだったかもな。」
まぁ、そんなわけないか。
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「うむ、調べれば調べる程、君は超技術の塊だな。数年程度先を行っているだけじゃ済まないぞ。」
コーヒーを片手にそう語るのは白衣を来た茶髪の女性、高橋教授だ。
髪が跳ねまくっている辺り、身だしなみには拘りが無い人物だろう。
「だろうな。俺自身がもっと記憶が鮮明なら良かったのだろうが。」
診察台で横になっていた俺は裸身を起こして腰かけるような体勢になる。
当然、健康診断や身体計測じゃない。その程度なら素っ裸にならずとも良い。
では、何をしたのか?
「サイボーグ技術、か。私も技術を理解するだけで精一杯だ。これでも細胞学と人工臓器研究に神経系研究を最先端でやっていたのだがな。サイボーグ技術は表向きは理論上可能なだけで、実際には存在しない技術のはずだったのだがな。いや、特に人工筋肉とナノマシン技術には驚かされる。これを発表するだけで化学は勿論、医学もどれだけ進歩するか。」
「それだけじゃない、人工臓器や人工皮膚、人工骨格を構成している金属すらも現行技術を凌駕しているね。」
高橋教授と真が言う。
「そうさな。常識の範疇を軽く超えている。おまけに俺の脳内にはコンピューターが取り付けられているしな、真が制御から俺を外していなければ、俺は何者かの手でコントロールされていたわけだ。」
煙草に火を点け、一服。
ここなら咎める相手も居ないし、気兼ねなく吸える。
「どうせ改造するなら、もっとスタイルを良くしてくれても良かったんだがな。洗濯板の上にやせ気味なのは頂けないぞ。」
「本当に君はブラックジョークが好きだな。」
教授が呆れながら灰皿を差し出す。真は微妙な表情になっていた。
「なってしまったものは仕方ないだろう。」
灰皿で煙草を潰しながら、答える。
俺は人間では無い。
正確には『今は』人間ではない。
『サイボーグ』、それが今の俺。
この皮膚の殆どが人工物で、その下にはCNT製人工筋繊維で構成された人工筋肉が、内蔵の多くは人工臓器に置き換えられ、それらは新素材のアンオプタニウム合金で構成された人工骨格で守られている。
この眼の下は高感度カメラにセンサーが、身体中には極小の機械ナノマシンが人工血液に乗って循環している。
現行の科学技術から大きく逸脱したこの身体…ただ、俺にはその経緯は分からない。
「記憶はどう?」
「進展無しだな。改造前の記憶は酷い虫食い状態だ。改造前の俺が何者だったかは特に思い出せない。この街に住んでたことは確かなんだが。改造のショックなのか、それとも人為的に記憶を操作されたのか、それも判然としない。」
下着を身に着けながら、真の問いに答える。
俺は記憶喪失だ。
正確には全部を忘れた訳じゃない。
例えるなら酷い虫食い状態にある、と言った方が正しい。
だから時系列もバラバラになった記憶では詳細が判別不能な訳だ。
特に改造直前の記憶は全く無い。
「ふーむ、私は面白い情報を見つけたがな。」
俺が高橋教授の元を訪れたのはこの身体を調べて貰う為だ。
高橋教授と真はこの身体を当然知っている、実際に真が倒れている俺を見つけたのだがら。真が機械工学と人工義肢の研究者であったから、そして偶然知り合いで、その界隈では超有名な高橋教授の元に俺を運び込んだ…全く、俺も悪運が強い。
「言ってたな、それは一体?」
もう一つが教授が入手した情報だ。
教授はこんな得体の知れない俺を引き受けた所からも察する事が出来る通り相当な変人だが、その技術と知識と、情報網は確かだ。
「ちょっと前に、学校でガス管破裂事故があっただろう?アレだが、どうやら事故じゃなさそうだ。写真からだが爆発じゃない破壊の痕跡が僅かに見て取れた。だが、あんな破壊の仕方は人間の出来る事じゃない。だが破壊跡は人間のサイズにほぼ一致する。何よりガス管破裂があの場所で起きる可能性は限り無く低い。事故は無いとは言い切れないが、あそこより脆くて老朽化していてそのリスクが高い場所は学校内に幾つもある。あんな古い場所が火元となるのは不自然だ。」
「成る程な、つまり…」
「君と同じ存在が絡んでいるんじゃないか、私はそう思っているぞ。君のその身体は桁違いのパワーを発揮出来るのは調査で分かっている。もしそうなら、納得できるな。つまり事故ではなく人災で、サイボーグが関わっている。そしてあの爆発は何かの証拠隠滅ではないか…何かなんて、分かり切っていることだがな。」
やはり、そうか。
俺だけしかいないことなんて有る筈も無い、他にもサイボーグは居るだろう。
もっと、情報が必要だな。




