有栖
『何もなくなった』としても、それでも自分が自分である証を探して、その足跡を追う。それを遮るように、或いは急げ急げとけしかけるように、少しずつ終局の時は近づく。
「じゃあ行ってくるね。」
「おう、何があるかわからんから気を付けてな。」
「こっちはあたしが見ておくから。」
時刻は午前9時、坂本君とイグニスに見送られながら僕は坂本君の家から出発する。
既に学校は夏休みに入った、僕が今から行うのは調査の一環。
それは『僕という存在がどんなものだったか』の痕跡を探す作業。
人として『それらしく』振舞う事は、再学習によって現時点では違和感無く可能になったと判断している。内部スキャン等をされない限り、僕が人間であることを疑う人はそうそう現れないだろう。
『感情の再現』に関しては、僕にはそう言った感覚がよくわからないのもあって、取り敢えず坂本君や夏美を参考として疑似的に構築している。
特に夏美は同じ性別で、間違い無く善人だ。その彼女を模倣するのは間違っていない選択だと思う。
そして『記憶の修復』だけど、これに関しては一切進展が無い。
相変わらず、僕はほぼ全ての記憶を失ったままだ。内蔵されたハードディスクに記録されている元々の名前と、生身だった時の身体データ(身長や体重、血液型等)が、かつての僕の残された痕跡だ。
今日向かうのはかつて僕が最初に起動したあの場所、大学内の建物に隠されていた施設。
推察するに、改造が完了した僕はあの場所で最後の調整と起動試験を行われたのだろう。
結果は僕の暴走と言う結果に終わった。恐らくその時の暴走(誤作動)が原因で記憶データが破損し、一部機能に不具合が起きているのだろう。
現に今も記憶データの破損以外に、記憶域にはアクセス不能なファイルもある。
バスに乗り、あの場所へと向かう。
現在、大学そのものは通常どおり運営されているが、その建物の周囲は立ち入り禁止になっているらしい。
朝のニュース番組ではそれは『古い配管の破裂による爆発事故』『建物の老朽化による火災』として報じられている。
勿論、事実はそうじゃない。あそこを破壊したのは他でもない僕だ。
それなのに、こういう情報が流れた理由は一つ『事実の隠蔽がしたい』だけ。
もう既にあそこに研究に関する記録や証拠は残っていないだろう。立ち入り禁止にされてから数日以内で全て回収されるか抹消されているだろう。
それでもあの場所へ向かうのは、その周囲を探し、僕の痕跡を僅かでも良いから入手する事。もしかしたら元々僕はあの周辺に住んでたかもしれないし。
そして、あの場所へ行く事で僕の脳機能に何らかの影響を与えて断片的にでも記憶が回復しないか試す為だ。
僕の脳機能は現状は大きな部分が内蔵コンピューターが代理して行っている。大脳に至っては休眠状態と言っても良い。時折大脳にコンピューターがアクセスして、感情や思考機能の補助に使用しているだけだ。何かを記憶するのはそれこそ内蔵HDやSSDで良い訳だし。
その休眠状態の大脳に何らかの刺激にならないか、そう言う目的だ。あまり論理的ではない行動だろうけど、僕自身は勿論、サイボーグの事なんてそもそもが分からない事だらけなのだから、何でも試してみるべきだろう。
そんなこと(記録の整理や分析等)を考えながらバスに乗って20分、目的のバス停に到着したので下車する。
降りて周囲を見渡しても、特に何かを感じる事も無かった。
内蔵コンピューターが、気温や湿度や風向きと強さと言った気象情報を表示し、システムが体温等を適正に調整すると言ったデジタルな処理が淡々とされるだけだ。
これじゃこの方面の望みは薄いかな。
「ん?あれは…まさか?」
その時だった。
バス停から横断歩道を挟んでやや離れた場所の建物、その壁に背を預けるように立つのは一人の少女だった。腕時計を気にするような仕草からして、どうやら誰かを待っているらしい。
年齢は恐らくイグニスと似たような感じで、身長は160cm程で、ショートボブのやや赤みがかった茶髪の持ち主で、日差し避けの為か、ベースボールキャップを被っている。
服装はホットパンツとタンクトップという非常に涼しげな感じで、晒された肢体はすらりと長くて、その肌は少し色白だけど健康的な色だ。
顔立ちは年齢相応ではあるものの、凛とした(恐らく一般的な感覚では)美形で、夏美がよく言う基準で見れば『可愛い』より『カッコイイ』と表現されるであろう、中性的な外見の彼女。
僕の眼に内蔵された高精度カメラと高感度センサーは見逃さない。
彼女の眼には『僕と同じ物』が内蔵されていた。高感度センサーと高精度カメラ。
つまりそれは彼女が僕と同じ存在であると言う事。
「ちょっと待って…」
彼女に話しかけようと近づくが、その前に彼女に白衣の男性が近づく。
その男性は彼女と何かを話し、そのまま僕とは反対方向に歩いて行ってしまった。もたついていたせいで、横断歩道の信号も赤に変わってしまう。
彼が彼女の待ち人だったみたいだ。
二人は横断歩道に阻まれる(流石に信号無視して車に突っ込むわけには行けない)僕を尻目に、路地に入り姿を消してしまった。
彼女は間違いなく、サイボーグだった。
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「むっ?」
「どうしたんだい?ツー」
「いや、誰かが俺を見ていたような気がしたんだが…気のせいか?」
「僕は何も感じなかったけど。」
「俺しか感知不可能な距離からだったのか、勘違いだったのか。まぁいい、取り敢えず高橋教授の所に向かうぞ、真。」
「うん、そうだね。君を診れるのは今は教授しか僕らは知らないしね。」
「ああ、外じゃ大っぴらに煙草も吸えんからな、さっさと教授の家で一服したい。」
「いや君未成年だから本来ダメなんだからね?」
「俺に法律は関係無いんでね。」
「…もし本当に誰かが見ていたとしたら、もしかしたら俺と同じヤツだったかもな。」
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「やっぱり入れそうにはないか。」
やはり件の場所は封鎖されていた。
それもイエローロープが張り巡らされ、警備員まで立っている。明らかに警備が厳重過ぎる、報道通りなら『ただの事故』現場としては違和感がある対応だ。想定通り証拠隠蔽の為の対応だろう。
建物は既に半ば以上取り壊されており、そこからは何の変哲もない解体途中の建物の内部が見えているだけだ。重要な区画は既に回収されたか完全に破壊されたかのどちらかだろうね。
精神的にも全く変化は無かった。何かを思い出す事も無ければ、些細な『感情』の変化も無い。
こっちの収穫はゼロかな。これは僕の記憶の補完はかなり難しい作業になりそうだ。それどころか戻らない可能性も十分にある。
「…でも、別の収穫なら。」
それは、イグニスのように何者かに囚われている訳じゃ無い、社会に紛れて暮らすサイボーグの存在。
間違い無く彼女はサイボーグだった。後からやって来た彼女の待ち人は、彼女がサイボークだという事を知っているのだろうか。
「一度帰ろう。」
この情報は坂本君、イグニス、夏美の3人で共有すべきだろう。
当面の目的は出来た。彼女に会い、可能なら話を聞く。彼女は僕たちの知らないようなサイボーグについての情報を知ってるかもしれないし、僕に関する何らかの情報も持ってるかもしれない。
あわよくば同じ境遇同士として、仲間になってくれるかもしれない。
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「現在時刻は22時でありますか。」
既に戦闘アンドロイドは配置に付いている。戦力的には乏しいものの、これで作戦を遂行する他無い。
クレイス准将閣下は自分に『作戦遂行不可能と判断したら直ぐに撤収せよ。後処理は私がする』と言ってくださったが、そうやって自分がこの任務を避ければ必ず他の者、或いはクレイス閣下がこの任務に就くことになる。
自分より階級が低い者が自分の代わりにこの危険な任務に就くのは、軍人として看過出来ぬ。もし准将閣下が自分の後処理としてこの任務を遂行され、もし万が一が有ったら?
准将閣下は軍にとって、我らサイボーグにとって、そして連合にとって無くてはならない人物だ。それを自分の替わりになるなど…
故に、この任務は自分が遂行する。
それが軍人の誉れであり、後の者の為になる行動であり、尊敬する上官への忠義である。例え敵わずとも、この身玉砕してでも相手の戦力やリソースは削り取ってみせる。
決してタダでは死なない、自分の後に続く者の為にも自分は戦う。
死は恐れるものではない、何も成せぬのが本当に恐ろしい事だ。
「今作戦指揮官『MR-06:シクスス』中尉の名において、特別攻撃作戦『アリス・セッション』を開始する。」