第五話 VS 入道
夏休みが終わったばかりだというのに、この時期は陽が落ちるのが早い。秋のつるべ落としとはまさにこのことだ。
六時を過ぎて薄暗くなる空の下を絢愛は歩いている。
今日は祈璃が生徒会で帰りが遅くなる。だから先に帰っているのだ。
せっかくなら温泉にでも、と考えたが彼女の住む学生寮にも温泉が引かれている。
夜道を歩くのは少々気が引けるのだ。
たとえ暴漢でも一般人相手に温泉拳を使うのは躊躇われるのである。
では、同じ温泉拳の使い手ならば?
「はい、ドォーン!!」
奇妙な掛け声と共に巨大な鉄球が彼女めがけて落ちてくる。
絢愛がそれを避けると先程まで舗装されたアスファルトの道が割れ、剥き出しの地面が現れた。
「誰……いや、この鉄球を使うのは……」
体を屈めて鉄球を放った張本人へと目を向ける。
そこには鉄球と同じく表面が滑らかな球状を描くスキンヘッドの男が立っていた。
バスタオルをふんどしのように締め、彼女よりも巨大な体格を有している。
「覚えててくれて嬉しいねぇ。じゃあ、死んでくれないかねぇ?」
男の背後から大小七つの鉄球が飛んでくる。いずれも鉄球からは鎖が伸びていた。
「お断りだよ、温泉入道ッ!」
絢愛は鉄球を避け、近くの廃屋へと逃げ込んだ。
温泉入道は『熱闘♨︎温戦コロシアム』の一回戦で絢愛が対戦した相手だ。
温泉拳鉄輪流の実力者たる彼は温泉のエネルギーで強度と威力を増した鉄球を縦横無尽に振り回し戦う。
豪快かつ大胆な立ち回りとその巨体が温泉入道という二つ名の由来だ。
しかし絢愛は彼の得物である鉄球を全て破壊して勝利した。
鉄輪流は得物の扱いにこそ長けているがその実得物が無くなれば打つ手がないのである。
「どうしたねぇ? 反撃してこないんかねぇ?」
高笑いしながら入道は廃屋へ鉄球を投げつけてくる。絢愛が隠れて様子を伺ったのは手も足も出ないわけではなく、疑問が残るからだ。
温泉入道は見た目とは裏腹に本来穏やかな人物である。
商店街で酒屋を営む気の良いおじさんなのだ。
体裁を取り繕うことなく襲いかかる戦湯狂ではない。
仮にコロシアムで負けた腹いせに闇討ちしにきたとしたら?
それも有り得ない。
絢愛は彼との試合終了後のことをよく覚えている。
彼は彼女に握手を求めてきたのだ。
『強かったね。これからは君達の世代だね。きっとこれからおじさんよりも強い人達が現れると思うけど、負けないでね。優勝目指して頑張ってね』
あんなに激励してくれた彼が、あの虫一匹殺せないような優しい顔をした人がこんなことをするわけないと、彼女は信じている。
戦い方は完全に世紀末のソレだが。
「入道! 一体どういう了見なんだ!」
彼女が声をかけるも返ってくるのは無機質な金属の塊のみ。これだけの破壊音だ、そろそろ野次馬や警察が集まってきてもおかしくない。
彼等を巻き込まないためにも、彼を無力化する他ないだろう。
「うるさいねぇ!」
飛んできた鉄球はついに廃屋を崩壊させ、彼女は飛び出した。しかし、鉄球が彼女の目前に迫っている。
飛び出す先を予測されたのだろう、回避は出来ない。
彼女は鉄球へ向かって拳を突き出した。
鉄球を真っ正面から叩き潰そうとしたのだ。しかし。
「ッぁぁぁあ!?」
鉄球は彼女に触れたと同時に爆発した。
爆風に吹き飛ばされた彼女は二転して地面に倒れ伏す。
「ザマァねぇ!! 小娘がよォォォォオ!!!」
他者の温泉拳、その際に発せられるエネルギーに反応して爆発する仕掛けが施されていたのだ。
鉄球と機雷を組み合わせたような武器。
それを理解した彼女であったがその時には既に入道の放つ鉄球が目の前に迫っていた。
(あ、これ死んだ……)
体が動かない。目下に迫る死を前に彼女は何もできなかった。
カポーン!!
死を覚悟した彼女の耳に間の抜けた衝撃音が響く。
「おう。無事か、嬢ちゃん?」
自身が生きていることよりも、目の前の出来事を信じられないといった様子で絢愛は驚いていた。
鉄球をクマが防いでいる。
五十センチメートルほどのクマが片手で鉄球を受け止めていたのだ。
下半身は黄色と黒の縞模様、まるで蜂。
背中にも蜂を思わせる半透明の翅が生えている。
「え、何。UMAさん……?」
動転し、絢愛は呆然としている。
クマは鉄球を防ぎながらサングラス越しに彼女を見据えた。
「ウマじゃない、クマハチだ。クマハッチさんと呼べ」
クマハッチと名乗る彼は空いた片手でどこからともなく赤い眼鏡を取り出した。
レンズを覆うフレームの上部分がない、いわゆるアンダーリム眼鏡である。
彼はそれを彼女へ投げる。
「話は後だ。絢愛、温戦少女になれ」
受け取った彼女だが、困惑した様子で彼を見る。
「どういうこと? というかどうやって!?」
「いいからそれ掛けろッ! そうすれば分かるんだよッ!」
訳が分からないといった様子の絢愛だがクマハッチに言われるがまま眼鏡を掛ける。
「は……?」
その瞬間、世界が変わった。
レンズ越しに見えるのは赤黒い闇の中で燃え盛る無数の炎。
それらが全て火達磨になった人間だと気づいた頃には、彼女の耳朶を無数の叫びが打ち付ける。
体が動かない、耳を塞ぐことさえ出来ない。
そんな彼女の頭に言葉が響く。
悶え苦しむ亡者とは違う、体へ溶け込むように紡がれていく。
彼女は唱えた、心の思うままに。
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府……燃え咲く地獄、焦熱温戦ッ!」
彼女の体を淡い赤銅の炎が包む。
彼女へ向かう鉄球は火球に触れただけで溶け落ちていった。
「ワシの見立てに相違なしッ!」
火球を見上げてクマハッチは口角を上げた。
第五話いかがでしたでしょうか。
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