第十一話 VS ゴリラ【後編】
「どうやら被検体は上手く機能していますね」
麓のロープウェイ駅。
ケーブルカーの運行を管理する制御室には係員の代わりに片目を髪で隠した少女、高崎がいた。
双眼鏡越しに人質を取って好き勝手に暴れるユデゴリラを眺めていた。
「温戦少女とはその程度か。つまらんな」
赤城は氷漬けにされた係員にもたれかかっている。
驚き、困惑した様子の係員はあたかも時が止まったように動かない。
「それにしてもその係員、殺してしまっても良いのですか? いえ、既に絶命しているようですが……」
「構わんよ。この分だとあのゴリラが殺しまわる。連中もゴリラの哀れな被害者と勘違いするだろう」
彼女達が以前、テニス部に入部してまで秀湯学園を訪れていたのは、温戦少女の捜索とこの時のための下見が目的だったようだ。
結果、温戦少女の正体を明かした彼女たちは凶化体を唆し、学園へ放ったのである。
ロープウェイが運行していたのもこの二人の仕業だったようだ。
「あ。ゴリラが温戦少女を倒しましたね。あの高さでは助からないでしょうが……」
「ならば我々も退却だ。今はまだ、表舞台に姿を現す時ではない」
「承知しました」
二人は制御室を離れる。
その姿は一陣の風と共にどこかへと消え去った。
「いやああああああッ!絢愛ぇぇぇぇぇッ!!」
一方、祈璃は顔を両手で覆い、叫んでいた。
土下座した時にさえ見せなかった涙が腕を伝い、制服の袖口に染みていく。
「ソレダ!!ソレダ!!ソノカオダ!!」
キャッキャと壊れたオモチャのようにユデゴリラは笑い、手を叩く。
絢愛はそのまま落下していった。
力なく落ちて行くその姿は、あたかも沈んでいくようにも見える。
「そんな……絢愛が……絢愛が……」
茫然自失。祈璃が床に体を伏せるように蹲る。
刹那、爆発したような衝撃音。
驚いて顔を上げた祈璃の眼前に、先ほどまでいたはずのユデゴリラはいない。
「どういうこと……?」
困惑する祈璃は空を見る。
遥か上空に見えたのは、淡く、紅く、輝く流星。
空へ伸びる一条の光だった。
「ッらぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!!!」
光の正体は絢愛と、絢愛に首根っこを掴まれたユデゴリラだ。
力なくロープから落ちていったのは絢愛の演技である。
地面へ落ちた彼女はコロシアム決勝で祈璃の『死打加落天地』を破ったように落下の反動と温泉拳、焦熱温戦によって強化された脚力を用いてユデゴリラめがけて跳躍したのだ。
ユデゴリラは何が起きたか理解できない様子で腕を振り回すがその抵抗は無意味だと言わんばかりに絢愛は口を開く。
「もうすぐ何も聞こえなくなるからその前に一つ言わせてよ」
「ァアアアア……?」
その意味を問う前にユデゴリラは浮遊感に包まれる。
全身に霜が降り始め、言葉を発するどころか呼吸までままならない。
「無限落天地ッ!」
火球に包まれる絢愛は地球を見る。
母なる星に顔を向け、ユデゴリラの背中を踏み台に地球へ向けて跳んだ。
大きく蹴り出したその刹那、反作用で彼は宇宙へ放り出される。
「お前を救う価値は、無い」
二人の距離が遠ざかる。
常人離れした脚力で飛ばされたユデゴリラは地球の重力圏から放り出され、その身体を砕かれながら常夜の闇に消えて行く。
終わることのない無限の落下。
ユデゴリラが薄れゆく意識の中でに見たのは、紺碧に染め上げられた地球の姿だった。
反対に地球へ落下する絢愛は火球で空気の層による摩擦熱を防いでいた。
永遠とも思える浮遊感、そして全身の内側と外側を絞めあげられるような不快感。
それでも彼女は身体の向きを制御して海を目指して落下する。
陸地よりは被害は少ないだろうと考えて。
海面が迫る。百メートル、五十メートル、十メートル……
やがて全身を襲う強い衝撃と共に激しい水蒸気が彼女を纏った。
触れたモノ全てを燃やし尽くす、それは水であろうと変わらない。
水面を削るように、海水は彼女の能力で蒸発し、一瞬だけ彼女は海底四十メートルまで海に風穴を開けたのだ。
海底を抉る轟音。
別府の海が悲鳴を上げたかのようだ。
剥き出しの海底に人間大の隕石が降ってきたも同じ、高熱に晒された落下地点は黒く焦げたクレーターを形成する。
やがて波が穴を、彼女を飲み込んだ。
金属をも変形させる高い水圧に挟まれた彼女は、しかし自然の猛威を気にも留める様子はなく、海底を跳んで付近の埠頭に着地した。
「……温泉、入りたいな」
全身を濡らし、髪先から頬を伝う水滴をくすぐったく思いながら、彼女の意識は失われていく。
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「絢愛!絢愛!!」
目が覚めるとそこは白を基調とした黒い模様が混ざる天井だった。
部屋を照らす白色ライトが眩しくて開けた目を細める。
「……イノ様」
絢愛が首を左へ向けると祈璃がいた。
今にも泣きそうな顔で彼女の左手を握っている。
「良かった……無事ですのね」
祈璃は安堵し、声を震わせながらも微笑んだ。
そして対面に佇む看護師は「先生に意識が戻ったことを伝えに行きますね」と言って部屋を出て行く。
ここは病院の一室のようだ。カーテン越しに覗く室内には絢愛以外の姿はない。
一人用の特別な病室らしい。
「ボク……確かユデゴリラを倒して……海に落ちて……」
ひどい頭痛だ。
絢愛は頭を手で抑えながら意識を失う前の記憶を整理する。
「そうですよ。あなたは成層圏……いえ、おそらくもっと高いところから飛び降りましたわ」
祈璃に言われて初めて絢愛は恐怖を覚えた。
宇宙に飛び出して、そこから海面に落下する。
温泉拳の使い手であろうとそんなことをしたら生きて帰ってはこられない。
改めて絢愛は自身が温戦少女となったことを自覚した。
しかし、それ以上に彼女の思考を支配したのは、ユデゴリラのことだった。
「ユデゴリラは……ユデゴリラはボクが、ボクが殺したんだ……」
あの時、ボクは怒っていた。
沸々と湧き上がる怒りに満ちていた。
許せない……祈璃を辱めたアレを許さない。
それでも、彼は人間だった。
邪苦字に囚われ闇泉士へと堕ちていたとしても確かに彼は人間なのだ。
「ボクは……ボクはッ!!!!」
人殺しだ。
絢愛は声にならない叫びと共に泣いた。
嗚咽を漏らし、ひたすらに「ごめんなさい……ごめんなさい……」と子供のように謝り続ける。
「絢愛……それでもあなたはあの子達を、私を、別府の街を救ってくれましたわ」
祈璃はそんな絢愛の手を握るしかできなかった。
第十壱話いかがでしたでしょうか。
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