ノッキンオン・ヘブンズドア
初老の男性が、どこまでも続く草原の一本道の真ん中に佇んでいる。
青い瞳、の堀の深い顔立ち。赤銅色の日焼けした肌。白髪を後ろに撫でつけ、年の割には筋骨隆々だ。
柔らかな風が、草原に紋様を描いては消えてゆく。
「この辺りか……“彼”が言っていたのは……」
『ブウウ・・・ン』
すると、そこに真っ赤なオープンカーがやってくる。運転席には一人の若い女性。
黒髪のボブ、シルクの黄色いワンピース。大きな麦わら帽子。
「トビー」
「……!」
彼女は急いた様子で車から降りると、大きな黒いサングラスを外す。
彼女はブラウンの大きな瞳一杯に涙を貯めていた。
「……待っててくれたのかい? ユマ」
「もちろん……待ってたわ、トビー」
互いに強く抱き合う二人。
そしてユマはトビーを助手席に乗せると、真っ赤なオープンカーは地平線まで続く一本道を再び走り出す。
「家に着いたら、ピーナツバターのサンドウィッチを作ってあげる」
「最高だな。死んだ甲斐があったよ」
「ふふふ、ようこそ天国へ」
二人を乗せた車が地平線へ向かい走って行くその様子を、俯瞰で後ろから映し出す。
掲題
『ノッキンオン・ヘブンズドア』
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※すべてトビーの主観による、生前の回想シーン。
嬉しそうに、原稿用紙の束を胸に抱いているユマ。
『やっと出来たのトビー!今度の小説はきっと売れるはずよ!』
ユマを下から見上げているトビーの視点。膝枕をしてもらっているのだろうか。
『ねぇトビー。私の小説が売れたらさ、大きな一軒家を買いましょう?それと真っ赤なオープンカーも。私が運転して、街へデートに出掛けるの』
机に塞ぎ込んだ様子のユマ。
『ごめんなさいトビー。この間の話は少しだけ延期。
………ううん、私は元気。あの編集者ったら、ちっとも理解のないトンチキなんだから……』
病院のベッドで、力の無い笑顔を浮かべるユマ。
『そんな顔をしないでトビー。きっと良くなるよ……。
それに……約束したでしょう……?
大きな一軒家に住んで………それから………』
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「ずっと見てるのね、私を」
サングラスを掛けてスマートに、しかし大事そうに両手でハンドルを握り、真っ赤なオープンカーを運転するユマ。
「! ……いや……」
その様子を、ぼうっと助手席から眺めていたトビー。
「何? 久しぶりだからって、緊張してるの?」
そう言って、ユマは悪戯っぽい笑みを浮かべて隣のトビーへ笑いかける。
しかし、トビーは気まずそうに口を結んだままだ。
「………どうしたの?」
「………待ってないかもって、思ってたんだ」
「なぜ?」
「……僕は、ユマに取って邪魔だったから」
「トビー……そんな事……!」
「いや………ごめん違うんだ。 そういうニュアンスじゃ……」
「いえ……ごめんなさい。私こそ、早くに死んじゃったから」
「………」
「………」
沈黙。トビーは今の発言を後悔するように外へ顔を背け、額の辺りを押さえる。
そして会話の糸口を探るように、赤いオープンカーの窓枠に手を掛け艶やかなボディーを撫でる。
「これ………ユマがずっと欲しいって言っていた車だろ?」
「あぁ……アルファロメオ・ジュリエッタ。死んで……天国に着いた時、″彼″が出てきて質問をしたでしょう?彼、実は神サマなの」
「あの爺さんが神サマだったのか!? しょぼくれたジジイだったぜ?」
「イケてるけど、アナタももうジジイよトビー。そして、きっと同じ質問をされたはず」
「『持っていきたいものは? 好きなものを何でも、1つだけ』」
「アルファロメオ頼んじゃった。真っ赤なやつでお願いってね」
「ははは、ユマらしいや」
「だから……トビーも何か“持ってきた”んでしょう?」
トビーはユマと会ったときから、大事そうにリュックサックを抱えていた。リュックは小さく、膨らんでもいない。あまり大きなものは入っていないようだ。
「ははは……『若い姿に戻してもらう』が叶わなくてね」
「どんな見た目でも愛しているわトビー。それにここではとんでもないモノを持ってくる人もいる」
「例えば?」
「生前に経営していたスーパーマーケットとか」
「丸ごとかい!?」
「小さなスーパーけどね。愛していた妻と開いた、思い出のお店なんだって」
そう言って、ユマは悪戯っぽく笑う。
「奥さんだって、いつかはこっちに来るだろう?」
「奥さんにはその気が無いのかも。それと……来れない人もいるわ、こっちにはね」
「…………」
「けど……きっと今も愛しているのよ」
「……そうだな」
「今日は、これからそのスーパーに寄るよ。ピーナツバターを買わなきゃ」
「へぇ……! でも、お金は?」
「神サマが毎月定額を銀行口座に振り込むの。“ベーシックインカム”とか言うんだって」
「……急に現実的だな」
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『ブウウウン・・・・』
やがてオープンカーは、古びた(けれど手入れの行き届いた)スーパーマーケットの前に車を止める。
『ゴードンと○○のスーパーマーケット』
古い筆記体のロゴで書かれた看板は、片方の名前が読めないくらいに色が褪せている。
その看板ををくぐって、店の中に入るユマとトビー。
白いペンキで塗った木製のレジ台に立つ40代くらいの男性、ゴードンが、すきっ歯を見せてニッと笑う。
「いらっしゃい……やぁユマか!もしやそちらの紳士が例の……?」
「そうよゴードン! ほらトビー、ご挨拶を」
「初めまして、ゴードンさん。ユマがお世話になっています」
「はは、名前で呼び合っているのか、ユマ」
「そうよ。おアツいでしょ?」
そう言って、トビーに腕を絡め、悪戯っぽい笑みを返すユマ。
「……イカしたカップルみたいだよ」
言葉とは裏腹に、少し寂しそうな表情のゴードン。
「………」
トビーは店内を見回す。棚には古びたロゴのチョコレートやミルクなど、食料品を中心とした日用品が並んでいる。古いロゴマークのペプシコーラやコカ・コーラも。
(この店……1960年代くらいか? 知らないペプシのロゴだ……あ、でもコカ・コーラのロゴは変わらないんだな……)
「ゴードン、ピーナツバターは?」
「あるよ。向こうの、左奥の倉庫の中だ。勝手に入ってくれて構わない」
「オーケー。トビー少し待ってて」
そう言って、店の奥へと進んで行くユマ。
「さて……良かったら少し話をしないか。トビー」
「? あぁ……」
そう言うと、ゴードンはレジの下からピーナツバターの瓶を取り出して、レジの上に少し荒っぽく乗せる。
『カンッ』
「!」
「ピーナツバターはここだ。倉庫にはない。ユマとはここだけでも50年以上の付き合いだ。探し物は黙々と探す性格だからね。5分は帰ってこない」
「……?」
「私はねトビー。正直に言って、君達が羨ましい」
「………」
「この店は荒れ地を買い、妻と一から建てた店だ。私はここで、また妻と暮らせる日々を夢見ている。でも……彼女は私の元には来ない」
(……確か、彼の奥さんはこっちには……)
「でもねトビー。ある日、俺は気づいたんだ。“私が向こうに行けば良いじゃないかってね”」
「……!?」
トビーは気付いた。ゴードンは、先ほどからレジ台の下に右手を入れたままなのだ。
「私の生きていた時代は治安が悪くてね。どこの商店も、レジ下にリボルバー拳銃を仕込んでいたもんさ」
「………!!」
「君に怨みは無いが……羨望はある。私はねトビー。ユマの待ち人が現れる時を待ってたんだ……砂のお城は、完成した時に蹴飛ばしたくなるものだろう?」
「えっ……あっ……!」
「さて、君は……どうする?」
「か……勘弁してくれ!さっき死んだばかりなんだ!」
挙動不審に両手を振り、おののくトビー。
「俺はどちらでも構わないぜ。君でも……ユマでもね」
だがその瞬間、急にトビーの表情が変わる。
「待てよ……だったら話は別だ」
先程の挙動不審さは無くなり、覚悟を決めた男の顔になっていた。
「へぇ………そんな顔、できるんだな」
「僕を撃てよ。その代わり……母さんには手を出さないと約束しろ」
「……母さん、ね」
「僕の質問に答えろ。約束……出来るんだろうな」
「安心しろ、男ってのは約束は守るもんだ。お前も父親がいたなら、そう教わったろう」
「僕の父親は、俺が生まれる前に事故で死んだ。その前から別居してたらしいけどね」
「……甲斐性の無い父親だよな。虚しくなるよ」
「けどユマも……僕が8歳の時に病気で死んだ。僕は63で死んだから、ユマより大分年上になってしまった」
「………」
「母さんはいくつも仕事を掛け持ちしながら、夜には小説を書いていた。
『いつか売れたら真っ赤なオープンカーと、大きな一軒家を買おう』
それが母さんの口癖だった」
「ふん、ユマらしいな」
「でも母さんは僕のために働いてばかりで……体を壊して死んでしまった」
「………」
「一度だけ……母さんの小説を読んだことがある。縛られた生活を抜け出して街を出て店を持ち、様々な人と出会い、自由を謳歌する男の話だった」
「へぇ………」
「たった8年しか一緒にいられなかったけど……僕は死んだら、母さんにもう一度会いたかった。でも……母さんはきっと違うんだ」
トビーは泣いていた。年甲斐も無く、大粒の涙を浮かべて。
「だって僕さえいなければ……母さんは今も生きていて……作家になっていたかもしれないだろ……!」
「………」
「僕といた8年は……母さんにとって、きっと邪魔だった……」
「トビー……お前……」
「だから……撃つなら僕を撃てよ。戻ってきた母さんがもし泣くのなら……僕が少しは愛されていたと分かるから……!」
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「……ハァ……やめだ。辛気臭くてかなわん」
「……?」
「ヤメだヤメ! こんな茶番はもうおしまい! すまんなトビー。俺の妻は、地獄なんかに行っちゃいない」
「……!?」
「おいユマ! やっぱり、息子はウジウジ君だぞ!」
「!」
すると、後ろにはユマが立っていた。申し訳なさそうな笑みと、彼女もその大きな瞳に涙を浮かべて。
「ごめんね、トビー……そんな風に、あなたに思わせてしまっていたなんて」
「母さん……!」
「名前で呼んでって、いつも言っていたじゃない。あなたのお母さんなんて、たった8年しかできていないのに」
「母さん、俺は……母さんの事、忘れたことないよ。結婚して子供が生まれても、こんな爺さんの見た目になったって、いつも母さんの事が忘れられなかったよ」
「うん……うん……」
「けど、僕はきっと母さんにとって邪魔だった。
母さん、作家になりたかったんでしょう?」
「うん……母さん、確かに作家になりたかった。きっと名作を世に出してね、それが自分の想像を越えて大きくなり、やがて一人歩きして行く。そんな作品を世に残したかった。でもね……」
ユマは、肩を震わせるトビーを優しく抱き締める。
「けれどね、トビー……私はもう叶えていたのよ。あなたを産んだのだから」
「……!!」
ユマに抱かれたトビーの瞳から涙がこぼれ、頬を伝う。
「ねぇ教えてトビー、アナタは……幸せな人生を生きた?」
「大往生とはいかなかったけど……妻と、子供3人、孫6人に見送られて来たよ………母さん」
「そう……良かった」
抱き合うユマとトビーを尻目に、ゴードンは肩をすくめてみせる。
「はぁーあ、ユマの子供の本音知りたさに、まったく損な役回りだよ」
「『フッ……俺に考えがある』なんて言ったのはあなたよゴードン! まさか銃で脅すだなんて……!」
「あぁ、コレか?」
そう言って、ゴードンはレジ下に沈めていた右手を持ち上げる。
「!」
彼の手には拳銃ではなく、透明な袋に入った1斤の食パンが握られていた。
「ピーナツバターのサンドイッチだろ? なら、このパンがサイコーだ」
「はは……!」
「愛されてないだなんて、抜かすなよトビー。こちとらユマから50年お前の話を聞かされてんだ」
「……!」
「ユマの家に帰りな。もう、こんな茶番はゴメンだよ」
「ありがとう、ゴードン」
「ユマ、次からはもう少しマシな父親の使い方をしろよ」
「えっ…?」
「ふふ………あなたにもっと甲斐性があったら、考えてあげる」
「ハァ……もういいだろ……58年前だぜ?」
「ふふふ」
「ははは」
「……えぇっ……!?」
ゴードンはトビーに向け、すきっ歯を見せてニカッと笑ってみせる。
「また来いよ! トビー!」
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場面変化。
再びオープンカーで一本道を走る、ユマとトビー。
「母さん、今はもう、小説は書いてないのかい?」
「ふふ……実は、もうすぐ新作ができるの。何せ、時間だけはあるからね」
「はは……それを聞けて良かった」
そして、トビーはずっと抱えていた鞄のチャックをそっと開く。
「それは………?」
「パソコンて言うんだ。母さんの時代にはなかった物。僕は……これを持ってきた。現代小説家の必需品さ」
「………!」
きゅっと口を結ぶユマ。目に涙を浮かべているであろう彼女の瞳は、大きなサングラスのせいで伺い知ることはできない。
「さっきはごめんね、あんな事言って……。でもね、僕は一心に小説を書いてる時の、母さんの横顔が好きだったんだ」
「ありがとう………! 家についたら、教えてね!」
「ふふ……どんな家だい?」
「大草原の一軒家!」
「広さは?」
「申し分なし!」
そう言って、ニカッと笑うユマ。
「いつか僕の奥さんや、息子や孫が来たら……連れて来ていい?」
「そりゃあ楽しみだね!パーティーをしなくちゃ!ただ……」
「ただ?」
「あと、100年は後でいいかな」
「ははは。違いないや」
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カタカタカタ……タンッ
『fin』
パソコンの画面にそう打ち込み、少し寂しそうな笑みを浮かべるユマ。
彼女は年を取り……もう、おばあさんの見た目になっていた。
彼女は古いロッキングチェアからゆっくり立ち上がると、近くの飾り棚へ。独り暮らしのようだが、内装から豪華な家であることが分かる。
飾り棚には、古びた白黒写真で若かりし頃のユマとスパーマーケットを背景に肩を組み、すきっ歯でニカッと笑うゴードン。
その横には褪せたカラー写真があり、病院のベッドではにかんだ笑みを浮かべる8歳のトビーと、横に座って心配そうに手を握りながら、口角を上げたユマが写っていた。
ユマは、小さな額に収まり立てられた写真を優しく指で撫でる。
『コン・コン・コン』
「まぁ……随分と遅かったのね」
「でもいいわ、待っていたもの。お茶でも淹れる? ……まぁ、すぐ出発なのね。いいわ。準備は出来てたから」
そして、彼女は飾り棚を離れ、光で満たされた扉へゆっくりと歩みを進めてゆく。
その先には背中しか見えないが、先導する老人の姿が見えている。
「トビーとゴードンはいるのよね? そう……なら良かった。
あぁ、それと……それと、貴方の質問は知ってるわ。欲しいものならもう決めてるの………あのね」
『ノッキンオン・ヘブンズドア』
~fin~