序章3 来る死神
運び屋が銃をもつ右手下ろすのと、ミコトが振り返るのはほぼ同時だった。茶髪のロングヘアーをひとつにまとめた男は眼下の女を見ることなくまっすぐ歩きだし店主のいるカウンターへと歩み寄る。無論その軌道にはミコトがいるわけだが避けるわけもなく邪魔だと言わんばかりにこちらに来るためミコトは店内の端へと避ける形で移動した。玄関口を注視するとどうやらもう一人誰かいるようでお目付け役かなにかだろう、目があったような気がしたが、合うはずもないため再び運び屋へ注目を向ける。その頃にはカウンターを挟んで店主と運び屋が対峙していた。今にも火花が散りそうな殺伐とした空気が小さな部屋に流れる。
「なんのことだ。つい先日他の運び屋に金は渡したぞ。」
店主が物申すのは無理のない話で、マフィアとはよくも悪くも金で動く組織である。金の絡む事柄は決して裏切らず義理を通す、いうなれば金さえあれば契約は守られるという信頼のもと成り立っている組織なのだ。運び屋ともめたところで住人に利は全くなく、むしろ害でしかないのだが金を渡した店主にとってはこの取り立ては不当なものであった。
「実はですね、この地区を担当していたものが昨日何者かに襲撃されまして。金の方はその前に本部で回収しましたが、なぜかこの店の金だけ献上されていないのですよ。前の運び屋が回収しそびれたのか回収する前にやられたのかはさておいて、本部には貴方の治安維持費は献上されていないことになっています。ですのでこうして回収に参りました」
運び屋の男は三日月のように口を裂かせて笑う。まるで口裂け女ならぬ口裂け男のように不気味だがその低い物腰から紳士的であるように錯覚してしまいそうになる。しかしそんなことでは店主は騙されることはなく憤怒の感情を露にした。
「ふざけるな!金は渡している、これ以上渡すつもりはない!」
強面の店主が怒鳴り声と共にテーブルに拳を叩きつける。その反動でミコトが渡した金貨が数枚溢れ落ち運び屋の足元へ転げ落ちた。運びやはすかさずそれを拾い上げ笑みを称えたまま首をかしげて見せる。まるでではこのお金はなんでしょう?と言わんばかりである。
「まぁ良いではないですか。今しがたちょうど収入があったようですし。素直に渡せば本日の態度は不問に処しますよ?貴方とて我が組織と争いたくはないでしょう。」
治安維持費を渡さなければマフィアからの恩恵は受けられなくなる。それは即ち街全体が敵になることと同義である。例え店が何者かの襲撃に合おうが誰も助けてくれなくなるのだ。
店主もその事は理解しており振り下ろした拳をわなわな震わせながらも沈黙した。沈黙を了承ととった運び屋は端から素直になれば良いものをと小言を漏らしながら金貨へ左手を伸ばす。しかし金貨を手にする前にその手はミコトが掴むことで空に止まることとなり、己の右に現れた女へ運び屋は目を向けた。
「…これはこれは、手を離していただけますか?回収の邪魔をされると痛い目を見ますよお嬢さん」
運び屋にとって眼中にもなかった客の存在がここでいきなり出てきたものだから少し間は空いたものの、不気味な笑顔はそのままに運び屋は穏やかな物腰であるがどこか圧力をかける声色に変わっていた。
いくら眼中になかったとはいえ自分にここまで接近されるまで気づけなかった女の存在に無意識に警戒を示していたからだ。マフィアの金を回収する運び屋は当然相当の手練れでなければ勤まらない。普段から背後はもちろん全ての気配に気を付けていたにも関わらず今回簡単に手を掴ませてしまった。それだけで十分警戒に値する。
「……多いね。」
「はい?」
しかし目の前の女は手を退けるどころか己の話すら聞いていない。今すぐにでも聞き手にもつ銃をその額に押し当ててやりたいがそれもできない。ミコトが銃の間合いより接近してしまっているからだ。おまけに伸ばされた腕が邪魔をしてスムーズに銃を構えられない。運び屋の三日月の口許が苛立ちからか徐々に形を崩し始めてた。
「治安維持費って、確か店の月の売り上げによって翌月の費用を決めてるよね。このお店、あんまり繁盛していないのにずいぶん多いんだなぁって」
マフィアはなにも、金を巻き上げるだけの組織ではない。そんなことをすれば住人の反感を買いたち行かなくなるからだ。治安維持費とはミコトの世界で分かりやすく言うならば所謂保険のようなものである。
維持費は店の売り上げによってきまる。売り上げがよければ回収金額上がり、下がれば一定金額まで下げられる。更に働けなくなったり一時的に収入が落ち込めば資金の無利子貸し出しや一時金の支給などが受けられる。金を上手く回すのもマフィアの仕事なのだ。
そのシステムで言えば現在閑古鳥の泣いているこの武器屋の回収金額はおそらく最低ラインまで下げられているだろう。
「お嬢さんは知らないでしょうが維持費は先月の売り上げて決まる訳ではないのですよ。土地代やその土地の集客率などを…要するにまだやりようのある店ならば期待値も込めて維持費の計算に含まれるのです。実際この店は一時金の査定は落ちていますよ。」
ねぇ?と店主に同意を求めるように目を向けると、店主は苦虫を噛んだような顔を女に向けた。実際この店は収入は落ちているものの一時金は受けとれずにいた。その理由は立地にあり人通りが多い大通りに近いからである。
「ご理解いただけましたか?」
崩れかけた三日月を元に戻した運び屋の腕をミコトはようやく離す。無表情で何を考えているかわからない小柄な女に不気味さを感じるものの運び屋も銃を向ける気は失せてしまい金貨の入った袋を今度こそ手にする。
「収入が減っても一時金の査定に落ちた店だけ選んでるなんて、悪どいね。」
金貨を懐へなおしさっさと帰ろうと踵を返した運び屋の背中に女の声が刺さる。まるでなにかを見透かしたような物言いに運び屋はため息をこぼしながら女へもう一度目を向ける。我ながら無視してしまえば良いと思うがそうはいかない。心のどこかで目の前の女を逃がしてはいけないと警笛がなったからだ。こういった勘には素直にしたがった方がいいというのが男の経験則だ。
「先程からいったいなんの話をしているのですか。あまりおいたが過ぎるのならば…」
「人のお金は盗ってるとバチが当たるよ。だから路地裏で一人むなしく死んじゃったんだね、青い瞳のサーベル使いさん」
その瞬間、その場に身を裂くほど冷たい殺気で満たされた。一瞬空気が刃に変わり己を突き刺したのではないか、話についていけない店主がそう錯覚したのと運び屋がミコトの額に銃を突きつけたのはほぼ同時だった。