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心の洗濯

呆然と、岩穴の前で(しばら)く立ち尽くしていた凪だったが、

気が付けば、日が落ちて暗くなった家路をフラフラと辿っていた。

手が、青年に触れたときの肌の冷たさを思い出し、

その感覚から逃れようと、凪はハンモックバッグの紐を握りしめた。


今日は、眠れそうにない。

などと考えていたが、習慣とは怖いもので目が森の資源を探している。



(いや、逆に助かったかも。気が(まぎ)れる。)



家に帰ったら、とっておきのココナッツを食べよう。

鍋に中の水をあけて、中身と一緒に葡萄(ぶどう)や名前も知らない甘い果実を煮るのだ。

何て贅沢な夕食だろう。

慎重に割った堅い殻は、何に使おう。

液体を入れるのに適していそうだが、耐熱性はあるのだろうか。



ツラツラと、取り留めのないことを考えていても、

家に着く頃には凪の顔はぐしゃぐしゃになっていた。





「!・・・あ、」



そんな凪を待っている者がいた。

黒サソリのソーちゃんだった。

また妙なタイミングで来るものだ。



(・・・肉、無いんだけどな。)



客を迎えるのに何か持て成すものをと思ったが、

サソリが食べる物といえば肉しか思い浮かばなかった。

第一印象が狼を回収していたときの姿な上、サソリに関する知識が無いのだから、仕方が無いと言えば仕方が無いのだが。

この前、再びやって来たときは解体中の狼の肉を試しに差し出してみたが、

何の反応もなく、ただただ微妙な空気になっただけだった。

いや、凪も貰って嬉しい物ではなかったから失礼なことだったのかもしれない。

結局ソーちゃんは、何も口にせずに去って行った。

というか、ソーちゃんは何をしに凪のところまで来ているのだろうか。



「グズッ。・・・入る?」



ガタガタと戸を開けて中に入り、彼のために開けっ放しにしておく。

狼退治の際に無理をさせたせいか、引き戸は立て付けが悪くなってしまっていた。


昼に沸かしておいた水を(あお)り、残りをお椀と水袋に移し替える。

1つしかない鍋で、今から、なんちゃって南国料理を作るのだ。


鼻をすすりながら丁寧にココナツの殻を剝く。

ティッシュの無い生活では、(ろく)に涙も流せやしない。

ズルズルになった鼻に我慢できず、凪は大甕から水をすくって鼻水を洗い流した。

戸口でジッとしていたソーちゃんが少し反応したが、動き出す様子は無かったのでサッサと作業に戻る。



煙突から、線香のように白い煙が1本登った。







結局、ソーちゃんは果物にも手を付けなかった。

実家の犬なら、人間の食べている物全てに興味を示して、鼻で考えながらも取り敢えず口に入れてみるのに。美食家なのだろうか。

凪が夕食を終えた直後に家の脇に移動して、そこから動かなかったので、

凪は早々にハンモックを吊るし直して寝た。




冷たい海の夢を見るかも、と身構えていたが、

眠りは凪に何も見せないまま、穏やかな朝を連れて来た。

あまりにも静かだったので、昨日のことが夢だったように思えたが、

鍋に残った甘いスープと、バルコニーから消えたオブジェが、

昨日という時間が存在していたことを証明していた。



顔を洗って目元の嫌な感触を流す。

その後は流れ作業のように、丸太の椅子(いす)に腰かけてスープを(すす)り、残りをお椀に空けて鍋をサッと洗い、水を汲んで、火を付けて、今日の分の白湯を作る。

サバイバル生活1か月ともなれば、慣れた作業だ。

ナイフや火の扱いに時々ヒヤッとすることはあるが、上達はしたと思う。

かっちりと決められた時間に、忙しなく追い立てられることのない生活は精神を楽にしてはくれるが、のんべんだらりとしていては生きていけない。

生老病死、四苦八苦。

人類は、その始まりからずっと、それらと向き合い連れ添いして、生きている。



(・・・つまり、昨日の一瞬の出会いと別れも、人生という修業?)



そうして割り切ることは出来るだろうが、それはあまりにも薄情な気がする。

そんな簡単に捨てていい後悔じゃない。

スープは甘かったはずなのに、口がほんの少し苦くなる。

昨日残しておいた水を含んで、凪はモヤモヤごとそれを喉の奥に流し込んだ。





川に行く。

いつもの水汲みと、ついでに洗濯だ。

雨は上がり、雲の隙間から少しだけ青空が(のぞ)いている。

シャツからズボンから、パンツ靴下に至るまでゴシゴシやってやる。

毛皮を作る練習にもなるだろう。

海に行く気分にはなれなかったが、あの青年が打ち上がっているかもしれない。

ならば、どんな姿になっていたとしても、凪は向き合うべきなのだろう。

海が生活圏になっている以上、いつかは行かなければならないのだから。



ちなみに、後ろからガサガサ付いて来ているのはソーちゃんだ。

荷物を抱えて家から出た瞬間に近付いて来たときには驚いた。

未だに慣れない凪も悪いとは思うのだが、この大きな姿が「動かざること山の如し」から「疾きこと風の如く」な動きをすると心臓に悪い。

いっそ忍びを名乗ってくれれば、心の準備が出来るというものなのに。



(時代劇で「殿」とか言いながらシュッと出て来る御庭番(おにわばん)か。カッコいいな。)



彼が凪とどんな関係になりたいと思っているのかは分からないが、

しばらくは忍者だと思って付き合ってみよう。





水汲みのついでに、久し振りに魚用の罠を仕掛けてみる。

寿司桶で飼っている小魚は、弱ると凪の食事になっている。

非常食は多ければ多いほどいいので、掛かってくれると嬉しい。

ソーちゃんも魚なら食べてくれるかもしれない。

贈り物は互いの距離を縮める、最も手っ取り早い方法である。



水汲みの終わった凪は、早速(さっそく)洗剤を作る。

葉っぱバケツに、昨日採集してきた洗濯の実を入れる。

“知識”によると、緑色の果実に傷を付けて果肉を(さら)すことが大切なのだそうだ。

実を入れたら水を入れて振る。

入れ過ぎると振ったときに(こぼ)れてしまうので、バケツの4分の1が適量だろう。

ザパザパ振っていると徐々に泡立ってきた。


川の側の石組にバケツを設置。ササッと靴下を脱いでまずそれから洗ってみる。

便利な“知識”だが、それが凪の肌に合うとは限らない。

特に日本人は繊細だというし、影響の少なそうな物から始めるのが良いだろう。

泡を付けて揉み洗いするが、日本の洗剤のようにアワアワする訳ではないので、

本当に汚れが落ちているのか自信が無い。

取り敢えず、(すす)いだ靴下をクンカクンカしてみる。



(お。思ったより効果あるかも。)



実験結果に満足した凪は、それからズボンとシャツも洗って、最後にパンツに手を付けた。

泡が少なくなったら箸で更に突いてかき混ぜて使った。


ついでに、と寒さに耐えながらの行水を実行する。

一目散に水から上がり、ワシワシ身体を拭いて実の処分について考えていると、

“知識”がまたもや悩ましい提案をして来た。



(種が、食べられるとな?)



洗剤の(もと)を食べるということに抵抗感が生まれたが、

常に腹ペコな凪はあっという間にそれを打ち破った。

何、果肉を食べる訳じゃない。よく(すす)いで火を通せば全く問題はありませんとも。



葉の擦れる音に後ろを振り返ると、ジッとこちらを観察していたソーちゃんが、

何やらモグモグしている。

彼が何を食べているのか注視した凪は、

口から細長く出ていた、黒くトゲトゲした虫の足と触角を見てしまった。



「G・・・!?それGじゃん!!・・・そ、ソーちゃん!」



あ、初めて呼べた。

じゃない。どうしよう、怖くはなくなったけど気持ち悪い。

いや、逆に考えるんだ。家に出たGを退治してくれる頼もしい存在だと。

おお、急に後光が差しているように見えてきた。

しかし、贈り物のハードルが上がってしまった。凪にそれを用意する勇気はない。



(もしかして、家に()いてるから逗留(とうりゅう)してる、何てことは無いよな。)



帰り道。

薄ら寒かったのは、行水のせいだと思いたい凪だった。


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