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新たな芽

黒サソリと出会って10日と少しが過ぎた。

狼との戦いの後、サソリはしばらく姿を消し、再び現れて、またどこかに行った。

地面に引かれた矢印が、川の方に向けられて両矢印になっていたので、

巣穴か縄張りかを行き来しているのだろう。

凪はだんだん、ファンタジーの世界にいるような気になっていた。

だってそうだろ?いくら世界広しと言えど、記号を解するサソリがいてたまるか。


恐れていた事態が起こっているのかもしれない。

そうこれは、ラノベの主人公が魔王を倒しに行かされる、その前兆。

この前、頭上から落ちてきた布が何か特別な魔法道具で、サソリは初期のパーティーメンバーかラスボスとして、ここに送り込まれてきたのかもしれない。

俺の知らない所で、ここから旅立つための準備が進められているのだろうか。



(・・・でも、いくら確認しても、やっぱりただの布だったしな。)



用心するに越したことは無いが、大いなる意志だとか、偉大なる神の意図だとかに抵抗する術を、凪は持っていない。



(とりあえずは様子見に徹するしかないよな。サソリがどこかに連れて行こうとしても、安易に乗らないようにするくらいしか出来ないし。

別に危害は加えられていないから、彼は妖精、ということにしておこう。

そう、ちょっと不気味だけど、油断させておいて仕留めに来る悪魔かもしれないけれど、今のところは友好的な妖精なんだ。)



少しでも過敏な神経を落ち着かせるため、凪は自分に言い聞かせていた。

雄雌の区別がつかないので勝手に雄ということにしているが、

いっそ呼び名を付けて、親しみが持てるようにしてみようか。



(サソリの、サーちゃん?サー君?・・・ソーちゃん、ソー君?)



黒く光る中二心を(くすぐ)る外見に「ちゃん」付けはどうかと思ったが、

その方が、少しでも恐ろしい印象を和らげることが出来るかもしれない。

黒き棘(ダーク・ソーン)のソーちゃん」とかどうだろうか。

自分で名乗るにはとても痛い二つ名だが、他人に付ける分には構わないあだ名だと思う。・・・無責任な気もするが、凪の心の安寧のためだ。大目に見てほしい。





さて、肝心の生活の方はというと、

凪はこの10日間を狼の毛皮と格闘して過ごしていた。

どうしても水と薪と食料の確保に時間がかかってしまうので、

1日1枚が限界だったが、何とか全て剥ぐことが出来た。

涼しい気候のおかげで肉の傷みがあまり進まなかったことも、

めげずに達成できた要因だろう。

食べ物集めに日々、汲々(きゅうきゅう)としている凪は狼の肉も食べたかったのだが、

剥ぐのに時間をかけてしまったせいで、時間の経った不衛生な肉になってしまった。

それでも食べるか、腹痛か飢えか、悩みに悩んで、―――やっと諦めた。

英断だったと思う。


ただ、毛皮にするための加工がまだ出来ておらず、保存のために急遽(きゅうきょ)

海藻を焼いた灰を擦り込み、薪置き場に畳んでしまってある。

“知識”の言う通りに純粋な塩に付けて保存したかったのだが、家にあるのは袋1つ分のみ。食糧事情を考えると、勿体なくて手が出せなかった。



今日の予定には洗濯の準備を組み込んである。

山歩きのついでに“知識”から教わった、洗剤の元を探すつもりだ。

毛皮の仕上げに汚れやダニを取ることが目的なのだが、

何より鹿の血で目も当てられないほど汚れてしまったシャツを洗いたい。切実に。

食糧の確保が優先されるので、清潔は二の次三の次になっていたのだが、

綺麗好きな日本人の凪は、もう限界だ。



そうそう、狼騒動の後に嬉しいこともあった。

以前に()いた木通(あけび)の種が、発芽したのだ。

個体差があって出て来る順番はバラバラだが、健やかなるご成長を願っております。

似非(えせ)農家の自分には、水遣()りの頻度や肥料のあげ方など分かるはずもないが、

「表が乾いてるなと思たら、サッと湿らせるんよ。」と、ばあちゃんが言っていたし、「濡れるくらいでいいよね~、うん。」という、母さんの呟きも聞いた覚えがある。

適当だが、“知識”さんもこの件にはだんまりで頼りにならないので、そんな感じで見守っている。


畑計画といえば、家の周りの草を刈りこんで、

持ち帰った甘い枝に付いていた種も蒔いてみたい。

後、山に自生している芋も持ち帰って、増殖させてみたい。

家の近くで食べ物が採れるということは、とても有り難いことだったのだと、

スーパーという偉大な存在を失くした凪は思い知っていた。


2度目の銀杏処理も終え、冬ごもりの支度は少しずつ進んでいる、はずだ。

ここに温かい毛皮が加われば安心というもの。


“知識”によると、滑らかで腐りにくい毛皮を目指すなら、

とある木の灰を手に入れる必要があるらしい。

海岸近くに生えているそうなので、午前中に山歩きを済ませ、

久し振りに海に行こう。


ただ、心配なのが天気だ。

風が少し強くて、流れて来る雲の量が増えている。

・・・今回は荷物も多いことだし、漁は中止した方が良さそうだ。







昼。

洗濯の実と名付けた果実を葉っぱバケツで持ち帰った凪は、

雨が降り出す前に、と急いで海に向かった。

そういえば、麻から繊維を取ることも計画していたなと、思い出す。

早く網を作って、磯や浜でウニやら貝やらを採りたい。


ゴツンゴツンと背中や腰や足に、下げた物が身体に当たって歩く邪魔をする。

早くこれらを海に投げ込んで、荷物を減らしたい。

傍から見れば、今の凪は物騒な人間に見えるだろう。

何せ、立派な角の生えた鹿の頭部に、狼の頭部6つを、鈴なりに下げて歩いているのだから。


そう、6つ。

凪は持ち前の勿体ない精神で、サソリのソーちゃんと出会ったときに置き去りにした狼を回収していたのだ。

小川で解体処理をして毛皮を取った後、凪は中身を海へ、豊かな漁場になることを願って捨てた、もとい(ささ)げたのだが、頭部の処理に頭を抱えていた。

浅はかにも、剥製(はくせい)なんてカッコいいなと軽い気持ちで家に持ち帰ったのだが、

そもそも作る技術も道具も必要もなく、ただ怖いだけの置物と化してしまった。



(俺って馬鹿だなー。動物の祟りは怖いぞって、じいちゃんも言ってのに。)



悩んだ末、家の近くに首塚が立つのも怖いし、海水に晒して骨格標本にすることにした。それなら多分、受け入れられそうだ。

鹿は、上手いこといけば小物をかけるインテリアにもなる。

魚が寄って来てくれれば一石二鳥だ。

そんな訳で、凪は現在、木通(あけび)(つる)を口から喉に通したグロテスクなオブジェを下げて歩く羽目になっていた。







海に着く頃、とうとう雨が降り出した。

雨粒は小さく、パラパラという感じだ。

青空が似合うのに凪が来るたび雨になるのは、海に嫌われているということなのだろうか。



(悲しいな。こないだ肉も捧げたのに。)



取り敢えず、砂浜の入り口に荷物を下ろし、身軽になって毛皮の処理に必要な木を探す。ハンモックバッグと石ナイフ、ロープ代わりの(つる)を装備して、“知識”の示す方向に足を向けた。





思っていたより近くにあった木は、真っ直ぐに伸びた幹を持っていた。

この枝を切り落として持ち帰ることが今日のミッションだ。

大事なことは、継続的な採集ができるような剪定(せんてい)をするということ。

足場になる枝を残しつつ、枝葉の向こうが薄っすら見えるくらいの密度を目指して落とすよう、“知識”から指導が入る。



(まあ、持ち帰れるギリギリを目安にすれば大丈夫かな。

灰にすれば(かさ)がだいぶ減って家で保管できるし、腐る物でもないし。)



太い枝は、石ナイフでは落とせそうにないので、直径3~4cm程の枝を狙った。

ガサガサと落ちた枝葉が一山できそうなくらい溜まったのを確認し、凪は木から降りた。

最近は、ハンモックバッグにどれくらい物を入れられるかが分かってきて、

キャンプの達人になったような気がしている。

サバイバルの、とは言わない。

あの家や“知識”が無ければ、凪は生きていけないのだから、それは烏滸(おこ)がましいというものだ。



「ふ~、大量大量。取ったどー。」



両腕でやっと抱えられる程の束になった。

それを背負って荷物の元に戻りながら凪は、銅像の代表、二宮金次郎が持つ背負子(しょいこ)があれば楽なのかしらと、ふと考えた。







雨粒が大きく、風が更に強くなってきた気がする。

さっさと海に趣味の悪いオブジェを投げ入れて帰ろうと、

凪はそれだけを持って右手方向の岩穴を目指した。

その先の岩場から海に下ろしておけば、波と岩肌に揉まれて早く肉が落ちるだろうと考えたのである。



が、凪はその先で信じられないものを目にした。



「人ッ!?」



誰かが海から這い上がるように、岩場の端に上半身を投げ出していたのだ。

オブジェをその辺に転がし、凪は駆け寄った。

死体かもしれない、という恐怖が、一瞬凪の足を止めさせたが、



(そんなの、確かめてみなきゃ分からないし、生きてたら早く助けないと!)



と、責任感が背中を押して、波打ち際まで進ませてくれた。


足元で海水が濁っている。

海底の砂を巻き上げるくらい、波が強くなっているのだ。

凪が黒髪の青年の下に辿り着いたとき、波は、その身体が揺れるくらいの高さになって、打ち寄せていた。

青年かどうかは胸を見た結果、下した判断だ。


まず上腕に触って、声をかけてみる。



(えっと、まずは意識の確認!思い出せ、教習場でやったアレだ!)

「大丈夫ですか!?」



返事を待ったが反応が無かったので、少し揺すって更に声をかける。

肌がとても冷たい。



(えぇー、死んでる??・・・どうしよう。でも。えーっと、次はー。)

「聞こえますか!?」



声をかけながら、必死に頭を回転させる。



「あ、そうだ、脈!」


それと息だ。

取り敢えず、右手で首を触って脈打つ場所を探す。

が、心臓が止まっていた場合は、血管の場所すら分からないと気が付いた。

確認のためには、やはり全身を海から出さなければならない。

相手の肩に置いていた左手を、上腕に掴み直した、その時。



「あっ!しまっ―――」



つるりと手から滑りぬけてしまった。

しかもその拍子に、引っかかっていた場所から外れてしまったのか、

青年が海に沈み始めた。

慌てて身を乗り出し、腕を伸ばすが届かない。

青年はどんどん沈んでいく。



(いやだ。せっかく会えた人を、例え死んでても見捨てるなんて!)



凪は無我夢中で、頭から上半身を海に突っ込んだ。

右手が、何とか彼の腕を掴む。

勢い余って岩場に打ちつけた腹が痛みを訴えたが、

それに構っていられないほど体勢を整えるのに必死だった。


波が、予想以上に荒い。

凪は、膝を鋭い岩に引っ掛けながら、上半身を彼ごと引き上げようとしていた。

曇天の下の海中は暗く、底が近いのか遠いのかさえ判らない。

流れて来る海藻が顔に(まと)わりついて邪魔をする。

顔を振って視界を取り戻そうとしたとき、最悪の事態が起こってしまった。



再び、手から青年の腕が滑り落ちたのだ。


凪の感情が、悲鳴を上げた。

その声に突き動かされ、凪は思わず、飛び出してしまった。

息継ぎすらしないまま。

海面を出てしまったら、追う勇気が消えてしまうような気がした。


しかし、青年の沈んでいく速さに追いつけない。

もう白い何かにしか見えない。


息が続かなくなってきた。

諦めろと、肺がパンパンに膨らんで言う。


脱がなかったズボンが重い。靴が足を引っ張る。



そして凪は、とうとう根負けした。



(上に戻って、服を脱いで、もう一度潜って・・・、もう一度・・・。)



しかし今度は体力的に、自分が海から逃れられるかという問題を抱えることになった。

焦るなと自分に言い聞かせ、まず靴を脱ぐ。

両手に持って必死に足をバタつかせたが、・・・一向(いっこう)に浮上している気がしない。


(もが)く凪は、とうとう靴を手放した。

手を使うことで、ようやく推進力を得る。

苦しいが、息を吐き出してしまえば浮力が無くなってしまう。


水をかいて、かいて、―――


―――プハアァァァッ!!


海面を(まさぐ)った手が、岩場を探し当てた。

ゼイゼイと大きく息を乱しながら、這い上がる。


しかし、休んではいられない。

こうしている間にも、彼はどんどん沈んでいるのだ。

凪は濡れて貼り付く服を引き剥がした。

足の筋肉が震えて、ズボンが脱ぎにくい。

もたつく身体を恨めしく思いながら、深呼吸を繰り返し、少しでも息を整える。



そして脱ぎ切った凪は岩場に立ち、狙いを付けて再び波間に飛び込んだ。

潜水は得意な方だと自分を励まし、青年の姿を探しながら進む。

が、見付からない。

焦燥感は凪の心拍数を上げ、酷使されている肺が、あっという間に音を上げる。

目も痛い。

何度も(まぶた)を開閉して闇の中に目を凝らす。


―――チラリと、視界の中で水の揺らぎが見えた気がした。


(い・・・、た?・・・え?)


口に手を当て、出て行こうとする空気を押さえつけながら、

凪は今見た物を、もう一度、注視した。



(!!)



一瞬だったが、間違いない。

あれは、青年ではない。

尾鰭(おびれ)だった。

魚のようなヒラヒラした物ではなく、厚みのある細めの、

そう、まるで鮫のような尾鰭(おびれ)が翻った瞬間を、見た。見てしまった。


凪は、それ以上進むことが出来なくなってしまった。


助けなければ、という気持ちが、身体の限界と危機感に塗りつぶされ、

のろのろと動き出した足は、海面に向かっていた。







肩で息をしながら、凪は辿り着いた岩場に座り込んだ。

冷たい風が雨粒を背中に叩きつけていたが、動く気力もなかった。



(・・・、・・・・・・。)



見捨てて、しまった。

諦めてしまった。


形にならない後悔に似たものが凪を(とが)めた。



(・・・もう、死んでたかもしれないじゃないか。)



動き出すための言い訳が浮かぶ。



(何してる?もう一度飛び込んで救い出せ!)

(無理に決まってるだろ。)



無責任な正義が急き立て、恐怖がそれを押し流す。

多分、映画を見過ぎたせいだ。

足元に背鰭(せびれ)が迫っているような気がして、凪は波打ち際から後退(あとずさ)った。



(・・・食べられ、ちゃったかな。)



そして、申し訳なさが心を塗り潰し、その場に(うずくま)ってしまった。

目を上げるのも、怖かった。





寒さに気付いて服を手に取ったが、濡れて使えない。

軽くしようと絞って水を出していると、放り出した7つの首が目に入った。

恨めしそうに並んでいる。


とても作業などする気になれず、それを岩穴の中に転がす。

身体を動かしたことで思考も戻って来たが、凪の心は岩場の向こうに行ったまま、戻っては来なかった。


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