対話
仕方が無い、とシャウラは溜め息を吐いた。
これは狼と戦う以上の長期戦になるだろう。
喉も乾いた。
シャウラは一度、依頼元の『庭』に戻り、ナイムへの言伝を依頼することにした。
ビーバー隊がハシャブ・ザンに戻ったら、次の仕事には同行したいし、
家族からの知らせがあったら、その返事も出したい。
誰かの心を開くことは生半可な仕事ではないと思うだけに、
それに適した者が来てくれるなら、そちらに任せたい。
シャウラは涼しい風が吹きさらす中に身を置くヒト族を見上げ、
その身を案じながら背を向けた。
「分かりました。ナイムにはそう伝えておきますね。」
時間がかかりそうだということと幾つかの伝言を、シャウラはブナ族に依頼した。
長に報告していたときに、呼んでくれた女性だ。
「ふーむ、それがお前様の見立てかね。」
ふーむ・・・、としばらく考えていた長は、
シャウラが3杯目の水を飲み干してから、ようやく答えを出したようだ。
木精の時間間隔は自分達とは違うのではないかという話があるのも、
存外、本当のことかもしれないとシャウラは思った。
「サソリ族は悪い印象を持たれている。俺では、あの警戒心を解ける自信がない。
無暗に火を使っている様子はなかったし、
手当たり次第に森を破壊できる力も無さそうだ。
もっと、ヒト族に近い種族に任せた方が良いと思う。」
「・・・お前様、まだ昼間に会っとらんだろう?」
「?」
「ヒト族は本来、『光の魚』が空におる時間に活動する種族よ。
つまりは、夜を恐れる生き物。
闇の中で獰猛な獣に追われ、さぞかし身を竦めておったろうな。」
「・・・確かに、戦士でも恐怖心を無くすことは出来ないな。
酒か、おかしな薬かをやってなければ。・・・昼に、会って来いと?」
「木精をみて樹木を見ずでは、意味がないからの。」
「・・・木を見て森を見ずじゃないのか?」
「そうとも言うの。」
そう言って口を結んだ長は、シャウラが身じろいでも動かなかった。
(・・・とっとと行け、と。)
まあ、言伝も依頼できたので、何かあれば呼びに来てくれる手筈になっている。
シャウラは交代を諦めて、あのヒト族の所に戻るのだった。
住居の前に置いて行った獣の肉が、消えていた。
つまりはそういうことだろう。
思わず笑みがこぼれる。
(・・・何だか、野生動物を相手にしている気分になって来たな。)
それはいけない。
相手は自由意志を持つ種族なのだから、油断は禁物だ。
狼を仕留めたような罠で待っているかもしれないのだから。
あの程度で死ぬ気はしないが、縛り上げられて放置されれば、
乾いて死ぬ可能性が十分にある。
(そういえば、ヒト族の服は寒さに耐えるためでもあると・・・誰かが言っていたな。)
夜の風は大丈夫だっただろうか。
明るく照らされた住居を見上げ、ふと思い付く。
(そうだ、どうせ文字で会話しようとしてたんだから、
上からでも見えるように、地面に書いておけばいいじゃないか。)
シャウラは場所を定め、身体を大きく使い、ガリガリと線を引き始めた。
― 大丈夫か?
狼は食べていいぞ。
少しでも好感を持ってもらおうと、「狼」の部分に山を移動しておいたが、
この悪戯心は余計だっただろうか。
このままここで待っていても怪しまれるだけかもしれない。
シャウラは次に出来ることを探す。
『庭』からここまでの間には、他に脅威になりそうなものは無かったが、
念のため周辺を見回っておくことも必要だろう。
シャウラは2つに分かれた道を見て、
いつも使っているのだろう川への道に脚を向けた。
あのヒト族の行動範囲は、思った以上に狭かった。
必要最低限の行動しかしていないようだ。
数日前に辿った小川まで出たが、こちらに来た形跡はなかった。
川沿いを行き来する生活のようだ。
新しく出来た狼の足跡は無く、蹄を持つ生物や小さな生物の足跡ばかりである。
これなら安心だ、とシャウラは小川を下り、彼が逃げ込んだであろう道を探す。
草が薙ぎ倒されている箇所を見付けたシャウラだったが、
その新しさから、頻繁に使っている訳ではないのかと推察する。
どちらかといえば、住居の前で分かれていた道の方が踏み固められていた。
小川の行く方角も、その道と繋がっていそうだ。
シャウラは小川の水を堪能しながら、歩みを進めた。
「ああ、海か。」
小川は崖を削って溝を作り、海にその水を注いでいた。
左手には岬。
目を空に向ければ、小さく『空の王』が見えた。
抜けたような青空に白く浮かぶ『星の王』など、本物の真昼の星だ。
そろそろ恒例の国家会談が終わった頃かと、シャウラは思い出す。
用心棒たる者、時事情報も把握しておかなければならない。
一度、情勢を掴み損ねて暴動に巻き込まれたことがある。
苦い思い出だ。
その苦みで現実に戻されたシャウラは、岬を見据え、
それを越えようと草の中に分け入った。
岬を越えた先は下りになっており、入江になっていた。
これは、この“緑の牙”では珍しい地形だ。
『滄海の王国』に繋がるこちら側には、
海峡に入る海流と“緑の牙”に沿うように流れる海流があるらしい。
特に“緑の牙”の側を流れる方は、よく「削るように」と表現されるほど激しい、
と海峡を行く船の上で聞きかじった。
しかもここは“牙の先”の近くであり、海面からも遠いはずだ。
実際、下った距離もそれなりにある。
つまり、恐らくは何らかの要因でここだけ削れたのだ。
(それにこの砂・・・、白いが珊瑚じゃないな。)
脚先でサラサラとかき分け目を近づける。
これは、透明な鉱物が細かく砕かれて白く見えているだけだ。
・・・見渡す限りの砂金に見えてきた。
(いやいや、駄目だ駄目だ。)
ここも恐らくあの『庭』の目が入っている場所だろう。
この砂で勝手に商売したら、どんな目に遭うか分かったものではない。
シャウラは誘惑を振り払い、足跡の残る道を見付けて住居の前に戻った。
シャウラを待っていたのは、地面に書かれた返答だった。
狼の身体を1つ動かして、その横に1つだけ文字のようなものが添えてある。
しかし、困ったことに意味が分からない。
狼をどうすればいいのか分からない?
むしろ要らない?
これはシャウラにくれる分?
これだけ貰っていいかの確認?
ちょっと考えただけでこれだけの疑問が出て来る。
(・・・そうか、文字も教わらなかったのか。)
少なくとも学舎は出られたシャウラは、
そこに思い至らなかったことに申し訳なく思った。
けれど、返答は貰えた。貰えたのだ。
シャウラの心にムクムクと希望の種が芽吹いて育っていく。
(なら、これでどうだ?)
シャウラは自分が書いた字を消し、狼の山を線で囲って、
そこから住居に向けて矢印を引いた。
矢を使っていたのは見たので、これなら分かるだろう。
下がって、住居の様子を窺う。
このままここで待つか、考える。
(いや、急いては事を仕損じる、だな。)
もう1日くらい待っても良い。
シャウラはそろそろ何か口に入れたいと思い、森に再び入った。
鳥を仕留めてモソモソと口に運びながら、隠れて住居を観察する。
が、眠い。
日中の活動は苦手なシャウラには、あの行程は少し無理があったようだ。
やはり文字だけ残して夜に動いた方が良かったんじゃないか、
いやいや驚異の有無は早めに調べるに限る、など取り留めのないことが頭を巡り、
疲れていることを自覚する。
(・・・寝ておくか。)
シャウラは思考を放棄して、あのキツい臭いがまだ残っている場所で蹲る。
ここならヒト族の目に入りにくく、かつ獣も眠っているシャウラを発見しづらい。
恐らく数日は、彼に合わせて明るい時間に活動することになるだろう。
生活時間の変動は用心棒稼業に付き物だが、
こんな可笑しな依頼で変えるのは初めてだ。
シャウラは、そんな感想を抱きながら眠りに就いた。
夜に何度か目を覚まして、その度に追記がないか見に行ったシャウラだったが、
結局、彼は動かなかったようだ。
しかし、今日こそは面と向き合いたい。
シャウラは辛抱強い方だと思うが、必要のない時間というものもあるのだ。
夜が明ける直前、シャウラは待機場所を彼の字の側に移した。
どこからでも見える位置だ。
さて、どう出る?
と、しばらくじっと待っていると、数日前の夜にシャウラを眺めていた、
あの屋根に近い場所でモゾモゾと音がした。
彼が様子を見に来ているのだろう。
木の軋む音と共に、久し振りの顔が見えた。
といっても、見てから、ああ、と思い出すくらいにしか覚えていなかったのだが。
目が合ったので、ソッと体を起こして起きていることを示す。
朝露が、体表を流れて落ちた。
両肢を振るべきか振らざるべきか。
何となく動かない方が良い気がしたので、シャウラはそのままで待った。
・・・待った。
待ち続けて暇になったシャウラは、
頭の中であのヘビトンボ族と模擬戦をしていた。
―――ギシッ
ハッと我に返り、扉を見ると少しずつ動いている。
やっと出て来てくれたようだ。
が、まず出てきた物を見てシャウラは困惑した。
(黒くて丸い、盾?)
その後に本人だ。
まあ、そりゃあ武装できるならするよな、と一先ず納得しておく。
脛当ては見当たらないが、足を覆う服の下にあるのだろうか。
いや、布の動きを見るに下には何もない。
そして、小刻みに震えている。
盾の内側に何か硬い者が当たって、カチカチと音が鳴っている。
「゜⦿.,◎⦿」
「ん?」
何か言われたような気がして、聞き返す。
が、反応が無いと思われたのか、彼は言葉にならない音を出している。
「大丈夫だ、聞こえている。」
全く聞き取れなかったが、取り敢えずそう言って少し鋏を動かす。
すると、反応があったことに驚いたのか、彼は口を開けてこちらを凝視してきた。
(・・・えーっと、困ったな。)
もともと対話が器用な方ではない。
何をどう伝えようか、と迷っていると、再び彼の口が開く。
「〇・・⦿・◉゜⦿.」
うん、解らない。
しかしこれで分かったことがある。
彼は本当に聾唖者だったのだろう。
生まれつき聴覚が無いものは、周りが音を使って対話していることを知らないが、
喉の震えを楽しんだり、それを叱られたりするうちに、
周りがそれを使っていることに気付くらしい。
これもどこかで聞きかじったことなので、
聾唖者ではないシャウラには本当かどうか、確かめようのないことだが。
そして、元々持っていた聴力を病で失ってしまった者は、
声を出していたときの経験を基に、
それらしい音を発して対話を試みていることが多いそうだ。
彼がどちらだったのかは知らないが、
今はきっと対話を試みてくれているのだろう。
ならばシャウラは、それに応えたいと思う。
とにかく会話の糸口を、と狼を鋏で指すと、彼は首を縦に振った。
これは、「はい」だろう。
それのことを言いたかった、という意味なのか、
それに対する何かをして欲しい、という意味なのか。
シャウラが考えていると、彼は狼と自分を交互に指差し始めた。
(ヒト族の手は、便利そうだな・・・。
うーん、受け取っていいかの最終確認か?)
えーいままよ、とシャウラは側に置いていた狼を摘まんで、
彼の側に運んで置いた。
彼は1歩下がってシャウラの行動を見ていたが、少し盾を下ろしたように見えた。
シャウラは、もう一押しとゆっくり離れ、慎重に尾を伸ばして前方に線を引いた。
この範囲から外には針が届かない、という、
用心棒としては知られたくない急所を差し出してみたのだ。
誰がどう考えても、サソリ族の武器は尾の先の針だろう。
(!!・・・あ、良かった。)
彼は完全に盾を下ろした。
そして、ゆっくりと階段を降りてシャウラの置いた狼に手を付けてくれた。
(・・・長かった。本当に長い戦いだった・・・。)
いや、始まったばかりなのだろうが、
下手を打たない限りは前進できるだろう1歩だ。
「〇.⦿・〇」
シャウラを見据えながら、呟く。
その顔は少し緊張が解けていたように、シャウラには感じられた。




