凛川(りんせん)と町
小舟が波に押し上げられ、舳先が浮いた。
シャウラの目の端で、色付いた木の葉が飲まれて沈んでいく。
荷の重さで、均衡をギリギリ保っているのだろう。
シャウラは気が気でなかったが、操舵する男たちは余裕の色で岸を眺めていた。
大丈夫、なのだろう。きっと。
横に上下に、大きく揺れる小舟の上で、シャウラは必死に這いつくばっていた。
「兄ちゃん、なかなかいい根性してんなぁ!」
「見かけによらず激しい川だろ?!
この次女の揺さぶりに耐えられんなぁ、俺らぐらいだと思ってたが、
こりゃぁ、考えを改めんといかん気がするなぁ!」
「でーじょーぶだぞー。こん激しーなー中流までゃー。」
「そうだな!お、そういえば知ってるか兄ちゃん!
中流で穏やかになんのは川底が深くなるからだが、
時々、その手前で凪ぐことがあるんだ。
そりゃーな、その辺りに木精の集落があって、
そいつらがこの次女を宥めてくれてるからだっていう話だ!」
「・・・そうか。」
『緑の楽園』や『水生帝国』といった湖周辺の国家以外にも、
都市国家群や中央山脈など、木精が集落を作っている例は多くあるが、
ここ“緑の牙”にもあるらしい。
(それは、そうだろうな。これだけ深い森なんだから。寧ろいない方が驚きだ。
しかし、彼女らに川の勢いを殺せるような力があるのか?)
砂漠で出会ったしおらしい少女や、中央山脈のたおやかな女性が頭をよぎる。
「宥めてくれるのは、どうしてだ?」
陽気な男たちの雰囲気に飲まれ、好奇心が隠せなくなってしまい、
シャウラはつい口を開いていた。
あ、と思って口を閉じる。
物騒な体裁を保つため、日頃は無口な性格で通そうと思っていたからだ。
「お、何だ兄ちゃん、喋れるんじゃねーか!このやろー!」
「はっはっはー。思ってゃー以上に、若ぇーなー。」
「鎮めてくれる理由なんざ、俺達の方が知りてぇよ。
そしたら、もっと積載量を増やせるんだがなー!」
これ以上増やす気か?!と、シャウラは内心で冷や汗をかいた。
チラリと一番後ろの眼で荷崩れが起きていないか、また確認してしまう。
「若くて面の良い男が乗ってりゃ、木精様が大奮発してくれたりしてなぁー!」
「はっはっはっはっはー。」
「ちょうどいいやー!ひとつ実験といこうぜー!」
シャウラを見て笑う男たちに、何だか心がムズムズとする。
海といい、川といい、船乗りの男たちは開放的だな、とシャウラは思った。
小舟は、ひっくり返ることなく進んだ。
“泉の街”ミアフ・ヤナビアを発って、5日である。
狭い小舟での共同生活に、シャウラは肩身も狭く思っていたが、
男たちが次々と話しかけてくれたおかげで、
少し陽気が移ってきたように感じていた。
シャウラは操舵についてはさっぱりなので、
船の後方で重りの代わりになっていることが多かった。
今日中には中流に出るぜー、と言われ、旅が半分終わったことを知る。
悪くなかったと思うくらいには、この船旅を気に入ったシャウラである。
(こんな仕事なら、こんな仲間なら、悪くない。)
“緑の牙”を見て回ったら、海峡の船乗りになっても良いかもしれない、
と、考えていると、舟の前方で男たちが長い髭を揺らしながら、
不思議そうに話し込んでいるのが見えた。
「どうかしたのか?」
揺れの中でも歩く方法を身に付けたシャウラは、近付きながら話しかける。
と、3匹揃って、身振り手振りを始めた。
(しー?下がってろ?)
分かったと鋏を振り返し、そのまま後退する。
来た時と同じ姿勢で戻れるのは、シャウラの数少ない特技だ。
そのままで待っていると、様子見がひと段落したのか、
舵を握る男以外が戻って来た。
「んやぁー、すがー。シャウラ、お前ぇすごぃや?」
「ん?」
「ほーら、話したろー!凪だょ、凪!俺ぁ、初めて経験したぁ!」
5日前の話に登った、木精の加護だか何だかがあったらしい。
シャウラには水面の変化など判らないが、ありがてぇーと拝みだす男たちに促され、
シャウラも一緒に潔川側、つまり小舟の右側に向かって拝む。
目線を上げると、一瞬、誰かがいたような気配と微かな笑い声が残って消えた。
(湿って重くなった土の・・・、いや、深く積もった雪の匂い、か?)
僅かに漂ってきたものから、何かつかめないかと記憶を手繰るが、
残念ながら、思い出す前にそれらは消えてしまった。
年甲斐もなくはしゃぐ大人を、シャウラは何故か、
遠くから見ているような気分になって、彼らをずっと観察し続けた。
乗船10日目。
小舟は“深緑”アフダル・ダキンに到着した。
荷降ろしまで手伝って報酬を受け取った後、
シャウラは船乗りたちから勧誘されていた。が。
「何だよぅ、行っちまうのかよぅ。」
「お前ぇが乗ってくれりゃ、毎回、木精様の加護があるだろうーに!」
「気ーを付ーけてなー。」
シャウラは断った。
船乗りたちが騒いだ現象が木精の仕業だったかどうかはさておき、
舟に乗る度にそれを期待されては、堪らない。
多分、あればいいな、あったらお前の仕事も楽になるぞ、
くらいの気持ちで言ってくれたのだろうが、
中には本気を悟らせないようにして、願望を押し付けてくる勧誘もある。
有り体に言えば、シャウラは冷めてしまった。
そして、別の仕事を見付けようと、組合の看板を探して、再び歩き始めた。
(俺は、いつからこんなに薄情になった?)
あの誘いに乗らなかったのは、どうしてだろう。
どこかで、自分とは違う世界だと拒んでしまったのだろうか。
気安い雰囲気の中で化けの皮が剥がされてしまうことが、怖かったのだろうか。
仕事場を変える度に繰り返される「何故」を、
シャウラは抱えながら、独り朝靄の漂う町を進んだ。
商人組合から出ると、川沿いの倉庫でたくさんの大声が飛び交っていた。
今日も、この町の日常が始まっているのだろう。
シャウラが引き受けた仕事は、明日、紹介状を発行してもらってからになる。
それまでは町に滞在しなければならない。
(まあ、急ぐ用事がある訳でもない。)
“深緑”アフダル・ダキンがどんな町か、知っておいて損はない。
いや、むしろ知っておく必要がある。
別の場所で用心棒をするにせよ、五感で集めた情報全てが武器になる、と、
シャウラは用心棒の基本を教えてくれた先達の言葉を思い出す。
複数の用心棒と共に仕事をしなければならないとき、ちょっとした会話から、
相手の考え方、それに繋がる動き方が見えてくることがある。
護衛対象との雑談の中で、その出身地の話をすれば信頼感が増すこともある。
組合の中や用心棒同士で情報交換をするとき、
見聞きした内容が価値を持つこともある。
教わってから経験したことを、シャウラは思い出し、
良い先達に巡り合えたと感謝する。
(タワジャ殿は有名だったと、後で知ったからな。
次に会ったら、もう一度お礼を言っておこう。)
シャウラは水飲み場を経由しながら、
港や倉庫群、造船所、飲食街、宿場、商館などを一巡りした。
流石のシャウラも、これだけ動き回れば腹が減る。
(今朝食べたばかりなのにな。まあ、情報収集の必要経費と思っておくか。)
シャウラは基本的に少食だ。
村にいたときは、数か月間絶食しても、まだ動けていたくらいだ。
逆に水は多く取る。そういう種族なのだ。
傭兵をしていて助かるのは、この身体の仕組みだ。
食費が浮くと雇い主は喜ぶし、周りが食事中に辺りを警戒できるので、
ちょっとした駄賃も貰える。
星が見え始めた空の下で、シャウラはゆっくり魚に噛みついた。
翌朝、シャウラは再び朝靄の中を商人組合に向かった。
紹介状を受け取ったら、温泉街に向けて出立する。
そして、温泉街で依頼主と落ち合い、今度は潔川に向かう。
依頼主は探索者の一行で、森を抜けて、未だ手付かずの潔川下流域で探索をする、
その護衛が欲しいとのことだった。
依頼は潔川のとある集落に到達するまでだったが、
シャウラは、探索者一行が“牙の先”まで行くのではないかと予想していた。
“緑の牙”という巨大な半島は、鋭い1本の犬歯のような地形と、
森に覆われた様からそう呼ばれている。
世界でも有数の森林地帯は、麗川の上半分と、凛川と潔川の全流域に及び、
“氷の海”に面した7分の1以外を、年中、緑に染めているのだ。
“牙の先”とは、読んで字のごとく、“緑の牙”の先端にある山である。
“緑の牙”は、その先端に行くほど、両側の断崖絶壁の高さが増す。
とある冒険家が、“深緑”アフダル・ダキンから船を出し、“牙の先”を回って、
“緑の牙”を一周する偉業を達成した。
その航海日誌には、洋上から見た“牙の先”について、
「激しい海流と戦いながらも、目の離すこと適わぬ険しさ。
潔川より望みし頂は、高波の上でも、見上げども見えず。」と、記述があった。
要するに、 “牙の先”は海側からは入れないということだ。
探索をするには、潔川を終着地まで下らなければならない。
当然、町から遠く離れているため、探索者の出入りも少ないが、
逆に考えれば、手付かずの遺跡や遺物が残っている可能性が大いにある。
ただ、発掘品や作業道具、隊員の生活用品等の運搬を考えると、
“牙の先”での探索は、博打に近いものがあるのも事実だ。
“緑の牙”にも、すでに発見されている遺物の溜まり場はあるので、
現実主義者はそちらに流れている。
今回の依頼主は、一獲千金を夢見る者か、夢想家か学者か。
紹介状を手渡され、再度依頼内容を確認しながら考える。
シャウラとて“緑の牙”は、一度は行ってみたい場所だ。
しかし、中央山脈を往復してきたシャウラには、
道の無い山は危険だという認識があった。
雪を冠していないからといって、登り易い山とは限らないのだ。
(まあ、今回の依頼主に状況を訊けば、同行の可否は判断できるだろう。
“牙の先”に向かうとは言われてないしな。)
シャウラは背負った荷物の中央に紹介状を挟み込み、いそいそと道に出た。
山も良いが、温泉も楽しみだ。
逸る心を抑えながら、温泉街に続く道を進む。
隣接しているとはいえ、シャウラの足でも2日はかかる。
舟の利用も考えたが、かかる時間は同じくらいだと知らされ、
自分の足を使うことにした。
シャウラは貧乏性なのである。
山道を歩き慣れたシャウラの足は、平坦な道を楽々と踏破した。
温泉街が近付くにつれ、硫黄の匂いが強くなってきている。
中央山脈の温泉とは、また違った臭いだ。
きっと、その効能も違うのだろう。
道々で、食物を提供している店が出てきた。
もうすぐか、と目を道の先に戻したとき、
凛川を下っている途中で目にした町が見えた。
温泉街のダーファルだ。
シャウラは温泉好きだ。
理想は、誰も知らない広い秘湯だ。
尾を真っ直ぐに伸ばして入れるのなら、効能にこだわりはない。
そんな場所があれば、迷わず住み着いて家族に連絡を取るだろう。
(そうだな。温泉を占有できるなら、どんな仕事も出来る気がする。)
能天気なことを考える自分を、現金な奴だと嗤う。
長く続けることの出来た仕事など、1つもない癖に。
覚める夢なら、さっさと覚ましてしまえと、シャウラは仕事に頭を切り替えた。
どんな町に行っても、まず、しなければならないのは組合に行くことだ。
仕事を請け負い、報告し、次を探す。
依頼内容や、探したい仕事に応じて探索者組合か商人組合を使い分ける。
巡礼者の護衛をするなら、各地にある神殿に行く。
シャウラは、しばらく黒河沿いの神殿に出入りしていた。
先の町で受け取った紹介状を窓口に提出すると、
依頼主の滞在場所を確認してもらえる。
今回の依頼主は、どうやら、温泉街の外れにいるようだ。
温泉街ダーファルは、凛川に沿って広がり、
現在も上流に向かって、また森の奥に向かって、拡大を続けている。
そのため半分以上の宿が森林の中にあり、夜闇を煌々と照らす街明かりは、
獣除けにも、川を行く者の灯火にもなっている。
シャウラが向かうのは、まさに、その森林に灯る宿の1つのようだ。
シャウラは礼を述べ、紹介状を返してもらい、身を翻す。
せかせかと通り過ぎるシャウラを横目に見る者や、
飛び退いて道を譲る者を尻目に、組合を出る。
「バッカ、サソリ族で騒ぐんじゃねえ!」だの、「大きな顔しやがって。」だの、
「キャー」だの、「おっかね~」だのが聞こえるが、気にしたら負けだ。
(・・・また、依頼主に説明から入らないといけないな。)
サソリ族は、滅多に集落から出ない。
シャウラのように用心棒をしている例は、まあ珍しいらしい。
世話になったヘビトンボ族が、そう言っていたので間違いないだろう。
集落を出る者が少ないのは、その必要が無いからだ。
これはサソリ族だけでなく、それはこの世界の全種族にも言えることだろう。
集落の中だけで食べて行けるのだ。
シャウラが騒がれるのは、サソリ族そのものが少ないことと、
眷族が有毒生物として危険視されていることが原因だ。
『紋』を持たない節足動物と一緒にされたくはないが、
コウモリ族など一部の種族が、その眷族を誘導できることもあって、
サソリ族も、サソリを誘導して暗殺できるだの、サソリを使って復讐しただの、
根も葉もない噂話が飛び交い、それがサソリ族の印象を悪くしている。
これは、外に出なければ知らなかったことだ。
(他者にされて嫌なことはするな。)
カエル族にも体表に毒を持つ者がいるだろうに、とシャウラは思う。
結局、生き物は、理由があれば誰かを攻撃してしまうものなのかもしれない。
シャウラは見えてない、聞こえてないを努めて演じ、
明かりの灯り始めた道を急いだ。




