不気味な妖精
死体が転がっている光景は、精神的によろしくない。
例えそれが、獣でも。
遠巻きにこちらを窺う瞳が、時々光る。
小さくて低い唸り声が、絶えることなく続いている。
狼がしつこいというのなら、それを利用して戦うまでだと勇んでいたが、
勇ましさにも限界が訪れた。
ここまで戦ってきた凪を、とうとう睡魔が襲い始めたのだ。
慢心が一番の敵と分かってはいるが、もう思考が纏まらない。
(起きてから、こいつらの姿が見えなくなっていることが一番怖いんだけど、
それは起きてても、どっかに行かれたら一緒だしな・・・。
休めるときに休むのが、戦場の鉄則らしいし。・・・漫画知識だけど。)
せめてずり落ちないようにと、教室の机で寝るような姿勢で、
向かいの枝に肘を置き、突っ伏す。
目を閉じているだけでも、脳はだいぶ休めると聞く。
(目を閉じるだけ。・・・閉じるだけ。・・・・・・。・・・―――)
寝息も立てず、凪の意識は彼方へ連れて行かれてしまった。
―――キャンッ
―――ゥワウ!ガウッ!
(・・・?)
何やら騒がしい。
(いぬ?・・・ケン?何、吠えてるんだろう・・・)
散歩に連れて行けとか、どうせそんなところだろう。
と、考えたところで、凪はハッと意識を取り戻した。
(あっ!・・・どうなった?!)
下を見た凪は、言葉を失った。
「ふ、増えたー。」
狼ではない。
新たな脅威がそこにあった。
それは、どんな動物番組でも見たことが無い光景だった。
狼の群れは、6頭から、凪が4頭に減らしていた。
そして現在、新たに2頭が転がっている。
恐らく、そこの闖入者の手によるものだろう。
(手、じゃないな。鋏?)
薄っすらと白み始めた空を見る限り、凪は一晩眠ってしまったのだろう。
自分でもかなり大胆な行動だと思う。
ずり落ちなかったことは幸運だが、この状況が幸運かどうかは不明だ。
(寝てる間に仕事を片付けくれるのは妖精だったけど、これは―――)
残る狼2頭と対していたのは、どう見てもサソリだ。
しかもバカでかい。
全体が真っ黒で、頭辺りに大きな青い模様がある。
パソコンのモニターで見付けたら、
カッコいい!と、テンションが上がること間違いなしの姿だ。
しかし、何の隔たりもない、地上と樹上の距離しかないこの状況は、
それを不気味にしか感じさせてくれなかった。
凪が慄いている間に、狼たちは決断したようだ。
ひと鳴きすると、小川の上流に向かって駆けて行った。
逃げ出したのだ。
(えーッ!?もう少し戦って、あいつの体力を削って行ってくれよーッ!)
俺と戦った時のガッツはどうした!と嘆くが、どうしようもない。
サソリは木に登れたっけ?と、息を殺して事態を見守るしか、凪にはできない。
(どうか、こちらには気付きませんように!
そのまま回れ右して、森に帰ってくれ!)
が、凪の願い空しく。
シャカシャカと、しっかりと意志を感じさせる歩みで、サソリは近付いてくる。
凪はもう、鹿肉を諦めてもいいという気持ちになっていた。
どうやらサソリはこの1体だけのようなので、食べ物を差し出せば、
食べている隙をついて逃げることが可能だと思ったからである。
動くならすぐに行動できるよう、準備をしなければ。
凪はそっと荷物に手を伸ばし、バッグを肩から下げた。
サソリが登って来たら、鹿肉を置いて、狼を攻撃したロープか、
もしくはこの木に絡んでいるブドウの蔦を伝って下りる。
サソリが登って来ないなら、鹿肉を木の後ろに投げ捨て、ロープで下りる。
腰掛けていた枝を踏みしめ、立つ。
心の準備は出来た。
しかし。
(ん?狼の死体を、食べるのか?)
鋏で掴んで引き寄せている。
そうか、そういうパターンもあったか!と、凪はホッとした。
(俺が狼を食べなくたって、他の動物が食べられない訳じゃないよな!)
ならばその隙に、と腰を浮かせた凪は、その光景を見て口を開けた。
サソリが、狼の死骸を背中に乗せ始めたのだ。
(サソリって、そんなことするっけ??)
いや、クモのように負んぶして子育てはあるかもしれない。
でもこれ、完全に運搬してる。と、凪は呟く。
1頭だけではない。2頭、3頭、と器用に背負っている。
(・・・ここ絶対、日本じゃないわ。日本にこんなサソリいないわ。
世界って、広いんだなー。)
ニホンオオカミは絶滅してしまったが、日本で狼と出会うことはあるだろう。
が、こんなサソリに出会うことは、まあない。はずだ。
凪は遠い目をして、サソリがどこで食事を始めるか、観察を続ける。
しかし、凪の期待は裏切られた。
サソリは凪の足元に来て、何とロープを切ろうとし始めたのだ。
狙いは恐らく、その先に付いている、凪が最初に仕留めた狼だろう。
凪は、その賢さに戦慄した。
(これってもしかして、あわよくば俺も、とかそういう流れ?)
なんて貪欲な生物!
凪は慌てて、木に巻き付いていたブドウの蔓を目で確かめた。
大丈夫だ。
昨夜と変わらずそこにある。
そして、目をサソリに戻すと、おかしな動きをしていることに気付く。
両方の鋏を持ち上げ、左右にパタパタと振っていたかと思うと、
鋏を下ろし、こちらを向いたまま後退していった。
小川の縁まで下がると、そのままジッとして動かなくなった。
(???・・・・・・求愛、行動?近くにプレゼントする相手がいる?)
そういう習性をもつ動物がいることも知っている。
凪は木の後ろ側、茂みの中に2体目がいるかもしれない、と青褪めた。
サソリが動かないことを確かめつつ、木の後ろに回る。
そして、―――かなりの時間、凪はサソリと対峙することになる。
(もういいかな。もういいよね?)
凪は甘い枝を噛みながら、鹿肉を蔓から切り離そうと、石ナイフで奮闘していた。
これを落とすと同時に逃げるのだ。
逃げる獲物と、目の前で動かない獲物。
どっちを優先するかは明白だ。
凪は、やけくそになっていた。
(ああ、野生動物相手に持久戦を挑んだ俺が馬鹿だったよ!)
太陽が、再び小川を照らし始めていた。
ここに来て、ほぼ24時間だ。
時計の無い凪には現在時刻が分からなかったが、
太陽が一巡する時間くらいは知っている。
凪は、覚悟を決めて、鹿をぶら下げていた最後の蔓を、断ち切った。
ドスン、という音がする前にロープに飛び付き、滑り落ちる。
手が蔓の引っ掛かりと擦れて、痛みに声が出そうだった。
が、我慢して、着地。
久し振りに使った足に発破をかけ、よろよろと走り出す。
何歩目かで走り方を思い出し、砂利を蹴って、凪が出てきた森の入り口を探す。
サソリがどちらに関心を向けたか確認するために振り返ると、
それは、こちらを見て、
―――鋏を振っていた。
(・・・俺?!求婚相手、俺?!)
何て突拍子もないことを考えてしまったのだろう。
凪は前を向くと、考えを振り払うように走ることに集中した。




