“魚(さかな)攫(さら)い”
ショウの背中辺りまで這い上がってきた3匹だったが、
息を吐く間もなく、更に激しい水の流れに晒されることになった。
サメ族がショウを振り解こうと、やけを起こして高速度で泳ぎ始めたのだ。
小刻みに靡くショールの下から見ると、
ショウが、力を入れるのも難しいであろう右手でナイフを握り、
左手をサメ族の右の鰓に刺し込んでいる。
よく見ると、サメ族の右目がおかしい。
咬み付く際に目を反転させる種族なのは分かっていたが、
その目が反転したまま戻っていないのだ。
もしや、と思い相棒を見ると、頷かれた。
彼が目元を咬んでいたらしい。
恐らく、ショウが取り出す前にナイフに取り付き、一早く乗り込んだのだ。
アゾルが弾かれたときに足を掴めたのも、近くにいたから可能だったのだろう。
シカの判断力には、いつも驚かされる。
「あ、兄貴ー?!」
そんなことを考えている間に、
ビランと、あの2匹目が争っている場に戻って来たようだ。
「ひふあっお!こ、ひつを、取へ!あぁく!」
「てめーら、兄貴に何してんだっ?!―――オワッ!」
「見逃してやると、思ったかよ。」
背中を見せた2匹目の背鰭の付け根に、ビランが食らいついた。
ビランの鰭は、どこもズタズタに裂かれていたが、動きは衰えていないようだ。
「ギャーッ、痛ーよ!何でだ?!シャケの歯なんか、痛くねーのに?!」
「チッ、そんな奴、はっはと振ひ解ひて、来ひ!」
バタつく2匹目を見て、頼りにならないと踏んだのか、
サメ族はショウを引っ掛けたまま、再び速度を上げた。
「ショウ殿!そちらは危―――」
ビランの声が、置いて行かれるように遠くなる。
サメ族は、だんだん強くなる海流の中で、
なおもショウを振り落とそうと首を振っていたが、
しばらくすると、その動きが急に鈍くなった。
「てめへ・・・あに、しははった・・・?」
「・・・もういいか。」
ショウがドンッと尾を打ちつけ、サメ族から離れる。
やっとナイフから解放されたサメ族の口から、僅かに血が漏れ出た。
「??」
押し付けるような流れの中、サメ族が体勢を整えようとするが、
上手く力が入らないらしく、尾が少し動いただけだった。
「兄貴ー!すまねえ、あいつしつこくて。って、どうしたんだよ!」
徐々に沈んでいくサメ族を見て、2匹目が慌てて支えに寄った。
「くそ・・・動けねえ・・・」
「兄貴!しっかりしてくれよー!」
アゾルは、ショウが右の上腕のポーチに巻貝を収めるのを見た。
(私達の毒と、アンボイナの毒。吻と歯茎、右目、右の鰓。
これだけ入ったのだから、動けなくて当然よね。
時間がかかったのは、きっと、身体の大きさのせい。
むしろ、あれだけ動いて、ここまで持ったのが不思議だわ。)
サメ族の身体が、海流に逆らえず流され始めた。
「兄貴、頼む!起きてくれ!流されちまうよー!」
「あぁ~!!も、もしかしてここはぁ~!」
ミカンが何か気付いたように声を上げた。
「覚えがある場所なのか、ラディ?」
「ここは危険ですぅ!“魚攫い”ですぅ~!」
「“魚攫い”?」
「何かいるの、ミカン?」
「ミカン?!」
海底から突き出した、長い角のような岩が、ここに1本、あちらに1本と、
無造作に生えている。
ここに巣を持つ何かが出て来るのか、と目を凝らすと、
そこには、岩の柱を薙ぎ倒せそうなほど速い海流が、ぶつかり合って、
幾筋もの細い渦を作っているのが見えた。
「あれが“魚攫い”ですぅ!中に入ってしまったら、二度と戻れないんですぅ~!」
「何て速い流れ!ショウ様、あそこは危険です!」
巻き込まれてしまえば最後、
岩や海底に打ちつけられながら、果てまで流されてしまうだろう。
幸いにも、ショウ達は、まだ流れに抵抗できる場所にいる。
どうやら、海底に近付けば近付くほど速くなっているようだ。
退避を、とショウが泳ぎ始めたとき。
「逃がさねーぞ!お前らあーーッ!!」
2匹目が、流れに乗って迫って来た。
兄貴とやらはどうした、と目で探すと、
上手く岩に引っ掛けて、その身が流されないようにしているのが見えた。
ショウが身を翻して、海流に乗りながら、流れが比較的、緩やかな海面を目指す。
が、一寸、遅かったようだ。
「オラアッ!!」
「―――グ、アッ!」
ズンッと、下から突き上げられたような衝撃が走り、
ショウの痛みを堪えるような声が、耳に飛び込んできた。
アゾル達のすぐ傍を巨体がザアッと通り過ぎ、その影で包まれて、
隣にいるはずの相棒達の姿も見えなくなる。
光を取り戻した時、アゾルは、ショウが左腰の鰓に手をやっているのに気付いた。
鰓は、それを持つ生物にとって最大の急所だ。
だからこそ、そこは戦闘になったとき、真っ先に狙い、狙われる部分でもある。
「まだまだ、こんなもんじゃないぜーーッ!!」
再び迫る大きな影に、アゾルは気圧されてしまった。
「大丈夫。あの身体、傷がたくさん。どこからでも入れられる。」
囁く声に、アゾルは我に返った。
声の元を辿ると、シカの、珊瑚と石の数珠を伝い登っていく姿が見えた。
ショウも、ナイフを構えて迎え撃とうとしている。
「戦い続ける意思のある者のみが、波間に輝く命と出会うのよ。」
不意に、記憶から低く嗄れた声が聴こえた。
転がり落ちた深淵から、光と色の溢れる故郷に戻って来た、その情景と共に。
そうだ、何を恐れている。
一番怖いのは、この2匹を喪うことじゃないか。
それに比べたら、あんなヤンキーザメ、大したことない!
アゾルは、足の震えを抑え込むように、相棒の後を追うべく数珠に足を掛けた。
「くぉの!このぉーッ!」
ヒラリ、ヒラリと身を躱すショウに、ヤンザメが苛立っている。
躱す度に、ショウが吻を浅く切っているので、その痛みも原因だろう。
「そろそろ、やるぞ。全員、離れろ。」
ショウから声が掛けられ、アゾル達は小物入れに潜り込んだ。
攻撃を避けながら、練っていた簡単な作戦だ。
「があーーーッ!!」
ついに堪え切れなくなったのか、
ヤンザメが、これまで見た中で一番の速度で突進してきた。
ザラッと、ショウが肩から掛けていた、珊瑚と石の数珠を外す。
右腕を震わせながら肘を曲げ、数珠を挟んで引き抜いた。
小物入れの中にいても伝わる揺れで、ショウの痛みを察する。
血の擦り付けられた数珠と、傷口の開いた腕から、赤いものが漂った。
ショウは、両手で肩幅程度の間隔を空けて持ち、ヤンザメが咬み付くのを待った。
そして、ヤンザメが歯をむき出しにして、目を反転させた瞬間、
その口に数珠を噛ませた。
歯応えがあったのを、捕らえることが出来たと勘違いしたのか、
ヤンザメは、決して放さないというように噛み締めている。
そして、突進した勢いのまま、海底に向かって潜り始めた。
「はっはあーーッ!!このまま、流ひてやる!」
自分が流されないギリギリのところで、
ショウを海流に投げ込もうというのだろう。
ショウがサメ族の突進を受け止めたと同時に、アゾルとシカはショールを伝って、
サメ族の口元、数珠を噛み締めている所まで来ていた。
そのまま、2匹はヤンザメの両目の下に潜り込む。
目は、まだ少し反転したままだ。
「よし、やれ!」
ショウの合図に迷わず、2匹は牙を突き立てた。
「―――ギャッ!な、なんらッ?!」
突然の、眼球への攻撃に、動きを止めるヤンザメ。
ヤンザメを正面から受け止めつつ、海流との距離を測っていたショウは、
右手を数珠から離し、ヤンザメの右側から背中に回った。
そして、後ろからヤンザメを抱え、離した数珠とアゾル達を回収する。
まるで馬の手綱を取っているかのような姿勢になったショウは、
その華麗さを称賛するミカンを余所に、右手で数珠の端を束ね、
左手のナイフを振り上げて、ヤンザメの吻を真上からグサリと突き刺した。
「あギャアーーーッ!!」
痛みを振り払うかのように、滅茶苦茶に泳ぎ回るヤンザメ。
ショウが吻への攻撃に拘っていた理由は一つ。
ショウ達の居場所を察知しづらくするためだ。
サメは吻で、生物の微弱な電気信号を捕らえ、匂いで獲物を追うという。
そこを傷付けられ、目を徐々に蝕まれている状態は、視力を失うのと同義である。
ショウは数珠から手を離し、“魚攫い”からの脱出に移る。
ヤンザメは、自ら深みに向かい、流されていくところだった。
それを見送っていたアゾルは、音もなく近付いていたその影に気付くのが遅れた。
「いッ!―――クソッ!」
ショウの体勢が大きく崩れた。
尾の先を、先ほど動けなくしてやったはずのサメ族が、ガップリと銜えていた。
その身体は、やはり僅かな動きしか見せていないが、
この激流に乗って勢いをつけたのだろう。
サメ族が、ニヤリと笑う。
泳ぐ力を無くした巨体が、“魚攫い”に流され始めた。
―――ショウ達を、道連れに。
ショウが振り解こうと身を捩り、ナイフを突き立てるが、
サメ族は意に介さず、噛み締めた口はそのままに、そっと左目の光を、閉ざした。
「ショウ様ぁ!前、前えぇ~~!!」
ショールを伝い降りていたアゾルが、ミカンの声に顔を上げると、
目の前に岩の柱が迫っていた。
そして、
――――――激突。
その衝撃でサメ族の口が緩み、あっという間に離れて、遠ざかっていく。
しかし、アゾル達はそれどころではなかった。
「ショウ様ッ!ショウ様ッ!!」
日頃、声を上げないシカまでもが、一緒になって呼び掛けているが、
ショウの反応がない。
サメ族達を流した“魚攫い”に、ショウ達も捕らえられてしまっていた。
アゾル達に出来ることは、呼びかけ続けることだけだ。
アゾルの願いは空しく、声と共に激流に呑まれ―――
そして、彼らは暗き淵へ、流されていった。




