遭難
参られよ、とゆっくり泳ぎ出すビランの後を追っていると、
シャケの群れが追いついてきた。
「さて、こ奴らの速さに合わせても良いかな、ショウ殿。」
話がひと段落したところで、改めて名乗ったショウ一行は、
ビランから名前で呼ばれるようになっていた。
「ええ、構いません。」
(流石、ショウ様。あっという間に、辺境の部族の信用を得てしまわれた。)
アゾルが感心していると、隣からフニャフニャと声がした。
「ショウ様ぁ~、ここはやっぱり不安ですぅ~。」
両手を自由にしたい、とショウが掌から肩に移したミカンだ。
ショウの眉根が少し寄り、困ったような表情になったのを見て、
アゾルは、とうとう爆発した。
「ねえ、さっきから何様のつもり?ショウ様を困らせないでくれる?
付いて来れないって言うんなら、置いて行くだけよ。
どうせ、あんたのお役はここで御免なんだから、さっさと帰ってくれない?」
「ふええぇぇ~?!」
「・・・なかなかに辛辣なお供ですな。」
「口が悪くて申し訳ない。気にしないで下さい。」
ショウの様子から、いつものことなのか、とビランが理解したように頷いた。
「アゾル、その辺にしておけ。ラディは、・・・泣くな。
ショールの中にいれば流されないだろ?不安なら、鰭をシカに握っててもらえ。」
これ以上何か言う前にと、すかさずシカが、ミカンの鰭を握った。
「お待たせしました。」
「なに、では行きますぞ。」
追いついたシャケの群れに押し出されるように、
一行は海峡を目指し、出発した。
海流を横切るように進むこと、数日。
もうじきに海峡の入り口に到達する、とビランが告げた。
近付くにつれ、シャケ族の緊張が高まっていくのをアゾルは感じていた。
「・・・警戒する相手は、アザラシ族以外にもいるんですね?」
「如何にも。この辺りには、サメ族が屯していることがありましてな。
数はアザラシ共より少ないのですが、何分、しつこい奴らでして。
狩りが一度成功すると、何度もお代わりを求めて来るのです。」
「・・・そうですか。」
「ふふふ、心配はご無用。このまま群れの中に混ざっていて下され。
使者殿の存在を、いま明かしてはならぬことくらいは、拙にも分かります。」
一族に指示を出して参ります、とビランが群れから抜けて行った。
見送ったショウの顔に、アゾルは緊迫の色が浮かぶのを見て取った。
「・・・サメ族、か。」
「・・・未だに、因縁の相手と仰る者には、遭遇しておりませんでしたね。
申し訳ありません。
この、王国の領域外に、その者達がいる可能性を失念しておりました。」
「ふふ、アゾルは正直だな。・・・俺も、すっかり忘れてたよ。」
「出くわした場合、いかがなさいますか?」
「逃げる。今は奴らに構っている暇はない。」
「畏まりました。」
自分の因縁より王国の未来を優先する。
当然のように断言するショウを、アゾルは眩しく感じた。
「何か、ご事情でも―――」
「ッ!!」
ミカンが何か口にしたところで、突然ショウが身体を捻った。
アゾルの掴んでいた、珊瑚と石の数珠が強く引っ張られ、振り回される。
しっかりと足を絡め直し、ショウの視線の先を見やると、
大きな影が、その口でシャケの1匹を捕らえ、群れの中を突っ切って去る所だった。
「サ、サメぇ!」
ミカンが小さく悲鳴を上げた。
シャケの群れが速度を上げて、逃げる。
それに紛れながら、ショウが遣り過ごそうとしているのが分かった。
アゾルは、慌てふためくシャケ達の隙間から、襲撃者の様子を窺う。
体表には多くの細かな傷と、“青”と“鋭”の紋。
抵抗するシャケの背を噛み砕き、悠々(ゆうゆう)と食事を始めたサメ族は、
ショウを探すように、こちらを振り返っていた。
と、もう一度、ショウが跳ねた。
「いふぁらき!」
もう1匹、いたらしい。
「ふぁにきー、見ふぇふえ。レケぇほ!」
「ハッハッハァッ、大量だな!お、しかもそいつ雌じゃねえか。ツイてんな!」
「あっ、くぉの!」
「おいおい、ちゃんとトドメさしとけよ。」
暴れたシャケが2匹目の口から離れたが、すぐに追いつかれて頭を噛み砕かれる。
「ひくしょー、逃えやはって。」
「さて、俺も、もう1匹いくか。」
「そこまでだ。」
「うお!」
2匹目に体当たりした影が、シャケの群れを背に庇ってサメ族に対峙した。
「おいおい、やっとご登場かよ。毎年、毎年、ご苦労さん。」
「今年もいただいてるぜー!」
口から離れたシャケを銜え直して、サメ族がビランを挑発する。
「2匹だけとは良い度胸だな。・・・親玉はどうした?」
「はん!あんな、実力のねえ、邪魔な奴らはいらねーよ!
お前ら相手なら、俺と兄貴だけで十分だ!」
「余計な事ベラベラ喋ってんじゃねえ。
・・・それより、なーんか覚えのある匂いがするぜ?」
襲撃の現場から離れて行くショウだったが、
ブンッと尾を振り、再び群れの中に突撃してくるサメ族を見て、
群れの奥に隠れながら、右の上腕に取り付けたポーチに手を伸ばした。
「ショウ様、迎え撃つおつもりですか?」
小声でソッと確認する。
「いや。鼻を潰して、追えないようにするだけだ。」
ショウがポーチから取り出した物を握った瞬間。
ザッとシャケの群れが割れ、サメ族の大口が突っ込んで来た。
「いーたーなあッ!!」
「おいおい、マジかよ!あの時のチビじゃねーか!-――ギャッ!」
ビランに下腹を咬まれ、尾を跳ね上げた2匹目が見えたが、
アゾルはそちらに注意を向ける余裕がなくなっていた。
明らかに、兄貴と呼ばれているこちらのサメ族の方が、速くて獰猛だ。
「まだだ。」
チャンスがあれば、飛び付いて咬む心積もりをしていたアゾルに、
ショウが小声で囁いた。
これ以上、隠れることは不可能だと判断したショウは、
群れを巻き込まないよう、シャケの間から飛び出した。
少し離れたところで、2匹目とビランが激しくせめぎ合っている。
「ボッチの次は、シャケの仲間入りか?ええ?“混ざり者”。」
ゆらりと上から現れたサメ族が、声を掛けてくる。
ショウの肩に力が入ったのを、アゾルは足越しに感じた。
「お、お知り合いの、方ですか?」
場違いにも、小さな震え声がショウの肩から発せられた。
「あん?なんだあ?よく見たら、ちっせーのがくっ付いてんな。
お前の親戚か、チビ助?」
ハハハ、と癇に障る声でサメ族が嘲う。
ミカンは「ヒィッ」と言って縮み上がり、ショウの肌により強く吸い付いた。
(あっ!ショウ様のお肌に跡が付くじゃない!)
アゾルは頭に血が上ったが、今はミカンに構っている時ではない。
後で覚えてろ!と、睨むだけに止めておく。
「・・・よく覚えてたな。忘れてりゃいいものを。」
「ハンッ!俺は、物覚えが良いんだ。
匂いも覚えられねえ、お前とは、頭の出来が違うんだよ。・・・オラッ!」
ゾロリと並び立つ歯が、アゾル達のいるショウの左肩を掠めた。
「前々から訊きたかったんだが、どうして俺に付き纏ってたんだ?
最後のアレ以外に、特に恨みを買った覚えは無いんだが?」
ショウが訊ねると、サメ族の雰囲気が一変した。
「ああ?ふざけんなよ、てめえ。お前を恨む理由なんざ、あの1回で十分だろ?」
「それ以前の話だ。
俺は逃げるためにやっただけで、ストーカーして来たのはそっちだろ。」
「どうでもいいんだよ、んなこたあ!」
ギョロリとショウを見据え、今度は喉を目掛けて口を開いた。
「―――あん時はッ!痛かったッ!ぜッ!」
仰け反って避けたショウを追い、何度も開閉される口から、
ガチンッガチンッと、音がする。
と、ここでショウが動いた。
手にしていた物を、サメ族の吻に突き立てたのだ。
ギャッと声を上げて、サメ族が大きく顔を振った。
その反動で伸びたショウの右腕を、サメ族は見逃さなかった。
―――ズブリ、と言う音が聞こえた気がした。
アゾルは思わず悲鳴を上げてしまう。
「ショウ様!」
サメの歯は、引く力によって口にした物を裂くようにできている。
サメ族が顔を振るたびに、その歯はめり込み、
噛み締めることで、ショウの腕の骨が砕けてしまうだろう。
アゾルは迷わず飛び出し、サメ族の歯茎に咬み付いた。
「グアッ?!」
顎の力が緩んだ隙を逃さず、ショウが腕を取り戻し、アゾルをその腕で引き戻した。
サメ族が口を閉じるまでの、一瞬の出来事である。
「――ォノッ!」
ドンッと身体をショウに打ちつけて、サメ族は再び距離を取った。
もう一度、突撃してくるに違いない。
その時には、注入し切れていなかった毒を、再度食らわせてやる。
そう決意したアゾルに、ズイッと巻貝が渡された。
ショウがサメ族に突き立てた物だ。
「持っといてくれ。俺が抑えるから、隙を見てアレの鰓に刺し込め。」
思わず頷いて受け取ってしまった。
しかしショウの右腕は、見るも無残な状態になっている。
利き腕を封じられたまま、何をするつもりなのだろう。
相棒はどうしているのか、と隣を見ると、ブルブル震えているミカンがいた。
無視する。
シカは、ヒョイヒョイと、珊瑚と石の数珠を伝って、
器用にショウの腰辺りに向かっていた。
再び、サメ族がこちらに向き直るのが見えた。
ショウの左腕が、ショールの内側にソッと回される。
「食らえやあーっ!」
ガバッと、これまで以上に開かれた口が迫る。
アゾルは、ギュッと巻貝を握りしめた。
―――ガギンッ
「う、うう?」
サメ族の動きが止まった。
今、と巻貝を持って、ショウの左腕を伝う。
アゾルとシカは、他のタコ族と違って、水を噴射して進むことは出来ない。
しかし、決して速くはないが、その這う動きと、小さな身体が、
相手に気付かれることのない襲撃を、可能にしてくれた。
サメ族が口の端の、縦に挟み込まれた(・・・・・・)ナイフに気を取られている間に、
アゾルは鰓に辿り着き、手にした巻貝の口を、捻じ込んだ。
「ッ!ッ?!―――ギャアァッ!!」
サメ族が右に左に暴れ、バシンッという衝撃と共に、
アゾルは振り払われてしまった。
泳げないアゾルは、海底まで落ちるしかない。
落ちながら、水圧で潰れてしまうのだろう。
(ショウ様は、迎えに来て下さるかな・・・)
見捨てるとは思えない。
例えペシャンコになっていたとしても、ショウは必ず迎えに来てくれると、
アゾルは確信して、嬉しくなった。
(でも、あの腕じゃ、きっと血がいっぱい出て傷が悪化してしまう。)
それだけは止めてほしいな。
と、思ったところで、グイと足が引っ張られた。
「何、笑ってる。」
「え?」
シカが、足を掴んでいた。
「ぐぬぬぅ~、ほう無理でふぅ~。」
そのシカの足をミカンが銜え、吸盤でショールに吸い付いている。
ショウは、まだサメ族の口に挟んだナイフを握っているため、
全員がブンブン振り回されている状態だが、アゾルは安堵した。
シカと共にショールまで這い上がると、ミカンが「ふへぇ~」と声を上げた。
「・・・助かった。ありがとう。」
声を掛けると、にへら、と締まりのない笑みが返ってきたが、
アゾルはもう、腹を立てなかった。
“三日月の残像” ヒラル・カマリ・ラヒク(アオザメ族)
“短剣の刃” シフラット・ヒンジャラ(アオザメ族)




