寒流に乗って
ショウが消息を絶つ、数日前。
「ぁ~!速いですぅ~!」
アゾルは、同行者の情けない悲鳴に、本気でイラついた。
この任務が緊急を要するものだと、本当に分かっているのか、という怒りである。
チョイチョイ、と相棒に触られ、体表に青味が差していることに気付く。
呼吸を意識して、何とか感情を鎮め、
任務中でなければ、思うままに毒を吐いてやったものを、
と、視線に込めて睨め付けてやる。
(ショウ様がいなかったら、その膨れた腹にガップリ咬み付いて、毒を流して、
ピクピクさせてやるのに・・・)
再び相棒に摩られ、そちらをみると、任務中に使う合図が見えた。
(ああいう、笛だと思え?・・・・・・笛ねえ。)
こんなに鬱陶しい笛があってたまるか、と返しそうになったが、
相棒の気遣いを無下にするわけにもいかない。
O・K、と返しておく。
こんな時は、麗しい主を見るに限る、と視線を上げてみるが。
「ショウ様ぁ~、ずっとこの速さで行くのですかぁ~?!」
ショウの肩甲骨辺りに、ピッタリ貼り付いたソレが目に入る。
ショウから「ミカン色だな・・・。」と言われて、指先で突かれていたソレ。
名を、ブートカル・ラディディというらしい。
「ラディと呼んでくださいぃ~。」と自己紹介したところまでは良かったが、
ぷくっと膨らんで可愛らしさを見せつける様子には、あざとさしか感じなかった。
アゾルは、このフウセンウオ族を、即座に敵認定した。
ショウが、公には決して出さない部隊がある。
当初は女王にすら秘められていた部隊だったが、興国時の紛争に投入されて、
女王派の勝利に貢献したことで、上層部にはその姿が知られていた。
中でも、マルジャン公の領地出身の2匹は、ショウの護衛として選出され、
実に8年もの間、彼の牙となって働いている。
小さな身体で滑り込み、ひと咬みで相手を仕留める技を、
ショウが絶賛したからである。
アゾルは、忘れない。
誰かを傷付けるだけだった自分達に、恐れ知らずにも無遠慮に触れて、
「綺麗な青だな。ラピスラズリみたいだ。」と、掌で包み込んで囁いてくれた。
その日から、アゾルは瑠璃を名乗ることにした。
海で生きる者には珍しく、ショウには体温があった。
それも、誰かを温めることが出来るほどの、強い熱。
暖かな海しか知らなかったアゾル達に、冷たい海での任務は堪えたが、
その体温に触れていれば、どんな海流も平気だった。
アゾルにしてみれば、ショウは、護り護られしてきた、かけがえのない主人である。
(案内役だか何だか知らないけど、そんな大きな吸盤で吸い付くなんて!)
静かに怒り続けるアゾルを、相棒のシカは、ただジッと見詰めていた。
現在、ショウは2匹の護衛と1匹の案内役を連れて、全速力で海峡を目指していた。
キラキラ、ゴチャゴチャした礼装は、邪魔だからと女王に預け、
今は赤珊瑚や穴の開いた黒石を繋げた物を着用している。
腰には、飾りの代わりに小物入れや黒曜石のナイフが下げられており、
水鳥の羽根を、イカ族の軟甲で覆ったショールで、その背と腹部を覆っていた。
ちなみに、アゾルとシカは小物入れ辺りが定位置であり、
振り落とされないよう、しっかりと金具に足を絡ませている。
カダミク砦から王冠諸島に、近衛のカジキ隊を伴って戻って来たショウは、
アゾル達と合流した後、今回の任務の概要を説明した。
最終到達地点が海峡の半ばと聞かされたとき、アゾルは、
それは本当にショウがしなければならない仕事なのだろうか、と思った。
まず、そこまで到達するのに果てしない距離を泳がねばならない。
距離だけならまだしも、問題は、温度差だ。
王冠諸島は寒流の中にあるが、海峡に向かうにつれて、その寒さは更に厳しくなる。
体温を発するということは、言うならば海水中に熱を放出していることと同義だ。
食べ続け、動き続けなければ、心臓等の臓器を温められず死に至る。
ショウもアゾルも、王冠諸島から先には行ったことが無い。
つまり、ここ以上の寒さは経験していないのだ。
アゾルはショウの体温を分けてもらえるので問題はない。
しかしショウは、どうやって寒さを乗り切るつもりなのだろうか。
懸念事項は、環境だけではない。
王冠諸島から先は、王国の領域外なのだ。
先の紛争で、タカアシガニ族を、王冠諸島から深海に追いやることに成功したが、
残党が残っているとも限らない。
議員であるスルーフ公は、王冠諸島辺りで活動していた赤甲団と、
かつて繋がりを持っていたと聞く。
反体制派が、その残党と転覆の機会を狙うのに、ここ以上に相応しい場所はない。
そんな場所に、目立たないようにするとはいえ、のこのこ行くのは承服しかねた。
アゾルは、そう進言した。
ショウが求めているものが、忌憚のない意見だということを知っているからだ。
「そうだな。確かに、俺が行くには色々と危ない場所だろう。
だが、今の俺達には時間がない。
それに、俺には少し当てがあるんだ。使えるかどうかは賭けになるけどな。
それは俺にしか使えないカードで、他の誰にも託せない。
それから、海峡には、俺達だけで乗り込むわけじゃない。
途中までシャケ族と一緒に行くんだ。
襲撃の機会も、これで減らせているはずだ。」
ショウによると、王冠諸島から1日かけて泳いだ場所で、シャケ族と合流し、
海峡に向かうとのことだった。
シャケの群れは大きい。
何百万もの群れから、海峡に帰る者は5分の1くらいだが、
それでも、ショウ達の姿を隠すには十分だろう。
アゾルは納得した。
「・・・せめて、温かい格好をして下さい。」
分かった、と笑ったショウは、
共和国から贈られた羽毛のショールを引っ張り出してきたのだった。
王冠諸島を発って、1日と半日。
移動はショウの泳ぐに任せている状態で、
ショウは加速と減速を、無理のない範囲で行っている。
この加速の際に、ミカンが喧しいのだ。
運んでもらっている分際で、とついつい警告色を出してしまうアゾルだったが、
最低限の食事と睡眠しか取っていないショウが心配で仕方がなかった。
「悪いが、あと2回くらいダッシュするぞ。それで待ち合わせに間に合うはずだ。」
「だっしゅぅ?」
「ああ、加速な、加速。」
「ショウ様は時々、難しい言葉を使われますぅ~。」
「癖なんだ。遠慮なく、そうやって訊いてくれ。」
「はいぃ、ありがとうございますぅ~。
そして、すみません~。吸盤が限界ですぅ~。」
「わかった。」
ショウが、肩に手をやってミカンを摘まむ。
そのまま掌で囲われ、大事そうに運ばれる様を見て、
アゾルは自分の頭の破裂音が聞こえた気がした。
「・・・ショウ様、そろそろ我々もそちらにお邪魔して、よろしいでしょうか?」
何も言えなくなったアゾルを、ショウから隠すように覆い被さる形で、
相棒が伺いを立てるのを聞いた。
「・・・そうか。確かにもう、この水温はキツイな。」
おいで、という福音のような言葉が聞こえ、アゾルは一瞬呆ける。
そして、そそくさと石の繋ぎ目に足をかけて登って行く相棒を見て我に返り、
夢心地で後を追う。
水流に靡く足場など、何の障害にもならない。
止まった相棒を踏んで追い抜き、あっという間に肩口に辿り着くと、
こちらを見やったショウと目が合った。
「足を挟まないように、気を付けろよ?」
「は、はい。」
足先の繋ぎ目をギュッと握りしめる。
ショウとショールの間に潜り込んでしまえば、その温もりで、もう溶けそうだ。
「ショウ様、落ち合う場所に着きましたら、少しお休み下さい。」
この距離なら、小声で届く。
そうだな、と頷く横顔を見て、休みそうにない、と判断する。
(その時になったら、もう一度、声を掛けさせて頂こう・・・)
左から右に、緩やかに流れていた海流が、徐々に強さを増し始めた。
ショウが息を切らしながら尾の動きを止める。
「この辺りですかねぇ~?」
そういえば案内役だったミカンが、声を出した。
自信の無さそうな声で、不確かな内容しか発さないコイツは、
もはや案内役失格である。
心底、いらん!と思うアゾルだったが、
耳を澄ませる主人の邪魔をしないように静かにしていた。
流れの先に目を向けて、留まることしばし。
「聞こえた。・・・これかな?」
ショウが声を上げる。
だんだん、墨のように黒々としたものが視界に広がってきた。
それが魚群だと認識できたのは、初めの1匹が通り過ぎてからだった。
急いで海面に向かって泳ぎ、距離を取ろうとしたショウだったが、
怒涛の勢いで迫って来たシャケ達に呑まれる。
シャケ達はショウを掠めながら、ひたすら先を目指して進んでいた。
「王国の、使者殿ですかな?」
揉まれていたショウの前に、群れを割いて現れたのは、一際大きなシャケだった。
背中から背鰭の付け根まで、『紋』が浮かんでいる。
「如何にも。貴君がビラン殿かな?」
「左様!マスブワ・ビラン・リアフマリと申す。短い旅だが、案内させて頂こう。」
良しなに、と豪快に言い放つ偉丈夫に、
ミカンが、「え?案内は私の役では?」と困惑しているのを見て、
アゾルは忍び笑った。
ビランによると、彼は後からやって来る支族の長で、
今年、海峡に入る支族は彼の支族であったため、案内役を請け負ったとのこと。
「一番、気を揉む時期でしょうに。
失礼ですが、何故、他の支族の方ではないのですか?」
「ふむ。支族の者が1匹抜けたところで、群れの誘導は何とかなりましょうな。
しかし、あのアザラシの部族と今年、交渉するのは拙の番である故、
序でに引き受けたまで。
今後のことを考えると、アザラシ共との交渉を半端に終わらせる訳にはいかぬ。
話では、こちらにお味方下さるとか?」
「いや、申し訳ないが、今回はそちらの話には入れないのです。」
「何と。では何をしに参られたのか。」
「将来的に、シャケ族の皆さんを守るため、です。」
「今とて、子らの命が脅かされておるというのにか?」
「王国が見据えるは100年後です。
黒河より向こう側に異変があったとき、向こう側の民は必ずこちら側に逃れてくるでしょう。その時に、食料を巡って諍いが起きるのは自明の理。
寒流に適応できる民は、自然と海峡部に流れます。
するとどうなるかは、お分かりですね?」
「・・・アザラシ共の領域にも流れ込み、好まざるとも拙らは巻き込まれる訳ですな。」
ビランが大きく体を揺すった。
「分かり申した。そうか、“次の巣の石を置き”に来られたのだな。」
「ご理解頂き、感謝致します。」
「いや、失礼した。それにしても、不穏なことですな。
『千年に一度』とやらが来るのは、それこそ何百年後と聞いておりますが、
その予兆でも、あったのですかな?」
「・・・この世に絶対などありません。
陸の種族は、1000年という周期を信じる傾向にあるようですが、
本当に、その間に何も起こらないと、どうして断言できましょうか。
海底火山が、いきなり足元に出来るかもしれませんし、ね。」
ショウが苦笑で言葉を締めくくると、ビランがクツクツと笑った。
海底火山の側を回遊するシャケ族に通じる、冗談だったのだろうかと、
アゾルは予想した。
“誠実な瑠璃” アゾル・ナザハ(ヒョウモンダコ族)
“信頼の指輪” ハラカット・シカ(オオマルモンダコ族)
“美味しいミカン” ブートカル・ラディディ(フウセンウオ族)
“紅に染める者” マスブワ・ビラン・リアフマリ(シャケ族 支族長)




