王国の決断
『風と雲の共和国』と『滄海の王国』の会談が行われた王冠諸島は、
環状に並ぶ島々で構成されている。
水面に落ちた水滴のような形が“王冠”のようであることから、
この島々に、その名が与えられた。
島の中には、海面下で繋がっているものもあり、
環の内側は船の航行が難しい、入り組んだ地形になっている。
そんな島の一つに、海底トンネルを有するものがあり、
そこには、王国の重鎮が滞在するための館があった。
女王イェルトは、その碧玉館の“青の間”に滞在していた。
会談期間が過ぎ、共和国の代表たちが大陸の港に移動して、早3日。
ショウと共に周辺海域での公務を終えて、ようやく宮殿に帰る日が来た。
イェルトはゆっくりと二枚貝の殻で作られた寝台から身を起こした。
ゴソゴソと片腕で番の辺りを探り、目当ての箱を引き出す。
寝るとき以外、決して外さない装飾品が納められた、宝石箱だ。
一つの大きなアクアマリンを分割して揃えられた、ショウからの贈り物で、
イェルトは一生の宝物にすると誓っていた。
しかし、贈られた物の中に、眠るときも外さない物がある。
3つの環状の爪だ。
右腕の先の吸盤に、埋めるように嵌めるそれは、すでに身体の一部だった。
初めてショウに出会ったとき、襲われていたイェルトは、
その時すでに角質環を剥がされてしまっていた。
助けられた後、物を掴むのに難儀していたイェルトを見て、
ショウは、小さい声で「いつかお前の爪を作ってやる」と言ってくれた。
そして彼は約束通り、即位に合わせて、この装飾一式を贈ってくれたのだ。
イェルトは黒曜石の鏡を見ながら、ひとつひとつ丁寧に取り出し、身に付けた。
どんなに腕が不自由でも、どれだけ親しい侍女にも、
これだけは手伝わせていない。
それ程に、ショウは、イェルトにとって特別なのだ。
(テラスで統領閣下や宰相様とお話ししたときに感じた苦しさ。
あれが、俗にいう嫉妬だったのかしら。)
兄弟杯という儀式の話になったときを思い出して、
再び、焦燥感にも似た不安が湧き、慌てて胸の奥に抑え込む。
(大丈夫よ、私!ショウは言ってくれたじゃない!
「女王でいようがいまいが、俺はお前の味方だ。」って!)
彼からすると、ありふれた励ましだったのかもしれないが、
その言葉は間違いなく、ずっとイェルトの原動力だった。
何度も何度も、めげそうなイェルトを立ち上がらせてきた、魔法の言葉だ。
鏡の前で回って、よし、と出来栄えに納得する。
「おはようございます。」
アナメのカーテンを抜けると、すでに侍女が控えていた。
ピグミーシーホース族のラティフだ。
小柄で大人しい性格の彼女には、すでにカジキの彼氏がおり、
その点は安心だとイェルトは思っていた。
「おはよう。・・・寝過ぎちゃったかしら?」
「いいえ、大丈夫ですよ。まだお時間はあります。
さ、支度を整えてしまいましょう。」
「ええ、お願い。」
ラティフが指示を出し、ベラ族の者たちがイェルトの身体から汚れを取り始めた。
これからショウが迎えに来ることを彼女たちも知っているので、
いつになく念入りだ。
「慣れない寒さで疲れたでしょう?ごめんなさい、付いて来てもらっちゃって。」
ラティフやベラ族の侍女たちは、暖かい海域が故郷だ。
自分は平気だが、彼女たちには辛い思いをさせてしまったかもしれない。
そう思っていると、侍女たちが口々に話しかけてきた。
「確かに、少ぉし寒いですけれど、もう慣れましたよ。」
「そうそう。ちょーっと寒いですけれど、お水が澄んで綺麗ですから。」
「2年に一度は来るんですもの。覚悟は決めてます。」
「そんな顔しないで、笑って笑って。頑張ったご褒美は、笑顔がいいわ。」
「うちの姫様は遠慮しいね。
故郷の男衆なんて、やって貰って当たり前みたいな顔ですのに。」
アハハハ、と明るく笑う侍女たちにつられて、イェルトも笑った。
彼女たちの楽し気な会話にも、随分、救われてきた。
帰ったら何かお礼をしなくちゃ、と心に書き留める。
「さあ、綺麗になりましたよ。」
「では、お食事を。」
侍女たちに促され、イェルトは隣室に移って、朝食を取った。
それからしばらくして、待ち人がやって来た。
ラティフが尻尾で、そっとコンブの間仕切りを捲り、彼を部屋に通す。
するりと入って来たショウを見て、イェルトは、
やっぱり彼が一番、格好良い。と、何百回目かの惚れ直しをした。
「用意できたか?」
「・・・はい!」
頷くショウに促され、侍女たちを引き連れてイェルトは部屋を後にする。
これから、王冠諸島を管理する者たちの見送りを受けて帰途に着くため、
彼も隙のない礼装だ。
緻密な彫金が施された薄い金の板が、金の輪で繋がれ、帯状になって、
襷のように左肩から斜めに掛けられ、涼やかな音を立てて揺れている。
右腰で纏められたそれは、再び左へ流され、尾の左側で束ねられて、
残りが流されている。
海には身を飾る者がそれなりにいたが、ここまで洒落た者がいただろうか。
「・・・どうした?ぼんやりして。眠れなかったのか?」
「いいえ!大丈夫です。」
彼に釣り合う女の子になれているかしら、と不安に思っていると、
声をかけられた。
そして彼はクスリと微笑み、手を差し出して来る。
「ほら。ちゃんと付いて来い。」
「!」
この幸せを逃したくないと、イェルトは慌てて腕を絡ませた。
そのまま広間まで出て、館の外、移動用の籠椅子までエスコートされる。
そして、諸侯の最敬礼の中、女王一行は王冠諸島を離れた。
その間ずっと、イェルトは彼のいる喜びを、噛み締めていた。
これから共に宮殿に戻るのだと、喜んでいたイェルトだったが、
中間地点のカダミク砦に到着した日に、ショウが口にした内容が、
その喜びを吹き消してしまった。
「・・・ショウは、帰らないんですか?」
「ああ、ごめん。島を出る前に、話が付いたんだ。
ここまでは護衛が手薄だったから付いて来たけど、俺はもう一度戻る。」
「王冠諸島から先に、行くつもりですか。」
「悟るのが速いな。」
「私だって、ショウと一緒にいろいろ経験してきたんですよ?
ショウの考えることは、分かってきたつもりです。
いま後ろの敵を抑えておきたいという考えも解りますが、
だったら、私も連れて行ってください。
共和国の後ろ盾を得た国の王なら、交渉も有利に、早く済むはずです。」
「だからだよ。イェルト、お前の立場は軽いもんじゃない。
こんな、休戦協定の為にヒョイヒョイ動いてちゃ、
その王の価値が低くなるのは分かるだろう?
確かに速さが優先されることではあるけど、俺なら立場的にも権力的にも、
誰より速く、話を纏められる。
少し遠いけど、かかる時間は半月くらいだ。
安心しろ。別に俺一人で行くわけじゃない。近衛から何匹か借りていくよ。
お前の護衛は、宮殿から呼んだ甲殻団に任せる。」
「・・・また、ひとりでやるんですね。」
「イェルト?」
「私は、私達は、いつになったら、貴方に信用してもらえるんですか?
今回は、私じゃなくていいです!力不足は重々承知しました。
でも、これは、ショウが独りで、しなくちゃいけないことなんですか?
いま国を動かしている者達を、外交努力を続けている者達を、
信じてあげられませんか?
・・・私達が国を作って、もう6年以上が過ぎました。
そろそろ、周りの国も感じていると思います。
大公が自ら動き回る程、頭や足が足りないのか、と。」
イェルトの視線に押し負けたように、ショウの目が逸らされた。
自分でも、分かっていたのだろう。
彼は常々、口にしてきた。
「俺は賢いわけじゃない。予想外のことにも弱いし、計画性もまるでない。ただ、自分の臆病な面を利用して、助かる手段をいくつか持つようにしているだけだ。」と。
イェルトは、ショウの繊細な一面に触れないようにしてきたが、今、決断した。
触れなければ、大切な彼も、自分の夢も、守れそうにないと思ったからだ。
これで壊れてしまう関係なら、きっと、
自分も彼も、ここまでの存在だったのだろう。
イェルトの覚悟を受け止めてくれたのか、ショウが口を開く。
「・・・分かってる。でも、今しか、無いんだ。」
そして、考えを整理するかのように話し始める。
「海峡の部族と接点を持ってるシャケ族は、回遊種族だ。
年に一度しか、海峡には寄らない。
しかもシャケ族は、海峡の部族に対して、優位に立っている訳でもない。
むしろ、奴らの顔色を窺いながら、駆け引きをして、
何とか最小限の損害で済むように1年1年をしのいでいる。
すぐにでも介入したいが、今は優先しなくちゃいけないことがある。
それに、今からじゃ、この関係にメスを入れられるような交渉材料が用意できない。
だから、シャケ族に仲介は依頼しない。連れて行ってもらうだけだ。」
イェルトは、ふと疑問に思う。
「どうして、ショウは、ここまで来たのですか?
時間が無いのなら、王冠諸島から向かえば・・・」
「大公は帰還した、ってことにするためだ。
俺は、単なる王国のいち使者で、ただ情報を持って来ただけの官吏。
そういうことにする。
幸い、俺達は奴らと、面と向き合って話をしたことはない。
俺の容姿を聞いてはいるだろうが、こちらが認めなければ話は成立する。
・・・いや、させてみせる。
俺達の国は、まだ若い。だから、まだ勢いがあると信じさせられる。
けれど、その成功のためには、喧嘩腰にならないことが一番大事だ。
イェルトだって、その辺の部族が武器を持って来たら、警戒するだろう?
特に、海峡の部族は、帝国を侵略した経緯がある。
俺達との衝突には、敏感なはずだ。
だから出来る限り少人数で、威圧感を持たせないように話をしに行くつもりだ。
武力を背景に、侵略するな、って要求を呑ませるのは簡単だが、
そんな切り上げ方じゃ、一番嫌な時期に裏切られるのが、目に見えてる。
いつまで続くか分からないのが、今回の『王』騒動だ。
こっちの邪魔したら、お前らもどうなるか分からないぞ?って、
不安要素を放り込んでくるだけだ。
それ以降は、外交官に任せる。
こっちはお前たちをちゃんと見てるってメッセージが伝わればいいからな。
騒動がすぐに終われば、それに越したことはない。
そうしたら、改めてシャケ族側に付いて、交渉を始めよう。
・・・・・・これで、いいか?」
きっと、たくさん考えてくれたのだろう。
それを彼は、余すことなく話してくれた。
ならばイェルトは、彼の誠意に覚悟で応えなければならない。
「・・・わかりました。でも、本当に、気を付けてくださいね。
近衛の中でも一番上の部隊を連れて行ってください。」
「それじゃあ、俺が重要人物だって言ってるようなもんだろ?」
「あっ・・・!じゃ、じゃあ、えーっと・・・!」
誰に付いて行ってもらうのが良いだろう、と、
身体の色を目まぐるしく変えながら悩むイェルトを見て、
ショウが微笑ましいものを見るように笑った。
「分かった。俺の、とっておきの部隊を出させてもらう。」
ショウは、そう言って旅装を整え、砦を発ち、
―――1週間後、その消息を絶った。




