本と休憩
家の外に、赤い海藻を入れた陶器を出しておく。
雨水で洗っておこうと思ったのだ。
我ながら、色々なことを思い付くようになったものだと思う。
荷物を下ろすと、すぐに暖炉に向かった。
早く火が欲しい。
願う心とは裏腹に、湿気た薪たちは、燃えてくれない。
これだから雨は嫌なんだ、と呟く。
ようやく灯った火種を、大切に育てる。
赤々と燃え出してくれた頃には、凪の唇は、すっかり紫色になってしまっていた。
「へっくしゅんっ!」
盛大にくしゃみをして、冷えた身体を擦る。
やってしまった。
このまま風邪を引きました、なんてことになりたくない。
今日は、温かくて滋養のある物が食べたい。
チラリ、と手桶の魚を見る。
手桶では長時間、生かしておけない。
保存食にすることを考えていたが、
元から塩分を含んだ海魚の方が、干物は作り易いだろう。
悩んだ結果、凪は、川魚と芋の塩茹でスープを作ることにした。
今日は温かい物が飲みたい。
魚を捌くのは面倒だが、内臓は除かないとスープに苦い物が滲み出してしまう。
それは、美味しくなさそうだ。頑張ろう。
まあ、決め手は、目を外した先に会った寿司桶だった。
(小魚たちが、餌を待ってるよね!)
部屋が暖まり始めたので、凪は寿司桶の水替えをした。
本格的なものではなく、水を半分ほど捨てて、甕の水を注ぎ足す方法である。
そして、手を差し入れる。
スッとドクターがやって来てくれた。
(あ~~~。癒しだわー。)
今日も元気に、ツンツンと手の汚れを食べている。
(そういえば、水仕事って手が荒れるとか聞いたことあるけど、
別に荒れてないよな。・・・体質かな?
母さんも、絆創膏貼ったり、やたらクリーム塗ったりは、してなかったし。
・・・ドクターのおかげだったりして。ふふふ。)
疲れを一時忘れ、凪は小魚と戯れた。
もう今日は外には出ない。
出ないったら、出ない!
のんびりする日も大切だと、凪は骨身に沁みて分かった。
(考える余裕なかったけど、俺、語学留学してたはずなんだよな。
こんな生活してたら、英語どころか、日本語まで忘れそう。
・・・そのうち魚語とか開発して使ってたりして。)
自分の冗談に笑いが出る。
飛行機を降りたら、日本語は使わないはずだった。
まだ留学チャンスはあるんだ。
これからは、何かするときも、英語でどう表現するのか考えながら動こう、
と、思っていると、戸棚の上に置いたままだった本が目に入った。
初めて見たときは、凪の知らない言葉だと思ったが、
それが装飾だった可能性もある。
それに、語学を学んでいた身として、知らない言語には興味もあった。
手も冷えてきたし、とドクターから手を取り戻し、暖炉で温め直す。
夕飯の支度まで、まだ時間はある。
凪は、余裕が無くて仕分けられていなかった、戸棚の上の整理をすることにした。
フォークと爪楊枝の中間のような物、何かの骨のようなもので出来た釣り針、
小型の火打石、一部が刃のようになっている石、などなど。
掘り返せば使えそうな物が出てきた。
特に、この石たちは携帯しておく価値があると思う。
家の火打石は、使い易いが大きく、携帯には不向きだったのと、
無くすのが怖くて持ち出せなかったのだ。
さて、件の本である。
暖炉の前に座り、手に取って、まじまじと見てみた。
恐らく、単語や文節なのだろう。文字と文字の間には、切れ目がある。
一つの単語は、一本の横線で表されているようで、
その線から直線や曲線が生えているような構造だ。
点や丸なども、その生えた線と線の間に挟まっている。
凪の感想は、何じゃこりゃ、だった。
異国情緒を感じる文字、としか言い表せなかった凪は、自分の語彙力を嘆いた。
ページをパラパラ捲っても、同じ文字がズラッと並んでいるだけで、
読解の手掛かりすらない。
まあ、異国の本なんて、そんなものだろう。
凪は諦めて、本を戸棚の上に戻した。
面白いとは感じたが、眺めていると飽きるタイプの物だ。
(こんな本を持ってるなんて、この家の人は何人なんだろう?)
勝手に白人だと想像していたが、実はアジアや南米の人だったのかもしれない。
益々(ますます)、深まるだけの謎に、凪は首をひねった。
身体を暖炉で温めることが出来た凪は、海藻シャンプーを作ろうと思い立つ。
今日は家にいると決めたので、暖炉の火も絶やすつもりはない。
作るなら、今の内だろう。
それに、小さい頃はよく、母から「キレイにしないと、病気になるよ。」と叱られた。
何より、脂汚れを放っておいたらハゲそうだ。
陶器を回収し、玄関前でチャプチャプ濯ぐ。
傾けて水を切った後、家に持ち込んだ。
陶器の中に甕の水を、海藻が被るくらいまで入れ、暖炉に入れる。
と言っても、燃え盛っている中に手は突っ込めないので、
火に当たるくらいの位置だ。
しばらくすると、沸々(ふつふつ)と陶器の中身が煮えてきた。
思ったより、早く沸いた。
どうやら、この陶器は、熱の伝わりが良いらしい。
そのまま、表面が細かな泡で埋められるまで煮続ける。
もう良いだろう、と、凪は陶器を火から下ろした。
暖炉から少し離れた床に、枝を敷いて、その上に置く。
手では持てないので、薪で両側を挟んで運んだ。
そう、大学生は、賢いのである。
このトロトロの液体が、祖母ちゃんのシャンプーだ。
冷えたら、早速使おうと、心が躍る凪だった。
そして、それを待っている間に出来ることはないかと、凪は考えた。
(うーん。残された釣り針もあるし、釣り糸を作りたいんだけど・・・。)
そんな凪に、“知識”は、何と、ココナッツを指した。
ココナッツは、糸で、出来ていた?
ちょっと混乱するが、
まあ、“知識”がそういうなら、と半信半疑で準備を始める。
拾ったココナッツは大きくて、重かった。
それを、手斧でガツガツと削っていく。
大切な中身を零さないよう、慎重に端から刃を入れるが、堅い。
これは、初心者の薪割り方法でいくしかあるまい。
そう、刃先を食い込ませていく、あの割り方だ。
凪は、ココナッツをくっ付けた手斧を椅子に打ちつけ、何とか種の外側を剥いた。
そこには何と、分厚い繊維の層があった。
この部分を長期間水に晒して解し、指で捩じって糸を作るらしい。
葉っぱバケツ再び、だ。
海岸では出番がなかったが、やっと活躍の場が来たようだ。
凪は、手を切らないよう気を付けて、少しずつ、少しずつ、
葉っぱバケツにココナッツの外皮を溜めた。
1つ剥き終わる頃には、バケツに入りきらなかった繊維が、箱の中に納まっていた。
バケツに、その容量の半分くらいまで入れて水に浸し、雨の中、外に出している。
解れるまで長いらしいが、食べ物ではないので外に放置で大丈夫だ。
そういえば、銀杏も放置しているが、あちらは数日で次の作業に入れるらしい。
やることが山済みだ、と凪は肩を回した。
(あれ?俺、今日、ゆっくりするって言ってなかったっけ?)
休みだったはずなのに、こんなに働いてしまった凪だった。




