大甕の掃除
ぱちりと目が覚めた凪は、扉の穴を見遣って、朝であることを確認した。
時計すらない生活を、今日も送らなければならないのかと、凪は少し肩を落とし、ゆっくりとハンモックから降りる。
体重のかけ方が、ぎこちなかったが、転げ落ちはしない。
慣れれば、スムーズな乗り降りができるのだろうが、
凪は、まだその域に達していない。
初めて見たときは、こんなにテクニックが必要な寝具だとは思ってもみなかった。
先日、降りる際に足を引っ掛けてしまったことを思い出し、
あれは痛かったと振り返る。
扉を開けて、外の様子を確認する。
昨日や一昨日と比べて、雲がやや多い。
天気が下り坂になっているのかもしれない。
朝から人を不安にさせないで欲しいものだ。
昔の人達もこんな気持ちで農作していたのだろうかと、
凪は、ステレオタイプな時代劇の農民に、思いを馳せた。
身体を軽く伸ばして、ストレッチをする。
脳が勝手に、記憶からラジオ体操のイントロを引き出し始めたが、
体操なんてしない。
何だか子どもみたいで、恥ずかしいからだ。
さて、サバイバル4日目である。
そういえば、こういったサバイバル系の物語では、
よく、主人公が漂流何日目といった記録をつけていたが、
あれは何のためだったのだろうか。
自分も付けておいた方がいいのだろうか。
(・・・大体の季節を知るため、なのか?
正の字くらいなら、記録し続けられるかな・・・
でも、どこにしよう。柱とか壁は、傷付けたくないな。)
迷った末、薪割りスペースに残っていた、切り株に刻もうと思い立つ。
ナイフの出番が多すぎて、欠けないか心配だ。
記録には、石器のように、石を割った物を使おう。
朝食を用意しながら、そんなことを考える凪。
食事を用意するための物も欲しいが、
石を割るには、作るのにどれだけの時間が必要なのだろうか。
今朝も昨夜の残り物だが、昨日採れた木通もあった。
フルーツが並ぶと、食卓が豪勢になった気がした。
寒い季節の方が、作り置き出来るから楽だ、と思う。
と、ここで、昨日、連れ帰った魚を思い出す。
バケツを見て、凪は思わず「ごめん!!」と叫んでしまった。
底から水が漏れたのだろう。
僅かな水の中で、重なり合ってピクピクしている。
慌てて桶に水を汲み、魚をそこに移してやった。
幸い、酸欠状態の時間が短かったのか、元気に泳ぎだす。
やはり、蔓で括っただけの葉っぱバケツでは、
長時間、水を保つことは難しいようだ。
危ない所だった。
バケツを設置していた箱を見ると、案の定、底が濡れている。
乾かしておかないと、箱や床板をダメにしてしまうだろう。
バケツが動かないように組んだ薪も取り出して並べ、その上に箱を伏せた。
(・・・水槽が欲しいなー。いっそ、大甕の中で飼うか?
でも、生き物を入れちゃうと水が汚れるしなー。
餌もあげる訳だし。・・・餌って、何をあげればいいんだろう?
いやいや、まず場所の問題を解決しないと。
桶の使用頻度を考えたら、ずっとこのままって訳にもいかないし・・・)
考えていても、らちが明かない。
今日はこの大甕も洗わなければならないのだ。
魚達には、一先ず、この桶で留守番してもらおう。
凪は、昨日沸かした水で、1日を乗り切るつもりでいた。
川の上流の水も飲めるのは、昨日、自分の身体で実験済みである。
大甕を軽くすべく、中身を葉っぱバケツで汲んで、外に運ぶ。
ボタボタ漏れている訳ではないので、短時間なら使えるようだ。
辺りの地面に撒いていると、水溜りができた。
流石、高さ1mの甕。内容量が半端ない。
残りが少なくなったところで、底の円形を利用して、ゴロゴロと転がし、
割れないように細心の注意を払いながら、中の水を出した。
底には、思った以上にドロドロと沈殿物があり、
この中の水を使っていたのかと思うと、ぞっとしない。
引っくり返して掻き出すと、ヌルヌルと嫌な感触がした。
中身を抜いた甕は、想像していたより、ずっと軽かった。
何で作られているのだろうか。
ただの緑と青の焼き物にしか見えない。
(まあ、焼き物なんて茶碗しか触ったことないしな。
知ってる物なんて、信楽焼とか今川焼くらいだし。
・・・あれ? 今川焼は、お菓子だったか?)
骨董品に興味はない凪だった。
しかし、容易く持ち上げられるほど軽いのは有難い。
凪は、まず、大甕と藁束、ハンモック、ナイフを持って、家を出た。
川で大甕を洗って、その中に少し水を入れたら、取って返す予定だ。
しばらくすると、運ぶ手が疲れてしまった。
思い付きで、ドキュメンタリーで観たような、どこかの民族を真似して、
頭に甕を乗せてみると、意外と安定して運べることが分かった。
が、何よりも落とさないことが大事だったので、足場の悪い所では、
必ず手で抱えるようにした。
昨日、鍋を洗った場所で大甕も洗う。
大きいだけに、口も広い。
凪は、腕と頭を突っ込んで、全身全霊で掃除をしていた。
傍から見れば、足の生えた壺に見えたことだろう。
納得のいくまで、内側をゴシゴシやった凪は、やっと大甕から這い出した。
曲がって固まった腰が辛い。
「うーっ」と、声をあげて腰を伸ばす。
(あー、壺から解放された魔神の気持ちが解る・・・)
開放感に浸る凪に触れて、軽い風が通り過ぎて行った。
岸辺の木々から、はらりと枯れ葉が落ちた。




