他人様の罠
ウンウン言いながら、凪は水を運びきった。
鍋にたっぷり入れた水を、大甕に移す。
底で、何かがドロッと動いた気がした。
思わず、ウゲッと声を出してしまう。
大甕には蓋が付いているが、ゴミが入るのを完全には防げない。
定期的に、これも洗わなければならないのだ。
(自炊って、思ってた以上に、しなくちゃいけないことがあるんだな。
ごめん、母さん。帰ったら家事をもう少し手伝うよ。
・・・さて、次は。)
大甕の衛生面が気になったが、今は洗う気になれなかった。
今日は、上澄みだけ使って、めちゃくちゃ煮沸しよう、と考える。
凪は、もう一度、川辺に行くことにしていた。
もしかしたら、魚が捕まえられるかもしれない、と思ったからだ。
案の定、“知識”が、魚の獲れる場所を教えてくれている。
再度、出発の準備を整える。
残念ながら、蔓は見付からなかったので、ハンモックは必要だ。
ナイフはベルトに差し込んだが、歩いていると時々、刺さって痛かったので、
また、何か別の装備方法を考えた方が良さそうだ。
今度は、弓矢セットも持って行く。
当てられる気はしないが、食料ゲットのチャンスを逃したくはない。
小道を行くと、荷物が少なくなったおかげか、余裕が出てきた。
先程、道から少し外れた場所に、蔓と、木通のようなその実を見付けたときは、
凪は飛び上がって喜んだ。
ウキウキと回収作業に入ったが、これが思った以上に重労働だった。
木に絡まったそれを解かなければならなかったし、
引っ張れど、ビクともしない部分は、切るために木登りをしなければならなかった。
凪は初めての木登りで、ささくれが刺さる痛みを知った。
長い蔓は巻かれて、肩から下げたハンモックの中で揺れていた。
次は、魚だ。
(棘は取れたけど、痛いな。サバイバルって、痛いな。)
痛みによって現実に帰ってきた凪は、魚が獲れるとは限らない、と、
自分に言い聞かせて、調子に乗らないよう戒めていた。
糠喜びほど気力の萎えるものはない。
軽やかな音を立てて、水が流れていた。
岩肌を滑り、淵へと落ちる音だ。
淵に溜まった水は、縁を形作る一枚岩から溢れ、
凪の足元の割れ目をなぞって、再び流れ去って行く。
凪は、水の声に誘われて腰を落とし、足元の流れに耳を傾けた。
チロチロという音に安らぎ、このままずっと聞いていたいと思うが、
この淵に来た目的は、魚獲りである。
顔を上げて、眼前の釣りポイントを確かめる。
何か、水底でチカリと光るものが見えた気がした。
魚の獲り方と言えば、釣りしか知らなかった凪にとって、
“知識”が示した罠猟は、驚きだった。
(木で組んだ箱を設置して魚が入るのを待つ?
・・・本当にそんなので獲れるの?
魚が暴れて、壊されたあげく、逃げられるだけのような気がするんだけど・・・)
“知識”によると、魚のいるポイントは複数あるらしい。
それらを回って罠を仕掛けておき、翌日に回収するという寸法だ。
まあ、何事もやってみなければ、結果も改善点も分からない。
せっかくの食料ゲットのチャンスである。
坊主に終わろうと、何もしないよりはマシだろう。
凪は一度、罠の材料を集めに森に戻った。
必要なのは小枝だ。
さっき拾った蔦を、早速、使うことにする。
先程、ハンモックの代わりに色々、運べるようにと考えて採った蔦だが、
獲れるものがなければ意味がない。
罠作りに必要なら、いま使うべきだろう。
採るのが大変だったのになー、と思いながら、凪は小枝を見繕っていた。
“知識”に教わりながら、集めたものを並べる。
ここからは図工の時間だ。
並べた小枝や木片を、蔦で結んで繋げ、魚が逃げない程度に少し隙間を空けて、
一枚の板にする。それを丸めて円柱にすると、罠の胴体の完成だ。
底は、大きめの板で覆う。新聞紙を纏めるように、底に蔦で十字を作って、
胴体と底を固定する。蔦は上に伸ばし、胴体の隙間にくぐらせた。
これで、魚が暴れても、壊れないだろう。
蔦は上で結んで、罠を木や岩に固定できるようにしている。
ちなみに、口には返しを付けているので、魚は一度入ると出られない。
バッチリだ。
凪は久しぶりの工作が上手くいったことを確かめ、満足した。
この罠で小魚を狙い、その小魚を餌に大物を狙うのだ。
大物が取れるようになるまでは、小魚が凪の食料になるのだが、
正直、腹が膨れるほど獲れるとは思っていない。
早く、安定した自給ができるようになりたい。
凪は、籠に魚が入る様を思い描き、心を躍らせて仕掛ける場所を探した。
そして、淵の上に、ちょうど草木が覆い被さり、陰になっている場所を発見する。
“知識”がここだと囁いた。
背の低い木に罠を結ぼうと手を伸ばしたところで―――、
凪は、見付けてしまった。
(“知識”さん。・・・これは、他人のだよね?)
先客がいたらしい。
蔦が、不自然に水面に伸びている。
覗き込むと、凪の物と同じような、罠らしき物の姿が見えた。
(・・・え?どうしよう。同じ場所に置いても、獲れるのかな?
でも、それをしたら怒られそう。
獲物を横取りした!みたいな展開が見える。
っていうか、やっぱり、誰かいるんじゃない??)
再び、ちらつく希望と、もし友好的な人物ではなかったら、という不安で、
凪は、しばらく動揺から抜け出せなかった。
それから20分後。
凪は、川の上流に来ていた。
結局、罠は設置していない。
まずは他の場所を見てから考えようと思ったのである。
あの罠には魚が入っていたかもしれないし、今後の参考にもしたかったが、
引き上げてしまえば、それらが欲しくなってしまう。
人間とは、そういうものである。
なので、あの場はそのままになっている。
もしかしたら、あのポイントだけ引き上げ忘れているのかもしれない。
別の場所にも仕掛けられていたら、まだ誰かがいると考えられるが、
あの淵にだけあるのなら、
忘れ物として丸っと貰ってしまってもいいのではないだろうか。
(いやいや、待て待て。それ泥棒の理論だから!
ダメダメ、落し物は交番へ!
パクったのがバレたら、俺の立場が更にヤバくなる!
俺は今、住居無断侵入な上、食料泥棒なんだぞ!
こんな人の来ない所だったら、持ち主が見付けるまで、
その場に残しておくのも、トラブル回避の手段だ!)
必死に自分に言い聞かせる。
スープだけでは足りないと泣く胃が、非常事態だから仕方がないと訴え、
“知識”は、罠を放置してしまうと、
中の魚が死んだり、本体が壊れたりしてしまうと言い、凪を誘惑していた。
(“知識”パイセン!俺を悪い道に引き込まないで!
・・・あー、でも本当にお腹空いた。
他の場所に罠がなかったら、忘れ物ってことで貰っちゃおうかな。
代わりに俺のを入れておけば、言い訳できるんじゃね?
“知識”パイセンの言い分は、理に適ってるし。泥棒?今更じゃん?
・・・・・・いやいや、しっかりしろ。
罪は重ねると重くなるんだぞ、俺。そうだ、そんなのカッコ悪い!)
危うく、ダークサイドに嵌ってしまいそうだった。
クール系の自分を守るのは、大変だ。
葛藤しながらも、ガサガサと草をかき分け、川面を見て回る。
が、今のところ、人工的な物は見当たらない。
“知識”の示すポイントをひたすら回った凪は、すっかり息が切れていた。
満喫していた清々(すがすが)しい水音は、今や雑音と成り果てている。
どこかで区切りを付けて、休憩を取らなければ、
家に帰る体力まで失ってしまいそうだ。
(そりゃそうだよな。元運動部とはいえ、今じゃ立派なモヤシだもんな。
アップも無しに、いきなりトレッキングしたら、こうなって当然だよな。)
どこで休もうかと、進行方向に顔を向けた凪は、小さな滝を見付けた。
すでに、“知識”に教わらずとも、魚のいそうなポイントが、
何となく分かってきた凪は、滝を取り敢えずの最終地点とすることにした。




