はじまりの光
神殿行きの前夜――。
マチアルドが憂鬱な思いを抱えながら眠りについた頃、しんと静まり返った夜の空にうごめく何かがある。
月ではない。星でもない。何か時折、藍色の闇にちらちらと光るもの。
それは、ぽっかりと浮かんだ月のあたたかな光を背に、ふわりふわりと気持ちよさそうに空を漂っていた――。
◇◇◇◇◇◇
今は、これから寒い冬を迎えようという季節である。
神殿に向かう道のりは、季節によっては一面の緑と咲き乱れる花とのコントラストが美しく、観光にも持ってこいである。だが今の時期は、茶色に枯れ始めたくすんだ色が一面に広がるだけだ。
つまり、外に目を向けてもとりたててみるものもなく、かといって揺れる馬車の中で、隣国の王子を前にして惰眠をむさぼれるわけでもなく。
――暇ね……。世間話もあらかた話し終えてしまったし、共通の話題なんてひとつもないし。
あらかた話し終えたとはいっても、実のところさっき出立したばかりである。ほんの小一時間くらいだろうか。
斜め向かいに座るラルフィル王子の横顔に、ちらりと目を向けるマチアルド。
――この人はちっとも退屈していなそうね。さっきから大臣とも鉱石の話ばかりしてるし。鉱石マニアなのかしら?
ラルフィル王子は馬車のこの狭い空間の中でひとりだけ、嬉々とした表情で旅路を満喫していた。平地の多い隣国では、これほど山々に囲まれた雄大な景色は珍しいのかもしれない。
「あれが鉱山の入り口ですか?」
ラルフィル王子は少し窓から頭を出して、馬車の進行方向の右にある山を指さす。
「ええ、今の時期は雨が多くて地盤が緩んでいるので、採掘をお休みしておりますけれど。あのあたりで採れるのは、主に碧石と黒輝石です」
「山によって採れる石が異なるんですね。今から向かう神殿のあたりでも採掘されると聞きましたが、やはり星石はあのあたりで採れるのですか?」
神殿行きを提案された時には、この国に婿入り志願でマチアルドと親交を深めたいのかと勘ぐっていたのだが、どうやら純粋に鉱石がお好きなようである。先ほどからずっと身を乗り出すように鉱山の辺りに目をこらして、キラキラと目を輝かせている。
「そうです。とはいっても星石は滅多に採れるものではないので、一年で採れる量はほんのわずかなんですよ。しかもその中で純度の高いものとなると、国宝級の価値がございます」
「我が国にも献上いただいた星石がありますが、それはそれは美しいものでした。鉱石採掘というのはなかなかおもしろそうですね。我がリスデールはあまり鉱石が産出されませんし、もし見つかってもごくわずかで質も良質とは言い難いのです。ですので、デアルタで拝見できるのを楽しみにしていたのですよ」
そう言って白い歯をのぞかせてにっこりと微笑む。
「そうでしたか。採掘シーズンでないのが残念ですわ。ガルド大臣は採掘場の管理も担っておりますので、詳しいお話をお聞きになってはいかが?」
マチアルドがさりげなくガルド大臣に話を振ると、ラルフィル王子は嬉しそうに隣に座る大臣と熱心に話し込んでいる。
思わずあくびをかみ殺してふと隣に座るターシャを見ると、ばっちり目が合った。小さくにらみつけられて、肩を小さくすくめるマチアルド。
その後もごとごとと馬車に揺られて、ようやく神殿が建つ山門にたどり着く。
神殿は山の中腹にあり、山門で馬車を下りて、何人も細い山道を歩いていかなければならない。歩きやすいようにある程度は舗装されているが、年配の者の速度に合わせて一段一段ゆっくりと上っていく。
まだ若いマチアルドやラルフィルたちに反して、大分遅れて後ろからガルド大臣のひいひいと息を切らせてうめく声が聞こえてくる。
思わずほくそ笑むマチアルド。
――王子とくっつけようと画策した罰よ。私はまだ結婚を決める気なんてさらさらないんですからね。いくら国のためとはいっても、あと数年は先延ばしにさせてもらうわ。
◇◇◇◇◇◇
荘厳な石造りの神殿の中を、祭壇に向かって静かに歩いていく一行。静まり返った神殿内に足音が反響して、次第に方向感覚がおかしくなってくる。
静かに祭壇へと近づくマチアルド。その後にはラルフィル王子が、さらにその後ろには大臣やシュタルトたちが控えている。
祭壇に作りつけられた石の扉の鍵穴に、王家所有の古い鍵を差し込む。中には、この神殿の核ともいうべきあるものが大切に保管されていた。女神の力の一部とみなされている、スター・ティリア――星石である。
その子どもの拳ほどの星石は、小さいながらどんな宝石よりも深く滑らかにきらめいて、深みのあるブルーの中に金色の光が無数に瞬いている。夜空をそのまま写し取ったようなその輝きこそ、星石と呼ばれるゆえんである。
その美しさに、ラルフィル王子が息をのむ気配がする。
この星石は、格別な美しさを有していた。これが採掘されたのはこの国が建国された時、今からおよそ数百年前と聞いている。
その石を額の高さに掲げて、女神への祈りをささげるマチアルド。それにならい、両の手を組んで額の高さで祈る一行。
ふと、マチアルドは閉じた瞼の裏にあたたかさと光を感じた。薄く目を開いて確認しようとした、次の瞬間。
マチアルドの指の間から、糸のように白い光が溢れ出していく。そしてみるみるまばゆい光がマチアルドとラルフィルを包み込み、異変を感じてとっさにマチアルドのもとにかけ寄ったシュタルトの三人をみるみる飲み込んでいく。
――これは……何?
マチアルドの手の中のスター・ティリアから溢れ出したその光は、目を開けていられないほどの強さで神殿内を照らし出したかと思うと、次第に弱まっていく。驚きに体がすくんで動けずにいた一行は、ようやく元に戻った祭壇をみて言葉を失った。
そこには、先ほどまで確かにそこにいたはずのマチアルドとラルフィル王子、そしてシュタルトの姿がどこにもなく、忽然と消えてしまっていた。
マチアルドが握っていた、スター・ティリアとともに――。