止まない雨とネカフェ少女
お立ち寄りいただき、本当にありがとうございます。
もう何も、やりたくない。
もう何も、見たくない。
もう何も、聞きたくない。
もう何も、感じたくない。
もう何も…………。
「危ねぇな! クソが!」
突然の怒声で我に返った。
眼前には大型トラックのタイヤが鎮座。トラックが止まっていなければ、このタイヤに轢かれて間違いなく死んでいただろう。
怒声の主はトラックの運転手。俺を一瞥して散々罵声を浴びせると、何事もなかったようにトラックを走らせ行ってしまった。
そんな様子を見ていたであろう周囲の人々は関わり合いたくないようで、一切歩を止めず、いつもと変わらない往来を形成するばかり。
ザーザーと冷たい雨だけが、今の俺に寄り添ってくれる。
不思議な感覚だ。体自体はどんどん冷えていくのに、心はどこか温かい。
あぁ、ダメだな。本格的にダメだ。
頬を一筋のしずくが伝っていく。
「お兄さん、お兄さん」
突然袖を引かれた。
振り返った先には、制服を濡らす少女。
「大丈夫ですか?」
目の前でひらひらと手を振り、安否を確かめてくる。
何なんだ、この子は。
はっきり言って関わりたくなかった。
でもなんでだろう、この子からは「悪意」が感じられない。あるのは無償の善意だけだ。善意だけで俺に話しかけてきたんだ。
だからなのだろう。俺は彼女に「話を聞いてほしい」なんて言ってしまった。
「お話、ですか? いいですよ。私なんかでよければ、いくらでも聞きます。
あっ、でも、こんな所じゃアレなので……。ついてきてください」
酷く疲れ切っていた俺は彼女に手を引かれるまま、裏路地にあるネカフェに入った。
「こんな所にネカフェなんて……あったのか」
「あ、やっぱそれ思います? 私も最初はそれ思いましたけど、慣れちゃうと色々都合いいもんですよ」
ただ連れられている俺からしたら「何やってもバレない」的な意味の、都合いいように聞こえてしまうんだが。
そんな思いを察したのか、彼女は慌てて、
「べ、別に何もしませんよ!? 勘違いしちゃダメです! ただお話するだけですからねっ!」
「何もしないし……ツンデレ乙」
「だ、誰がツンデレですか、コノヤロー!」
「「「「「……チッ!」」」」」
「ぁ……」
すっかり忘れていたがここはネカフェ。利用者は他にもいる。
そんなところで大きな声を出したら煙たがられるのは当たり前。
彼女は慌てて口を押え、膝で俺を個室に押し込んだ。
「っ……はぁぁぁぁぁ」
「くっ、ふふ……」
中々に狭い個室に入った直後、彼女が思いっきり息を吐きだしたのを見て笑いが込み上げた。
なんでなのかは分からないが、どうもこう、息を吐くのを見てこっちも力が抜けたみたいだ。
「あ、やっと笑った……ふふっ」
彼女に指摘されて自分でもハッとした。
そういえば、こんな風に素で笑ったのなんていつ以来だろう。
「それで、聞いてほしい話ってなんですか?」
あぁ……そう言えばそうだった。
ついさっきのことなのに、もう頭が回らない。
「ま、まずは落ち着きましょう? そうじゃないと、お話しできないでしょう?
はい、深呼吸です。吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー」
彼女の言うがままにきっちり三回深呼吸すると、冷静さが帰ってきた。
そしてそれと同時に今、俺はとんでもないことをしてるんじゃないかって気にもなってきた。
引くに引けないんだ、喋ってしまえ!
「実はさ、俺、就職浪人……なんだよね」
「就職浪人?」
「就職できないまま大学卒業しちゃった人の事なんだけど、それで、うちすごい厳しい家系で、親父から『お前みたいな輩はいらん!』って勘当されちゃって……婚約相手もいたけど、破棄されちゃって、それでもうなんだかやるせなくなって……」
「死んじゃおうって思ったんですか?」
「まぁ……そんなところ」
「さいですか……ならやっぱり、声掛けさせてもらってよかったです」
「えっ……?」
「ちょーっと重たい話になりますけど、いいですか?」
何だか不穏な前置きだけど、もうこの際何だっていい。
俺はただ自分の話を聞いてほしかっただけだ。この不条理で芽生えた自分勝手な思いを吐き出したかっただけだ。
それに、まだ話は終わってないが話したらすぐに逝くつもりだ。
だから俺は、その問いかけに首を縦に振った。
「実は、ですね。あたし、ちっちゃいときに父親に襲われたんです」
「は?」
「な、何で二回も言わせようとするんですぁ……二回も言いませんよ?」
今、なんて? 襲われ……えっ?
ただでさえ頭がまともに働いてないのに、明らかキャパオーバーな情報入ってきて混乱が止まらない。
「その……ホント、なんですよ?」
「いや、疑ってるわけじゃないけど……大丈夫、なのか?」
まだ物語を聞いているような感覚だが、そんな言葉のハンマーで頭をぶったたかれたおかげで一個だけ明確になった。
俺なんかよりもこの子はよっぽどツラい思いをしてきている。
そりゃ俺は男だが、それがどんなに恐ろしいことかは容易に想像がつく……いや、きっと想像の何倍も怖くて、口にしたくもなかっただろう。
だのにそんな恐ろしい過去を曝け出してくれるだなんて……この子は一体?
「あ、今、何なんだこいつ、って思いましたね?
あたしは、実の父親もメロメロにしちゃう何てことないしがない女子高生です。それ以外のなんでもありません。クシュンッ!」
「あ、そういえば…………」
勢いのままに個室に入ったけど、服がびしょ濡れだった。
どうしようか。乾かすにしても着替えがないし……。
「んむぅ……このままじゃ風邪引いちゃいますね……ここ確か、隣がコインランドリーのはずなんで、行きましょう。
着替えは……あ、あった。あたしのジャージ、貸してあげるんで、どぞ」
「いやいやいや、いいって、悪いよ……」
「でも、風邪引いちゃったらダメです」
「いや、君の服……着れないから、サイズ的に」
「あー、言われてみればそうですね。じゃ、ちょっと待っててください。
コンビニ行って一式買ってきます」
「あ……」
こちらが制止する間もなく飛び出して行ってしまった。コンビニってズボン売ってなくね?
というか途中外出いい店なのか?
そして案の定、十分もしないうちに戻ってきた彼女は、片手にシャツを、もう片手には握り拳を作って、苦い表情で帰ってきた。
「ごめんなさい。コンビニにズボン売ってませんでした……」
ほら、言わんこっちゃない。
「あ、また笑った……」
自覚はないんだが、この子と会ってわずか数十分で自分の気持ちが変わっているらしい。
父からの性暴力を受けてなおヘラヘラしているこの少女を見ると、酷い言い方だが、自分なんてまだまだ救いようのある方だったと思わされる。
「やっぱりお兄さんに声を掛けてよかったです。
だって、あたしみたいなのでも、人って案外救えちゃうもんなんですよ? ささ、服乾かしに行きましょう! ってあぁ! そうでした、ズボン!」
「ふっ……ふふふふ……」
「んもー、そんなに笑うことないじゃないですか……あっ、そうだ! お兄さん。服、ここで脱いでください」
「はっ? おい、ちょ、やめ……」
「ほらほらー、楽になりましょうよー。あたしが代わりに乾燥させてきてあげますからー」
くっそ……ニヤニヤしやがって……。
「わ、分かった。脱ぐ、脱ぐから。ちょっと待ってくれ」
ネカフェの個室ってかなり狭いんだぜ? そんな中に人が二人はいるのはまず計算外だし、そこで着替えるのなんてもっと計算外だ。
水を吸って重たくなったズボンと格闘すること約三分。
なるべくこっちを見ないよう彼女に言い聞かせたが、やたらニタニタしてたし、ハッ! 俺まさか、嵌められた?
明日の朝刊に『ネットカフェで婦女暴行、就職難民の非道な振る舞い!』とか載っちゃうのか?
……まぁ、そんなことになるはずもなく、彼女が俺の服を乾かして持ってきてくれるまでのんびりさせてもらったわけだが。
さて、これからどうしたもんか。
俺の隣にはヘッドフォンをしてシューティングに耽っている女子高生。
不意に覗いた袖口に、赤い線が見えたような気がした。
雨は依然止みそうにない。
読了して頂き本当にありがとうございました。
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又この他にも稚拙ながら作品を投稿しておりますので、そちらにも足を運んで頂けたら作者冥利に尽きます。
重ね重ねになりますが、お立ち寄り頂き誠にありがとうございました。