再配置による価値の創出と、なろう
なろうで人気になる作品の多くは、タイトルの通りに「再配置による価値の創出」を行っていると、私は思っています。
どういうことかといえば、「不遇」なり「無自覚」だったりする人が、「別の場所にぽんともっていかれて」その結果で、大成功するお話です。
正直、異世界テンプレってのもこれのパターンの一つにすぎず、「再配置」のための道具の一つが異世界転生であり、VRMMOであり。
あとはなんだろう……TSものも実は再配置だったりするけど。
根底にあるのは「主人公の初期の凡庸さ」につきます。
そして「ありのーままのー」自分のまま、「新しい場所にいったら大成功」っていう感じです。
努力をせずに、今の力を認めて欲しい。
自分はできる子だ! 不遇なだけだ! っていう感じなお話です。
自分でも気づいていない隠れた才能が眠っている! ってやつですね。
例えば、いっつも身近に最強勇者がいたり、周りの思い込みで、主人公ができない子扱いされてるケースです。
「環境さえ変われば、自分だって!」 という思いを奮い立たせてくれるわけです。
たとえ、今が不遇であっても! です。
で、まあこれ自体は目新しいことでは全然なくて。
人はコレを「シンデレラシンドローム」といいます。
シンデレラという話は、「継母に引き取られて、こき使われて」「舞踏会においてきぼられ」「でも、魔法使いがあらわれて」「着飾ったシンデレラ」が王子様に見初められ、けれども12時過ぎちゃ駄目だから、と一度家に戻ります。
一夜の夢として忘れようとしたシンデレラに、後日、ガラスの靴をもってきて、ピタッとして、大団円です。
いや、改めてみると、「ワンクッション置く」って、やるじゃねえか、とちょっと感心しました。
たぶんそのまま見初められて「12時過ぎても魔法がとけなかった」ら、なにシンデレラまじびっちー! ってこけ下ろされてたでしょう。
なろうでは……うん。
一度家に帰る場面って、あんまりないんです。そりゃ異世界転生しちゃってますし。
ただ、シンデレラは「不遇」からの究極の引っ張り上げです。
本人は、そりゃ家事全般やってましたし、灰もかぶっていましたけれど、別段そこから抜け出す努力なんてものはかけらもしてなかった。
いいや、できなかった。
そして「見た目がなんかよかった」(ここが再配置の結果見いだされた価値)だけで、王子の妻となります。
現実的に考えれば、「愛人」くらいが良いはずで、一目見ただけで恋に溺れる王子は駄目王子だと思うのですけどね。
ほぼほぼ、そのまま溺れたまま、国を転覆させるバッドエンドしか私は思い浮かびません。
だって、シンデレラはなんの教育も受けてないのでしょう?
それとも、超絶暗記術を持っていて、才能が開花しちゃう?
さて。ではシンデレラシンドロームというものから「卒業」するのはいつなのでしょうか?
世の中の人が「なろう系ってちょっと」と思うのは、いつまで経ってもシンデレラシンドロームから解放されてないから、と言い換えればわりと納得していただけるのではないでしょうか?
現代社会において、シンデレラは「仕事の合間に町中でいい男を物色する」のです。
待っていては駄目なことを学び、棺の中から外に出て、むしろ王子様になろうと頑張るようになりました。
ああ、ウテナさま。
中高生が「いつか、素敵な誰かが私をさらってくれる幻想」を抱く、「自分を輝かせてくれる素敵な場所に導いてくれる」と思うのは、まだいいと思います。
実際、現実でも周りからの手助けが期待できますし、「再配置」は割と容易にできたりします。
ただ、願わくば受け身ではなく、自分からがんがんいろんなものを見て、「導かれる」のではなく「たどり着く」ほうが将来も楽しいと思います。(受け身だった私の後悔から、といったところですが)
さて、ではいい大人がこの、シンデレラシンドロームにどっぷりだとどうなのか。
ほぼ、甘い毒をひたすら注入される感じです。
それは、とても甘露なのです。私自身もなろうテンプレとか結構はまってますし、楽しいものは楽しい。
「自分で努力しないでも、報われまくる」姿に、憧れを抱くことすらあります。
それこそ「買わないで拾った宝くじで、一等あたらないかな!」みたいな感じに似てます。
ただ、これは「リアルでがんばっていける人」からすれば、「夢は夢でも、その夢の見方は駄目だ」となりましょう。
たんなる絵空事である、と。
ですが、私は言い返しましょう。「やりたいことと、やれることがベストマッチしているおまえらに言われたくはない」と。
出世欲が強い人は、仕事を頑張れます。スポーツでタイムにこだわれる人は頑張れます。
将来の「野望」がきちんとある人は、そこに向かって走って行けるのです。
しかも若いときにそれにたどり着ければなおさらいい。
目を輝かせながら、「そこ」に向かってつっぱしれるわけです。
努力できないやつが悪い、という風潮はありますが、「嫌々やる人」と「嬉々としてやる人」では、後者の方が努力はしやすいでしょう。
ようはベストマッチですよ。
やりたいこととやれることがうまくかみ合ってる人は、現実を生きられる。
でも、就職の段階で進む方向を間違ってしまったりすると、「働かないと食っていけないから働く」とか「家族を養うために働く」になるわけです。昭和のお父さんとかは割とこのパターンだったんじゃないかな。集団就職で東京に出てきて、右も左もわからずに仕事やって、うまくいかなくて、居酒屋いって、千鳥足しながら帰るんですよ。
え、それでどうして結婚できたのかって? そりゃ、結婚を斡旋してくれる「近所のおばちゃん」とかがいたからです。
最近の若い子は、キッザニアとかあるし、職業体験だって豊富で、将来を考えて見据えて、さらに就職活動も「入れればどこでもいい」だなんて消極的なことを考えずに、自分と合っているかを見極めるわけです。
ライフワークバランスも考え、ブラック企業にはそれこそ一ヶ月とかで見切りをつけちゃったりします。
今年なんて大学生の就職率98%とかいう驚異的な数値ですし、いろいろ考えた上で、現実を生きてるように思います。
ちなみに私も「働かないと食っていけないので派」で、ことさら今の仕事が適職だとはまったく思っていません。
そして幻想にレッツダイブな感じです。
二十代前半ならば、転職もしやすいのでしょうが、十年くらい仕事してたりすると「別業種」とかに転職するのは正直厳しいです。
同業種ならば、ある程度転職できるんでしょうけれども。
それでも「あっ! これぞ天職だ!」みたいなのが見つかったら、方向転換できるのでしょうか。したいこととできることのベストマッチというのはとてもうらやましい。
やっぱり、ある程度の年になると、「自力で自分を再配置」させることが難しくなるものです。
一歩を踏み出す勇気というものが、持ちにくい。
そもそも、「退職や転職を考えるエネルギーがない」という。
よっぽど嫌なことでもあれば、退職も考えます、というような感じです。
だって、退職すると税金関係とか、保険料関係とか、いろいろ雑多なことを覚えないといけないですもん。
自営業の人達、すごいなぁ! って感じですね。
なので。「ベストマッチする場所に再配置」してもらって、「そこで活躍する」というのは、現実でそれができてない人にとっては、とても甘美なことなのです。
不遇だったりすると、なおさら「そこからの大逆転」にわくわくします。
男性向けテンプレだと「ハーレムもの」がありますけれど、あれだって「多くの女性にもてたい」願望……もあるのでしょうけれども。それ以前に「多くの異性と普通に会話したい」というのもあるように思うのです。
リアルだと女性は、わざわざ自分に話しかけてこない。だから神様にチートもらって魅力的になって、注目されたい、のではないかと。
こっちは「自分の願望がベストマッチする条件の場所への再配置」でしょうか。
ちなみに現実で若い頃もてない男性は、経済力がついた40過ぎくらいに持てたりするようなので、仕事ばんばん頑張ってれば、もてるようになるかと思います。経済力というのは武器です。
女性の場合は、恋人欲しいならぐいぐいいくしかないですよね。
残念ながら、「動き始めないと始まらない」のです。
そこらへんは、女性向け人気作品だと、本人がんばる話が実に多いです。
元々のスキルやパラメーターが不遇で、場所を移せば開花する、みたいなの。
文化の違いで不遇、みたいなのが都会にきたら! っていう感じですね。
ちなみにTSも再配置だ、と書きましたけれど。
これは、「性別が変わることで、求められる価値基準ががらっとかわる」という部分があります。
家事スキルMAXなもやしっこが、女子になることで花開いちゃう、みたいな感じです。
男子としてはちびっこで華奢な体型でも、女装すると美少女になるー! 理想的! なんてのも再配置によって産み出される価値です。
そこで、自分に酔うのか、「これはあかんー」と思うのかは、書き手の采配次第ですけれども。
現実の40歳からの性転換はめちゃくちゃ困難の連続だろうと思いますので、もはや比べるまでもなく小説の方が幸せだと思います。
それでもやらなあかんのは「よっぽどのこと」だと付け加えておきましょう。
もし身近で発生したのなら、生暖かく見守って上げてくださいませ。
長々かいてまいりましたが、「再配置と価値」という素材自体はとても面白くて幸せなものだと思うのです。
もちろん「読書」をしてきた人達からすれば、それはあんまりな作品群なのかもしれません。
一般的な本というものは、それこそ「現実の中で、普段視線がいかないところを注目するもの」ですから。
ただ、それが必要な人達が多くいて、それは娯楽の一つなのです。
だからポイントがたまるわけですしね。
なので。うまく、そのギャップを使いこなして作品を作れたら、もしかしたら、などと。
少しよこしまなことを考えてしまったわけなのでした。
大逆転ってのは、ドラマなんかでもウケはいいので。
ランキング制度の功罪とか、「俺の書いた渾身の一冊がウケない問題」とかは、今回はあまり触れないようにしておこうと思います。
他に書いていらっしゃる方がいっぱいなので。
そうはいっても、書きたい物を書くのが一番、と作者は思っています。
いつかはそういうのを書いてみてもいいかなとは思いますが。