血行を促進して腰痛とか肩こりとかに良く効きます
夕陽に翳した俺の右手には、うっすらとトワイライトイエローな光輝が纏われていた。
「出来た」
修練を開始してより三日目、わたくし疾風と踊るケルヴィン・レッカー、気が操れるようになりましたー!
……はやっ!!??
いーのか、こんな簡単にできてしまって?!
黄金色に染まった風吹く草丘の上、俺は驚きと共にある種の恐怖と忌避を感じていた。
簡単に手に入れたものは、簡単に失われる――そういった箴言が、どうしても脳裏をよぎるからだ。
まぁ案外そうでもない場合も世の中にはあるもんだけど……むしろ苦労に苦労を重ねて育て維持しているものこそ僅かな隙や気の緩みから一夜で滅びたりする、嵐を前にした麦畑とかな。けれど、麦は滅んでも技術と畑は残る。
しかし、この力が嵐に呑まれ失われた時、俺にそういうものが、はたして残るだろうか。
と、俺はそんな憂鬱な想いに囚われていたのだが、
「にーちゃん、おめでとーっ!」
小さな女の子がその白金色の柔らかな髪を風にながしながら、勢い良く俺に飛びつき抱きっついて、青い瞳を嬉しそうに輝かせて下から俺を見上げてきた。
喜色満面のはしゃぎようである。
「英雄伝説への第一歩だね!」
それはヤメロと言っているマイシスター。
君は兄貴をそのようにしたいらしいけれど、俺は英雄とか目指さないからね?
皆にアニャングェラを倒したのが俺だって信じて貰えるようになれるくらいで十分過ぎるからね?
ツッコミ所は沢山あったが、それはそれとして今は、
「ああ、有難う」
妹が祝ってくれたのなら、兄としては喜びを示さねばなるまい。
俺は笑顔を浮かべてみせた。
しかし、
「……あれっ? どーしたの、にーちゃん、あんまり嬉しくなさげ……?」
リーゼさんには作り笑いがバレてしまったようだ。
俺は頬を指で掻きつつ、
「いや、嬉しいさ。嬉しいんだよ。でも嬉しいんだけど、どうにも簡単に出来すぎてしまったからさ……」
と、自分が感じている不安についてを説明した。
すると、
「――にーちゃん、こーいうお話、知ってる?」
金色の髪の小柄な女の子は俺を見上げ、小首を少し傾げて見せた。
「むかしむかし、あるところに、とっても絵が上手で描くのが速い、凄い絵描きさんがいたの」
ふむ、童話かなにかだろうか。
俺には聞いたことがない出だしだな。
「絵描きさんである彼女は、ある時、人から依頼されて、その場で300秒で支度して一枚の絵を書き上げたの。それはそれは見事な絵だったそうだよ」
支度するのと絵を描くのをあわせて300秒か。超人だな。
「でもね、それを見た依頼人は、絵描きさんへ約束の報酬を渡すのを渋り始めたの。値切ろうとしたのね。たった300秒で描けたものなんだから、安くしてくれても良いだろう、って」
……うわぁ。
ほんと実際に、言われそうな台詞だな、それ。
「その時、言われた絵描きさんはこう答えたそうだよ『あたしゃ、300秒でこの絵を描いたんじゃあない。これまでの50年の修行時間にプラスして300秒でこの絵を描いたんだ。ガタガタ抜かすんじゃあない! 絵描きがまっとうな絵代を請求して何が悪い! 大砲でぶっとばすよ!』って」
ず、随分豪腕なオバサンだったんだな、その絵描きさん。
だが、言わんとするところは、まぁ解る。
「にーちゃは3日で気が操れるようになったけれど、それは3日だけで出来るようになったものじゃないの。肉体と意志力をそこまで育てあげた15年と、あたしと信頼を築いた6年間と、そして引き出したトラヒメの30年の研鑽が詰まってるの。だから、それは、頼りにしても良いものだよ。俄か作りではありません」
なるほど。
一理はある。
一理ではあるが。
まぁここでそれを俺が否定するのは、リーゼに悪いだろう。
「……有難う、リーゼ」
俺が頭を撫でてやると「いえー!」と満面の笑顔でマイシスターは答えた。
輝かしいばかりの良い笑顔である。
うちの妹君は褒められ頭を撫でられるのが大好きらしいと俺は知っている。
折角だし、感謝を込めていつもより沢山撫でてあげよう。良い子良い子。
なんていらぬサービス心を出したのが良くなかったのか、
「にーちゃん、撫ですぎっ!」
さっきまで笑顔だったちっちゃな女の子は、一転して顔を赤くして弾かれるように俺から離れて遠ざかった。
えっ? と俺は少し驚いた。
こういう反応をされたのは、初めてだ。
「もう子供じゃないんだから、あんまり子供あつかいしないでよっ。今のリーゼは12年プラス30年の記憶の持ち主なんだからねっ! まさしく大人なのっ」
そーいうこと臆面もなく言えるうちは、まだまだ子供だと思うんだけどなぁ。
むつかしーお年頃である。
というか――
トラヒメってけっこー早くに亡くなったんだね?
と思ったが、口に出しては聞かない事にした。
死にざま聞かれて、嬉しくなることも、もしかしたら、人によってはあるかもしれないが、それ以上に気分が悪くなる場合の方が多そうだもんな。早死にしたのなら、なおさら。
「ごめんごめん」
「……ほんとーにわかってるー?」
少女は髪を両手でなおすように梳きながら、明るい蒼い瞳を上目遣いに睨むように俺へと向けてきた。
「わかってますともマイレディ」
「もー……っ!」
リーゼさんは瞳を閉じて一つ「ふぅっ」と嘆息すると、
「……まぁいいや。それより、精気が操れるようになったのなら、きちんとそれを活かせるようにならないとね。今だと手から微弱に放出してるだけだから、血行を促進して腰痛とか肩こりとかにはよく効くけど、戦闘にはあんまり意味ないよ」
確かに、戦闘中に肩こりが軽くなったからって、だからどーしたって話だ。
でもギックリ腰治療ならワンチャン……?
うん、そもそも、ギックリ腰になるような老人は戦闘に参加すべきじゃーないね。
「む、そうか。強くなる為には、どうすれば良いんだ?」
「そーだねー……まずは、身体能力を底上げできる肉体強化の法を使えるようになると良いと思う。基礎中の基礎だし、実際、あらゆる場面でとっても有用な、まさに土台となるものだから」
へー。
まぁ基礎は大事だよな、何事も。
「よーし、それじゃにーちゃん、その肉体強化の法を全力で習得しちゃうぞー!」
「わーい! にーちゃんがやる気だ! それじゃリーゼも、がんばって教えるね! 肉体を強化するには気を一点に集中させるんじゃなくて、全身に――」
熱心なリーゼさんからふんふんと気の操作法を習いつつ、その様子を見つめ、思う。
……リーゼさん、確かに最近ちょっとづつ、大人びてきてたりする……?
気のせい、じゃない、よな。
やはり、トラヒメの記憶のせいだろう。センゴクモードでない時であっても、多くの何かが既に変わっている。前世の記憶とやらの影響は免れえない。
一週間前までのリーゼは既にいなくなってしまったのだ。
彼女は変わった。
「――ちょっと、にーちゃん! きいてる?」
「あ、あぁ、わるいわるい、音は拾ってるよ。気の流れはカクサンがスケサンだっけ?」
「ちゃんときいてよ、もーっ!」
変わらないものも、きっとあるのだろうが。
「ごめんごめん」
そんなやりとりをしながら俺は修練を続けていった。
成長しゆくリーゼさんの指導のもと、俺も基礎中の基礎という技術のとっかかりを習得し、そして、さらに三日後のことだった。
あの乱打される激しい鉦の音が村内にけたたましく鳴り響いたのは――
魔物の、襲来だった。