帰還と新たな門出
帰ろうと思った。
かつて見慣れ、今は疎遠になっていた景色の前に立つ。
その家は、変わらない姿のまま、そこにあった。
いや、変わりはある。
細かい所は変わっている。
けれども、その空気、その大元、変わってはいなかった。
俺の生家は変わっていなかった。
俺はかつて誓った。
二度とは帰らない、自分達の家を建てて、錦を飾るまでは、と。
俺は己の家を建て、上等な衣に袖を通した。
なんせ、お代官様だからな。
貴族社会の末端も末端の騎士身分に過ぎないとはいえ、レッカー村は危険と隣り合わせだが経済的に豊かな村だ。お飾り的とはいえその代官ともなれば、それくらいが出来る収入は得られた。
俺は誓いを果たした。
だが――こうして、いざ、家の前に立って、ある考えが胸をよぎった。
本当に、この家の戸を叩いて、良いものなのだろうか?
俺が家を飛び出した理由は――色々あった。
無理だと言われた。
俺はやって見せた。
アリシアさんの俺に対する認識・評価は間違っていたと証明した。
……だが。
その証明を手に、家に帰った時、アリシアさんはどんな顔を、するだろうか。
自分の間違いを突きつけられると、不快に思うのが多くの人間というものなのだという。
無論、人それぞれだ。そうでない人だっている。だが、多くはそうだという。彼女は多くの中の人間では、ないのだろうか。
俺は、アリシアさんを叩きのめしたい訳ではなくて、ただ、ただ、認められたかった。
だが、これで、はたして、認めてくれるだろうか――
――子供じみてはいないか。
そんな思いが胸をよぎった。
別に汚い大人になんざなりたかないが、どんな時でも子供っぽさのままに振舞うのが良いとも思えない。
「何をしているんですか?」
立ち尽くし、悩んでいると、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこにアリシアさんが立っていた。
療養の為に、普段は精気の使用を制限していたから、気づかなかった。
「え、あ……外、出ててたんですか」
意外だ。
いっつも家の中に引きこもっているイメージだったのだ。俺の記憶の中でも大体そうだ。
すると、アリシアさんは眉をひそめて、
「私だって少しくらいは外に出ますよ。前からだって、少しは出てたじゃないですか?」
と俺に文句を言った。
むぅ。
そうでしたっけ……
太陽が出てる間は俺、ずっと畑いってたからなぁ。
「まぁ良いです。お帰りなさいケルヴィンさん。騎士の受勲と代官職への就任、おめでとう、本当に」
あっさりと義母は祝ってくれた。
「家を建てるまで帰らないと決めたと貴方は言った。建てたから帰ってきた。貴方は、本当に……なるほど、理解ができます」
ふふっとアリシアさんは愉しそうに笑った。
「……喜んで、くれるんですか?」
俺は彼女の表情を窺いながら、恐る恐る問いかけた。
アリシアさんは酷く心外そうな表情を浮かべた。
「……子供が出世して、喜ばない親がいるとでも? 我が子が強く成長して、私が喜ばないとでも?」
俺が戸惑っていると、彼女は笑って、
「……ええ、まぁ、少し、寂しくはありますけどね……まだまだ子供だと思っていたのですけれど、もう、男になっていたのですね。貴方はいつの間にかとても、強く、立派に、大人になっていた。きっと、あの時でも、もう既に、そうだったのでしょうね。ごめんなさい、私は、貴方を見誤っていた」
――
「…………喜んで貰えるとは、思っていませんでした」
俺は呟いた。
すると、アリシアさんは俺の瞳を、あの青い瞳で、真っ直ぐに見据えて言ってきた。
「……貴方はもう大人だから、私も遠慮せずにはっきり言いますね」
え、アリシアさん、俺に遠慮とかしてたの?
「ええ、ええ、私は貴方を愛していますが、偶に貴方が無性に憎たらしくなる。だって貴方、ぜんっぜん、私の気持ちを理解してくれないんですもの。どうして、私は貴方の為に尽くしてきたのに、わかってくれないの?!」
……
ああ。
なるほど。
この人も、俺と同じだったのか。
クソゴリオめ。
ああ。
あいつの言った通りだったのか。
この人、不器用なのか。
「私が、貴方の幸せを、喜ばない訳、ないでしょ?!」
俺は、笑ってしまった。
「……ごめんなさい、お母さん」
「わかってくれたのなら、許します。親子ですからね」
アリシアさんは腰に両手をあてて胸を張り、笑顔を見せた。
嬉しそうだった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
俺は家に帰ってきた。
「じゃあ、お母さん、俺は、行きます」
帰ってきたから、今度は、行くべき場所へと行こう。
「……もう? 忙しない子ですね」
アリシアさんは笑いながらも眉を潜めて俺を見た。
寂寥が見えた。
「……すみません」
俺は謝った。
賢く美しい、けれど、真っ直ぐで不器用な義母はふっと笑った。
「そうね……でも、貴方らしい。わかりました」
「また来ます」
「ええ、いつでも帰ってきなさい」
そうして、俺は生家を後に――する前に最後に振り返って、言うべきか言わざるべきか悩んでいた事を叫んだ。
「リーゼの事は、まだ怨んでいるのですか!」
問いかけると彼女は弱く笑って、
「……わかりません」
首を左右に振った。
「もし、もしもリーゼが望んだら、会ってやってはくれませんか」
「……そうですね……もしも本当に、あの子が私に会うのを望むのなら……けれど、会わせる顔が、あるのでしょうか」
「ありますよ。親子ですから」
そう、今度こそ最後に、そう言い残した。
俺は、リーゼと共に打ち立てた新たな我が家へと向かった。
その後に聞いた話では、リーゼとアリシアさんは会って何事かを話したらしい。
何を話したのかまでは、俺は尋ねなかったが、リーゼは微笑んでいたので、悪い事にはならなかったのだろう。




