リーゼのいない戦い 闇と炎と雷光と・後編
炎の赤光が黒い闇を溶かす中、左右より同時に回り込んで来たのはディリス人の男女。
両者共に剣を持ち、側面から前後までを挟み込むように横薙ぎに薙いでくる。
正面よりは中年の男、イルバール・マナンバルカ、甲冑の重さを感じさせない動きで、滑るように迫り来る。
殺意に囲まれていた。
前にも後ろにも左にも右にも、逃げ場が無い。いずれも迂闊に飛び込んだらやられるだろう。
だから俺は足に精気を極限まで集中させた。
文献に読んだ火薬が爆ぜるかのようなイメージ――刹那の一瞬に力を一気に解き放つ。
大地を蹴った。
「なっ――」
驚いたような女声が聞こえた。
俺の身は、高々と宙に舞い上がっていた。
重い金属鎧をつけた、いや、つけていなくても、人間に出来る跳躍ではないが、俺は既にただの人間ではない。
リーゼさんは、どうやってたっけかな。
思い出す。
アニャングェラの首を落とした皓い閃光。
森で超巨大な飛蝗人を斬り伏せた皓い閃光。
フラメン・マナンハダシュトを両断した皓い閃光。
いずれも一撃だった。
俺は今、黄昏の陽の光をノーラ隊長から譲り受けたヴェスティール鋼製のロングブレードに集め、収束させて纏わせ、長大な光刃として伸ばした。
一閃。
身を捻りざま落下の勢いを乗せ、驚いて動きを止めている方の頭蓋を兜ごと叩き割った。
赤黒い脳漿をぶちまけながら倒れる。
着地した。
「きぃさぁまぁあああああああ!!!!」
怒声をあげて男が剣を突き出し突進してきた。
それに対し、俺は剣をノを反転させたような形に掲げ、そのまま押し出すように切っ先を真っ直ぐに振るい突き出した。
男の剣の切っ先が、俺の逆ノ形の剣の傾斜に中ってその力のベクトルが外側へと逸れてゆき、肩鎧の装甲を削りながら抜けていった。俺の剣の切っ先は男の額に中り、割って、突き刺さって、その奥までを貫いた。
「おっ」
男が呻き声を洩らし、痙攣する中、手首を捻って突き刺した刃を回し、傷を拡大させながら引き抜く。
引き抜く力の流れのままに一歩、二歩と歩いて、中年男の方へと向き直りながら剣を振り上げ、威嚇する。
イルバールは男を助けるべくだろう、踏み込もうとしていたが、こちらの剣の間合いギリギリで止まった。
男が倒れた。
「…………見慣れないが、洗練された剣技だな。ハシュドゥルメルが勝てぬ訳だ……名のある流派の剣と見る。どういう名だ?」
歴戦だというイルバール・マナンバルカはそんな事を言いながら、しかし、真実はその問いの内容に関心はなさそうに見えた。彼が興味があるのは、俺の注意が少しでも逸れたり緩んだりして、隙を見出せるかどうかだろう。
その証拠に、さっきから視線が鋭く俺の身のあちこちに突き刺さってやがる。探している、隙を。会話の途中でも隙を見せれば即座に斬りかかってくるに違いない。
しかし、俺は乗った。
隙を探す奴は、自分自身に隙を産むからな、奴の側こそ会話の中で隙を見せるかもしれない。
「遠い遠い国の技だそうだ。名前は……なんといったかな、忘れてしまったよ」
確か、リーゼさん曰くじゃ葦原心刀流だったけか。
しかし異世界の名称は洩らさない方が良いだろう。
「忘れるとは、不敬だな」
「そうだな。だが、あんたをこの剣技で殺せば埋め合わせには出来そうだ」
中年男は唐突に告げた。
「アシハラシントウリュウ」
――なにっ?
どうしてこい
稲妻の如くに男が動いた。
異世界の剣の流派名を言い当てられた事に、俺が驚きに目を見開いた瞬間、まさに雷光の如くにイルバールは踏み込んできた。
一切の迷いが無い、最短距離を矢のように最速で詰め、放たれた稲妻のような突きだった。
狙いは眉間だった。
考える間もなく、俺は反射的に首を振りながら身を捻っていた。
次の刹那、右目に焼けるような熱を感じた。
鼻の根元にも鋭い痛みが走っている。
やられた。
眉間をぶち抜かれることはかろうじて避けたが、かわしきれなかった。傷を負った。負傷した。
鼻骨の根元と、右目?
視界が、
片方、
潰されてゆく。
無我夢中で地を蹴って後方に飛び退ってさがる。
中年の男が殺意を宿してギラギラした瞳で俺を睨みながら、摺り足でぴったりと張り付くように追ってくる。まったく体幹がブレていない。目前の男が全身より放つ殺気が爆発的に膨れあがり、吹き付けてくる。その蒼白い燐光を帯びた剣がぬらりと振りかぶられる。
精気で感知しなくても解る、奴のギラつく視線が俺の眉間に突き刺さっている。狙っている。
――打ち込んでくる!
俺は反射的に眉間を守るべく、眼前に剣を掲げるように翳した。
俺自身の腕によって俺の視界の一部が一瞬遮られ、刹那、イルバールが激動し――右足と左足の前後が一瞬で入れ替わった――伸び上がっていた身が低く深く沈み、かわりに振り上げられていた剣が一瞬で下がって、半円を描くように弧状の軌道で、掬い上げるように下から斬り上がってくる。
下?!
雷光のような下段からの斬り上げが、咄嗟に身を捻った俺の左の脇腹を斬り裂いて抜けた。
激痛が全身を貫く。
どうして、なんで、上に構えていた筈なのに、何故、次の瞬間に、下に切り替わっている?!
ああ、そうだったな、そういえば、リーゼさんもそういう動き、訓練の時にやっていた。そういう技が確かあった。そういう技を、この男も使うのか!
後ろにさがっても追ってくるから、剣を突き出しながら前に出た。
イルバールはすり抜けるように半歩横に動いた。
交差ざま、右腕の付け根、脇下に鋭い痛みが走った。
熱い何かが、俺の身体から噴出してゆく。
こいつ。
こいつ。
このオヤジッ……つぇぇぇ……!!
痛みによろけ、倒れこむように前に転がって、転がって、その勢いのまま歯を食いしばりながら立ち上がる。
――だが、だからといって負ける気はねぇ!
立ち上がりつつ身を捻りざま、左腕一本で保持する剣の切っ先を、見えてはいなかったが、視線を感じる方向へと精気を爆発させ渾身の力を込めて突き出す。
「ぬっ」
迫ってきたイルバールが呻き、足を止めた。
くそっ……!
あと一歩、いや、半歩踏み込んできていれば、殺れたのに……!
身体から血が、流れ出ていた。
俺はほんの僅かの間に、鎧の下を血で染め上げ濡らしていた。
熱いものが、深い空いた傷穴からとめどなく零れでてゆき、冷気が押し寄せてくる。
心臓が激しく脈打ち、胸が圧迫され、息苦しくて、呼吸が乱れていた。
イルバールの殺意には、圧力があった。
息子とは違う。
この男は、俺を、殺せる。
「タフだな少年」
イルバールは目を細めて、八双に――リーゼさんがよくやっていた構えに――蒼白い光の剣をゆっくりと構えた。
「アン、タ、……中つ、国を」
「直接は知らない。だが、元帥殿の故郷が、そういう名であるらしいな。遠い遠い地図にさえのってない異国らしいが……一体、何処にあるのだね? 知っていたら、話してもらいたいのだが」
元帥。
あぁ、魔術めいた手法でここ数年で一気にマナン・ディリス国の政治の中枢へと食い込んできたというスケルピオ・クレオディリス元帥の事か。
「話すと、思うか?」
いかん、呼吸が整わん。
痛みと出血でだろうか、片方だけ残されている視界も、霞んできやがった。
チクショウ、寒気がする。
寒気がするのに、右目と右腕の付け根が灼けるように熱い……! 左の脇腹がのたうちまわりたくなるほどにズキズキといてぇ……!
「武器を捨てて話してくれたら、命は助けてやろう、手当てもしてやろう、というのはどうかな? これはマナンバルカの雷にかけて、偽りではない」
「そいつは、魅力的なお話、だね」
そんなにこのオッサンはクレオディリス元帥の生まれ故郷に興味があるのか。
なんか、マナン・ディリス国内でも色々あるみたいだな。
だが、
「信用できんな」
こいつら、卑怯千万な手がお家芸だからな。
「神の雷にかけて誓っている。帝国人には馴染みがないかもしれないが、ディリス人はこの誓いばかりは破らないよ」
異国の作法はよくしらんが、
「真実だとしても、武器を捨てる気はねぇよ」
ああ、くそっ、身体が、急に重くなってきやがった。
「少年、気づいているか?」
また言葉で隙を作るつもりか?
「君の精気の光、消えているぞ」
だからどうした。
俺は片目でイルバールを睨み続けた。
精気は生命の根源たる力を燃やし操る能力。
死に掛けている時に命の根源たる力を燃やせなくなるなんてのは道理だろう。
簡単に手に入れた力が、最も必要な時に、簡単に失われただけの事だ。
だからどうした。
「ふむ……動じないとは、その歳で、たいしたものだ。ますます殺すには惜しいな。それとも精気使いだから、見かけと実年齢が離れているのかな」
俺は笑った。
嘘をつけ。
オッサン、その鉄灰色の瞳に宿った殺意は誤魔化せないぞ。
俺はアンタの息子を殺しているからな。
アンタは俺を心底殺したがってるとその目が言葉よりも雄弁に叫んでる。
すぐに再び攻めてこないのも、時間をかければかけるだけ、出血で俺が弱っていくと、わかっているからだろう?
ここまで有利を築いておきながら、それでもなお、揺さぶりをかけて、気を緩ませて、隙を作ろうとしてくるとは、あきれた慎重さと狡猾さだ。
「見た目どおりの歳だよ。ついこの間十六になったばかりさ」
「……ふむ」
……あ?
一瞬、イルバールの瞳の光が揺らいだように見えたのは、目の錯覚か?
……ああ、錯覚だな。
そうに決まっている。
視界が、霞んできやがったからな。
「……たいしたものだな」
「そうでもない。あんたは強い。履いてた下駄も消えた、が――」
ただでさえ強敵なのに精気が使えなくなった今、勝機は限りなく薄いだろう。
だが、だからどうした。
元々、俺が持ってる力なんてこんなもんだ。
皆、そうして生きて、そうして戦っている。精気なんて使えなくても命を賭けて。
他人より恵まれた有利な立場じゃなければ戦えないのか。
そんな訳は無い。
それに、
「あんたはアニャングェラよりは弱い」
俺は牙を剥くように笑った。
剣もなく鎧もなく、チンケな農作業用の一本の大鎌で、あのバカげた図体を誇る竜の化け物に立ち向かった時に比べれば、今のがナンボか絶望度は薄い。
五十歩百歩ってところかもしれないが。
それでも。
それでも。
諦めるつもりはない。
投げ出すつもりはない。
かつて出来ていた事が、どうして今、できないというのか?
俺の親父は家族や村の人々を守るために飛竜に対し農作業用の大鎌を振りかざし突撃して死んだ。
俺はその息子だ。
ここでへたれたら死んだ親父に笑われる。
いや、激怒されてぶん殴られるな。
そんなのやったら、ぶん殴られて当然だ。
そんなザマを見せる訳にはいかねぇ。
「悪魔か……翼持つ竜と人の身ながら比べられるというのは、光栄というべきなのかな。そうか、レッカー、魔物の集まる地の少年か……」
イルバールが構える剣を八双から青眼に移した。
「敬意を評し、せめてこれ以上、苦しまぬように殺してやろう。我が息子と従士達を討った事、あの世で誇るが良い」
「あの世にいくのはアンタさ」
「ぬかせ……そこまでゆけば、美しくないな。往生際が悪すぎる。諦めを知る事こそが人の美徳であり成長であると知れ。ケルヴィン少年よ……潔く敗北を受け入れよ!! それが高潔さというものだ!!!!」
知った事かよ!
イルバールが突っ込んでくる。
俺は咆吼をあげた。
俺は足掻く。
足掻いて。
足掻いて。
足掻きぬいてやる。
身に走る激痛を無理矢理に無視して左手一本でロングブレードを腰溜めに構え、突撃する。
殺す!
こいつは、殺す!
そうすりゃ後はアゼル様が、ノーラさんが、サーディックさんが、他の味方がきっと勝利を掴み取ってくれる筈だからな!
どうせ死に体だ。狙うならば相打ちしかない。持ち込めれば上等だッ!!
俺は叫んだ。
魂というものが身に宿っているのなら、それを燃やし、全身全霊の力を振り絞って、俺は駆けた。
イルバールの鉄灰色の瞳を睨む。
殺意が炎よりも鮮烈に光っている。
俺が殺すか、アンタが殺すか――勝負!
刹那。
「おおっ?!」
俺の斜め後ろから、暴風雨の如き矢がイルバールへと襲いかかった。彼は、急遽飛びのきながら剣をしゃむに振り回して、矢を一本、二本と見事なまでの動きで叩き落したが、三本、四本、五本目の矢は叩き落せず、その身に受けてゆく。二本が鎧の装甲に弾き飛ばされたが、一本が右肩の付け根の装甲を貫いて、深く突き立つ。
――勝機!
それがあるなら、ここしかなかった。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
俺は猛然と踏み込み、体当たりするかの如く、構えた剣をイルバールへ突き出した。
激突。
名工の手によって鍛え上げられたヴェスティール鋼製のロングブレードの切っ先が、イルバールの左の脇下に突き刺さっていた。
そこは、装甲が薄いからな。
俺も鎧を身に着けるようになったから知っている。そこなら、精気無しでも鎧を貫ける。
「多対一だが、悪く思うなよ?」
さきほど言われた台詞を返してやった。
「ぬかせぇええええええッ!!!!」
イルバールが憤激に叫んだ。
俺は目を剥いた。
嘘だろ。
脇下ぶっ刺されながら、動けるのかよ?!
蒼白い光に包まれた白刃が俺の顔面へと唸りをあげて迫ってきて、俺は咄嗟に剣を手放して後ろに倒れこんだ。
間一髪、刃が俺の鼻先をかすめて突き抜けてゆく。
イルバールは地に仰向けに転がった俺へとトドメを刺さんと踏み込もうとするそぶりを見せたが、直後にまた暴風雨の如くに矢が飛び、その全身を針ねずみのようにしながら後退した。
「……ケルヴィンッ! その首、預けておくぞッ!!」
中年のオヤジが、脇下に突き刺さっているロングブレードを引き抜いて投げ捨て、憤怒に血走った目で俺を睨むように一瞥した。
そして、踵を返して彼方へと駆け去ってゆく。
「待て、逃げるの、か!!」
「貴様こそもう戦えぬではないか、痛み分けにしておいてやる!!」
いや、ここに留まれば死ぬのはアンタだろ。
この矢の嵐、きっとノーラさんだ。
ノーラさんは、俺より強いからな。
イルバールが万全ならば、あるいは互角に戦えたのかもしれないが、手負いの状態でレッカー村の守護神たる戦乙女に彼が勝てるとは思えない。
「やかましい! 詭弁を弄し逃げるのか! ハシュドゥルメルが! 俺に殺された貴様の息子が泣いているぞ!! ここで逃げて、あの世の息子になんと言う!!」
俺は酷い言葉を並べ立てて挑発を試みた。
こいつは、逃がしちゃいけない。
ここで殺さないと。
ここで殺さないと。
必ず、後に禍根となって、災いを帝国にもたらすだろう。今まできっとそうしてきたように。
だから、俺は必死に膝を立てて立ち上がろうともがきながら、駆け逃げ去ってゆくイルバールの背に挑発の言葉をあびせかけ続けたのだが、矢の嵐を憤怒を立ち昇らせる背に受けながらも、彼は振り返らず倒れる事もなく、赤い闇の彼方へと消えていった。
「……くそぉっ!」
「……あの男、名のある指揮官? やけに良い鎧を着込んでるね。矢がなくなるまで撃ち込んでも射殺せないとは」
声に振り向くと、弓を背に納めながらノーラさんが俺の傍へとやってくる所だった。
ノーラさんの矢をあれだけ受けても倒れなかったのは、精気かそれに類する技で装甲を強化しているからだろうな、きっと。
「イルバール……マナン、バルカだ」
「えっ? あれがイルバール大隊長?! ……ってケルヴィン?!」
彼女は腰から大太刀を引き抜きつつ、俺を見てすっとんきょうな声をあげた。
「なに?」
「君、ひどい怪我じゃないか?! 大丈夫なのか?!」
「うん? あぁ……」
あぁね。
確かにね。
「だいじょう……」
ぶ、と言おうとしたのだが、最後まで言えずに、俺の視界は、急速に闇に閉ざされていったのだった。




