リーゼのいない戦い 闇と炎と雷光と・中編
かくて、天下に無双な無敵の武者はいなくなった。
どんな時でも献身的に俺を助けてくれる妹はもう傍にいない。
迫る死神の大鎌を、本当にいざという時には、皓い閃光で一刀両断にしてくれるリーゼは、もういない。
夜の闇は、こんなにも暗く深かったんだな。
夜襲に備えるというと、篝火を煌々と焚かせ、暗黒を晴らして視界を確保し、敵の奇襲を防ぐというのがまず思い浮かぶ。
しかし、サー・アゼルヴァリスはそのような手段はとらなかった。
むしろ、普段以上に篝火を減らした。
闇は増えていた。
いつもなら酷く恐怖を感じて脅えていただろうけど、今は恐怖を感じなかった。闇が深いならより、注意して睨まなければならないと思うだけだ。
闇の奥から何が飛び出してきても、自分自身でなんとかしなければならない。
そんなのいつだって当たり前だった筈だ。
けれど、いざという時に頼りになるヤツが今はいない。
知らず、俺は妹を頼っていたらしい。
なってねぇな。
なってなかったから、今からでも気を引き締める。
倒れたリーゼの代わりに、俺がなんとかする。
なんとかしようとする時に、恐怖は邪魔だ。
邪魔なものはいらない。
赤い閃光が、闇を裂いて走った。
紅蓮が天幕へと突き刺さる。
火矢だ。
けたたましい鉦の音と共にマナン・ディリス兵が野営地へと雪崩れ込んできた。
彼らは天幕に火をつけ、あるいは切り裂いて乗り込んだが、しかし、俺達はそこにはいなかった。
人影達が戸惑ったように動きを止める。
野営地がもぬけの空だと気づいたのだろう。
「かかりました」
俺は付近の潅木の陰より精気で視力を強化してその様子を窺っていた。
サー・アゼルヴァリスへと報告する。
数の確かなところは闇が深くてよくわからなかったが、しかし、かなり多そうな気配ではあった。
「騎士アゼルヴァリスが貴様等に告げる。兜に布を巻け、兜に布を巻いている者は味方だ。それ以外が敵だ。同士討ちに注意せよ」
短弓と騎兵長剣ではなく、鉄槍を手にしたご主君が言った。
闇夜の中だと敵味方の判別が困難で、同士討ちが起りやすいからな。
そんな中で、しっかりこちら側は味方を判別できるのなら、戦うに有利だろう。当然、夜襲を仕掛けてきた敵の側も敵同士で通じるなんらかの目印をしてきているかもしれないが。
「ノーラ、合図を」
戦乙女が弓に矢を番えて夜空へと放った。
他の何名かの弓兵も次々に矢を空へと放ってゆく。
ヒューッという甲高い音が連続して鳴り響いてゆく。
鏑矢だ。
攻撃開始の合図だった。
少し離れた位置からも聞こえた。
呼応した。
共鳴するように、いくつも鳴っている。
味方の了解の合図だ。
俺達は野営地を半包囲するように伏兵していた。
重装歩兵や常は戦闘には参加させない輜重隊の後備兵まで入れて一九九名、真に総力による半包囲だった。
夜襲で奇襲せんと野営地へと乗り込んだマナン・ディリス軍は、その半包囲網の中へと、自ら飛び込んだ形となっていた。
「かかれぇーーーっ!!」
サー・アゼルヴァリスが吼え、立ち上がって槍を手に駆け出し、一同もまた立ち上がって駆け出し、俺も抜き放ったロングブレードを手にその背を追いかける。
「歩兵戦です。一番槍は貰いますよ!」
「ぬっ、ケルヴィン!」
俺は精気を爆発的に燃やして脚力を強化し加速して、一気にサー・アゼルヴァリスを追い抜いた。
この闇の中、歩兵戦で、先頭を走るのは危険だからな。サー・アゼルヴァリスにいらぬ危険を負わせて死なせる訳にはいかない。多分、彼が死ぬよりは俺が死んだほうが味方は勝利に近づく。死ななくて済むなら死ぬ気はねーけどな。どっちがマシかってことだ。レッカー村を、倒れたリーゼを送った故郷を守る為には。
そう、今回、俺達は己の足で駆けていた。騎兵隊も竜に乗っていなかった。
闇の中では竜を疾走させるのは足場や障害物の問題もあって危険だったし、あわよくば敵に敵味方を誤認させ、同士討ちさせたかったからだ。
敵に騎兵はいなかったから、竜に乗っていればそれだけでソルヴィオドゥルム勢と判別されて、攻撃を集中されてしまうだろう。だから、今回は騎兵隊も全員下竜して徒歩だったのだ。
夜風が唸った。
刀のように細い三日月が浮かぶ夜空の下、燃える天幕の傍で、行く手に立つ人影へと俺は風に乗って加速し、山吹色の光を纏う大太刀を振りかぶり、袈裟に振り抜いた。
一閃。
影が肩口から両断され、液体をぶちまけながら倒れる。
その左右に立つ二つの影達が振り返り、槍を突き出してくる。半身に身を捻って傾斜させた鎧の装甲をあて勢い良く突き出された穂先を滑らせ弾き、大太刀を振り上げてもう一本の穂先を斬り飛ばす。一歩を踏み込んで返す刀で水平に振り抜き、影の首を刎ね飛ばした。
悲鳴があがり、腰が引けた三つ目の影へと踏み込んで真っ向から唐竹割りに振り下ろして頭部を二つに叩き割る。
炎に照らされる大地に、マナン・ディリスの三名の男女が絶命して転がった。
闇の中、燃える火の光と血で大地が赤い。
影達はまだまだ山程いた。
周囲でも次々に剣戟の音が響き渡り、悲鳴や怒号、断末魔の絶叫があがってゆく。
たちまちのうちに乱戦になった。
俺は闇を溶かす赤く熱い光の中を、精気で加速して駆け、頭に布を巻いていない影達目掛け大太刀で猛然と斬りかかり、片っ端から斬って、斬って、斬り抜いた。
精気を纏わせて強化している事もあるが、名工作のヴェスティール鋼ロングブレードは、刃筋をきちんと立てて振るえば、よく人間を斬ってくれた。
鎖や革の鎧兜ごとその骨肉を、熱したナイフでバターを裂くように斬り裂く。
「その黄金の光、覚えているぞ化け物めっ!!」
言葉よりも先に刃が届いたので、俺は大太刀を翳して切っ先を受け止めていた。
相手が繰り出してきた騎兵長剣は稲妻のような蒼白い燐光を帯びている。
「あぁ、アンタ……ギスカルドとかいう?」
かつて交易民隊を襲ってきた野盗達の中に見たが、西側の敵攻囲隊の中には見なかった面だ。ディリス人、やはり、マナン・ディリス国の手の者だったらしい。
西が劣勢と見て他方面から応援にでも来たか。
なら、この場にいる敵兵は四百よりもずっと多いのかもしれない。
上手く半包囲できたと思ったが、そんな数を相手にして勝てるのか……?
いや、もう、こんな乱戦に突入しちまったら、最後までやるしかねぇな。
例えここで俺達が全滅しても一兵でも多く斬り殺せばレッカー村が守られる可能性は上がる。
だから、やはり斬るだけだ。
「違う。それは偽名だ」
男が飛び退き、間合いを広げ、低い態勢で蒼白く輝く剣を霞みに構え直してきた。そして、彼は横に滑るように回り込み始めた。
体幹の上下左右のブレが少ない。訓練された歩法だ。隙は少ない。この男は、強い。
それにこの光の刃、精気か霊技の類か。あぁ……前の時は、身バレを恐れて、目立つ能力は使ってなかったのか。
「では名は」
隙、隙、隙、隙、隙は何処だ。
目の前の、低く構え、俺の周囲を水が流れるように澱むことなくなめらかに滑るように歩く男を静かに睨みつける。
どうすれば迅速に殺せるだろう?
剣を上段に構えなおし、俺の周囲を廻る男の動きに合わせて向き直りつつ、会話しながら時を稼ぎ考える。
「マナン・ディリス共和国がマナンバルカ一族のハシュドゥルメルよ! 貴様は?!」
「メリディア帝国がレッカー村のケルヌンノスとルテティアの息子ケルヴィン」
「そうか……ではレッカーのケルヴィンよ、その首、貰い受ける!!」
雄たけびをあげ、男が獣の如き瞬発力で飛び出し斬りかかってきた。
速い! が。
しかし、恐れず冷静に見ていれば、振りかぶりの動作が少しばかり大きく、解りやすかった。
ハシュドゥルメルの剣閃は並み居る兵士達よりも圧倒的に鋭かったが、それでも訓練時にリーゼが俺へと繰り出してくる一閃とは比べるべくもない。リーゼの攻撃は起こり――つまり予備動作――が見えない。斬撃のほぼすべてが無拍子に近い。呼吸や視線の動きも複雑だ。だから狙っている箇所が解らない、どのタイミングで仕掛けてくるか解らない。気づいた時には目の前に刃が迫っている。だから速い。
一方、目の前の彼は、視線も呼吸もよく見えた。
どれだけ剣先の動きが速かろうが、狙っている場所とタイミングが解るなら、その剣は遅い。
だから――彼も力を武具に纏わせていて、一刀で武具ごと両断とはいかなかったが、数合も打ち合わせれば、劣勢へと追い込む事は容易かった。
俺の剣に押され、よろめきながら、青年が目を血走らせて叫んだ。
「お、おおおおっ?! こんな、子供に……っ!! マナンバルカが!! 海神の青い雷にかけて、こんな――!!」
「悪いが下駄を履いてる。勝てないよ、お前は」
本当だったら一般村人の俺なんかじゃ及びもつかない相手なんだろうが、精気の力を引き出され天下無双の武者から戦闘術を教え込まれた俺の敵ではない。
「サン――」
サー・アゼルヴァリスの真似をして、加護でも何かに乞おうかと思ったが、祈る存在など俺にはいないと気づく。真実の、本当に差し迫った所では、神にも法皇様にも祈る気にはならない。
だから、代わりに告げた。
本当に悪いが。
「邪魔だ。死ね」
風が唸った。
首が飛んだ。
血飛沫があがって、剣を振り抜いた態勢の俺の身を濡らした。
湿った音を立てて若い戦士の身が地に崩れ落ちる。
「ハシュドゥルメル……!」
声に振り向くと、豪奢な鎧兜に身を固めた鋭利な面差しの中年男が、左右に兵を従え、呆然としたような面持ちで立っていた。
どことなく、今斬り殺したハシュドゥルメルという男に顔立ちが似ていた。
「血縁かい?」
「息子だ」
男が蒼白い燐光を立ち昇らせる剣の切っ先を真っ直ぐに俺へと向け、左右の兵がやはり蒼白い燐光を纏う剣を手に、俺の両側面へと挟みこむように回り込み始めた。
「ケルヌンノスとルテティアの息子、レッカー村のケルヴィン」
俺は黄昏の陽の光を纏う大太刀を肩に担ぎながら半身に構え、視線を正面の中年男から外さずに述べた。息子を殺した相手が何者なのかは知りたいだろうから。
ハシュドゥルメルの父親だという男の構えには隙がまったく無かった。どころか、迂闊に飛び込むと、何処に打ち込んでも、逆に斬り殺されそうな威圧感を放っている。
「イルバール・マナンバルカ」
ああ、こいつが。
聞いた名だ。マナンハダシュト家に割り込まれなければ、本来ならばブラウベルグの丘で六〇〇の部隊を率いていたという歴戦の軍人。
こいつが、そのイルバールか。
なるほど、やはり余所の方面から応援がきているな。
西側には確実にこいつは今までいなかった。こんな強者がいたのなら流石に気づいていた筈だ。
「死んで貰う」
俺は告げた。
優秀な敵には死んで貰う。
そうすれば味方が楽になる。味方が助かればミュンドゥングが助かって、レッカーが助かって、レッカーで療養するリーゼが生き延びていける可能性があがる。
派閥争いやなんやらの、政治的な事にはマナンハダシュト家にねじ込まれたあたりあまり強くはないようだが、軍人としては優秀だと聞く。こいつに西側の指揮をとられるとおそらく面倒だ。
指揮官としての実力を発揮される前に個人的武勇で殺す。
そんな事を考えていると、あちらも俺へと告げてきた。
「多対一だが、仇は取らせて貰う。悪く思うな」
会話になってねぇな。
いや、ある種の会話、意志表示ではあったか。
互いの予定の宣言。
殺意の交換。
影達が動いた。




