リーゼさんと気の修練をするの事
翌日、いつもの農作業を終えて夕暮れ、俺は村外れの丘の上を歩いていた。
あぁ空の彼方、落ちゆく陽が山吹色の閃光を放って、地上の村の家々の屋根を、黄金の色に染めている。
我等が村の初夏の夕焼け。
風は涼やかに吹き抜ける。
「……これが修練なの?」
「さよーにござる」
肯定の答えは頭上より返ってきた。
トラヒメなリーゼから課せられた修練は――何故か、肩車だった。
本日私、疾風と踊るケルヴィン・レッカー、半ズボン姿の我が妹君を担いでおります。これが大男とか担ぐんなら、筋力鍛えるのに良いんだろうけど、リーゼさんはちっちぇから軽いモンだわ。
「これで、気を使えるようになるの?」
やってる事はただ、リーゼさんを肩車して歩いてるだけなんだけど。
「なりまする、それがしに触れられていますので」
「なぜ?」
「それがし、一つちょっとした特技を持っております。特定条件を満たしている相手に触れた場合、相手の精気を燃やし、その者の力と成さしめる事が出来るのです」
「要するに?」
「例えば、それがしが手を握っている相手は、怪力になります」
なるほど。
妙にリーゼさんを軽く感じているのは、この前世の記憶を思い出したという童女さんの体重が軽いのもあるけれど、俺の筋力が上がっているからか。
よくよく考えれば、いくら軽いっていったって、生まれたての子牛くらいの重さはある筈だからな。
便利な能力である。
「ですが、やりすぎると死にまする」
おい。
感心した次の瞬間コレだよ。
「気というのは正式には精気という名なのですが、これは万物の根源、命そのものであります。精気が通っているからこそ、人は肉体を維持し続けられるのです。ですが、消耗しすぎて精気が身体を維持する分すらも足りなくなると、細胞の一つ一つが崩れ、壊死してゆきます。すると、全身から血を吹き出して死にます」
……マジ怖いんですけど?
下手すると俺、全身から血を吹き出して死ぬの!?
「ご安心ください。今はきちんとリーゼめが精気の消耗度合いを制御しておりますので、大丈夫ですよ。どうどう」
俺の肩の上に乗っている半ズボン姿のセンゴク姫様の生まれ変わりは、あくまで冷静真面目な口調で兄貴を宥めてくれた。どうどうは余計だけどね。
「精気を操って力と成す事は、油に火を放って燃やすようなもの。さしずめ、リーゼのこれは、移し火にござる――」
移し火にござる、ねぇ。
口調もそうだが、例えに持ち出す内容が、今までのリーゼさんじゃねぇな。
きっと本当は口調の違いなんてのは些細なもので、もっと別の何かが変わってる。
「――人間というのは通常、精気の燃やし方を知りませぬ。ですが、何度も燃やしていると、そのうち、身体が燃やし方を覚えるのですね」
正直、今、俺の肩の上に乗っている女の子は、得体が知れない。
何者なんだ?
何故、そんな力を持っていて、そんな事が出来る?
俺が共にあの家で生きてきた、幼い妹の魂は、一体どうなったんだ?
「ですからこうやって、毎日、兄上様の精気をリーゼが燃やしていれば――」
ただ、それでも、ああ、リーゼはリーゼなんだろうけれど。
異なってしまった部分も多いが、同じままの部分も多い。
だからきっと、この少女はリーゼなのだ。
けれど――
この世に裏切ってはいけないものがあるのなら、俺はその信頼を裏切らずに、一生を終えられるのだろうか。
「――兄上様の身体もおのずから精気の燃やし方を覚え、兄上様も息を吸って吐くように、感覚的に自在に精気を操る術を体得できましょう」
俺がぼさっと別の事を考えている間にも、リーゼさんは解説を終えていた。
なんかけっこー、そりゃ凄い、って事を言っていたような気がする。
……いや、リーゼが言ってた内容をよくよく考えると、これ、普通にものすごい能力じゃね?
だって、リーゼがいれば、気を操れる人間をどんどん簡単に増やしていけるって事だろう?
あれ、でも、そういえば、特定条件を満たしている相手に触れた場合、ってことも言ってたか。
「リーゼ、特定条件ってなんだ?」
「お互いの心魂の絆が一定値以上の場合のみ発動可能でござる」
……どゆこと?
「なんといいましょう、心、魂の波長が合っていないと気と気が通じ合えないのでござる。ですので、気と気が合うというか、気心が知れるというか、お互いに相手が相手と非常に親密でかつ好感を持っていないと使用不能なんでござるよ」
「えーと……つまり、リーゼさんと仲良しさんじゃないと駄目ってこと?」
「そういう事にござるな」
世の中、よくわからん制限があるものなんだな。どういう法則なんだ。心魂の波長? なんのこっちゃ。得体が知れないどころの話ではない。
「かなり条件が厳しいので、兄上様以外は無理でござる」
……え、アリシアさんも駄目なのか?
リーゼ、お母さんと仲良くないの?
なんだろう、なんだか俺が気づいていなかった義理の母と妹の互いの間の溝を目の当たりにしてしまったようで、心が痛いんだが。考えようによっちゃ、これ、ものすごく嫌な技だな。
まぁ俺とアリシアさんだったら使えないのはわかるんだけど、リーゼとアリシアさんは仲良さそうに見えてたんだがな。
あぁでもなんかお互いに遠慮があったりするのかな?
俺が沈黙していると、
「兄上様、もしかして、何か酷くお考え違いをなさっておられませぬか? 普通は、お互いに相手にかなり好感を持っていても無理なのです。できるほうが極めて希なのです」
「そうなの?」
「ええ、自分の命と引き換えにしても、相手を助けようと思えるくらいでないと無理ですから」
「……なるほど」
そりゃあ確かに、普通は無理だなぁ。ていうか、アニャングェラの時の一件が起こる前だったら、妹の命と引き換えに死ねるかって尋ねられたら「流石に無理」って答えてたかもしれない。俺だって死にたかねぇし。まぁ実際は、引き換えにしようとしちゃったんだが。
人間、土壇場のいざって時になると何やるかわからんね、ほんと。
あれっ? でもじゃあリーゼさんも俺のこといざという時は命がけで助けてくれるってこと?
やん、お兄ちゃん嬉しい!
「よーし、よし、それじゃお兄ちゃん、嬉しいからどこまでもはしっちゃうぞー」
「それは素敵でござる。疾く駆けるのです兄上様! あの落ちゆく黄金の陽のもとまで!」
「いや、太陽まではちょっと無理」
そんな訳で俺はその日、マイシスターを肩車して村内を駆け回った。肩の上で意気盛んに喜んでいる武者姫は、やはり何かがリーゼだった。
陽が落ちてからさすがにくたびれて家に帰る途中、
「そういえば……肩車なのはどういう意味が? 別に手を握ってるのでも良いんだろ?」
「このリーゼ、世を高きところから見渡したくなったのでござる」
……そこは嘘でも体力つける為とか言っとけよ!
特に意味ないのかよ!
うちの妹は前世に目覚めても結構正直なままらしい。
上機嫌に笑顔を浮かべている妹の隣りで俺は嘆息しつつ、共に家路を歩いたのだった。