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マナンバルカの電撃戦略 リーゼの献策

 ソルヴィオドゥルム勢の二百と三十の兵達が、赤兜の騎士を先頭に、武装し輜重の荷駄を引き連れ、ミュンドゥング市への道を急ぐ。

 そんな中、以前、賊に襲われたブラウレーゼ川の付近の、丘陵が多い原野が広がる地帯に差し掛かった時、行く手の街道より竜騎兵が全速で駆けてきた。


 あれは……サー・アゼルヴァリスが偵察の為に先行させていた竜兵?


 主君のかたわらについて行軍していた俺は、それを見た。

 俺達へと真っ直ぐに迫ってくる騎兵はその乗竜を乗り潰すかの如き物凄い勢いで、ただならぬ様子だった。


 ……うあぁ、すんげぇ嫌な予感がするんですけど。


 やがて俺達のもとへと辿り着いた斥候騎兵は、強張った表情でサー・アゼルヴァリスへと「恐れながら、お耳を」とそばに馬竜を寄せ、耳打ちをした。


 赤兜の騎士は泰然とした様で報告を受けていたが、やがてその頬と眉が微かに、強張るようにピクリと動く。

 周囲の俺達は、その様子を皆、無言で見守っていた。

 空間が張り詰めていた。

 誰しもが予感していたのだろう。良い報告というのは、こういう形ではなされやしない。


 やがて、報告を終えたか竜兵が離れる。

 何かを考えるような様子で、少しだけの沈黙の後、ソルヴィオドゥルム家の若き青年当主は、鋭く声を発して全体へと行軍の停止を命じた。


「……何事か、ございましたか?」


 金属と金属が打ち合わさるかねの音が一定のリズムで鳴り響いてゆく中、白髭のダイラス従士長が静かに問いかけた。

 社会に生き、集団を取り仕切るを補佐する宿将の、若き当主への言葉は、儀式めいていた。

 わかりきった問いかけだった。

 何事かあったに決まってる。

 案の定、答えたサー・アゼルヴァリスの言葉は、俺達の心を撃つこと落雷めいていた。


「ミュンドゥング市がマナン・ディリス軍およそ五千に包囲され攻撃を受けている」


 何を言われてるのかよくわからなかった。


「…………どういう事ですっ?!」


 サーディックさんが心底からであろう疑問を叫んだ。


「……既に、マナン・ディリス軍が、我等よりも先にミュンドゥング市に到着していると?」


 ダイラス老は壮年の従士のように叫びはしなかったが、それでも、彼でさえ、動揺が表情と声音から滲んでいた。


 俺も驚いていた。

 だって、こちとら、すごい急いできたのに、レッカー村とミュンドゥング市の距離は、国境から比べればとんでもなく近いのに、どうして、マナン・ディリス軍のほうが、他の南州諸領主はおろか、近場の俺達よりも速くに到着しているんだ?

 おまけに、連中の進路の間には湊町ウェコードがあった筈だ。

 陥落は免れえないにしても、多少は時間を稼げる筈なのに。


「……何故? いくらなんでも速すぎる」


 ノーラさんも顔色を赤くしたり青くしたりしている。

 まったく同感だ。


「マナン・ディリスは古の遺失魔術でも見つけたの……?」


 セルシウスがぽつりと呟いた。遺失魔術?

 その呟きを拾ったのか、


「遺失魔術とやらではないだろうよ」


 サー・アゼルヴァリスがフンと鼻を鳴らして否定した。

 彼だけは落ち着いていた。あ、いや、リーゼさんも表面上は表情を変えてないな。


「そんなものは御伽噺だ。俺が思うに、そんな神話じみた超常の話ではなく、もっと単純な話だろうよ。だが奴等、乾坤一擲、正真正銘の本気ではあるようだな」


 一同が見つめる中、我等が赤兜の騎士は言った。

 なんだ?

 ご主君、どうしてマナン・ディリス軍が、忽然とミュンドゥング市に現れたのか、現れられたのか、理由に見当がついてるのか?


「恐らく、艦隊戦力だけで先行してきたのだろう」


 ……艦隊、だけで?


「ああ、なるほど! 帆櫂船なら、陸兵に十倍する速度で移動できる!」


 ノーラさんが合点がいったように声をあげた。


「そんな……しかし、では、連中は自ら大半の兵を置き去りに?!」


 サーディックさんは息荒く、


「戦力というのは集中させてこそ威力を発揮するものです、みすみす自らそれを分散させるなど愚の骨頂。まともな指揮官ならそんな事をいたしましょうか。常識ではありえません!」

「そうだ、危険なやり方だ。普通はやらん」


 赤兜の騎士は頷いて、


「だが、おかげで帝国側諸領主の部隊もまだ集結できていない。おそらく、ミュンドゥングには伯爵の千の兵しかおるまい」


 確かに、道理で考えれば、ミュンドゥングから最も近い位置にあるレッカー村の俺達でこれなんだから、他の南州領主の軍が到着できている訳がなかった。

 となると、ミュンドゥング市には、まだ同市の守兵しか存在していない。


「ガレー二十にガレアス十ならマナン・ディリス側は兵力五千は移送できる筈だ。斥候からのミュンドゥングを囲んでいるマナン・ディリス軍の兵力はおよそ五千程度という報告にも合う。10対3と、5対1で戦うなら、どちらがより勝ちやすい?」


 ……敵は後者を選んだと?


 一万の総兵力の中、五千を置き去りにする代わりに、総勢三千の帝国側のうち、その二千が集結してくる前に、帝国側が千だけでいるうちに、五千で先行して速攻を仕掛けて、南州の中核にして頭であるミュンドゥング市一千を一気に叩く。

 こちらが戦う為の態勢を整える前に、一気に飛び込んできて、まずこっちの大将を速攻で潰すと。


「そういう事だと、俺は思うがな」


 速攻の為にマナン・ディリス側の戦力は分散したが、それ以上にこちらも分散させられている。

 ただでさえ寡兵なのに、集結できておらず、戦力比率はさらに寡兵にさせられてる。


 ……ああ、そういえば、国境の水砦も奇襲で落とされたようなものだったらしいし、マナン・ディリス国軍の戦略を仕切っている指揮官は、こちらの意表を突くのが随分と好きなみたいだな。

 この戦略、敵元帥のスケルピオ・クレオディリスが立てているのか、それとも副総官の往年の名将アブドゥルメルガリス・マナンバルカが立てているのか、それとも他の誰かが中心になっているのかはわからないが、誰であろうと敵の頭脳は厄介な奴のようだ。


 他にも振り返れば、賊やら魔物やらを使って後方撹乱も行ってるし、そもそも北の騎馬民族と手を組んでの同時侵攻だし、やることがいちいち嫌らしい。


 間違っても騎士道精神溢れる指揮官じゃあなさそうだ。ちくしょうめ。


海の雷光(マナンバルカ)ならやりそうな手ですな」


 二十年前の大戦にも参加したという歴戦のダイラス老が呟いた。

 アブドゥルメルガリス・マナンバルカ、かつて弱兵の味方に足をひっぱられながらも大陸最強の帝国軍相手に獅子奮迅の奮戦をした生ける伝説。


「しかしウェコードはどのようにお考えに?」

「降伏したか、内側から手引きがあったか……数の差は絶大にせよ、ウェコードはその大軍こその展開が難しい浅瀬が多い天険だ。まっとうに抵抗したのならば流石に抜かれるのが早すぎる。そもそも、こういう事態をこそ防ぐ為の天険の国境水砦であり、ウェコードだからな」


 ああ、艦隊を使うにしても、そこは流石にそうだよね。

 少数で大軍を喰いとめる、少なくとも時間を稼ぐのは専門みたいなものだろう。


「事前に調略されていた可能性が高いな」


 さらに嫌な単語が出てきた。

 調略?

 調略って、つまり、寝返り工作が事前になされてたってこと?

 味方の筈のウェコードは開戦前から敵側についてたってこと?


「あそこは二十年前はマナン・ディリス領だった。住民もディリス系が多い。ロード・ウェコードは下賤の産まれながら一代で成り上がった傑物と言って良い男だが、同時に油断もならぬ爺だ。時勢を見てマナン・ディリス側と密かに手を結んでいたとしても、不思議ではない」


 そこは不思議であって欲しかった。ますますもって嫌らしいやり口。

 最前線は水砦だけど、ウェコードだってそのすぐ後ろの二番手だ。なんで要衝にそんな危ない人を配置してんの。いくら有能だっていっても、限度があるだろ!


「……ミュンドゥング伯は基本的に人をお信じになられるおかた、お味方へと疑いをかけて腹を探る行為を嫌う性分のかたですからな。内への監視が甘くなっていたというのは、ありえそうですな」


 ダイラス老は好意的解釈を述べてくださった。

 つまりミュンドゥング伯は良い人だからと。

 その割りにはウェコードを最初から守ろうともせずに見捨てる指令だったよな――っていうのは、守ろうとしたって守りきれる訳がない状況なんだから、意地が悪い言葉なんだろうけどさぁ。


「ミュンドゥングにも補佐はいる。ウェコード男爵の狸ぶりが上手うわてだっただけかもしれん、あるいは……そも、ウェコードとしても別の理由があるのかもしれん」

「さようですな」


 宿将たる老人は頭を下げた。


「……さて、現状を生み出した原因への予測はそのように出来るが、対処はどのようにしたものかな。ミュンドゥングが包囲攻勢を受けている今、我々はどのように動くべきなのか」


 我等がご主君、若き青年当主は俺達一同を見渡した。


「何か、良策のある者はいるか?」


 ……

 いや、良策っていわれても。

 どうすんべ。


 サー・アゼルヴァリスが色々と彼の予測を説明してくれたのは、俺達からも知恵を借りたかったからのようだ。

 この人でも、これからどうしたら良いか、わかんない状況なのね。


 ……正直、お手上げなように思える。

 戦う前から、負けた。


 ただでさえ圧倒的な劣勢だった。

 だから、こっちはまずはミュンドゥング伯と合流してそれからって予定だったんだ。


 それなのに。


 俺達はもはや、ミュンドゥング市内の伯爵様達とは合流できないだろう。分断されてしまった。

 だって、たった二百で、五千の兵の攻囲網を突破してミュンドゥング市に入城できる訳がない。


 誰も言葉を発しなかった。

 しかし、やがて、サーディックさんが口を開いた。

 この人は果敢だ。


「……ただ立ち尽くすしかないというのも口惜しい限りですが、どのような行動を取るにせよ、まずはお味方がミュンドゥング付近まで集結するのを待つしかないのではないでしょうか? 我々二百名だけでは、なにをどうするにも数が少なすぎます」

 

 実にもっともな意見だった。

 しかしダイラス老が首を振った。


「お主の言う事は正論じゃが、集結を待つ間にミュンドゥング市が落とされてしまったらどうとする? 太守様が討ち取られてしまったら、我々は終わりじゃぞ」

「太守様を失うのは、それほどまでに不味いのですか? こう言うのは不敬かもしれませんが、ミュンドゥング伯にそこまでの値打ちがありますか?」

「馬鹿を言うな。決定的に不味い」


 老人は断言した。


「ミュンドゥング伯は、ミュンドゥング市の領主であらせられるだけでなく、レッカー村の正式な御領主であり、その代官であらせられるサー・アゼルヴァリス(我等が君)のご主君じゃ。

 同様に南州の太守であらせられ、南州の諸領主様がたのご主君でもある。

 皇帝陛下と直接君臣の契りをかわし、領主になっている者も少数存在するが、大半はミュンドゥング伯を直接のご主君としておられる。

 太守様こそが南州の君、南州諸侯の要なのじゃ」


 俺にとってのサー・アゼルヴァリスでありソルヴィオドゥルム家みたいなものか。

 その庇護、後ろ盾がなかったら、十六の小僧が副従士長としてなんて、帝国社会で生きちゃいけないな。

 サー・アゼルヴァリスや他の南州諸侯にとってミュンドゥング伯とは、それと同じ存在なのだろう。


「その辺りの事情を抜きにしても、南州の太守であらせられるミュンドゥング伯を失った場合、南州には爵位的にも抱える兵力的にも、頭一つ以上抜けた存在がいなくなる。明確な上位者が消失すれば、例え諸領主が集結しても、上に立って指揮を取れる者がおらず、それぞれが勝手に戦う烏合の衆と化してしまう可能性が非常に高い。南州の諸軍をまともに統率できる者がいなくなってしまう」


 ああ、そのリスクは軍事的にはわかりやすい。


「そうなってしまったら、正真正銘、南州はおしまいじゃ。考えたくはないが、マナン・ディリスの北上を我々が止められず、中央を脅かされてしまったら、いかな皇帝陛下や法皇様であっても背中をマナン・ディリスに攻撃されながら、北の大王カイラン=レギ率いる十万の巨軍の猛攻を防ぎきる事は、不可能じゃろう」

「……では、ここでミュンドゥング市が陥落し、太守様が討ち取られてしまった場合、将棋倒しのように、帝国全体も――滅んでゆくと?」


 サーディックさんは果敢だった。あるいは、彼はいまだに現実味を感じられていないのか。

 滅ぶのかとはっきり聞いた。


 メリディア帝国が、滅ぶ。

 俺は、つい先日まで、南北から攻めてきたとはいっても、なんだかんだ、伝説の法皇様と偉大なる皇帝陛下が率いる大陸最強と名高いメリディア帝国は、なんとかするんじゃないかと心の何処かで思っていた。

 滅亡なんて、いくらなんでもそこまでの事態まで転落してゆくとは思えなかった。

 歴史ある俺たちの祖国は、いつかは滅ぶのだとしても、己自身が帝国の滅亡を見る事になるなどありえないと、想像もしていなかった。

 なんとはなしにもっともっと長く存続するものだと。

 だが、今は、滅亡の二文字を確かに感じられる。


 具体的に、滅びへの道筋が見えてきた。

 滅びの死神達が急速に迫ってきているのを感じる。


 言ってたな、リーゼさん、戦乱の時代がやってくると。


 まさか……俺たちの代で、滅ぶのか?

 大陸最強と謳われるメリディア帝国が?

 連綿と続いてきたこの歴史ある大帝国が? 崩壊するっていうのか?


 ダイラス老は無言で、答えなかった。

 そして、壮年の従士はそれを返事と受け取ったようで、さらに問いを重ねた。


「……では動くなら、我等だけでもすぐに動いた方が良いと?」

「少なくとも、一戦も交えずして敗北が確定される事は無い」


 帝国の武人として顔に多くの皺を刻んできた老人は重々しく頷いた。


「待てば、儂等だけで戦うよりは若干有利になる可能性もあるが、応援が来る前にミュンドゥングが陥ちて、大勢を決められてしまう可能性が極めて高い。敵も勝算あっての行動じゃろうからな」

「……ですが」


 サーディックさんは盛大に顔を歪めた。


「ですが! 重ねて申し上げますが、たった二百で何ができます?! 敵は分散して一万より減じているとはいえ、それでも五千はいると思われし大軍ですぞ。せめてこちらも諸領主と協調して二千程度にはまとまらねば。下手に仕掛けてもただの犬死にです!」

「……そうじゃな、我等だけで仕掛ければ、そうなるじゃろうな……こちらは敵方に比して寡兵に過ぎる……」


 ダイラス老は唸って黙り込んでしまった。

 他のお歴々も同様だ。


 城壁内にはミュンドゥング市の千がいるのだろうけれど、俺達とは分断されてて連携なんて取れない。

 それ抜きで二百対五千とした戦力差は二十五倍だ。

 こっちの兵士一人頭が倒されるまでに敵兵二十五人を倒して、ようやく釣り合いが取れる。


 笑うしかない。


 どうしようもない状況だ。


「まぁ、一発逆転は無理でしょうな」


 不意に、幼さを残した女声が響いた。

 ぎょっとして見やると、リーゼさんだった。


「今の状況、相手の方が先手先手で戦略的優位を圧倒的に占めています。こんな状況下では、せめて戦術的にこちらの有利な点を、相手の不利な点へと押し付けて、地道に削ってゆくしかありますまい。さすれば見えてくる勝機もあるやもしれませぬ。出来る事を出来る範囲で行ってゆくのがよろしいかと」


 一同が消沈している中、彼女は平然とした面持ちと声音で言い放った。

 周囲からの視線が俺の妹に集まる中、サー・アゼルヴァリスは硬い面差しでリーゼさんを見た。


「幼き戦神、それはもっともだが、具体的には? お前は刀槍の振り方だけでなく軍略もわかるのか?」

「多少は。ミュンドゥング市の城壁を囲む敵部隊の背後へと、弓騎兵と軽装の弓兵で迫り射撃を行うのがよろしいかと。

 マナン・ディリスの弓兵の主兵装は弩であると聞いています。

 平均を見ると、あれは威力が高く、比較的操作が簡便で命中精度が高いですが、飛距離ではこちらの複合弓に劣ります。

 連射も我等が方のが効きます。

 よって、遠い距離での撃ち合いでは、我等が方が有利です」


 リーゼさんはこほんと一端言葉を切ると、


「戦力比が圧倒的に過ぎるとの事ですが、敵はミュンドゥング市を四方から囲み、そしてその城壁の守兵達と争っているのなら、局所的には、付け入る隙が生じています。

 ミュンドゥング周辺の地形はおよそ南と東が湖、西と北が陸。敵の主力は水軍であるとして、総勢が五千ならば、特別偏らせでもしなければ、陸に二千、船上三千といったところでしょう。

 ここで、我々は北方向のみに集中して仕掛けるとします。

 すると我等が直接対面するのは北側部分だけで争っている敵兵だけですからざっと一千。

 一千対二百の射撃戦なら、こちらの有利な間合いより敵の後背を撃つならば、まあまあいけるでしょう」


 確かに200対5000だと土台無理だが、200対1000くらいなら……

 その敵の1000というのが、城壁を守るミュンドゥング兵と相対しているから、俺達はその後背を狙う事ができるんだよな。

 それで、敵の背中から、おまけに遠く離れたこっちの有利な距離から、チクチク撃つくらいなら、まだなんとかやれそうな気はする……?


 けどなんか正直、詐欺話を聞いているみたいだ。


 それにそもそも、それでも五倍だぞ。

 城壁から反転されてこっちに向き直って集中されたら、あっという間に俺達なんて潰されてしまうんじゃないだろうか。


「こちらの射撃を嫌がって、敵が我等を排除せんと手勢を差し向け、我等がほうへ距離を詰めてきたら、我々はすかさず――」


 すかさず?


「転進します」


 逃げるんかい。


「敵が追ってくるならそのまま後退し続けます。それでも敵が追ってきて、それが小勢であるならば反転して撃破します。撃破が無理そうな程に大量に敵兵が我々を追い回してくるのなら、その間、それだけの敵勢を城壁への攻勢から引き剥がせているという事ですから、ミュンドゥング市の守兵は城壁を守るのが楽になるでしょう」


 ……ああ、うん、確かに、そうなるのかな。

 逃げる兵を追うのと、城壁を攻撃することは同時には一人の人間にはできないもんな。

 同時にやるとしたら、それぞれを担当する複数の兵が必要になる。そして兵士の数は大軍とはいえ敵だって有限だ。


「我々の転進に対しマナン・ディリス軍が追ってこず、引き返すならば、こちらもまた後退を中止して、再び踵を返して再接近します。そうしてまた射撃を開始します。つかずはなれず有利な距離を保ち続け、敵の背中へと射撃をし続けます」


 想像してみたら、敵からしたら凄くうざいなそれ。

 小さな蚊がまとわりついてくる的なうざったさだ。


「例え実際には倒せる数がさほど多く無いにせよ、敵の注意を後方の我々へと向けさせ続ければ、また対応の為に兵力を割かせれば、前方への圧力は低下し、城壁を守るミュンドゥング市の兵達の負担は軽減されます。

 ミュンドゥングは楽になります。

 つまり敵の後方を乱す事で間接的にミュンドゥング市の守りを援護し、市の陥落までの時間を引き延ばすのです。

 時間を引き延ばせれば、そのうちに南州の諸領主の援軍が到着する筈です」


 他の南州諸領主も、太守の指令に忠実に応えてミュンドゥングへと出兵していれば、だけどな。


「そうすれば攻囲を破って、ミュンドゥング伯と合流する事も不可能ではない筈です。ミュンドゥング伯と合流し、南州の総力を結集させれば、マナン・ディリス軍を撃退する事も不可能ではない筈です」


 俺はリーゼさんの作戦を理解しようとしばし考えてから、思った。


――この作戦、まとめると……要するに……ザ・嫌がらせ作戦だよね?


 真っ向からぶちあたらずに、逃げ回りながら、敵の背中をひたすらに撃ち続けてミュンドゥングへの攻撃を邪魔するっていう嫌がらせ。

 あくまでも狙うは陥落までの時間の引き延ばしであって、俺達で敵を撃破しようとかそういう事じゃあない。


 セ……セコイ!

 天下無双の武者だったというトラヒメの記憶を持つリーゼさんの献策は、なんというか、非常にセコかった。

 みみっちい上にチマチマしている。


 おまけにそこまでやっても、上手くいけば、もしかしたら、綱渡りする為のか細い綱を保持し続けられるかもしれない、というレベル。それが成功しても勝てる訳ではない。勝ち目がもしかしたらなんとか見えてくるかもしれない、というレベル。か細い希望をなんとか繋ごうというレベルだ。


 が、


「悪くない」


 豪快を好みそうなサー・アゼルヴァリスだったが、意外に彼はこの作戦を否定しなかった。


「悪くはない。贅沢を言える状況ではないからな。やらぬよりは遥かにマシだ。そして、無謀極まる絵空事でも無い。地味だが実際にやれそうな範囲だ。考え方としては悪くない」


 彼はふむと、顎に手をやって思案するようにしてから。


「しかし……俺が敵の指揮官なら、一つの隊だけを愚直にいきなり正面より接近させたりはせず、もう一つ二つ別働隊を編成して騎兵なりなんなりを敵の背後に回し退路を断ってから、あらためて複数の方向より排除に向かわせるだろう。退路を断って挟撃し包囲し決して逃さず、一息に、一撃で殲滅する」


 追えば逃げる蚊トンボみたいな敵がいるなら、足の速い別働隊を回り込ませて退路を断ち一発で仕留める。

 ……道理だな。

 だったらこの作戦、駄目じゃないか。


「敵はそれを可能にする兵数がある。


 つかずはなれずという機動をこちらにさせてくれるほど敵がお人好しなら有り難いが、最低限の軍事常識を弁えている敵が相手と考えるならば、普通に考えるならば、あっという間につかまえられてしまうのではないか?


 そして、小人は、巨人の手につかまえられてしまえば、即座に終わりだ。


 おまけに敵にはマナンバルカがいる。俺が思いつく事を名将と謳われた歴戦の宿将が気づかぬ訳がない」

「いえ、敵に騎兵はおりますまい。


 いたとしても少数です。


 ですから、敵はこちらの後方に一気に回り込んで遮断、という機動を取る事ができません。


 敵方の将軍達が騎兵の機動力を用いた解決策をわかっていても、その解決策を実際に選ぶ事は出来ない。騎兵がいないからです」


 リーゼさんは首を横に振った。

 サー・アゼルヴァリスはドラゴンみたいな黄金の瞳を瞬かせた。


「敵には騎兵がいない? ……何故そう思う?」

「恐れながらお尋ねしますが、サー・アゼルヴァリス(大殿)ならば船に馬や竜を乗せますか?」


 敵がミュンドゥングを既に包囲しているのは、陸上部隊を置き去りにして、艦隊戦力だけで河を使って迅速に先行してきたからだと、サー・アゼルヴァリスは言った。

 その推測が正しいのなら、


「今回、マナン・ディリス軍は、彼等に比して圧倒的少数の帝国勢が籠もる城郭都市を奇襲し、電撃的に攻め落とさんとしています。つまり敵は野戦ではなく、攻城戦を想定し計画して準備してきた筈です。攻城戦では、騎兵は力を十分には発揮できません」


 城を攻める戦では騎兵は下馬させて戦わせた方がマシなくらいだと言う。

 馬や竜は兵糧を無駄に食いつぶすだけの役立たずと化すって言われるくらいだ。


「敵の指揮官はそんなものの為に貴重な船の積載を割くでしょうか」


 船に載せて運んでこられるものには限りがある。無限ではない。有限だ。有限である以上、選ばなければならない。

 金髪青眼の童女は言った。


「私が敵の指揮官だったら、それらは載せず、一人でも多くの陸軍歩兵や、攻城の為の兵器等を積みますね。さきほど大殿は、これは敵からしたら乾坤一擲の全力の戦であるとおっしゃった。

 乾坤一擲の電撃戦であるのなら、野戦まで考慮して騎兵隊を船に積みはしない筈です。

 指揮官級が騎乗する為の乗騎や斥候用などごく少数の乗騎ならば載せるでしょうが、隊としての騎兵隊は保有してない筈です。

 そんな余裕は無い。

 その余裕があるなら、戦とは国家の一大事、そもそも初めから艦隊戦力だけで先行して速攻戦を仕掛けるなんてリスクを孕んだ博打は打たない」


 赤兜の騎士は童女の言葉を吟味するようにしばし沈黙してから、 


「……だから騎兵はいない。いても数は少ないと?」

「はい、いません。この首を賭けても良いです」


 ぎょっとするような事をリーゼさんは言った。

 首って、やめて!

 なんでそんな事を言っちゃうのこの子!


 俺だけでなくセルシウスやグリエルモ、ノーラさんにサーディックさんまでぎょっとした顔をしたが、小さな幼い娘は真剣な面持ちを崩さず、


「敵の予定では、野戦が必要になるのは、ミュンドゥング市を陥落させた後になる筈。だったら、騎兵は後からくる陸上部隊に任せれば良い。ですから、彼等は陸上での機動力に長ける兵科を今現在は所有していない。よって、こちらの後方に一気に回り込んで遮断してくるだけの陸上機動力を敵は保有していない」


 それに、とリーゼは続ける、


「で、あるならば、敵の部隊構成が歩兵だけであるならば、こちらが四方に偵察騎兵を放っておけば、もし敵がこちらを包囲せんと動いた場合でも、その動きを早期に察知し、退路を遮断される前に包囲より脱出する事は十分に可能では? ソルヴィオドゥルムの兵は、そういった機動は出来ないのですか?」


 ともすれば不遜かもしれない事をうちの妹はご主君へと平然と尋ねた。

 さらにハラハラする俺だったが、サー・アゼルヴァリスはまったく気分を害した様子もなく平然と答えた。


「いや……容易ではないが、不可能というほどに困難な事でもない。ソルヴィオドゥルムの竜弓騎兵は精鋭だ。そしてこのあたりはこちらの庭だ。地理も良く把握している。加えて、幸か不幸かこちらは小勢、隊としての動きは軽快……機動力がある。油断なく慎重に注意を払い続ければ……なるほどな」


 赤兜の騎士は頷き、俺は目を剥いた。

 彼が仏長面を崩し、ニヤリと獰猛に、獣が牙を剥くように笑ったからだ。


「なるほど、見えてきた」


 ドラゴンの騎士は黄金の瞳をギラつかせながら、


「リーゼ、遠間からの射撃と機動力で振り回すというが、一つ問題がある。

 輜重隊はどうする?

 荷駄は足が遅い。常なら条件は同じだが、敵は今回、物資は船に積んでいるであろうから、輜重が無い分、歩兵同士なら必然、連中の方が足が速いぞ」

「そうですね、このあたりは庭だとおっしゃいましたね。

 では、輜重は連れてゆきません。

 切り離しましょう。

 各員、動きが鈍らない程度の水と食料だけ身につけ、輜重と後備の兵は森等に隠しておくのがよろしいかと。

 いっそ重装歩兵も切り離して共に伏せさせておくほうが良いかもしれませんね。どうせ接近戦は行いません」

「思い切った話だな」

「下手な態勢でつかまったら終わりですから。機動力を優先すべきです。ええ、重歩兵と輜重は森や丘陵、窪地など、視界を遮れる場所が、手頃な位置に存在しているならば、そこに伏せさせましょう。

 もし万一、転進した際に敵がたいした数でもないのにこちらを深追いしてくるような迂闊さを見せたら、重歩兵を伏せさせている地点へと誘い込み、その伏兵を以って敵の側背面を奇襲させ、弓兵達もそれと同時に反転して挟撃してやれば大きな成果をあげられるでしょう。

 無論、追ってくる敵兵があまりにも多いならば、反撃は諦めた方が良いでしょうが、追撃の時は戦列が伸びきるものですから、多少の数の差ならば覆せましょう」


 逃走から、追ってくる敵を伏兵地点まで誘いこんで伏兵に奇襲させて一転して反転挟撃――それは芸当の類じゃないかな。

 言うは容易いけれど、それをまともに実行するのって、凄く難しい気がするんだけれど。

 しかし、


「……こちらには貴様もいるしな」


 サー・アゼルヴァリスはニヤリと笑った。

 どうやらご当主、乗り気らしい。

 そうだった、この人、そういう豪快で派手なのが好きなんだった。


「あの……そういう作戦て、実際に作戦通りにやりきるのは、とても難しいのでは?」


 俺がおずおずと言うと、サー・アゼルヴァリスは自信たっぷりに、


「ケルヴィン、俺達は辺境の兵だ。マナン・ディリスの弱兵どもならともかく、尚武の帝国兵、それも、日頃魔物相手に戦を重ねてきた辺境の精鋭達だ。おまけに幸か不幸か我等は千や二千の大兵という訳ではない。二百程度の指揮なら俺とダイラスとノーラで制御しきれる。やれない訳がない」


 との事だった。

 うひゃー、こりゃマジでやる気だよ。  


「丘陵なら手頃なのが幾つかある……面白い! まだ我々にも打てる手はあるという事だな! この状況だ、賭けに勝利してこそ、運命の女神というのは微笑むものよ! 俺はリーゼの策を採択するぞ!! 異論ある者はいるか?!」


 ご主君は叫び、周囲を睥睨した。

 異を唱える者はいなかった。


 ……あれ、マジで、リーゼさんの作戦で決定しそう?


 俺が戦々恐々とし戸惑っている間にも、サー・アゼルヴァリスは話を進めてゆく。

 そして――マジだった。

 ソルヴィオドゥルム勢二百余は、うちの十二歳の妹の献策に従って作戦を立て、その実行を開始する事となった。


 ……マジで?


 という思いが、兄貴としてはする。

 いや、うちの妹には前世の記憶とかあるんだけどさ、まぁ、なんかもう、状況的に駄目で元々、藁にも縋ろうかって勢いなんだろうけどさ。

 それでもこのちっちゃな女の子が言った作戦を採用しちゃうの皆様よ? 歴戦の、辺境の、精鋭の、戦士のかたがたよ?


 おぉ……

 なんて、事だ……


 だって、考えても見てくれ。

 うちのリーゼの策を実際に行って、もしも下手を打って、敵に退路を断たれなんかしたら、ソルヴィオドゥルム家のメインのほぼ全員が一発でお陀仏になるんだぜ? 綱渡り的勝負なんだぜ? 綱渡り的勝負にマジででるの?

 そこまで危険を冒しても、地味でチマチマした嫌がらせにしかならないのに?


 いや、戦力差的には何をどうやってもそうならざるをえないのだろう。

 確かに、ここで少しでもなんとかしなけりゃ、ミュンドゥング市は陥落させられてしまうのだろう。

 そうなったらあの良いヒゲしてた太守様は殺されてしまうのだろう。

 そうなると南州を守りきる事は到底できない訳で、帝国は南州を失い、将棋倒し的に滅亡への道を歩むことになってしまうのだろう。


 けど。

 けど。

 でもだ!


 こ、これで大失敗とかなっちまったらマジどうしよう?!


 そりゃ大体は死ぬに決まってるんだろうけど、リーゼさん、作戦立案者として皆からあの世でも怨まれるのでは?

 ではというか、多分絶対そうなるよな。

 敗戦なんて本当はそれぞれ関係者全員に責任がある筈だけれど、歴史書を鑑みるにこういう場合、だいたい作戦立案者のせいにされるからな!


 う、うおぉおおおおおお! ぜ、絶対成功させてやらにゃあ!! 兄貴として!

 絶対失敗させる訳にはいかない!

 世間様からうちの妹に帝国滅亡の責任があるとか後ろ指ささせる訳にはいかない!


 だって、リーゼさんが泣いてしまう!


 こいつ、よそ様に向けては鉄面皮気取ってるけど、前世の記憶とやらがある癖に、なんだかんだで結構メンタル弱いからな!


 ああ、ああ、しかし、しかし、根本的に、この作戦ほんとに効果あるのかな?

 実行できるのかな?

 本当に五千なんて大軍へとちょっかいかけにいって、俺達みたいな小勢が全滅しないでいられるのかな?


 ……ああ、頼むぜトラヒメ様!

 リーゼに宿る前世の記憶様よ、どうか名将であってくれ!

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