虎姫の野望
妹に向かって「任せとけ!」とか言ってしまったからには、やらねばなるまい、兄として。
だから、俺はドキドキしながら寝台に横たわりつつ、見舞いに来た村の皆や、事情を聴取に来た衛兵隊長へと言ったんだ。
「無我夢中だったので良く覚えていない。もしかしたら斬ってたのかもしれない」
と。
下手に「俺がやりました」とか「力に目覚めたんです」とか言うよりはまだ、もしかしたらと思わせられる余地があるかなって思ったんだよ。
なんせ俺はリーゼさんとは違ってホントに何の力も無いからな。
ありえなさすぎる事を強く言うと『なんでコイツはそんな嘘をついているんだ?』と、勘ぐられる。
それは良くない事態を引き起こしかねない。
まぁそこで、
『妹が前世に目覚めて強大な力を手にしてしまったので、その事実を世間から隠す為に、兄が嘘をついているのだ』
なんて予想をするヤツぁまさかいないとは思うのだが、念のためだ。
俺の言葉に対する皆の反応は様々だったが、基本的に皆、アニャングェラを俺がやったという事を信じられないようだった。
まぁ俺だってそんな話聞いたら到底信じらんねーよ。
実際、事実とは異なるしな。
ただ、俺がやったのではないとなると、誰があの化け物を倒したのか? という謎が浮上する。
それについても皆は各自、様々な想像を巡らせているようだったが、
『ケルヴィンでもリーゼでもない誰かが姿を見せる事もなく倒したのだ、ケルヴィンは錯乱してるだけだ。その者が姿をすぐに消したのは、何か事情があったからだ』
というのと、
『もしかしたら本当にケルヴィンがやったのかも』
という予想、だいたいがこの二択だった。
今のところ『リーゼが倒したのかもしれない』などと疑っている者はいない様子だった。あくまで注意は俺か、俺じゃない架空の誰かに向いている。リーゼには向いていない。よしよし。
そうしてなんとか、我ながら苦しいと思えるサマではあったが、どうにかこうにか、俺は見舞い客達に対応しきった。ああ、しんどかった。
彼等が帰って夕刻、リーゼが俺の部屋にやってきた。
「兄上様、本日は村の皆へのご対応、誠にお疲れ様でございました」
うちの妹はやけにキレの良い動作で、大仰に一礼らしきものをした。
センゴクモードだった。
本人大真面目なんだろうが、妙な愛嬌があるのは、俺の気のせいだろうか。
「あ、ああ……と、とりあえずは、ボロは出なかった、みたい……だよな?」
「はい、首尾は上々の模様です。さすがは兄上様です。名演にございました」
部屋の窓から差す赤い陽の光に、その幼い顔を晒しながら、リーゼが頷いた。
その表情は、無だ。
えらく真面目な顔をしている。
俺は堪えきれず、ふきだしてしまった。
「はは! 褒めても何もでないぞ。じゃあ、しばらくは、事実を隠し続けられるな」
「はい。ですので今のうちに、天下統一を目指して修練を開始いたしましょう」
……
…………
……………………?
今、またさらっと妙な単語が出てこなかったか?
天下……統、一?
「あの……アニャングェラを俺が倒したんだっていう事にしたのは、リーゼさんが前世の記憶を思い出したっていうのを隠す為に……つまり、凄い力に目覚めちゃって化け物みたいな目で周囲から見られるのを防ぐ為に、したんだよね?」
「兄上様、そのお優しさ、このリーゼ、心に感じ入っております……っ!!」
ちっちゃな女の子が武張った口調と仕草でフルフルと震えそんなことをおっしゃっられてる。
うん、見た目はうちの妹なんだけどね?
「……だからその修練っていうのは、俺が倒したって事にしても、村の皆がそれに疑いをもたないように、信じて貰えるように、それなりに強くなっておこう、って事だよね? その為に修練するんだよね? 天下取る為じゃ断じてないよね?」
すると童女はきょとんとした顔で俺を見て、
「兄上様は、お嫌いですか? 天下」
いや、お嫌いとかお好きとか、そーいう事じゃなくてね。
「良いものでござるよ天下。それに、ほら、男子は皆、一国一城の主、そして天下の主というものに憧れると聞きます」
それはー人それぞれだと思うけど、まぁ、そういう人は結構多いかもしれないけど。
「ちなみにリーゼは女子ですが、天下、大好きです!」
そうですか。
「取りませんか? この国の情勢を鑑みるに、今結構、取りごろだと思うのですが天下……」
いや、そんな、胸の前で両手の指先をツンツンさせあって照れくさそうにいう事柄なのだろうか天下取りって。
「……リィィィゼ、さん? あの、リーゼ、さん? 君、リーゼさんだよね?」
「ハハハ兄上様、これは異なことをおっしゃっる。リーゼは、リーゼであって、リーゼ以外の何者でもござりませぬよ。リーゼは昔から天下系女子だったのです」
そうか、昔から天下を取りたがってたのか……この兄をして気づかなんだぞ。
ってほんとかよ!
「まぁいいけど、ここはその戦国異世界じゃないんだから、天下とかは取らないからね」
「えー」
えーじゃなくて。
俺は居住まいを正し、ゴホンと咳払いして白金色の髪のちっちゃな女の子へと言った。
「駄目でしょリーゼ、そんなもの取っちゃ。取ったとしてもその後きちんと面倒みれるの? 天下の? どうせ途中で面倒見切れなくなって、あらたな天下人とか探すはめになるんだから、だめったら、めっ。皆迷惑するでしょ。捨て天下とかになったら斬首だらけになるんだからもってのほかです、良いですね、リーゼ」
「うっ……兄上様はほんに仕様の無いお方……リーゼはきちんと面倒みますもん……というか捨て天下ってなんですか?」
天下は犬猫ではないですよ、と戦国童女は頬をふくらませる。
ハハハ、だってそれくらいのノリで言ってるじゃん、おまえー。
「まぁ良いです。その件についてはまたおいおい進めるとして、ひとまず修練を開始するといたしましょうか」
いや、またとかないからね?
諦めてね?
っていうか進めるつもりなの?
リーゼは俺のそんな視線など気にしているのかしてないのか「あぁ、でも今日はお疲れでしょうから、明日からのほうが良いですかね?」などと俺に聞いてきている。
……まー、あれだな、今はリーゼさん昔を思い出してはしゃいでるっぽいけど、俺が応じなければ、そのうち諦めるだろう。なんせ記憶はセンゴクトラック姫でも身体は童女だからな。日常生活の、環境の壁、というのは、強固だ。肉体の変化というのも、大きいだろう。
昔、うちのオヤジがそう言ってた。精神はそれらの変化に引きずられる。
身についた習慣はきっと遠い記憶の中に見た、宿敵達や仲間達の熱い眼差しや生きた疾風の匂いなどを薄めさせ、この辺境の村のスロウリィで長閑な日常生活(偶に魔物に喰われかけるけど)の中に溶かしてゆくに違いない。
せいぜいが「私も昔は武者だった……」とか農作業の休憩中にお茶を片手に語るようになる程度なのさ。それが大人になるってぇーもんだ、うん。
とりあえず「修練は明日からにしよう」と俺はリーゼさんに答えておいたのだった。