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闇の中、リーゼは俺の胸に顔を強く押し付けてきたので、俺はまたその頭を撫でてやった

 かくて、俺達は交易民隊の旅程から帰ってきたばかりだったが、すぐに出兵の為の準備を開始する事となった。

 太守からの出陣指令はまだ届いていない。

 だが、サー・アゼルヴァリス曰く、


「準備している間にも、すぐにミュンドゥング伯から指令がくるだろう」


 との事で、それを見越して、先行して準備が開始された。一刻を争う事態になる恐れが強い為、弓に矢を番えておくに越した事は無いと。


 その準備な訳だけれども、出兵の為の準備を進めると一口に言っても、じゃあ具体的には何をどうするのか。

 兵の集団が出征する為には様々な準備が必要だったけれども、まず必須なのが、食料と水だった。

 そして、他にも揃えなけりゃいけないものは山ほどあるんだが、食料と水を用意するだけでも大変である。


 計算してみて欲しい。

 最低限、一食パン三個としてみれば一日三食でパン九個となる。

 これが100人分となると一日900個が必要だ。

 一ヶ月分、30日分用意しなけりゃならないってなったら27000個のパンを用意しなけりゃならない。


 ソルヴィオドゥルム家はレッカー村の守りに兵力の幾ばくかを残して200人ほどを出陣させるとの事だったから、54000個が必要になる。


 パンだけでだ。

 このパンも普通のパンじゃなくて、日持ちが効く堅パン等で用意しなけりゃならない。普通のパンだと十日もすると大抵は喰えなくなるからな。


 実際にはこれに干し肉や野菜や水と酒などその他諸々が加わる。当然、矢とか馬竜の為のエサとかも用意しなけりゃならねぇ。

 一か月分だけでも、膨大な量の物資が必要になる。


 兵力たった200で、これなんだぜ?


 ……10万とか、何をどうやってんだろうな、カイラン=レギ大王。

 どうすれば10万を喰わせていける物資が調達できるのか。


 あぁ、その為の戦であり、略奪だったか、愚問だった。

 北の異民族達は戦う為に食い物を用意するんじゃなくて、食い物を得る為に戦うんだ。


 ……

 

 ただでさえ強い異民族達が、さらに死に物狂いになってるんだろなぁ……


 そんなの相手にするのか? 北部諸侯は。

 撃退どころか、持ちこたえられるかどうかすら怪しいぞ。

 

 だが他人の心配ばかりもしていられない。

 北方騎馬民族達に比べれば武力面では大きく劣ると言われてはいるが、マナン・ディリスだって侮れない。

 弱兵との風評があり、俺が出会った兵士も実際、とても勇敢とはいえなかったが、国家が保有するその技術力は高い。

 マナン・ディリスといえばまず第一に水軍の強さが有名だったが、それに次ぐのは陸の弩兵だ。

 弩は生産や手入れに技術力が必要だったが、強力な武器だ。マナン・ディリス軍はこれを大量に揃えている。

 おまけに弩は一定水準の威力を発揮する為の習熟難易度は弓よりも遥かに容易だ。


『臆病者の素人達でも十人集まりディリス弩を持てば、勇猛果敢な百戦錬磨の騎士とて射殺す』


 海洋冒険物の伝承歌の中にでてくる一節だ。

 弓の矢を高い威力で放つ為には、熟練を要する高度な動作が必要だが、弩なら太矢をセットしたら引き金をひけば、それで済む。威力だけなら、達人でも素人でも、強兵でも弱兵でもみんな同じだ。狙いの精度には、当然差がでるだろうけど、空に向かって大量の矢を放ち、矢の雨を降らせるような大集団戦では、狙撃の腕前はそこまで関係が無い。

 習熟が容易だという事は、それを扱う者を比較的簡単に大量に揃えられるという事だ。

 一定以上の戦闘能力を持った弩兵を大量に揃えられるマナン・ディリスは、海上だけでなく、陸上においても、その弩の威力と数を以って、列強の強国たりえていた。


 つまり、メリディア帝国は現在、北から空前絶後の化け物に襲いかかられていて、南からも決して侮れない難敵に背後を刺しに迫られている、という事態に見舞われているのである。


 うん。


 マジで風前の灯なんじゃなかろうか、この帝国……


 ホントに勝ち目、あるのかね?


 そんな事を思いつつ出兵準備に追われ、すっかり夜遅くなってからカンテラ片手に三階建て長屋へと帰ると、リーゼが夜着姿だったがまだ起きていた。


「おかえり」


 何故か、どこか脅えたように、おそるおそる小さな妹は俺を見てきた。


「ただいま」


 まだ調子悪いのだろうか。

 じっと見ると、リーゼの顔色はやはり悪い事に気づく。

 童女は顔を伏せた。


「お疲れ様……また次の任務入ったんだってね」

「ああ、出兵準備だ」

「出兵」

「うん、出兵」

「そっか……」


 彼女は青い顔をしていたが、驚いた様子はなかった。


「セルシーがお夕飯作っといてくれたよ」

「聞いてる。お前は食べてなかったってあいつ言ってたけど、お前、きちんと喰ったか?」


 タバードを脱いで部屋の外套かけにひっかけながら問いかける。

 すると、翳りを帯びた青い瞳の女の子はようやく視線を合わせてきた。


「……まだだよ」

「……食欲、ないのか?」

「……なかった、けど、今は少しだけ、お腹空いたかも」

「そうか……じゃあ、お前も喰っとけよ。少しでも腹に入れといたほうが良いぞ」

「うん」


 俺はリーゼと二人、すっかり冷めてしまっていた夕食を腹の中に入れた。

 冷えていても美味かったのはきっと、料理人の腕が良いからだろう。セルシウス様々である。

 遅い夕食を終えると、


「にーちゃん……今夜、一緒に寝て、良い?」


 枕を胸に抱きかかえたブロンドのちっちゃな女の子は、青瞳に怯えを宿しながら、おずおずと上目遣いに尋ねてきた。


 また?

 と思ったが、まぁ、今日はあんな事があったしな。

 あのクソゴリオめ。

 俺は内心歯噛みしつつ答える。


「良いぞ」

「……ありがと」


 細々とした事を片付け、寝室に向かい、カンテラの灯りを落としてリーゼと一緒にベッドに入る。

 やっぱ、こいつ、元気ねーな。


「気にすんなよ、グレゴリオが言ったことなんか」


 闇の中、少女からの返答はなかった。

 ただ、身を寄せてきた感触がしたので頭を撫でてやる。


「輪廻転生の法がどういうものなのかなんてあいつが勝手に言ってるだけだ。だってそれが事実なら、法皇様なんて何人赤ん坊乗っ取ってるんだって事になるだろ」

「……法皇様」


 キルクルス・クルクス教の頂点であり、このメリディア帝国の建国におおいに尽力したという法皇様が、輪廻転生を繰り返している人間だという話は有名だ。

 そして法皇様は、法皇だけあって、尊く聖なる存在なのだという事も有名だ。


「法皇様は聖なる存在なんだから、そんな事はしない。だから、法皇様も行っている事なんだから、輪廻転生の法ってのは、そういうもんじゃない」


 そう、あんなグレゴリオが言ったような、他人を犠牲にするような血塗られた邪法である筈がないのだ。

 だって、もしそうだったら法皇様ってのは何者だ。聖なるどころか呪われているではないか。そういう事になってしまう。そんな馬鹿げた話があってたまるか。

 そもそも、グレゴリオはなんで輪廻転生の法ってのがそういうものだって知ってるんだ。元は一介のただの旅の吟遊詩人だったという男が知れるような秘密なのかそれは。やっぱ適当な法螺だろう。

 それに、


「仮にもし万一そうなのだとしても、この世界の輪廻転生の法がそうだってだけで、リーゼの前世は異世界なんだから、術が同じものとは限らないだろ? それとも、本当に、リーゼが、トラヒメが使った輪廻転生の法っていうのは、あいつが言った通りのものなのか?」

「……わからないの」


 ぽつりとリーゼは呟く。


「そもそも、トラヒメは輪廻転生の法なんて使ってない。少なくともそれらしいものを使った記憶は、あたしの記憶の中にはないの」


 だよな。

 そういうものだと知ってて行使した記憶があるっていうのなら、今更グレゴリオにそんな事を言われたくらいで、こんなにショックを受けている訳が無い。


「なんでかトラヒメの記憶があるから、あたしの前世はトラヒメで、あたしは転生したトラヒメなんだろうけれど。でも――だから、使った記憶がないから、だからこそ、わからない。どうしてあたしにトラヒメの記憶があるのか。その理由の記憶がないから、使ってないって証明できない。だから、絶対に使ってないって言いきれない。だから、輪廻転生というのが、グレゴリオさんが言った方法でしかできない事であるのなら、あたしはそれを使っていた筈で、だから、あたしは、本当は、トラヒメではあっても、リーゼじゃ、ないのかも……」


 何を言ってんだうちの妹は、バカバカしい。


「百歩譲って億に一つそうなのだとしても、俺にとってのリーゼはお前だよ」

「有難う。でも」


 涙声だった。


「もし、そうだったら、あたし……おかあさんと本当のリーゼちゃんになんて謝れば良いんだろう?」


 気にしているのは、そこか。


「謝ることすら、できないことのような気がする。でも、じゃあ、償いは、どうしたら」

「少なくとも、お前がやろうとしてやったわけじゃないんだろう?」

「わからないの。記憶が無いの。アニャングェラからにいちゃんを助けなきゃって思ったら、次の瞬間に、それまでそんな記憶なんて全然なかったのに、一気に思い出してた。どうしてトラヒメの記憶があたしにあるのかわからない。だから、トラヒメが、あたしが、お母さんのお腹の中にいた赤ちゃんの身体を乗っ取ったのか乗っ取ってないのか、わからない」

「お前はそんな事しないから違う」

「にいちゃん、なんでそんな事、言えるの?」

「そういう事するような奴は、今ここで、こんな風に泣いたりしない」


 妹は黙った。


「お前はそんな事しないよ。俺が保証する。にーちゃんを信じろ。にーちゃんの言うこと、信じられないか?」

「……たまに、嘘つくし」

「うるせー」


 俺は歯噛みした。

 やっぱ、馬鹿正直と言われても極力正直に生きるのが良いのかもしれないなァ。


「じゃあ俺に騙されろ。もし違ったら、適当なことをぬかした俺を、お前は怨めば良い」

「なにそれ」

「いいから、確かめようがない悩んでも仕方がない事で気に病むなよ。気に病むのは、そうと確かに判明してからにすれば良い」

「……なんかすっごい強引」


 腕の中でリーゼが笑った気配がした。


「納得しないか?」

「ううん、わかったよ。ケルヴィンにーちゃんの言う事だもん。まぁ、それで騙されても、にーちゃんの事、あたしは怨みはしないけど」


 くすくすと笑ってから、小さな妹は、でもさ、と続けた。


「でも……おかあさんは、そう思ってるってことだよね……」

「どうかな」


 アリシアさん、本当に本当でそう思ってんのかね。


「だって、あたしに、リーゼを返せって言ったし」


 親に存在を否定された子供は、何処へゆけば良いのだろうか。

 決まってる、独りでだって生きれば良い。

 誰が否定しようが生きれば良い。

 けれど、リーゼは俺ではなく、彼女は泣いていた。

 やっぱ気にしてたんじゃねーかよ。


「俺はお前が良いよ」


 頭を撫でてやる。

 無言でしがみついてきた。

 アリシアさんも傷ついているのだろうか。

 俺はきっと彼女を傷つけたし、今も傷つけている。

 俺達を指して、それが本能みたいに抜き身で斬り合うと、そう言ったのは誰だったか。セルシウスだったな。あいつだったら、上手くやったのだろうか。


 前世の記憶なんてものは、持って産まれ無い方が良い。

 いや、リーゼに前世の記憶がなかったら、俺は既に死んでいた。

 きっと簡単に良いとか悪いとか言いきれるもんじゃない。

 だが、俺はそうじゃなけりゃ死んでたんだから、俺くらいは彼女の存在を肯定してやっても良い筈だ。


「……ねぇにーちゃん」

「うん?」

「にーちゃん……あたしの事、愛してるって言ったよね」

「ああ、家族だからな」

「じゃあ、にーちゃん、リーゼとアリシア、どっちの方を一番愛してる?」


 なんでこういう事聞くかね、こいつは。

 まぁでも、答えるなら、


「そりゃ……甲乙つけがたいって奴だけど、お前かなぁ、妹よ」


 こう答えるべきだろう。

 リーゼさんはきっと一番愛される事を望んでいる筈だからな。


「…………ありがとう」


 涙声ながらも笑った気配がした。

 リーゼは俺の胸に顔を強く押し付けてきたので、俺はまたその頭を撫でてやった。

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