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「冷たくなった風は、戦火を呼ぶの」と童女は言った

 燃える赤光に照らされる水面に浮かぶマナナーン・ガレーは、吐き出した兵達を再び呑みこんで、南へと遠ざかっていった。

 北から地を叩く蹄鉄の音が聞こえ、振り向くと竜騎兵達がやってきたところだった。

 俺は到着したノーラさん達に、敵兵の拘束と手当てを手伝うように指示する。

 フロレンティナが懇願してきた。

 他に生き残りがいるかもしれないからと、三名程を燃えている船へと向かわせる。


「……ディリス人か」


 マナン・ディリス兵の武装を解除し縄で縛り上げながらノーラさんが呟いた。

 皆、この事態に緊張を隠せない様子だった。


「ケルヴィン様、救援に感謝します。私は先も申し上げましたがジューデンフルト砦の守備隊の者です」


 拘束と手当てが一段落すると、革の鎧兜に身を包んだブルネットの女兵長は俺に言った。


「ジューデンフルトはマナン・ディリスの艦隊より攻撃を受けています」


 周囲の兵達がどよめいた。


「奴等、商船に偽装し、その上、闇に紛れて奇襲を。水砦は、おそらくは、もう……」


 フロレンティナは唇を噛んだ。悔しさと悲しみと苦痛が宿っている。


 陥とされたのか。

 国境の要衝を守っていた砦は。


「私は、私達は、この事態を太守様にお伝えすべく水砦から囲みを破って脱出し、追撃をかわしながら川をくだってまいったのです」


 フロレンティナは経緯を俺達に語った。

 彼女達はなんとか北へと脱出したは良いが、しかし、途中で追いつかれてしまい、船は燃やされて座礁しまった。

 船を捨て、陸へと脱出し、それでも奴等は追ってきて、矢を射掛けられて、皆、次々に倒れてゆき、もう駄目かと思った時に、俺とリーゼが現れたらしい。


 間一髪だったようだ。


 彼女は必死な様子で訴える。


「太守様に、ミュンドゥング伯爵に、至急お伝えにいかねばなりません。馬か竜を貸してください。至急、至急――!」


 俺はひとまず「わかった」と頷いた。

 それから彼女の様子から思っていた事を述べる。


「だが貴方は、休息が必要なんじゃないか?」


 革の鎧兜に俊敏そうなしなやかな肢体を包んでいる女性は重い傷は負っていない様子だったが、目の窪み具合や頬のこけ具合から、かなり疲労しているように見えた。

 気力が張り詰めているから、動けているのだろうが……あまり良い状態ではない。


「伝えるべき内容を教えてくれれば、貴方が無理をしてゆかずとも、俺達が太守様へとお伝えする事もできるが」


 しかし、女兵長は俺の提案に首を左右にふった。


「我が主サー・ベッケンドルフからのご命令なのです! 必ずミュンドゥング伯にお伝えせよと!」


 最後の主命か。

 まぁそこに何かを感じる人なら、他人任せには、できんわな。彼女には彼女の責任と、それを果たさんとする意思がある。


「……そうか。じゃあ、俺の竜を貸そう」


 竜ってのは気軽に貸せるもんじゃない。伝心環とセットだし。基本的に他人に触らせるのは竜乗りは皆、嫌だろう。

 だから貸すなら、俺のを貸す。


 それに、俺は歩兵になっても、精気ジンで速く走れるしな。それが効率的だ。


 そう、だから、これは妥当な判断だった筈なんだが、兵長だけでなく周囲の皆まで、俺の言葉に酷く驚いた顔をした。


 少し考える。


「……ところであんた、馬竜を操った事は?」


 話を聞くに、このブルネットの髪の女の人、水兵だよな?

 装備もそれっぽい軽装だし。


「あ、ありませんが、なんとかします」

「無理だ」


 断言した。

 伝心環のおかげで乗りこなすのは比較的簡単だといえば簡単だが、逆に言うと伝心環の使い方を体得していないと竜は操れない。

 経験の無い人間が、その場で即座にできるもんじゃない。


「しかし!」

「馬は?」

「馬なら多少」

「馬ならキャラバンに持ってる奴がいる。従士長に相談しよう。従士長は、ここより少し北にキャラバンと共にいるから、まずそこに行こう。あんたも来てくれ。悪いが、あんたは、俺の後ろに乗ってくれ」

「……感謝しますっ!」


 フロレンティナは表情をぐしゃと崩した。

 泣きそうな顔だったが、彼女は涙は流さなかった。


「副長!」


 燃えている船を見に行かせた竜兵達が帰ってきた。

 途中、倒れている男女を数名発見したが、皆、事切れていたとの事だった。


 黒髪の女兵長が黒い瞳をきつく閉じて、拳を握った。




 俺達はキャラバンの野営地へと急ぎ帰還した。


「賃料は払います。いくらが良いですか?」


 至急、馬を借りたいとの旨をキャラバンの村人達へと告げると、グレゴリオのオッサンが名乗り出てくれた。


「有難う。そちらで決めてくれて構わないよ」


 灰色の瞳のオッサンは相変わらずの物腰柔らかな笑顔で答えた。


 俺の生家で使っていた馬がフロレンティナへと貸し与えられ、彼女はすぐにその手綱を取り鞍に跨ると、従士長と十騎ほどの竜騎兵達と共に、朝焼けの街道へと駆け出してミュンドゥング市へと向かっていった。

 ダイラス老までついていったのは、伯爵へと迅速に目通りする為には従士長が共にいたほうが良いだろうという事で、国家の大事という事もあり、彼自ら同行する判断をくだしていた。


 で、残ったキャラバンは、副将である俺が急遽仕切る事になっていた。

 一応、サーディックさんが残ってくれて、補佐についてくれてるんだが――ああ、くそ、騎兵も減ってしまったし、また賊とか魔物とか出てきませんように。


「慌しいね。何か、あったのかい?」


 義理の父親に一応はなる男の問いかけに、俺は答えずに懐へと手を突っ込んだ。

 すぐに知られる事にはなるだろうが、従士長はマナン・ディリスが戦争を仕掛けてきた事について、なるべく黙っているように言った。緘口令をしく程ではないが、進んで言うべき事でもないと。

 村人達が無駄に恐慌するのを、避けたいのだろう。


 俺は無言のまま皮袋を取り出し、金貨を一掴み取り出した。三十枚程度はある筈だ。


「多いね」

「万一の際の保障料込みです」

「なるほど」


 生家の馬なら、値段は知ってる。そんな良い馬じゃないから、妥当だろう。


「馬が帰ってきたら、差額を君の住居に返しにいっても?」

「いえ、良いですよ。そっちの家の事にでも使ってください」

「…………お言葉に甘えておくべきかな?」

「そうしてください」

「わかった」


 俺はグレゴリオと別れた。


 焚き火の元に戻るとリーゼさんが白湯を飲みながら待っていた。

 ノーラさんとグリエルモとセルシウスは仮眠を取りにいったらしい。

 減った人手で、村までキャラバンを守りぬかないといけないからな。体力回復は大切だ。


「寝なくて良いのか?」

「うん、これ飲んだら寝るよ」


 リーゼさんは杯を両手でにぎり、焚き火を見つめながらこくりと頷いた。

 それから視線を俺へと向け、


「にーちゃんも飲む?」

「飲む」

「それじゃ、はい」


 妹は木の支えから吊るされて焚き火のかけられていた鍋から、白湯を柄杓ですくって木杯に入れて、俺に差し出してくれた。

 杯を受け取って、冷ましながら口をつける。

 何の味もなかったが、美味かった。

 知らず、喉が乾いていたらしい。


「お前さ、最近、言葉遣いが変に混ざる時があるけど、何か無理してないか?」

「別に、無理なんてしてないよ」

「そうか?」

「うん」

「……アリシアさんに言われた事、気にしてんのか?」


 アリシアさん、リーゼへと『私の娘を返せ』とか言ったらしいからな。


「はぁ?」


 リーゼは眉間に皺を刻んで訝しげな表情で俺を見た。

 童女の幼い顔立ちに『心外』の二文字が全力で刻まれている。


 これは、的外れだったらしい。

 おまけに、リーゼにとって不快な外し方だったらしい。


「いや、なんでもねぇ。わりぃ、忘れてくれ」

「なにいってんのバカ兄貴、あの女の事なんて、気にしてないよ、あたし」


 さようですか。

 ちょっと前までにーちゃんにーちゃんとべったり尊敬しててくれた妹が、最近俺のことバカバカ言います。くそう。

 ああ、リーゼもそろそろ13か。

 ちょっと寂しい。


「あの女がなんて言おうが、あたしはリーゼだから」


 そうか。


「あたしはリーゼだから、リーゼだから、リーゼなの。だって」


 リーゼは黙った。

 俺は白湯を飲んでいた。


「……だって、にーちゃん、あたしの事、リーゼだって言ったでしょう?」


 俺は笑った。

 なんだこいつ、俺が前に、お前はリーゼだよって言ったから『リーゼっぽく』あろうとしてたのか。


「バッカじゃねーの。別に、ござる言っててもお前はリーゼだよ。バカ妹め」

「なっ! ……なんだようっ! もうっ!」


 幼い顔立ちの金髪童女は頬を膨らませた。

 俺は声をあげて笑った。


「……あたしは、にーちゃんの事、信じても良いのかな?」


 不安そうな蒼瞳で、妹は俺を見た。

 まぁな。

 正直、俺もたまーに、こいつホントにうちの妹か? とか思ったりするもんな。


 疑うのは解る。

 俺自身が、俺自身を信じきれてねーよ。


 けど、


「良いぞ」


 俺は平然を装って頷いた。

 前世の記憶に目覚めたという俺の妹は、形の良い金色の眉と眉の間に皺を刻んで、片方の眉を少しあげて、海色の瞳に複雑な光を宿して俺を見据えて、薄桃色の唇の両端を上げて笑いながら、


「そ」


 と一音だけ呟いた。


「……信じるよ。気持ちは、信じる」

「ありがとよ」

「戦争が始まりそうな、っていうか、始まってそうな今の状況で、まず最初に言ってきたのがそれだもんねぇ。にーちゃんって、あたしの事、好きなの?」

「愛してるぞ」


 妹は変な顔をした。


「だって、家族だろうよ妹よ」

「うん、知ってる。知ってた」


 目蓋を半分閉ざした目つきでリーゼは俺を見た。


「お前は?」

「愛してるよ、あたしを愛してくれるから」

「有難う。じゃあ一つお願いがあるんだが、愛してんならあんまりにーちゃんのことバカバカ言わないでくれ、寂しいぞ」

「えー、だってバカじゃん、セルシーはあながち間違いでもなかった。最近、気づいた。男には賢しい男とバカな男がいて、兄貴も男なんだ。それもバカなほうの男なんだ」

「永遠に気づかないでいれば良かったものを」


 ちっと俺は舌打ちした。

 リーゼは笑った。


「そういえばさ」

「ん」

「お前、マナン・ディリスと戦になりそうなのに、あんまり驚いてないな?」


 大体の帝国兵は皆、何故マナン・ディリスがって驚いているのに。


「あー……この大陸って、今、そういう情勢じゃないかなって、前からなんとなく思ってたの。天下取りごろだって、前に言ったでしょ?」


 そういえば、前世の記憶に目覚めてすぐの頃に『この国の情勢を鑑みるに、今結構、取りごろだと思うのですが天下』とかリーゼさん言ってたな。


「あれ冗談じゃなくて、マジだったのか?」

「マジだよ。あの時だって本気で言ってたよ」


 口を尖らせてぷんすこしつつリーゼ。


「トラヒメの記憶にあるの。大戦になる前のナカツクニがこんな感じだったって、彼女は古老から伝承を聞いていた。天下全体が寒くなるとね、大きな乱が起こるの。それが歴史。人の歴史。歴史は再現性を持つ。この世界の歴史も、同じ道筋をやっぱり刻みそうだね。冷たくなった風は、戦火を呼ぶの」


 ……前世の記憶か。


「戦火は風に乗って、真っ赤に大地に燃え広がってゆくの、真っ赤に、血の色に、誰かが天下を統一して鎮めない限り、ずっと燃え盛るの、何十年も何百年も、ずっと、ずっと、虎と狼の時間なの。北が動けば、南も動くでしょ、狙われる真ん中は乱れて、連鎖する。困窮するから戦に走って、戦が起こるから困窮が広がる。戦いは戦いを呼ぶ」


 ……さようで虎の姫様。


 赤い風か。

 既にとっくに鳴き始めてたか。

 セルシウスは、前々から感じていたのか? 俺達の暮らしの平和は、永遠には続かないって。


「にーちゃん、天下を」

「取ろうなんて何故思えるのか、俺には不思議だ」

「そのうち、きっと、わかる」


 俺は目を細めた。

 お前、リーゼだよな? って疑問は、抱いちゃいけないんだろうな、兄として。


 冷たい風が吹いている。

 目の前にもう、見えていた。

 いや、ほんとは、とっくに、見えていた。


 この南部地方に吹く風は、明け方の時間帯でもまだ、生暖かかったんだけどな。

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