ブラウレーゼ川流域での戦い ディリス人の男(前編)
黄色の鮮やかな花が、丘陵に咲き誇り、夏の風に吹かれ揺れている。緑色の背の高い草も無数に生えていた。
この地方に伝わる昔話が確かなら、このあたりは太古の時代には川の底だったから、そのせいなのか、地形が起伏に富んでいる。賢者の言によれば、水の流れは、大地を削り、運ばれ積もる土は、山となる巨大な隆起をも造るという。
嘘か本当かは、しらんけれども。
とかく、街道の左右に広がる原野にはちょっとした丘が無数に点在していた。
正面の彼方には煌きが見える。
川だ。
大湖ドゥンケルブラウゼへと注ぎゆく流れの一つで、この地方の人間からはブラウレーゼと呼ばれている。
レッカー村からミュンドゥング市へと向かう為には、このブラウレーゼ川を越える必要があった。
街道を上下に断ち切るように流れるこの川には、古の時代に築かれたという石橋が存在している。
比較的川幅の狭い所を選んで橋は架けられていたが、それでもおよそ成人男性の歩幅にして百歩程の長さがあった。横幅は十歩程ある。
なかなか大きな、立派な橋だ。
「にーちゃん」
リーゼさんが馬竜を俺の隣りへと寄せてきた。
「どうした?」
「あたし達、見られてる」
彼女の声は小さく、低く、鋭かった。
緊張を帯びている。
不思議に思った。
リーゼは村人からの視線を多少受けたくらいでは、なんとも感じはしないと思っていたのだが、
「見られてる? 誰に?」
「わからない。あちこちの丘の陰にいる。少なくとも50人以上」
「50っ?」
俺は反射的に周囲を見回そうとしたが、
「見ちゃ駄目っ!」
抑えながらも鋭く声を発したリーゼさんに止められた。
「お、おう」
「気をつけて。こっちが気づいてると、気づかれないに越した事はないの」
俺は頷いて精気を活性化し、感覚を研ぎ澄ませた。
すると――確かに、キャラバンの皆からのもの以外にも、うっすらとした刺激を感じた。
距離が近い程、この感触は強く濃くなるから、まだ距離がある。
複数だ。
どれくらいの人数かは、ちょっと俺では判断はつかない。
けれど、リーゼさん曰くでは最低でも50人はいるって事か。
あくまでリーゼさんを視界に納めている連中の人数だから、実際は50人以上いるのかもしれない。かなりの数だ。
「俺のほうでも大体捉えた。ああ、くそっ、嫌な気配だ」
俺は少し考え、
「……ノーラさん捕まえて、従士長に報告にいこう」
「なんでノーラ?」
「従士長は大ベテランだけど、視線感知の技は使えないんだろ? ノーラさんは使えるから、意識して集中をすればおそらく彼女も気づくだろう」
だからノーラさんは俺達の言う事を信じてくれる。
けれど、ダイラス従士長が俺達の言う事を信じてくれるとは限らない。
「従士長からすれば、十年以上同僚やってるノーラさんの言う事の方が、俺達の言葉よりもすんなり信じやすいんじゃないか?」
「あ、そうか……そうだね、あたし達の言う事を他の人が信じてくれるとは限らないもんね……」
特にベテランの人達って、魔物はともかく賊の襲撃はまずないだろうとか思ってる節があるしな。
かくて俺達はノーラさんのもとへと馬竜をなるべく自然に、すばやく歩かせると、見られている事について述べた。
「なにっ? ……ああ、えぇ……? 感知した。嘘だろう、パブリック・キャラバンを襲う……? なんで、どうして、どこの大馬鹿だ。いや、そもそもホントに賊なの……?」
自分でも視線を感知しておきながら未だノーラさんは信じ切れない様子だったが、
「ノーラさん」
「ああ、そうだね、今は最悪を想定して行動すべきだ」
俺達三人はキャラバンの隊列の先頭部を進んでいるダイラス老のもとへと急いだ。
視線について報告をすると、
「……交易民隊を襲うというのは、レッカー村だけでなく、伯爵様の勢力下にあるすべてを敵に回す行為じゃぞ?」
ダイラス老もまた大きく目を見開いた。
「賊が、そんな事をするものか? そんな事をしてまで荷を奪ったとて、何処でさばく?」
「だけどねダイラス様」
「わかっとるわ嬢ちゃん」
ダイラス老にかかるとノーラさんでも「嬢ちゃん」であるらしい。互いに気安そうな雰囲気見るに、この二人それなりに親交があるのかもしれない。
「もし仮に、本気でキャラバンを襲うとするなら、ここじゃろうからな。信ずるに値する要素がある」
橋は必ず通る。
そして、周囲に無数の丘陵が点在するこの地点は死角が多数発生している。
待ち伏せを仕掛けるなら、もってこいの場所だ。
そういった現在の周辺地形の危険性が、ダイラス老に俺達の言葉を信じさせた。
彼は傍の兵へと命令を発した。
兵は背負っていた鉦を手に構えると、盛大に叩き始める。
停止命令だ。
鉦の音が鳴り響いてゆく。
「こっちが気づいた事に、あっちも気づいたね」
とノーラさん。
まぁこんだけやかましくして、動きを止めれば、隠れている連中だって当然、こっちがなぜそうしたのか、その理由には気づくだろうなぁ。
「まず態勢を整える。臨時の雇われ兵に村人達じゃ即応できん。家畜までいるからの。率いているのが兵のみじゃったら、街道の安全確保を考えれば、素知らぬふりで襲ってきた所を逆襲すべきじゃろうが、今の状況下ではその手は良くない」
かつてはサー・アゼルヴァリスの師匠も務めていたという老人は、己の考えを詳しく語ってくれた。
人々はざわざわと声をあげ、家畜達も鳴き声をあげながら、一団の前進は非常にゆっくりと止まってゆく。
「密集隊形!!」
止まりきるよりも前に、また次の鉦が鳴った。
村人達は戸惑ったような様子を見せつつも、付近の兵からの声を受け、ちいさく固まるように、中央へと移動してゆく。荷車や家畜達も移動させてゆく。
ああ、確かに、彼等の移動速度は、控えめに言っても、遅かった。
矢を射掛けられたり、突撃を受けながら、この速度でノタノタと陣形を変えるというのは、自殺行為が過ぎる。
相手にこちらが気づいてると気づかれても、あらかじめ防御態勢を整えておくべき、というダイラス老の考えは、経験によるものなんだろうな。
村人達など素人が多く混じっているのに、精鋭集団みたいな動きをやろうとすると酷い事になると、わかっているのだ。
だから彼等に対しては、簡単で確実に効果が見込める事をやらせる。
一方で、
「兵を分ける。半数を守りに残し、半数で隠れている者どもを狩り出す。守りと攻めじゃ。攻めの隊は儂が率いる。守りの隊の指揮はサーディックに任せる。ケルヴィン従士副長はサーディックの援護を頼みたい。それと、攻めの隊の先導に感知能力を持つノーラを借りたい。良いかの?」
自分達はなかなかアグレッシブに動くつもりのようだ。
ベテランのノーラさんがそばからいなくなるのはちょっと心細いが、この状況で嫌です、なんて事は言えんわな。
作戦を鑑みれば、不満は無い。
兵法なんて大聖典や有名所の本を少々読んだくらいでしか知らないが、従士長の作戦はそう悪くないように思える。
階級的には、守りの隊は本来は俺が指揮を執るべきなんだろうが、16の小僧がしゃしゃり出てもロクな結果にはならないだろう。従士長の副官に任せたほうが良い。
「異存はありません。ノーラさん」
「了解」
かくて、従士長は20騎ばかりの竜兵――騎兵のほぼすべてだ――と30ばかりの歩兵を抽出して一隊にまとめると、街道を外れ原野へと乗り出してゆく。
一方の守りに残された俺達は可能な限り密集したキャラバンを守るように、その周囲に展開した。
「橋に人影!」
兵士の一人が声をあげた。
見やれば、このまま進めば渡っていたであろう橋の方向からバラバラと武装した男女が現れていた。
「左手の丘陵上!」
「右手側に――!」
次々に武装した男女が姿を現す。馬に乗っている奴までいた。
こちらが迎撃の動きを取ったのを見て、奇襲を諦め強襲に切り替えたのだろう。姿を晒して押し寄せてきた。
敵影のかなりの数が弓に矢を番え構えている。やる気らしい。
もう明確だ。
こいつら、賊だ。
キャラバンはコの字型に半包囲を受けているようだった。
あっちこちに、わらわらと、こりゃ、50じゃきかねぇ。100以上いるな。下手をしたら200いるかもしれない。
最も近い丘陵目掛けて前進している従士長の隊へと、その丘陵の陰に隠れていた賊達は丘の上に陣取って、矢を放ち始めた。
従士長の側も反撃の射撃を開始する。
「は、はっ、ははっ! 人間相手かよっ?!」
「そうよ、グリエル。でもだからって、うろたえては、いけないわ。ええ、うろたえては、いけない。うろたえては、いけないの。ええ、竜兵になる時に、その覚悟をした。したんだから」
「皆! 落ち着いて! あたしが守る! 交戦許可はまだ?!」
うちの一党の三騎兵は鞍上で口々に叫んでいる。
グリエルは顔を青ざめさせ自棄っぱち気味な笑みを浮かべていて、セルシウスは冷静なようでいて弓矢を握る手がカタカタと震えている。リーゼさんは闘志に溢れた様子を見せているが、はたして平静なんだろうか。そりゃ前世のトラヒメ様は実戦経験豊富なんだろうが、現世のリーゼさんは12歳の童女であって、人を殺した経験などない。
従士長達が向かったのとは別の方角の賊達が、俺達に向かって真っ直ぐに前進してくる。
「各隊!! それぞれ正面敵狙え!! 構え――!!」
サーディックという名の壮年の男が、ダイラス老に負けず劣らずのバカデカイ声で叫んだ。
密集しているキャラバンの一角、俺はその前に乗竜を進ませ、その鞍上にて、深く湾曲した短弓に矢を番えた。
後方からの村の皆の視線を背中に感じつつ、弓を引き絞る。
狙いをつける。
俺達は北側に立っていた。
原野より粗末な武具で武装した男女が、隊列やら隊形やらもなくしゃむに突進してきているのが見える。
――撃てるのか? 人を?
ふと、俺の脳裏を言葉がかすめた。
ああ、気づく。
グリエルやセルシウスと同様、俺の手は、震えていた。
――ビビってんのか、俺は!
事ここに至って自覚する。
紛れもなく俺は、恐怖していた。




