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南方と北方での食料品高騰の噂とリーゼのふしん


「えへへー、ご心配おかけしましたっ」


 翌日、窓から差す朝陽の中に見たリーゼさんの顔色は、いつも通りの健康的な白色に戻っていた。

 あまり日焼けしない体質なので白いが、昨日のベッドの上で唸っていたような病的な蒼白さは無い。きちんと血が通っている。


「もうすっかり良くなったよ!」


 曰く、一晩ぐっすり寝て起きたら全快したらしい。伝承歌の中の英雄みたいなヤツだなマイシスター。

 しかし、


「もう一日くらい休んでても良いぞ?」


 風邪と体調不良というのは厳密には違うのかもしれないが、病気とかは治ったと思っても治りきっていなくて、ぶり返したりするからな。

 大事を取って様子見するのは大事。

 俺はそう思って言ったのだが、


「大丈夫だよー。にーちゃんはしんぱいしょーだなぁ!」


 青い瞳の小さなマイシスターはのーてんきに笑った。

 俺は憮然として、


「そーは言うがな」

「工期に余裕がある訳じゃないでしょ」


 妹は口先を尖らせた。


「それに、あたし、他の人とは一緒にまだ作業してないし、仕事開始からいきなり何日も休むのって職場での印象悪い気がする」


 職場での印象ねぇ。


「体調不良の時まで他人からの印象なんぞ気にせんでよろしい」

「そーゆーの、にーちゃんの駄目なトコだとあたし、思うなぁ」


 うちの妹はセンゴクメモリーに目覚めてから偶にこまっしゃくれた事を言う。


「違うな。そこは俺の良いところだ」

「だから誤解されやすいんだよ。将の将たる主君がそういうのは駄目だよ」

「うるせー。俺は天下とか取らないから将の将とかならなくて良いの!」

「それにあたしお粥はもう嫌だ!」

「好き嫌い言うんじゃあありません!」

「えー」


 などという言い争いもあったのだが、工期に余裕がないのと、実際リーゼの調子が良さそうなのもあって結局、兄妹二人で元気に職場へと向かう事になった。

 ――のだが、


「……あ、あれっ?」


 仕事を開始すると、童女の妙な声が聞こえた。

 振り向くと、リーゼが鋤を両手で掴み、足も使ってなんとか刃先を荒地の固い土に突き込もうと、じたばたと頑張っていた。


 ちょっと前までなら良く見た光景だ。

 リーゼはちっちゃな女の子だからな。素の状態では筋力がないのだ。体重もないので自重で梃子を利かせるのも難しい。

 よって力仕事には向いていない、そう、本来は。


 しかし、今となっては、荒地の大地がいかに固かろうが、その土を掘り起すのくらいリーゼにとっては訳のない作業である。


 センゴク・メモリーを魂の底からインストールしたリーゼさんは、精気ジンを自在に操って肉体を強化し、ミニマムながらも無双的豪力を発揮可能なハイパー童女だからな。

 だから、気を使えばこんな風に梃子摺る訳がないのである。

 その筈なのだが、

 

「気分転換でもしてるの?」


 なんで精気ジンを使って筋力を強化しないんだろう?


「え、いや、その……あ、あははっ!」


 白金色の髪と明るい青色の瞳を持った女の子は、何故か少し強張った笑顔を浮かべた。

 嫌な予感がした。


「……おい、まだ、やっぱり、調子が悪いのか?」


 リーゼのこの笑顔は、何か都合の悪いものを咄嗟に隠そうとする時の笑みだ。

 童女は鋤を胸の前で抱いてもじもじとしつつ、


「いや、違うの、その……にーちゃん、あたし、三番入ってくるの!」


 言うなり、リーゼさん道具を置いて、ぴゅーっと逃げる兎のように何処かへと走り去ってしまった。

 三番て。

 ちなみに三番は符丁でトイレの意味だ。ノーラさんが決めた。

 決めた時に、酒場とか飲み食いする場所ならともかく普請現場でその符丁を使う意味は何かあるのだろうか……? と疑問に思って尋ねたら「乙女心に配慮せよ」と言っていた。あの人、衛兵隊じゃどんな指揮してんだ? と思わんでもないのだが、今はその疑問はどうでも良い。


 リーゼの奴……一体どうした?


 それから、リーゼはなかなか帰ってこなかった。

 ずっと普請現場に戻ってこなくて、とうとう昼飯休憩に入る時間帯になっても、帰ってこなかった。


「――長。副長はどう思います? ケルヴィン従士副長」


 俺は一旦現場を放棄してもリーゼを探しにいくべきかどうか考えつつ、黒パンに噛り付いていたのだが、どうやら声をかけられていたらしい。

 周囲で昼食を取っていた数名の男女の視線が俺へと向いていた。


「あ……すまない、聞いていなかった。何の話だ?」

「南のほうで妙に麦や肉の値段が上がってきてるって話ですよ」


 そう語る男は、二十歳程度の若い男だった。

 短く明るい茶色の髪を刈り込んだ、やや痩身の男だ。

 一見快活な印象を受けるが、いつも目をあちらこちらへと素早く動かしていて、抜け目がなさそうな青年だ。

 普段はノーラ隊長の部下として衛兵隊で働いているらしい。


「麦や……肉の値段が?」

「ええ、妙に、不自然な勢いでね。従士副長のお耳にはまだ入っていなかったんですか? 最近、噂になっていますよ。マナン・ディリスで食料品を買い占めてる奴がいるんじゃないかって」


 ふぅん。

 俺達が所属するメリディア帝国の南隣には共和国がある。

 名をマナン・ディリス。

 帝国程ではないが、それなりの規模の国で、昔から交易で栄える商業の盛んな国だ。

 皇帝や王ではなく、商人達が国を支配している。

 二十年前に帝国との間に大きな戦があったのだが、その時に帝国が大勝して条約が結ばれて以降は、ずっと平和的な付き合いが続いている――少なくとも俺達一般辺境村人達が知りうる範囲では。


 我等がレッカー村は帝国南辺境にあるので、距離的には最も近い外国である。

 だからそこの物価の変動はそれなりに他人事ではないのだが――ぶっちゃけ俺はリーゼのことが気になっていて、今は結構そんなのどーでも良い状態だった。


 しかし、現場をまとめるものとして、あんまり人付き合いがよくないのもよろしくないらしいから、一応、相槌を打っておく。


「へぇ、そうなのか」


 周囲の人々は苦笑いした。

 茶色の髪の男は微笑んで、

 

「ええ、ですから、これに乗じて一稼ぎしないかって言ってる連中がいてってことなんですけれど…………あまりこの話は、副長のご興味を惹く事は出来なかったご様子ですね」


 ぎく。


「妹さんのこと、考えてらっしゃったんですか?」


 何故わかった。


「あ、いや、その、ハハハハ」


 図星を突かれた俺は後頭部を手で掻きながら笑うしかなかった。

 が、年上の部下であるこの若いにーさんはそんな俺の様子に気分を害した風もなく、


「着工二日目の時でも、もうこんなにすごい穴が出来てたのって、副長の妹さんが掘られてたからなんですよね?」


 俺は頷いた。

 リーゼさんの功績である。


「あいつが初日にほとんど一人で掘ってさ、けど、頑張りすぎて体調を悪くしてしまって、昨日はこれなくて、それで今日良くなったからって出てきたんだが……」

「急にいなくなってしまったと」

「ああ……」


 はぁ、と溜息が出る。

 どうして、どこいったんだ、あいつ、ホントにもう。

 目の前の痩身の兄さんも表情を少し翳らせると、


「残念ですね、私も妹さんの普請現場でのご雄姿を見てみたかったのですが」

「すまないな。本当なら、現場放棄するような不真面目なヤツじゃないんだが……」

「わかってますよ。そういうかたじゃ、ないですよね」


 おや、と思った。

 辺境の村とはいえ、普段はリーゼとはあまり接点がなかった筈の彼の言葉に、俺が視線を向けると、


「家族を手伝って明るく元気によく働くかただって噂は聞いてます。それに――北の森での勇姿が目に焼きついてますからね」


 あぁ、そうか、衛兵隊所属の兵士なんだもんな。

 どうやら、このお兄さんも、飛蝗人討伐行に同行していたようだ。衛兵隊の隊員としてノーラ隊長に率いられてあの時、森へと出征したのだろう。

 そういえば、鎧兜を身につけていないと印象が違うから、わからなかったが、改めてその顔立ちをよく見やると、見覚えがある顔なような気がしないでもない。


 うん、俺、人の顔を覚えるの苦手なんだ。

 慣れてない人とはなかなか目を合わせらんねーからさぁ。


「きっと、何かご事情があったのでしょう」


 慰めるように本業は衛兵である兄さんは言ってくれた。


「ああ……」


 しかし事情……どんな事情だ?

 一応、本人の言葉通り、元気になってそうでは、あったんだが。

 まさか本当に、腹でも痛くなって、ずっと何処かの厠にでも篭ってるのだろうか?

 それはそれで心配だ。

 俺が考えに黙ると、やがて周囲の皆は俺はそっとしておいた方が良いと思ってくれたのか、口々に彼ら同士で喋り始めた。


「しかし、南でも北でも麦と肉が高騰かー」

「その両方の売り手としちゃ、ありがたい話だがね」

「だな。たぶん、都の市じゃいつもよりずっと高値がつくぞ」

「だがよ、北は戦だろ? カイラン=レギが国境付近に大軍を集めてるって聞いたぜ」


 カイラン=レギとは帝国の北辺よりもさらに北方に広がる草原地帯で暮らしている騎馬民族達の連邦王国ゴーラをまとめる大王だ。

 北方草原の騎馬民族達は、昔から何度も何度も帝国の北辺境へと侵攻してきては一帯を略奪して去ってゆくという事を繰り返している、メリディア帝国にとって宿敵とも言える連中だ。


 帝国の人々は皆、口々に言う。

 北の大王カイラン=レギ・アルスランは、おそろしく残忍で、狡猾で、そして強いと。


 大陸に名だたる帝国軍をしてまともに戦っては分が悪いと言わしめるのは、北の騎馬民族達くらいであり、そしてカイラン=レギ・アルスランはその騎馬民族達の中で史上最強と謳われる大王だ。

 こんな南辺境の一般村人達の間にすら、名前が知れ渡ってるくらいに、恐ろしいヤツだ。


 呟くように述べた村人の声は重く低かった。


「あんまり……ありがたがっては、いられなくなるかもよ。いつも以上に連中、必死らしい。今年は去年よりもさらに寒くて、蛮族連中が住んでいるあたりになると、本当に食い物がないとか」

「だからって、縁起でもないこというなよ。帝国軍が蛮族どもになんか負ける訳がない!」


 聞こえてくる噂話に、俺は嫌な感覚を胃のあたりに覚えた。

 どうにも、重い感じがする。


 ああ……リーゼの奴、何処へ行ったんだ?


 今日も空では太陽がギラギラと輝き、夏の虫が鳴いている。

 北は寒いらしいが、南辺境はあいも変わらずクソ暑い。


 うちの妹、何処かで倒れてたりしないよな……?


 結局、昼休みが終わっても、リーゼは現場に帰ってこなかった。

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