月下の丘と鋼の大太刀《ロングブレード》
「ケルヴィンさん、危ないことはやめてください」
作業を終えリーゼと修練した後、家にかえり、夕食を取った後、こまごまとした事を済ませて、今日のうちには届けられると思うとか言ってたのに衛兵隊長こなかったな、なんて呟きつつ、そろそろ寝るかと考えていると、アリシアさんが一人、俺の部屋を訪ねてきた。
大人の艶やかさを持ちながらも、まだ若く美しい義母の蒼白い顔には、憂いの色があった。
滑らかなプラチナブロンドに、病的に白い肌、南の海の明るい蒼色の瞳。小柄だが起伏に富んだ柔らかな肢体。
リーゼさんを不健康に成長させたら将来こうなるんじゃないか、という容姿の女だ。よく似ている。
「ノーラから聞きました、飛蝗人討伐に同行すると」
俺の部屋はあんまり掃除が行き届いていないので、少し埃っぽい。
案の定、アリシアさんは言い終えてから、ごほっごほっと咳をし始める。
あんまり、俺の部屋にはいないほうが良いんじゃないですかね? 身体に悪いですよアリシアさん。
出て行けと視線を送ったが、彼女は目を逸らさなかった。蒼い顔をしながらも、何かを決意したように口元をきつく結んでいる。
「……俺はいきますよ」
真っ直ぐに見つめてくる義母から目を逸らしつつ、呟いた。
「何故です。お金ですか」
アリシアさんは詰問してきた。
「ケルヴィンさん、大丈夫です。これからは、レグが畑も家畜達も見てくれます。家のことを貴方が心配しなくても、もう良いんですよ」
もう良い。
グレゴリオが見てくれるから。
「だから危ないことはやめてください。貴方はまだ15歳なんですよ」
悪気はないんだろう。
「もう15です」
「でも! あなた、今までずっと我慢してたでしょう……」
見透かされてた。
「あなただって、ほんとうはもっと、遊びたかったし、甘えたかったはずです」
お見通しだったらしい。
リーゼの実母であるこのリーゼにとても良く似た白金色の髪の女性はとても頭が良い。
読書家で、学がある。
俺が読んだ本のほとんどはアリシアさんから借りたものだ。
彼女は俺の親父と再婚したときに大量の本をうちに持ち込んでいた。こんなボロ家に不似合いなほどに本があるのは、その為だ。
しかし、
――だから、俺の為に、俺とリーゼの為に、あの男を咥えこんだっていうんですか?
喉元まで出かかった言葉は、無理矢理に呑み込んだ。
――身体が弱いからか?
病気だからか?
だから同情を誘って色香を使って男に縋るのか。
独りじゃ生きていけないのか。
それがアンタの生き方か。
あんた、本当にグレゴリオを愛しているのか?
言いたい言葉は山ほどあったが、拳を握り締め、歯を喰いしばって、全部を無理矢理に呑み込んだ。
学があって、頭が良くて、こんなに綺麗な人なのに、病気で身体が弱いってのは、それだけきついんだろう。
おまけに、俺もリーゼも、餓鬼だ。
どうあっても彼女に心配をかける側だ。不幸にも若くして二人の夫を亡くした未亡人である上、病気がちで健康に不安がある彼女を諸々の心配から守れる立場には、なれない。どうやっても俺は、アリシアさんにとってのグレゴリオにはなれないのだ。
「すいません、少し用事を思い出しました」
目を逸らしつつ頭を下げ、俺は足早に部屋から出た。
「ケルヴィンさん! 待って……!」
待たなかった。
激しい咳の音が聞こえる。
心配になったが、振り返りたくなる衝動を振り切って、そのまま家からも出た。
きっとグレゴリオのオッサンが助けて慰めてくれるよ。
あいつは、大人だからな。
雲はなかった。
風は強かった。
満月が煌々と輝いていた。
ハッと気がついたら、俺はいつの間にか、幼馴染の少女の家の前まできていた。
……何故、俺はここにいる?
俺は月に照らされる夜の道に立ち尽くした。
あの子に、愚痴でも、聞いて、欲しかったのか?
大きなお世話だなんて前に言っておいて?
「……ッ!!」
頬にカッと熱がはしって、俺は自分自身を全力で殴りつけたくなった。
近くに生えていた樹に額を叩きつける。
ガン、ガン、ガン、と三度叩きつける。
いてぇ……!
「ロックだな少年」
荒く息をつきながら声に振り向くと、カンテラの光が浮かんでいた。
橙色の光の中には、万年独り身戦乙女のノーラが立っていた。衛兵隊長、桃色の髪のレッカー村の守護神。
ノーラは16の時に家族を魔物の襲撃で失ってから衛兵隊に入り、以来、ずっと一人暮らしだ。
「ノーラ隊長か……アンタは、強いよな」
「はぁ?」
「ずっと独りで生きている」
「いやわたし、ぼっちじゃないし、ぼっちじゃないし! 友達いるもん! 友達いるもん! アリシアとか!」
予想外のもっの凄い勢いで否定してきた。何かが彼女の中では沽券に関わる事らしい。
いまいち話が噛み合ってないような気がして、俺は少し笑ってしまった。
「へー、うちのかーちゃん人気者なんだな」
「うん、あいつは他人に優しいからなー」
ふぅん?
アリシアさんは優しい。
知ってる。
俺も知ってるよ。
だが、眉間に皺が寄ったのを感じた。
睨みながら、苦笑いする。
「じゃあ、俺はあんまり、他人に優しくないらしい」
すると、炎の光の中で、年上の女は柔らかく笑った。
「君は、まず自分を大切にしたまえ」
自分を大切に、ねぇ……
「とりあえずツリーにヘッドバッドはストッピングだよ」
なんでアルブス語を駆使するんだろうかこのひと。
「ノーラ隊長、なんでここにいるんですか?」
「君の後をつけてきたのだ」
……もしかしてあの時、家にいたのか?
「これを渡しておこうと思ってね。夜分遅くで申し訳ない気もしたが、約束したから」
彼女が俺に差し出してきたのは、木鞘に納められた一振りの曲刀だった。
受け取って、鞘から半ばまでを抜くと、良く鍛えられていると一目でわかった。
刀身は細く長い。片刃だ。鉄灰色の刃は、カンテラの炎の光を反射して鋭く輝いた。刃の光だ。
「私は君をあてにしている。だから、額を叩き割って貰ってちゃ困るんだ。イライラするなら、その剣で素振りでもしていると良い。あぁ、そうそう、人は斬るなよ?」
「斬りませんよ、そんな危ないヤツに見えますか?」
「こんな真っ暗闇の中で、自分の頭を樹にぶつけてるヤツは例外なく危なく見える」
そりゃそーだ。
「若気の至りです」
「ははっ! そうか!」ノーラ隊長はおかしそうに声をあげて笑った「ああ、わたしはもうこれで行くが、何か、言いたいこととか、あるか?」
「ありません。あ、いや……この刀、有難うございます」
「どういたしまして。それじゃ、がんばれよ」
桃色の髪のノーラ隊長は手を一つ振ると去ってゆき、俺は一礼してその背を見送った。彼女は約束を守ってくれた。
俺は村外れの丘へと向かった。
緑の丘の上に立つ一本の巨木の下で、ロングブレードを鞘から引き抜き、素振りを始めた。
精気を燃やしながら鋼を振るえば、刃は風を切って鋭く音を鳴らした。
――男は独りだ。
昔、親父が言っていた。
――男は独りで立たねばならぬ。
だから俺も独りで立たねばならぬ。
そうでなければ、何かによりかかって依存して生きてしまうと、それが失われた時に、心が砕ける。
頼みにして良いのは、己の二本の足だけだ。
嘘かホントかは知らないが、何代か前にして今代でもある、輪廻転生を重ねて生きているという法皇様が書き記したという大聖典には、多くの場面で団結の美しさが説かれている。だが、俺は独りで立ちたい。
共に歩くのは良い。
だが、よりかからない。依存は、しない。
何かを愛するのも良いだろう。だが、執着してはならない。
大聖典に曰く、神々の文字では、人という字は二つが支えあって出来ているのだという、支えあって初めて一個の人になれるのだと説く、だったら俺は棒で良い。
一本の棒で真っ直ぐ立ちたい。
なにものにもよりかからず、真っ直ぐに立ちたい。
あの間の悪いヴァルキリーだってずっと独りで立って、この村を守りながら戦ってきたのだから、俺にだって出来る筈だ。
俺は、丘の上で素振りをしながら、そう、思った。そう思って素振りし続けた。
「にーちゃん」
声が聞こえた。
振り向くと、リーゼがカンテラを手にして立っていた。
「お前は家に帰れ」
俺は一瞥してから、再び剣を振りはじめた。
「嫌」
拒否してきた。
「帰れ」
「嫌」
リーゼは今日に限って俺の言うことを聞かなかった。
「帰れ」
「嫌」
いつもはほいほい聞く癖に。
イラッと来て、だから、あとはもう無視して剣を振り続けた。
月が昇っていって、雲が出てきた。
その間、リーゼはカンテラの火を落として、ずっと無言で樹の根元に座っていた。
俺は、このままもうずっと家に帰らないでおこうか、なんて思いが胸をよぎったのだが、それをやると、リーゼをも巻き込んでしまいそうだった。
アリシアさんも、実子が帰らないとなったら、さすがに悲し過ぎるだろう。
鞘を拾い上げ、顔の前で水平にしてブレードをゆっくりと納める。月の光を反射しながら、刃はやがてすべてが鞘に包まれた。金属の音が小さく鳴った。小さかったが、静かな闇夜によく響いた。
俺は振り返った。
「帰ろう」
「うん、ちょっと待って」
リーゼは頷いて、火口箱を使ってカンテラに火を入れると、立ち上がった。
「行こう、にーちゃん」
「あぁ」
俺は妹が掲げるカンテラの火が、照らす夜の道を歩いて、家へと帰った。
「……おかえりなさい」
アリシアさんはまだ起きていた。目元が真っ赤になっていた。
そして、
「ただいま……ノーラ隊長、まだいらっしゃったんですか」
「う、うむ、なんか格好悪いな、すまん、今度こそ帰る。じゃあなアリシア」
家に居たのはグレゴリオではなく、ノーラ隊長だった。
そそくさと隊長は家から出て行った。
アリシアさんは無言だった。
リーゼも無言だった。
アリシアさんに謝るべきかとも思ったが、それを実行に移す気にはなれなかった。
ならば無視しようかと思ったが、それもどうかと思って、結局、
「……お休みなさい」
「……はい、お休みなさい、ケルヴィンさん」
寝る前の挨拶だけして、部屋に戻って、寝た。




