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襲来の悪魔《アニャングェラ》と一刀両断

 朝、起きて居間に出ると、


「にーちゃん、おはよー!」


 童女がにぱーっと嬉しそうな笑みを向けて来る。

 我が妹である。

 歳が三つ俺とは離れていて今年で十二。


 一体何がそんなに心弾ませるのかは知らないが、朝のこいつはここ最近いつも笑顔だ。


「あぁ、おはよう。良い挨拶だな、偉いぞ」


 俺はいつも通りに妹の頭をぐりぐりと撫でてやる。

 えへーと童女の幼い笑顔が深まる。


 挨拶は、人間社会で生きていく為の基本だからな。

 取るにたらない事、と思うかもしれないが、これを軽視すると良い人間関係を築いていく事が難しい、結果としてロクな人生にならない――とまでは言わないが、苦労する事になるだろう。


 だから良い挨拶ができたら褒めてやる。

 妹の将来を思うならば、これは兄として当然の義務なのである。


 なお挨拶が大事だと妹に教え込んだ俺だが、俺はこの良い挨拶って奴が『出来ない』。だって他人と目ぇあわせるの恥ずかしーんだもん。


 妹への教えは、これは、俺の、涙の教訓なのだ……


 失敗の教訓や反省は次に活かせなければ意味が無い。これも俺の教訓である。だから俺は妹に活かすのである。リーゼよ、兄の分まで幸せに生きろよ……


 俺は朝食や仕事前の諸々の準備を済ませると、


「では、いってきます」

「……えぇ、気をつけて。ケルヴィンさん、いつも、ごめんなさい」

「それは言わない約束ですよお母さん」


 ごほっごほっと咳をしながらも見送ってくれるアリシアさんから俺は目を逸らしつつ、大鎌を担ぎ桶を片手にぶらさげて家を出る。

 うちのかーちゃん、本を沢山読んでて学はある人なんだけど、身体が弱いんだ。

 だから、レッカー牛にやる為のマギ草の干し草を作るのは俺の仕事だった。

 この時期、日中暑くなる前にマギ草を刈って、干しておかなきゃならねぇ。日が沈んでから干しても駄目なんだ。刈ってその日のうちに干さないと良い干草にならないから。


「にーちゃん、まってー!」


 肩越しに振り向くと、戸口でつま先でもひっかけたのか、つんのめって転がりそうになりがらも、俺の後を追ってきたリーゼの姿があった。


「ハハ、リーゼ、もっとゆっくり、後から来ても良いんだぞ? きちんと飯くったか?」

「こども扱いしないでよ。ちゃんと食べました。リーゼもにーちゃんと一緒にお仕事する!」


 ブロンド童女はむすっと拗ねたような表情を浮かべつつ、俺の手から桶をひったくった。

 俺はそのサマに苦笑する。

 俺は正直、まだまだ子供扱いされたいし、仕事もしたくねぇんだが、リーゼさんは、ああ、立派である。アリシアさんが貸してくれた本に書いてあった『需要と供給』ってヤツは、時たま、望まぬところへとお互い流れるものらしい。


 ま、妹が頑張るんだから、お兄様も頑張らねばならぬかね。


 大鎌だけを俺は担いで、桶を抱えたちっちゃな金髪娘と共に、村内の共有緑地へと向かった。

 そうして村の衆達に混じってリーゼと二人、マギ草を鎌で刈っている時だった――その魔物が再び村を襲ってきたのは。




 アリシアさんの最初の夫は七年前に魔物に殺された。

 アリシアさんの次の夫である俺の親父は三年前に魔物に殺された。


 ちょっと、この村、魔物に襲われすぎじゃ、ないですかねぇ……?


 理由は解ってる。


 うちの村特産のレッカー牛はミルクも肉も結構な高値で取引される。誰が呼び出したのかは知らないが『四つ足の宝石』なんて異名を取るくらいだ。


 通常の牛よりも群を抜いて美味で、代々の村人達の努力もあって、それなりに有名でもあり、近くの街では買い手がとても多い。


 今代の領主様もレッカー牛の霜降りが大好物だそうで、一部農家は代官様を通して望まれ、伯爵家に定期的に納めているほどだ。


 そのような価値がでるほどに美味い理由は色々とあるのだけれど、一番の要因は、マギ草を用いて作られる村秘伝の干し草にある。


 マギ草が微弱な魔力を帯びている関係か、学者先生曰く、普通の干し草よりもあれやこれやの栄養素がとっても豊富なんだそうで、お牛様の肉と乳を芳醇で濃厚な味わいに育んでくだされる。


 大陸全土で見ればマギ草は希少なものだったけれど、この村の土壌に限って言えば条件が合うらしく、繁殖力も悪くない。レッカー村に生きる俺達にとって奇跡のように有り難い、素晴らしい草だった。


 が、欠点もあった。


 世の中、そうそう美味い話だけでもないらしい。

 かの素晴らしい草には一つだけ、しかし致命的な、欠点があった。

 

 そう――マギ草生える所、それに宿る魔力を喰らいに、魔物達がやってくる。

 マギ草は、魔物を呼び寄せてしまうという大変困った性質も併せ持っていたのだ。


「アッ、アッ、アニャングェラだぁああああああ!!」


 一緒にマギ草を刈ってた村のオッサンの絶叫が響き渡る。


 蒼天より爆風を巻いて滑空してきた巨大なソレは、小屋ほどもある翼を広げ、長い首を伸ばし、巨大な嘴を大きく開いて『シギャアアアアアッ!!』と盛大に威嚇スクリームしてくださった。


 魔物によく襲われる我等が村の事、色々防御対策はしてあるのだが、柵で囲ったり堀をほったりしても、空から高速で飛来されてしまっては、どうしようもない。


 こいつは優雅に空飛ぶ翼竜種の魔物、アニャングェラである。その名は古い言葉で悪魔を意味する。

 好物はマギ草と牛と人間。

 きっとうちの村が大好きであるに違いない。うれしくねー。ブッ殺してやる。


 三年前、大鎌を手に立ち向かっていった俺の親父を丸呑みしたのも、コイツだ。


 あ、オッサンが腰抜かしてコケた。


 ちなみに俺の膝も笑ってる。

 おかしいな。

 笑えよ。

 俺の目の前に現れたら、絶対ブッ殺してやろうと思ってたんだけど。


 ……うちのクソ親父、こんなバカデカイの相手にチンケな農具をふりかざして突っ込んだの? ……マジで? イカレてんだろ……


「に、に、にーちゃ」


 リーゼがガクガクと震えながら立ち尽くしている。


「リィィィィゼッ!!」


 俺は大鎌を肩に背負い、もう片手で妹の手をひっつかんで、脱兎の如く駆け出した。

 するとまるでそれが合図だったかのように、周囲にいた村の皆も弾かれたように一斉に動きだして、八方に逃げ散ってゆく。

 

 アニャングェラは翼を持ち飛行する。しかし、滑空はできるが、羽ばたいて飛翔する事は出来ない。ムササビみたいなもんだ。だから、一度地上に降りてしまえば、飛べず、走るしかなく、その移動速度は激減する。

 走りながら肩越しに振り返る。

 アニャングェラは巨体で地を揺るがせ、翼を折り畳んで腕のように使い、猛烈な速度で四つ足で這うように迫ってきていた――むちゃくちゃ走るの速くねッ?!


 どういうこと魔物大辞典モーグル先生?! 速度激減するって書いてあったよね?!


「ぎゃああああああああ!!」


 悪魔アニャングェラは、あっという間に最後尾のオッサンに追いつくと、蛇のように長い首を伸ばしてバクリと噛み付いて、はむはむバキバキと憐れな農夫の全身を噛み砕きながら飲み込んでいった。オッサンの断末魔の悲鳴が響いて、そして消えた。


 はえぇええええええじゃねぇかよぉおおおおおおお?! ってぇ、こっちに来てるぅぅぅぅ?! やべえやべえやべえなんでこっち狙ってくんだよ!

 こっちくんなこっち見んな! こっちに――あああああ、ついてねぇ! ちくしょー!!


 俺は駆けた。

 必死で駆けた。

 リーゼの手を引き、必死で駆けた。


 地下だ! 避難小屋まで行って地下室に逃げ込むんだ! 


 今の俺達みたいな緊急事態に備えて緑地の一角に避難小屋が築かれている。そこには地下室があって、大型の魔物が襲ってきた場合は、そこへ逃げ込めと村の爺さん婆さん達から耳タコになるほど聞かされている。


 避難小屋まで、距離はさほど離れてない。

 もう見えている。

 近づいてくる。

 近づいてくる。

 もうすぐ着ける。

 あと少し、走り抜ければ辿り――


「あうっ?!」


 小さな悲鳴と共に、リーゼを引いていた手に強い抵抗がかかった。

 俺はつんのめり、足を止めた。

 見やると、ぜぃぜぃと息を切らしている、金糸のような長い髪を持つ小さな女の子が、草に足を取られて転んでいた。


 まぁ緑地だからね。

 背の高い草、沢山生えてるからね。

 リーゼは小さな女の子だからね。

 全力で長い距離走ったしね。

 仕方ないね。

 ハハ。


「……ッ?!」


 俺は荒く息を乱し脂汗を流しながら、高速で首を左右に振り、避難小屋と、リーゼと、地を揺るがしながら這い追ってきているアニャングェラを凝視し、確認した。距離をはかった。

 想像する――倒れたリーゼを起こし、それから、この疲れきった小さな妹の走る速度に合わせて移動していては――逃げ切れない。途中で捕まる。


 あぁ、リーゼが、死ぬ。喰われる。この化け物に。


 悟った。

 俺は、だから、握っていたリーゼの手を放すと、全力で駆け出した。


「に、にぃいちゃああああああん!!」


 背後から妹の、信じられないものを見たかのような悲鳴があがっている。

 あぁ、気持ちは解る。

 俺も信じらんねぇ。

 イカレテる。

 でも、驚いて固まってて貰っちゃ困るんだ。


「は・し・れッ!!!!」


 俺は妹へと叫ぶと、大鎌を両手で握って、迫り来るアニャングェラへと向かって突撃した。

 せめて一撃!

 リーゼが避難小屋に逃げ切るまでの時間を稼がなきゃならねぇ。

 だからせめて一撃!


「シギャアアアアアアアアアアアアッ!!」


 視界をすべて埋め尽くすがごとき巨大な嘴が上下に開かれ、叫びをあげながら俺へと迫ってくる。さっきオッサンを丸呑みにした、噛み付き攻撃だ。


「オォオオオオオオオオオオラァアッ!!」


 俺は大鎌をふりかぶりながら、翼竜の顎から逃れようと横に大きく跳ぶと、宙で身を捻りながら払うように振った。


 マギ草刈りに使う大鎌は、長い棒の先端から、弧状のアーチを描く刃が取り付けられている。取り付け角度は真っ直ぐでも真横でもなく、その中間の斜めな角度だ。


 だからだろうか、紙一重(というか正確にはかすってた)で嘴の先をかわした俺が、無我夢中で振るった大鎌の先端は、上手い具合に翼竜の片目を抉り、斬り裂いて抜けていった。


 うぉおおおおおおおおおおおお?!


 全力で横っ飛びしていた俺は足から着地できなかったので、ゴロゴロと地面を転がりながら起き上がる。手ごたえがあった。


――これ案外いける?! いけるんじゃねーか、親父?! 俺ってもしかして強い?!


 俄然やる気を漲らせて、再びアニャングェラへと向き直った俺が目にしたのは、唸りをあげて迫り来る、皮膜が折りたたまれた状態の巨大な前脚だった。


 視界が回転した。


 何がなんだかわからなかった。

 ものすげぇ何かが俺を揺らして、衝撃が突き抜けて、吹っ飛ばされていた。

 かなりの距離をフッ飛んで、地面にたたきつけられて、ごろごろと何回も転がった。

 やがて、仰向けに止まった。


 全身がバラバラになったみたいに痛かった。

 目に見える世界が、空が、赤く染まっている。

 なんだ?

 なぜだ?

 黄昏には、まだ早いだろうに……


 俺は激痛を堪えながら上半身を必死に起こして、立ち上がろうと膝を立てたんだが、そこから立てなかった。

 ブルブルと身体中が大笑いしてやがる。

 力が、入らねぇ。


 ブン殴られた際に手放しちまったのか、大鎌も手の中から消えていた。


 グラグラ揺れてる赤い世界の中を、地響きの音を立てながら、四足で這う、巨大な竜のバケモノが、俺へと近づいて来る。

 すべてが、夕焼けの中みたいに赤い。


 やべぇ、死ぬ。

 マジ、死ぬ。

 まぁリーゼがコケた時から、わかっちゃいたんだが、やっぱり俺、死ぬみたいだ。


 あぁでも、リーゼを逃がせたなら、良いよな?

 無駄じゃないよな?

 なぁ、親父――


 アニャングェラの嘴が近づいて来る。

 近づいて来る。

 近づいて、俺へと伸びてきて……


 唐突に、何かが破裂するような轟音が鳴り響いて、明後日の方向に向きを逸らした。


 アニャングェラが飛びのいた。


 また大きな破裂音がした。


 アニャングェラの肉を抉りながら激突した何かが跳ね返って、俺の眼前に転がった。


 ……石?


 それは、血濡れた石コロだった。

 なんで、こんなものが。


 また破裂音が轟いて、アニャングェラが血飛沫をあげて揺らぐ。


 ……何がなんだかわからない。

 何が、起こっている?


 俺は混乱して周囲へと視線を走らせ、そして目を見開いた。


「な……」


 なにやってんだ、あのバカ?!


 何故かリーゼが、避難小屋へと走らずに、俺がなくした大鎌をいつの間にか手にして、アニャングェラへと向かって駆けているのが見えた。


 なんで?

 なぜ?

 どうして?


 なんで、あいつは、逃げるどころか逆に突っ込んでいってるの?!


 アニャングェラが威嚇するように上下に巨大な嘴を開いて、大気を揺るがす咆吼をあげる。

 何故か――その様が脅えているように見えたのは目の錯覚だろうか。


 リーゼが大鎌を構えてアニャングェラへと迫り、かの巨大な竜の化け物は前脚を振るい、小柄な童女の姿が掻き消えた。

 白い閃光が走った。

 アニャングェラから血が吹き上がって、その巨大な首が胴から切断されて落ちた。


 ……


 俺が考える事をやめている間に、大鎌を持ったリーゼが俺のそばへとやってきた。


「……なん、で、斬れ、た?」


 呆然としつつも、ふとした疑問を述べると、妹は相変わらずのソプラノの小鳥がさえずるような可愛らしい声質で――しかしまったく可愛らしくない、武張った口調で――述べた。


「ただの農具であろうとも、気合を纏わせ振るわば、竜をも断たん……アシハラシントウリュウの奥義にござる。気の刃は伸びまする故、一刀両断、可能でありました」


 意味がわからん。

 というか、


「……ござる?」


 なんだその、時代遅れの古い爺さん騎士みたいな口調は。


「兄上様、ご存命でなにより。されど、目の焦点が合っておりませぬな。急ぎこの……リーゼめが、お手当てをいたします」


 なんてことだ。


 なんてことだ。


 う、うちのリーゼさんがおかしくなっちまった?!


 あの悪魔アニャングェラのせいで悪霊にでも取り憑かれちまったのか?!


 兄上様ってなんだその呼び方?!


 あぁ、違う。


 これは、そうだ、違う、俺は本当はもうとっくに気絶とかしていて、これは、きっと、夢なんだろう。


 そうだよ、はは、なんでリーゼさんが、大鎌振り回してあのアニャングェラの首を一発で斬り落とせたりするんだ。


 当たり前じゃないか。


 夢だ。


 これは夢に違いない。


「あ、兄上様?! いかん、お気を確かに――!」


 リーゼの恐怖しているような顔を見たのを最後に、空が回って、俺の視界は闇に閉ざされたのだった。

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