水着と濡れたワンピースと純情少女と
(私が)待ちに待った水着回です。
百合宮 伯爵様考案のキャラクター、太刀花凜花さんがゲストとして登場します。
臨海&林間学校の宿泊施設は海と山に挟まれたところに建てられている。大自然に包まれたホテルというべき風貌で、どの窓から覗いても、青ないしは緑の眺望絶佳を堪能できるのは確実である。ここ一帯が学校管理の土地だという点に、天寿(星花女子学園を経営している巨大企業)の財力のほどがうかがえるというものだ。
宿泊施設から臨める海岸線は、砂浜だけでなく黒い岩場も存在していた。
黒い岩石の塊は三メートルほどの高さの丘を形成しているものもあって、智良はその上にしゃがみ込んで、砂浜でたわむれている少女の形をした花々を双眼鏡で眺めていた。不格好なオブジェのようにそそり立った岩場が傍にあるため、仮に砂浜から視線を受けても物陰に隠れるのに不自由はしない。そもそも、少女らの華やぎからけっこう距離があるので、誰かが遠くからの視線に気づいても、それが智良のものとわかることはないだろう。
双眼鏡を目に当てながら、智良は歯噛みする思いだった。お目当ての御津清歌は元生徒会長の五行姫奏に常に離れずにいて、ラッキースケベをおこなう隙が全くないのである。もっとも、朝は清歌に激怒され、姫奏先輩には目をつけられてしまったということもあって、仮に隙ができたとしても、行動に移すための決心がついてきてくれるかどうか、あやしいものである。今や智良は溜息交じりで遠方から少女たちを観察する変態と化していた。
御津清歌は別に五行姫奏と二人きりというわけではなかった。河瀬マノンや江川智恵、その他一〇数名の生徒とともにビーチバレーに興じている。全員が水着姿であったが、智良の中で特に強く印象に残ったのは、ご執心の清歌を含めた四人だけだ。
新旧の生徒会長はともに、同性もうらやむほどの見事なプロポーションを誇っていた。肉感的かつ均整のとれた肢体が、姫奏は濃紺の競泳水着に、智恵は白のワンピースの水着に、それぞれ包まれている。以前、智良はエヴァンジェリンに『スタイルがいい方ほどシンプルな水着がよく映える』と説き伏せられたことがあり、無駄知識には違いないが、生徒会長の二人を見やると、強い根拠に裏付けされた情報だということはよくわかった。
続けて御津清歌であるが、彼女は驚くことに、ビキニという格好で砂浜の戦場に立っていた。別に度助平に特化したフォルムではないが、露出度の高いビキニを選ぶということ自体、控えめな清歌にとって勇気のある決断であるように思われた。
上下とも、黒地に白の水玉模様の入ったシロモノで、ビーチボールを弾くたびに、その薄布に包まれた二つの半球体も魅力的に揺れ動く。清歌の大人しめな内面とは対照的な、非常にわがままな肉体であった。
そして、この三人とは違う意味で智良の視線に留まったのは、姫奏の友人である河瀬マノンであった。マノンはふんわりとした灰色の長髪をお団子状にまとめ、胸元にフリルをあしらったピンクのワンピース型の水着を着用している。彼女には悪いが、智良の目から見れば小学生が高校生の集団の中に紛れ込んだかのようにしか映らなかった。だが、水着に包まれた小尻のみずみずしさや、しゅっと引き締まった白い脚は、小学生の女児にはないものだ。
小柄な体躯の中にどれだけの才覚や知略が秘められているかは不明だが、いずれにせよ、マノンがそれを発揮するための場所として、今の場所はもっともふさわしくないように思われた。とにかくマノンは致命的に運動神経がないのである。あまりの不甲斐なさに智良は思わずあんぐりと口を開けてしまったものだ。ボールが迫ってくれば、取りこぼすか、メチャクチャな方向に打ち飛ばすか、顔面でレシーブするかのいずれでしかなく、外野と交代するたびに背の高い後輩たちに慰められるという始末。いつもは人を食うような笑みを浮かべているマノンだが、今はひときわ苦味が感じられた。
少女たちの華やかなやりとりを見ながら、智良は改めて溜息を吐いた。清歌を怒らせたことに対する後ろめたさとは別種の悩みからによるものであった。双璧の持ち主たるマノンはともかく、せめてバストが他の三人ほどあれば、
(ビキニが外れ、つきたて餅のようなたわわな乳房を清歌に見せつけてやれる。そんなラッキースケベがおこなえたのに……)
といったぐあいの悩みである。
智良の胸囲はマノンよりはましだが、平均値を大きく下回り、上半身を晒したところで惨めさを二乗させるのがオチだ。智良もその自覚があったため、海という場で、彼女は水着を着ていなかった。代わりに身につけていたのは誕生日プレゼントでもらった純白のワンピースで、しゃがみ込んだ際にスカートから清歌を激怒させた縞模様を覗かせている。別にパンチラは、ここでは意識してやっているわけではないが。
智良はりんりん学校(マノン談)を迎える前に十六歳の誕生日を迎えた。真っ先にそれを祝ってくれたのは、よりにもよって智良が苦手としているエヴァンジェリンであり、最初は『こいつに誕生日を教えたのは誰だよ……』と激しく罵りたい気分であった。もっとも、ケーキやプレゼントを用意し、盛大にパーティを祝ってもらった以上、こそばゆい思いはあれど、文句を言う気分にはなれなかった(さすがに生クリームの口移しやチョコソースのボディペイントは辞退させてもらったが)。
エヴァは類を見ない変態ではあるが、服を選ぶセンスもまた卓越したものがあり、もらったワンピースを身につけた智良は、柄にもなく鏡の前で一回転をしたものだ。肩掛けでなく、首掛けというのが智良にとってチャレンジではあったが、この衣服に見合った身体を作るのも悪くないように思えた。
もっとも、理想は理想、現実は現実と明確に線引きされており、ましてやりんりん学校まで期日は数日しかなかったため、相変わらず智良の体格は、オシャンティーなワンピースに『着られている』状態であった。ましてや表情が現在の空と対照的などんよりさんであり、これでは可愛らしいワンピースも気の毒というものだ。
いっそ清歌のことは、スッパリあきらめるか。名残惜しさが強く尾を引く思考ではあったが、あれだけ清歌を激しく怒らせた以上、手を引くのがけじめのようにも思われた。
(でもこれじゃあ、せっかく着たワンピースがもったいないよなあ……)
智良がワンピースを着たのは、ラッキースケベを演出する道具としての一面もあった。この格好のまま海に入るとどうなるか。ワンピースは濡れる。当たり前だ。そして上がったときに純白のワンピースは透けた状態で肢体に張りつき、健康的な色の肌と上下のストライプの下着をあらわにさせる、というわけだ。
智良は清歌ご一行から視線を外し、彼女たちから離れる形で岩場を歩き出した。歩いているうちに岩場は低くなり、ほどなく別の砂浜に辿り着いていた。こちらでも少女のはしゃぐ声が飛び交っている。
少女の喧噪から少し離れたところで智良は双眼鏡を置き、サンダルを脱ぎ捨て、波打ち際に足を付ける。そのまま海に向かって前進し、ふくらはぎを浸し、ワンピースを透過色に染め、最終的に足がギリギリ着くところまで辿り着いた。
このあたりの海は波が穏やかだから、まず溺れる心配はないだろう。智良は、首を水面に引っ込ませ、海の中を遊泳した。智良は基本運動神経がよく、水泳も得意で、着衣の状態でも特に苦を感じさせぬようすであった。
ワンピースの裾をクラゲのように揺らめかせながら、手足を使って水を掻き分けていった。大きな半円を描くように浅瀬を泳ぎながら、少女たちがたむろしている箇所へ接近する。それが智良の計画であった。ターゲットは特に決めてないが、新規開拓も悪くないと智良は思っている。
泳ぐことに関しては特に危機感をおぼえる点はなかった。まがことが生じたのは別の要素からであった。
接近する途中、智良は鼻から上だけを外気に晒し、周囲をうかがった。すると、沖のほうから何者かが泳いでくるのが見えた。何度も息継ぎするために顔を上げ、そのたびに烏の濡羽のような色の黒いポニーテールがちろりとうかがえた。
視線が合った。その瞬間、二人は同時に顔を上げた。それで智良は相手の顔を知ることができた。切れ長の黒い瞳と凜とした顔立ちは、智良にとって既視感のあるものだったが、名前を思い出すには若干のタイムラグが生じた。確か、高等部二年より編入した太刀花凜花だったはずだ。
智良自身は凜花と会話をしたことがなく、名前もファンという友人から聞かされただけだ。姿も一度しか見たことがなかったが、それはなかなかに印象深い出会いであった。
衣替え直前の時期だったろうか、凜花はラッキースケベに遭遇した。といっても演じたのは智良ではなく、智良もまたそれを目撃した側である。
階段を上ろうとした際、先を歩いていた少女が挑発的に短いスカートから魅惑的な中身を尻とともに揺らしている。智良は心の中で口笛を鳴らしただけだが、たまたま隣で歩いていた凜花はそうではなかった。武を貴ぶと言わんばかりの顔が朱に濡れて、うつむきながら、階段を踏み外すという行為を二回ほどした。
そのことを思い出し、智良は頭の中でに小悪魔的な企みを即座に作り上げた。内心ほくそ笑みながら、頭だけを出して凜花のもとへ接近する。
「こんにちは」
「……どこかで会ったことが?」
凜花は濡れたポニーテールごと首を傾げた。当然である。たまたま出会ったとき凜花はそれどころではなかったからである。智良もそれを思い起こさせる気はなく、わざとらしい猫なで声で語を継いだ。
「いえ、初めましてですけど。太刀花先輩の評判と美貌はすでに聞き及んでおりますから」
「むぅ……そこまで褒められると照れるではないか」
純情な先輩が恥じらうが、智良の言葉は決して社交辞令とも言い切れない。
今年の四月に彗星の如く現れ、剣道部では無比の強さを誇っていた。加えて自己鍛錬を怠らず、沖まで泳いでみせたのもおそらく体力作りの一環であろう。
クールかつ凜とした佇まいは少女を騒がせるには十分すぎるほどだ。その一方で少女らしい一面があることも噂されていて、そのギャップがまた少女を喜ばせるのであるが、智良としては初めて姿を見たときの純心ぶりを知れただけで事足りた。
智良と凜花は自己紹介を兼ねた会話をしながら陸に向かった。海は決して汚くはないが、透き通るような海を謳っているわけではないので、このときはまだお互いが何を身につけているかは不明のままである。まさか、凜花先輩も後輩がワンピースと下着姿で泳いでいたとは夢にも思うまい。
凜とした先輩がそのことを思い知らされたのは、お互いが海岸まで辿り着いたときである。二人は同時に立ち上がったが、智良の姿を見て、凜花は凍りついた。日射病でないのに全身をふらつかせ、発したアルトの声が無様に裏返っている。
「ぬぁう!? ち、智良、その格好は……!」
「ほえ? 太刀花先輩、どうかしたんですか~?」
白々しすぎる口調で智良は呼びかけ、凜花のほうを振り返る。凜花は泳ぎやすさを追求したセパレートの黒の水着を身につけており、脚部と腹部の筋肉は魅力的に引き締まっているが、今はふらついているせいでなんとも頼りなく映る。
下着や水着だけよりも遙かに色っぽい智良の濡れ姿を見て、純情な凜花はクールな印象を一瞬で吹き飛ばした。低く長いうめき声を発していたが、突然、我に返ったかのように身体をしゃきっとさせ、濡れたワンピースの少女から勢いよく顔を背けた。
「はっ! こんなんじゃいけない。心頭滅却、心頭滅却……!」
呪文のように呟きながら、凜花は上がったばかりの海に頭から突っ込んで泳ぎだした。